縁というもの。[後]
一夜経った次の日――とはならず、シルビアは国王シルヴァードと共に城内を進み、ウォーレンの部屋を目指していた。
「……こちらだ」
シルヴァードが立ち止まると、彼がそのまま扉をノックする。
中からは小さな声でどうぞと返事が届き、シルヴァードが先に中に入っていく。
「入るぞ。……ウォーレンのためになるとのことで、この方を案内してきたのだが」
さて、どうなるか。
シルヴァードは徐々に高まる好奇心を抑えながら、案内したシルビアを手招きする。
「ッ――シ……シルビア……様……?」
ベッド横にある椅子に腰かけていたベリア。
彼女はシルビアの姿を見ると、口元に手を当てて驚き目に涙を浮かべた。
「あらあら、昔の面影はまったくないのね。久しぶり……えっと、今はベリア……だったかしら?」
鈴のような声を聞き、ベリアはシルビアの胸元に飛び込んだ。
するとシルビアは子供をあやすように手を回すと、微笑みながらベリアに答える。
「ごめん……なさい……ッ。私、いえ……ウォーレンも、多くの事を忘れてしまって……」
「……覚えていてくれただけで充分よ。さ、貴女の思い人を見せてくれる?きっと、少しは助けになれるとおもうの」
ベリアははっとした顔になると、すぐさま目の前から移動する。
どうぞ、と口にして横になったウォーレンをみせる。
「この子も面影は全く残ってないのね……」
昔の楽しかった時代を思い返すと、シルビアは手を伸ばしてウォーレンの胸元に手を置いた。
置かれた手が徐々に紫色に光り出すと、少しずつウォーレンの身体に染みこんでいく。
つづけて蛍が瞬くように光が舞い上がったことで、幻想的な光景が部屋の中へと広がった。
「――シルビア殿。それはいったい」
「魔石(・・)の中身を外部から満たしただけよ。少しコツはいるけど、魔物にとってはこれほど有効な手段はないもの」
「……魔物、か」
シルヴァードが呟く。
「貴方たちが異人種と呼んで、魔石を持つ者を一つの種族と認めてるのは知ってるの。だけど、どうしようとも、私からしてみれば魔物の一種に過ぎないの。気に障ったらごめんなさいね」
「いや、価値観はそれぞれだ。余もそれを押し付ける気はないが……」
「貴方の気持ちはわかる。だから、この話はやめときましょう?」
するとシルビアは立ち上がり、ベリアに顔を向けて語りだす。
「数日もあれば目覚めるわ。だからベリアも、あまり心配しないでもう笑っていていいのよ」
ベリアの精神は不安定だった。
彼女にとってシルビアがどんな女性だったのか、そして、この再会で生じた感情は計り知れない。
だが、最後はウォーレンが数日で目覚めるという安心感を得ると、嬉し涙を浮かべてシルビアに抱き着くのだった。
こうして、ロイドたちが帰国してからの初日は過ぎ去っていく。
奇妙な縁によってできた再会や、王太子アインの現状など多くの事が発生した一日だった。
次の日――朝にはオズがやってくるということもあり、それをまってシルビアたちはアインの元へと向かうことになるだろう。
*
翌朝の天気はどんよりとした曇り空で、時折、霧のような雨が降り注いでいた。
王都民たちは、騎士が帰ってきたというのにパレードが行われないことに疑心暗鬼になり、アインに何かあったのではないか――という噂が城下町で流れだす。
当然だが、城の関係者は誰もそのことに答えることなく、皆が表情暗く口を噤みつづけるのだった。
「ふぅ……しっかりしなきゃ。まずは、シルビア様をお連れして……」
――コン、コン。
そんな朝の早い時間に、大きめの客間へとクローネは足を運んでいた。
彼女がやってきた理由は単純で、シルビアの案内をするためだ。扉をノックすると、すぐさま中から返事が届く。
「はーい?どうぞー?」
慣れた様子で答える声は、間違いなくシルビアのものだ。
クローネは深く深呼吸をして精神を整えると、失礼しますと声にして中に入る。
「おはようございます。もうすぐオズ教授が登城(とじょう)なさるとのことですので、シルビア様をお呼びに……」
落ち着いて振舞おうと心に決めていたクローネだったが、中には見知らぬ男性が居たことで戸惑った。
「――ん?あぁ、俺の事は気にしないでいいぞ」
「あなた……?気にしないでいいぞ、じゃなくて、普通は自己紹介をするものだとおもうの」
