目指すはイシュタリカ。
「あら。いいお部屋ね。後でお風呂借りてもいいかしら?」
「……もう好きにしてくださいよ」
リヴァイアサンにある一室。
その中でも、王族が宿泊してもおかしくない上等な部屋にシルビアを通すと、彼女は満足そうに微笑んだ。
リリは諦めた様子で答えると、疲れと怪我で重くなった体を柔らかなソファに埋める。
「――して、貴殿はいったい」
シルビアの事が気になってしょうがないロイド。
だが、シルビアはロイドの言葉に不満げに笑みを浮かべると、
「……うーん、その言い方はだめよ」
「むむ……?だ、だめとは?」
「貴殿、貴公――この二つは男性に対しての言葉でしょう。たぶん、緊張してるんだと思うけど、私には貴女(あなた)……あるいは、貴女(きじょ)と言うべきね」
「む……それは済まなかった。お恥ずかしいところをおみせした」
「いえいえ。構わないわよ」
ロイドの答えに満足したのだろう……シルビアは満足げに微笑んだ。
すると、今度はリリが不満げに口を開く。
「もーッ!だから、ロイド様も……違うでしょ?それじゃないですよね!?」
「ッ――す、すまぬ……つい……」
「いやまぁ……ロイド様のお気持ちも分かりますけど、でも、もう聞いてもいいんじゃないかと……」
ロイドが緊張してしまう理由というのを、リリは目の当たりにしていないのだ。
見たこともない方法で敵兵を殺す姿というのは、やはり元帥のロイドからしても恐怖を抱くのも無理はない。
すると、ロイドは気を取り直して咳払いをすると、上機嫌なシルビアへと語り掛ける。
「すまん。分からないことだらけなのだが、まずは……貴女の事を教えてほしい」
「うんうん」
やっと言ったか。ロイドの言葉にリリがそう考えると、何度も深く頷いた。
「一応、良人(おっと)は名乗ったと思うのだけど、遅ればせながら、私も名乗ろうかしらね」
「……良人?」
リリが良人という言葉に反応する。
「あの銀髪の人は私の良人なの――あげないわよ?」
取りません。とリリが呆れ半分の声色で返事を返すと、
「……名乗りって、あの『――黒騎士団長にして、お前たちが崇める王の父だ』……っていうあれのこと、ですか?」
リリはそういえば……と、巨大なクラーケンが出現した時の事を思い出す。
「えぇ。そのことよ」
「――待て。今、黒騎士と申したか?」
続けてロイドが驚いた表情を浮かべて立ち上がる。
そう……ロイドにとっては、黒騎士という言葉には理解がある。
「黒騎士――つまり、かの御仁はマルコ殿の上官……いや、それどころかあの御仁は……」
「ロイド様……?完全に私だけ置いてけぼりなんですけど」
「す、すまん。少し待ってくれ……私も、若干混乱しているのだ」
ロイドの頭の中では繋がったのだ。
マルコという男の出現に加え、黒騎士という単語……そして、黒騎士団長と名乗った男の妻を名乗る女性が居るということ。
「シルビア殿、といったな?」
「えぇ。私の名前はシルビアよ」
「……そなたは異人種どころでなく、魔物……それも、エルダーリッチということだな?」
「ッ――!?」
すると、隣に腰かけていたリリはハッとした様子で目を見開くと、頭をグイっと勢いよく後ろにそらした。
シルビアは二人の驚いた様子を愉快そうに笑うと、優雅に立ち上がって名乗りを上げた。
「初めまして。私の名前は、シルビア・フォン・イシュタリカ――良人はカイン・フォン・イシュタリカ。一人息子の名前は……マルクっていうの」
*
いわゆる、マルクが魔王の血縁にあったという事――それを知るのは、王都ではアインとシルヴァードの二人に絞られる。
エルフの里の長も事情は知っているが、彼女は徹底してこの事を隠してきたため、事実上、知っているのは三人だけだ。
そして、事情が事情ということもあってか、シルビアはその事実を二人に告げる。
当然、普通ならば受け入れる事は簡単ではない。だが、アインの事情や旧魔王領での出来事――そして、忠義の騎士マルコという存在の件や、カティマが購入したヴィルフリートの本を思えば、全てを否定することはできなかったのだ。
「あと、アイン君から聞いてたと思うけど、アーシェの信念……覚えてる?」
「魔王アーシェの信念とな?」
「――ほら、喧嘩しちゃだめ。っていうやつのことよ」
するとロイドは思い出す。
確かに、旧魔王領を立ち去る際に、アインがマルコからそれを聞いた……と語っていた。
「あぁ。覚えはあるが」
「だから、それがマール君……じゃなくて、
「……なるほど、そう繋がるわけか」
「え、ちょ……待ってくださいってば。それってつまり、本当に初代陛下は……」
リリによる最後の抵抗はとても弱弱しい。
「だから、あの子はれっきとしたうちの子よ――納得した?」