「……っと、すまなかった。なにぶん、人と話すのが久しぶりでな……。初めまして、俺はカイン・フォン・イシュタリカ。シルビアは一足先に世話になっていたようで、感謝する」
「――お恥ずかしい姿をお見せしました。私はクローネ。クローネ・オーガストと申します。昨日はシルビア様がいらっしゃった席に同席したのみですが、本日は案内を務めることになりました」
カインの自己紹介につづき、クローネはシルビアとカインの二人を見渡して名乗る。
案内をすることになった旨を伝えると、慣れた仕草で深く頭を下げる。
「そうね。謁見の間でお顔は拝見していたわ。貴女のことは、とても印象的だったもの」
「……私が印象的、ですか?」
クローネは自らの格好に目を向ける。
白銀色のジャケットとスカートに身を包むが、要所要所には黒い素材を用いてアインを想わせる。
化粧や髪も城の給仕が丁寧に整えたもので、何一つ汚点となるところは存在しない。
すると、クローネの様子がおかしかったのか、シルビアが笑いながら語り掛けた。
「そうなの。貴女はとても印象的だったのよ」
「そ、その――もしよければ、なにが目に止まったのかを教えていただけないでしょうか」
耐えきれず尋ねるクローネ。
するとシルビアは態度を一変させ、力強く……昨日のように強制力を感じさせる瞳を向ける。
「他の人たちも私の言葉に異変を感じていたわ。だけど、貴女が誰よりも強く違和感を感じ取った……そして、私に詰問しようと試みた。いえ……試みかけたってところかしら」
(……そう。なら、もういいのね)
クローネは取り繕うことをやめにすると、心の中でため息交じりにつぶやいた。
つづけて、今度は口を開いてシルビアに語り掛ける。
「……私にそう仰るということは、この違和感の理由を教えてくださるんですか?」
「うーん。ところで、違和感ってなにかしら?」
「ここにきて惚けるのですか?シルビア様は、陛下がお尋ねになった言葉をわざと濁し、誤魔化すような態度で話を変えた。一度だけではありません。これを違和感といわずして、なんといいますか」
「――ふぅん」
わざとに決まっているが、シルビアはクローネの態度を探る。
むしろ、想像以上に毅然とした態度で答えられ、若干驚いたほどだ。
「ほぼ初対面で私にそんな態度を取ったのは、貴女で二人目(・・・)よ」
「あら、まだ惚けるんですか?シルビア様」
「……今のは昔を思い出しただけよ。それで、理由を教えてほしいのね?」
「いえ。濁した理由というよりも、シルビア様たちがアインに何をするのか……それを聞ければ十分です」
本格的に取り繕うことをやめたクローネは、遠慮することなくシルビアに近づく。
無礼。危険。考え無し。見る者によってはクローネの態度をそう感じる事だろうが、彼女は敢えてこのように振舞う。
……だが、
「教えを乞うという事は、貴女は私に出せる代償があるの?」
シルビアは答えるのを拒んだのだ。
代償を求める。暗にそう口にすると、クローネとの間に一枚の壁をつくる。
「お望みのものがあれば、なんなりと」
「じゃあ、命をちょうだいって言ったら?」
「その場合には、アインを必ず助けるとお約束をいただかなければなりません」
「……約束したらいいってこと?」
「えぇ。そのつもりですが」
あっけらかんと答えるクローネを見て、長い時間を生きてきたシルビアでさえ驚かされる。
全くの冗談が感じられず、本当に命を差し出すのだろう――そう思わせる決意に満ちた表情だ。
近くで腰かけるカインも驚きの表情を浮かべ、クローネの方を見た。
「――さぁ、私とカインは少し遅れてから向かいます。謁見の間でいいのかしら?」
「ッ――シルビア様!」
「話は後で聞いてあげるから、
すると、シルビアの声がクローネの脳に響く。
いつのまにか身体が扉に向けて振り返ると、自然と足が前に進んだのだ。
「……なん、で」
「オズ教授とやらの話ははじめていてちょうだい。重要な話があれば後で教えてもらうから。では、また後で……クローネさん」
こうして、何の耐性も持たないクローネは強制力に逆らえず、シルビアの望むがまま退室していく。
シルビアたちからは窺えなかったが、去り際のクローネは口をきゅっと噛み締め、強く悔しさを滲ませるのだった。
「はぁ。少し意地悪過ぎたんじゃないのか」
クローネが去った後、呆れた様子でカインが語り掛けた。
「本当の事を教えれば、クローネさんにとってはアイン君が悪者になるの。なら、私が黙っていてあげれば……私が悪者で済むでしょ?」
「……言ってることは分かるが、あの娘は見る感じ柔じゃない。それどころか――」
すると、シルビアが立ち上がってカインの口に指を押し当てる。
彼が肝心なところを口にする前に、シルビアの指のせいで言葉が止められる。
「それにね、あなたも黙っていてくれたのだから、同じく悪者になってくれるんでしょ?」
「……知らん」
二人はこうして気持ちを確認し合うと、悲しげな表情を浮かべて、クローネが去っていった扉を眺めるのだった。
*
クローネがシルビアを迎えに行ってからおよそ一時間後。結局シルビアは連れて来れなかったが、オズは朝一で登城した。
謁見の間では、ロイドやリリという戦場にいた者を交え――やってきたオズ教授から、人工魔王についての実験についてを尋ねていた。
また、すぐそばでは、当然のようにカティマとクローネが控えてる。
――カティマの立つすぐ隣には、巨大な封印が施された木箱が置かれ、その中身の重要性を皆に知らしめる。
「では、オズよ。お主が持ち出した資料によれば……応用次第では可能、ということなのだな?」
眉間に皺をよせシルヴァードが尋ねる。
「はっ……。私の目で見なければわかりませんが、元帥閣下たちが見たという黒い石……それはもしかすると、魔石のエネルギーを凝縮させた、例えるならば飴玉のようななにかかと。小動物たちが狂暴化したのは、そうしたエネルギーによるものでしょう」
「なんと面妖な……ということは、奴らは過去にイストで活動していたということか」
ロイドたちの報告を聞いたオズはこう答えると、ロイドは悲痛な面持ちでエドの事を思い返す。
「結局のところ、魔石と連なる核の肥大化……ですが、肥大化に必要なエネルギーが重要なのです」
「器が弱ければ例の敵将(エド)のようになってしまうと?」
「えぇ。元帥閣下の仰る通り、漏れてしまったエネルギーは連鎖して抜けていきますので、逆に弱体化するというのも考えられます。そういう意味では、その敵将とやらは、魔王化に半分成功、半分失敗といった結果ではないかと」
「ふむ……なるほどな。通りであのように萎びていたのだな」
「ですねー……。聞けば納得って感じです」
オズの説明は分かりやすかった。
エドと戦ったロイドとリリの二人は、すぐにこの説明で理解へと至れる。
器が足りていなかったようだが、エドにその器が足りていれば……と考えればぞっとしてしまう。
「ですが、逆を考えれば、人に力を満たすのではなく、魔石に力を満たす……というのも不可能ではございません」
「ほう。オズよ、というと?」
「例えば強力な力を秘めた魔石であれば、その使い道は多種多様なものが考えられますが、例えば……」
すると、オズが語るのは誰もが想像しなかったことで、
「……原理は同じです。異人種と魔石を繋げ、魔石を主として力を流すのですよ」
一同は緊張で生唾を飲み込むのだった。
「ま、待つのだオズ。というと、それではまさか……」
「えぇ。上手くいけば、魔石の持ち主を復活させられるかもしれません。しかし、その異人種は確実に命を落とすと思いますが」
「……どういう原理なのだ?」
シルヴァードが尋ねる。
あまりにも人道的じゃない実験だが、つい興味を抱いてしまったのだ。
「魔力の伝達性が高い素材を使い、傷をつけた魔石と核を無理やりつなげればよいのです。すると、魔石へと核からの栄養が流れ込み、かなりの低確率ではありますが、復活に至れる可能性がある――という話でございます」
「はは……なんとも、夢物語な話であるな」
「えぇ、それはもう。……なにせ、宿主となる異人種も限られてまいります。力に満ち溢れた成熟した核を持っている……なんて、そう簡単に見つかる話ではありませんし、仮にいたとしても、使えるような魔石だなんて……私が知る中では、魔王のものしかございませんね」
オズはこう答えると、カティマの隣にある封印が施された箱に目を向けた。
「だが分からぬ。では、異人の身体に新たな精神が宿るということなのか?」
「そうなるかもしれませんし、あるいは、対象となった魔石を中心に、新たな生物が誕生するかもしれません。こればかりは試してみなければ……」
「なるほどのう……。しかし原理は単純なのだな。魔石と核をただ繋ぐだけ――と?」
「あとは意識次第でしょう。強く目的意識を持つことで、魔石とのリンクが構築されるはずですから」
シルヴァードは深く頷く。
実際に試すつもりは無かったが、大がかりな装置を必要としない……ということが身近に感じられてしまい、身体を冷たい感覚が走る。
「――ところで、陛下。この場にアイン様がいらっしゃらないということ……そして、私に人工魔王について尋ねたのは理由があるのですか?」
「む、むぅ……それはだな」
「陛下。オズ殿には伝えるべきかと。我々の考えを……そして、現状を」
「……おや?なにやら、不穏なご様子。私で良ければ力になりますが……」
ロイドの言葉にシルヴァードは苦悩する。
どうしたもんかと迷ってるうちに、ふとクローネの表情を窺うと、彼女は静かに頷いた。
それをみて、シルヴァードも心を決めてオズに答える。
「国家機密どころの話ではない。お主はそれを守るつもりはあるか?」
「何をおっしゃいますか陛下。私が話していることですら、国家機密の塊でございます。今更でございますよ」
「……そうであったな。ならば、ロイド」
「はっ」
すると、ロイドがオズに向けて説明をはじめた。
戦いの最後……アインがどうなったのか、現状どうなっているのか……そして、召喚された二人は何をするのか。
シルビアたちと王家の関係などの多くの情報は伏せると、ただエルダーリッチとデュラハンという固有名詞だけをオズに伝える。
……これまでないほどの国家機密をオズに語ると、オズは呆気にとられた様子で口を半開きにし、説明が終わってからニタァっと笑みを浮かべた。
「――ほほう。なるほどなるほど、通りで魔王の魔石までご用意なさっていたと……」
「召喚されたお二方は、今日この後よりアインの元へと向かう……とのことらしい。魔王の魔石を用いて、アインの暴走を止めてくれるのだろう」
この言葉には、すぐ傍で控えるクローネが異を唱えそうになる。
しかし、場が混乱してしまうことを危惧してとどまった。
「しかし、懸念材料がございますな」
「……オズ殿。懸念材料と言うと?」
「単純な話……火力不足でございますよ」
一同がオズの言葉に注視する。
生唾を飲み込む音が謁見の間に響き、オズの一挙一動を見守った。
「これはあくまでも想像にすぎませんが、植物と所縁のある種族……今回の場合はドライアドですが、例えばこれが進化したと仮定しましょう。その先は私もはっきりとは存じ上げませんが、可能性として高いのは世界樹……今はなき、植物種の神ともいえる存在です」
「……仮に世界樹だとして、なぜ火力不足に陥るのだ?」
困惑した様子でシルヴァードが尋ねた。
「――世界樹は多くのエネルギーを吸い上げます。土に残った栄養であったり、建材に僅かに残った水雫……そして、近くに魔石でもあろうものならば、迷うことなく食らいつくすことでしょう」
「それゆえ、火力不足に陥ると?」
「左様でございます。たとえば魔王の魔石を用いた破壊攻撃を行ったと仮定しても、その傷はすぐに修復され、跡形もなく傷跡は消え去る事でしょうから」
「……だが、その傷に対して攻撃を仕掛け続ければ」
「えぇ。もちろん高い効果は望めましょう。ですが、相手は魔王と化した世界樹だ――であれば、それ自身が放つ破壊力も加味する必要があるでしょう」
相手(アイン)が黙っているはずがないだろう、とオズは指摘する。
それは当然の事で、樹だから無抵抗では……と考えていたロイドやシルヴァードは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「実際にアイン様のお姿を拝見しなければ分かりませんが、いくらあのご夫婦たちがいるといっても、世界樹クラスの存在の堅さは難しいかと……」
――と、そのときだ。
謁見の間の扉が勢いよく開かれた。
すると、金髪を靡かせ、凛とした態度で一人の女性がやってくる。
「――では、その戦力に魔王が加わりでもしたら……どうですか?」
「ク、クリス様……!?」
「目が覚めたのか、クリス……!」
クリスの登場にリリとロイドの二人は驚いた。
だが、次の瞬間には喜びを浮かべて近寄っていく。
「ご心配をおかけいたしました。……それと、倒れていた間の事は、すべてマジョリカさんから聞いております。アイン様の事や……アイン様が召喚なさったという方たちのことも」
両手を強く握りしめ悔しさをみせると、クリスは歯を食いしばりながら二人に答える。
「陛下。突然やってきた無礼をお許しください」
「……いや、気にしておらん。よく来てくれたな、クリス」
しかし、シルヴァードは依然としてクリスをみる。
「だが、クリスよ。戦力に魔王を加える……というのは、いったいどういう意味なのだ?」
「――そのことについては後程。申し訳ないのですが、一人先客がおりますので」
すると、クリスらしくもない態度でシルヴァードに断りを入れ、オズのすぐ近くに足を運んだ。
「……お尋ねしても?」
「え、えぇ……構いませんが、どうなさいましたか?」
クリスの目線はまるで剣のようだ。鋭く冷たく殺気に満ちている。
声も同様に冷たく、オズは警戒するようにクリスへと答えたが、クリスの態度は変わることがない。
「――エドが言っていましたよ。貴方の研究成果に感謝してる、と」
「……申し訳ないのですが、私はエド殿に何か研究成果を渡したことはございませんが」
クリスの唐突な発言によって謁見の間がざわついた。
何の前触れもなく語られたそれは、現地で戦ったロイドやリリに対しては特に大きな衝撃を与える。
「おや。エドという名をご存知でしたか?」
しかし、クリスは辺りの様子を気にすることなく語り、オズを詰問しつづけた。
「以前知り合ったんですよ。彼は冒険者として活動していたことがありまして……その際に、イストでお会いしたことがございます」
「……なるほど。そういうことでしたか」
ふぅ、とため息をついてクリスは態度を和らげると、自然と笑みを浮かべる。
「ご納得いただけたようで何よりです。ところで、なぜ今になってエド殿の話が?」
オズは気を使っていた。
なにせ、ロイドたちはエドという名を口にしておらず、敵将としかオズに教えていない。
好々爺な笑みを貼り付けると、白々しい態度でクリスに尋ねる。
「実はですね、その敵将というのがエドだったんですよ。もう死んでいるんですが、何か関係でもあったのかと思いまして」
「……左様でございますか。ですが、今申し上げた通り、私はそれ以上の関りがございませんので」
「えぇ。お陰で安心しました」
だが、クリスの微笑みがどこか刺々しい。
まだしこりを残している――それが明らかな表情でオズを見続ける。
「あ、ごめんなさい。もう一つ聞いてもいいですか?」
「……勿論ですよ。クリスティーナ様」
「では、過去私たちが調査に向かった際――私たちが口にしなかったというのに、赤狐の長が女性で、魔王軍の幹部だったというのを知っていたのはいったい?」
一瞬だけオズの表情が固まった。
だが、彼はすぐさま笑みを浮かべて返事を答える。
「ご存知かと思いますが、私は赤狐の研究を長い間続けて参りました。ですので、そうした細かな情報も存じ上げておりましたので……」
「なるほど。理にかなっておりますね」
「はは。誤解が解けたようで何よりです」
分かりやすくほっとした態度でオズが安堵する。
その様子すら、クリスの圧力に負けたということでなんら違和感はない。
……だが、
「えぇ。私の仮説が間違ってるかもしれない……という誤解は消え去りましたよ」
「……はい?」
「だから、オズ教授――オズ、貴方の理論は破綻してるんです」
「えーっと、申し訳ないのですが、クリスティーナ様。それはいったい」
この瞬間、クリスの覇気が強く高まった。
「――どうしてあの二人が夫婦だった、とご存知なんでしょう」
この言葉には、さすがのオズもピク、と引き攣った笑みでクリスを見る。
「何かの間違いですか?ロイド様たちは、ただエルダーリッチとデュラハンとしか口にしておりません。どちらから夫婦だ……という認識を得たのか、お答えいただけますか?」
「……謁見の間の外で聞き耳でも立てていらっしゃったんですか?」
「生まれながらに耳は良いんです。こうしたときに役立つのですから、捨てたものではないでしょう?」
「――ふむ」
降参だ。そう口にするようにオズが両手を広げる。
「潮時のようですね。ですが、最後は赤狐らしく派手にいくとしましょうか」
「オズ――おまえ、なにをッ!」
ロイドが剣を抜く。だが、オズの挙動が一歩先をいく。
「このためにあの魔石をお渡ししたんです!事前に調べてありますよ、この城の中で……しっかりと地下室に保管されていると!」
「まさか、貴方がアイン様に渡した赤狐の魔石にッ――」
「そのまさかです。大したことはできませんが、幾分かの人々にいい影響を与えられるでしょうから……さぁ、私と共に最後の花を……」
すると、オズは懐から一枚の紙を取り出すと、それを勢いよく破り捨てた。
魔石と連動しているらしく、切り裂かれた紙からはうっすらと暗い光が漏れ出した。
……だが、
「……む?」
「――なにも、起きませんね」
警戒したリリとロイド。
二人は辺りを見渡してみるが、一向になんの変化も訪れない。
また、オズも訳の分からぬ様子で周りをみる。
「な、なぜ何も起こらない……瘴気を漏らすはずが」
……すると、もじもじとしながらカティマが口を開く。
とても申し訳なさそうに、それでいて若干の達成感を込めて。
「……そ、そのニャ?オズ、おまえが言ってるのって、例の赤狐の魔石で間違いないのニャ?」
「――先程も申し上げましたが、その通りです」
「……ごめんなさいなのニャ」
「……は?」
オズが敵と判明した今でも、カティマは申し訳なさそうな態度を崩さない。
そして、彼女はつづけて語るのだ――オズだけでなく、皆があっと驚く一言を。
「あのー、あの魔石ニャら、もう動くことはないのニャァー……」
「そ、それはどういう意味だ……カティマ!」
黙っていたシルヴァードがカティマに尋ねる。
でかした!と喜んで褒めてやりたかったが、まずはどうしてかを尋ねることにする。
「ごめんなさいなのニャッ!小動物に埋め込まれてた魔石を調査してた時……研究が捗らなくてつい暴れてしまって――」
『――大事どころか、貴重品の魔石とかも入ってたのニャ……。中身は入ってないけど、それでも重要な研究材料だニャ……』
時は遡り、ウォーレンが赤狐と判明した時のことだ。
荒れた様子のアインだったが、シルヴァードに諫められてカティマの部屋に向かった。
その際のカティマの研究室は荒れ放題で、彼女はこうして貴重品壊れたという旨を呟いていた。
また、アインはその中身が何個か割れているのも確認しており……。
「その時に、もらってた赤狐の魔石も割っちゃってたのニャ……いやー、ごめんなさいなのニャ」
しかし最後のカティマは笑みを浮かべる。
貴重な資料を割ってしまったことへの罪悪感が薄れ、責任転嫁できる事への喜びかもしれないが、今のカティマは輝いていた。
「それは何よりですね、カティマ様。ところで、オズが語っていた技術については、もう十分でしょうか?」
「……ニャ?んむ、もう私でも理解できてるニャけど」
だからどうした。カティマはそんな態度で答える。
一方のクリスは満足したようで頷くと、シルヴァードに語り掛けた。
「陛下。穢れを招くことをお許しください」
「――まて、クリスお主は何を……」
次の瞬間、クリスが皆の視界から姿を消した。
だがその数秒も満たない後、彼女はオズのすぐ後ろに姿をみせる。
「……おやおや。私からまだ知識を搾り取ろうとは思わなかったのですか?」
「思うはずがないでしょう。赤狐の長は命を落とし、もうすでに貴方たちとの縁は切れているんだから。……もう、私たちが考えてるのはアイン様のことだけなの」
「あぁ……そうですか……それは、残念、だ……」
ボトッ。音を立ててオズの首が床に落ちた。
「血は出ないようにしました。お見苦しいのはお許しください」
そう語ると、クリスは外套を脱ぎ捨ててオズの死体を隠す。
「ク、クリス――少し軽率だったのではないか?」
「ロイド様。こうするのが一番ですよ……それに、外にいる彼女(・・)が手を出してこなかった辺り、この判断は間違いじゃないんだと思います」
「外にいる彼女……?」
「あら。気が付いてたのね」
すると、困ったように笑い顔を見せるシルビア。
そっと謁見の間に立ち入ると、たったいまオズを殺したばかりのクリスに語り掛ける。
「あの男の挙動は見張ってたの。だから、仮に魔石が残ってたとしてもなんとかした……予定だったんだけど、随分と面白い終わり方になったのね」
「……だそうですよ、カティマ様」
「ニャハハハッ……その、怒らないでくれると助かるのニャ」
「はぁ……。カティマよ、とりあえず後で話すとしよう」
縋るような表情のカティマへと、シルヴァードが非情な言葉を突きつける。
それを見ていたクリスも笑みを浮かべると、最後は決意した様子で一人頷いた。
そうしてクリスは歩き出すと、玉座近くに置かれた魔王の魔石に近づいた。
「――陛下」
「ん?どうしたのだ、クリス」
「先ほどの言葉へとお返事いたします」
「先ほどの……?もしや、魔王を戦力に加える、ということのか?」
「はい。それについてです」
シルヴァードに返事をすると、クリスは気にすることなく封印された箱を開く。
何をするんだッ!と皆が一様に驚くが、クリスの動きは止まらない。
「クローネさん」
「ッ――え、えぇ。クリスさん、どうしたんですか?」
「お願いします。私の魔石はすでにアイン様へと捧げた物。どうか、アイン様が戻られた際には……アイン様のお身体に収めていただけるよう、お伝えください」
「……クリスさん。貴女、それってどういう――」
「あはは……私の剣がミスリルなのは幸運でした。これ以上に魔力の伝達に優れた金属はありませんし、きっと、満足な成果を上げてくれると思います。それに、私は異人種としても長寿で力がありますから」
語り終えたクリスは魔王アーシェの魔石を手に取った。
徐々に漏れ出す魔石の魔力に身体が蝕まれ、クリスの身体が弱弱しくなっていく。
だが、彼女は自慢のレイピアを抜き、魔王アーシェの魔石を自らの核の上へと重ねた。
「魔王アーシェが復活すれば、アイン様をとめる力になってくれることでしょう。……もしかすると魔王アーシェも暴走するかもしれませんが、そうなったら私を恨んでください」
「まッ――待て、クリス!」
シルヴァードが引き留める。
だが、クリスは答えることなくレイピアを振り上げ……、
「クリスさんッ!待ってッ!」
「……クローネさん。どうかアイン様を――」
振り上げたレイピアを逆手に構え、クリスの胸元一直線に振り下ろされた。
素早く美しい動作だったせいだろう。アーシェの魔石は砕け散ることなく保持され、中央にレイピアの通り道ができただけだ。
それはすぐさま貫通すると、何の問題もなくクリスの核に突き刺さった。
「――魔王アーシェ。もしも貴方が助けになってくれるのなら、どうか……私の大切なあの方を……助けてください」
この言葉を切っ掛けに、クリスのレイピアがうっすらと輝いた。
次第に紫色に光を漏らすと、アーシェの魔石を中心に、光の玉が大きく成長する。
「急いで剣を抜きなさいッ!そんなことをすれば、貴女だって……!」
シルビアが慌てて近寄るが、すでに賽は投げられた。
クリスは弱弱しくシルビアに微笑むと、吐息のような声で『頼みます』とだけ口にする。
「クリス!やめぬか……ロイド、クリスの剣を……ッ!」
「は――はッ!お望みのままにッ!」
「ロイド様!私も手伝って……」
ロイドとリリの二人がクリスを止めにかかったが、もう遅すぎる。
喉の渇きを満たすかのように、アーシェの魔石に広がる光は大きくなりつづけ、徐々に人型をつくりあげる。
銀色の髪がすがたをみせ、小柄ながらも女性と一目でわかる体躯をみせ、それは少しずつ姿を現す。
「だめ、ですよ……これは、アイン様のため……なんですから……」
最期の力を振り絞り、クリスが風魔法を放ち妨害する。
……一瞬だけの強風だったが、その一瞬だけで勝負はついたのだった。
クリスは満足したように女神のような微笑みをみせると、力尽きたようにだらんと手を下ろす。
――そして復活したのだった。
イシュタリカ史上最悪の歴史をつくったといわれる、魔王アーシェが数百年ぶりに姿をみせる。
「……馬鹿な女の子。でも、あなたはすごくきれい」
一糸まとわぬ姿で現れたアーシェ。
膝まで届く銀髪で身体中を隠しながらも、倒れたクリスを膝で抱いた。
アーシェの全身へと紫色のオーラが満ち溢れる。
電撃のようにバチバチ、と音を響かせると、
「……でも、きれいな人は死んだらだめなんだよ。ほら……頑張って」
アーシェはクリスの首元に噛みついた。
紫色のオーラをクリスの身体へと流し込むと、クリスの身体が脈動したのを感じて立ち上がる。
「――うん。わたし、復活」
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