「……納得してないけど、納得しました」
「ふふ、哲学的でいい言葉ね」
「――リリ。つまり、やってきた二人は、アイン様が吸収なさった魔石の持ち主……ということだ」
「あ、あー……召喚したんですか。うんうん……って、理解できるわけないじゃないですかッ!」
相も変わらずリリは喚いた。
むしろこれが当然の反応で、分からないことだらけなのは今だ変わらない。
すると、シルビアが説明を再開する。
「私たちだって想像したことはなかったの。でも、アイン君はアイン君にしかできない方法でこれを成した」
「……教えてくれるのだな?」
「えぇ、勿論よ――その手段は、マルコが持っていた眷属召喚っていうスキル」
「――待ってくれ」
説明の最中だが、これは止めなくてはならない……とロイドが口を挟む。
「すまんが、どういうことだ?それではアイン様がマルコ殿の魔石を吸収していたということに……」
「それで間違いないわよ。アイン君はマルコとの決闘に勝利して、マルコの魔石を吸収したもの」
「……全く聞いた事もないのだが」
「その辺りの事情については、今度本人たちから聞いてちょうだい。私が話していいのか分からないから」
説明は中途半端に終わってしまうが、少なくともそうした事実があったというのは理解する。
すると、ロイドは不満げながらも了解したと返事を返す。
「そんなわけで、アイン君は魔王としての器を覚醒させた――っていうことなんだけど」
「すまん。会話を区切るのはあまり好きじゃないのだが……魔王といったか?」
ロイドとリリ。
今の二人は対照的な態度で、ロイドは比較的まともだった。
だが、一方のリリは理解が追い付かないのが極まると、口をポカンと半開きにして聞くことしかできていない。
「えぇ。アイン君はその時に魔王に覚醒して、今に至る。それで、暴走したときのアーシェと似たような状況に陥ってしまってる……っていうのが現状かしらね」
「……王太子殿下が、魔王となってしまったというのか」
「――軽蔑する?」
「ははは……その程度で軽蔑はせん。むしろ、頼もしさすら覚えるが……」
尋ねたシルビアはおっかなびっくりだったが、ロイドの返事には安堵した表情を浮かべる。
すると、ロイドは返事を続け……
「近ごろアイン様がみせた力とやらも、それならば私も納得がいく。それに、そなたらの魔石や海龍の魔石を吸収したお方だ……魔王化とやらをしても、そう違和感はないな」
むしろ魔王になってたといわれてしっくりきたのだ。
それでいて、アインが魔王というのも意外と悪い気がしない。
「この際、そうした詳しい事情については後で聞くことにする。前提となる情報も理解に至った。だからこそ、私は一番聞きたかったことを尋ねたい」
「……えぇ、どうぞ」
「――単刀直入に聞く。では、貴女がた三名は、アイン様を助けるべく来てくれたのだな?」
まどろこしい会話はなしにすると、ロイドは真っすぐにシルビアへと尋ねる。
しかしシルビアは、少しの間をおいてから答えたのだ。
「……私たち三人は、アイン君の求め……
ロイドの目つきが鋭くなる。
なぜならば、シルビアはロイドの問いに答えていないからだ。
シルビアやカイン、そしてマルコがアインと繋がっているのは間違いないが、その目的がはっきりとしない。
「質問を変える。貴女たち三人ならば、アイン様の暴走を止められるのだな?」
「えっと、三人?」
「……ん?シルビア殿、カイン殿、そして……マルコ殿の三人で間違いないと思うが」
「うーん……どうかしら」
「――やはり、魔王というのは相当に」
「あ、ううん違うの……そういう意味じゃなくて。いや、勿論それも一筋縄ではいかないんだけど……」
シルビアが次に語るのは、ロイドが予想だにしていない事だ。
その言葉には、呆気に取られていたリリですら、つい真顔に戻されてしまう衝撃があった。
「……マルコがどう行動するかが分からないの。もしかすると、彼はアイン君を
「守る……?それはどういう意味だ?彼がカイン殿のような……上官の命令に逆らうとは思えぬが。それこそ、忠義をかたる男なら尚のこと――いやしかし、マルコ殿が守るということは、貴女ら二人は……」
「ううん、違うわ。貴方は前提を勘違いしてるの」
シルビアは苦笑いを浮かべる。食い気味にロイドの言葉を遮ると、誤魔化すように手を振った。
どう振舞うのが最善なのか、それを考えられなくなったようで、少しばかり不安そうに口を開く。
「マルコにとっては、アイン君に付き従うことが……何よりの忠義だもの」
この後のシルビアは疲れた様子でソファに深く腰掛ける。
何やら含みのある言い方だったが、一方のロイドとリリの二人も急な出来事に頭が働かない。
しかし彼らを乗せた船はイシュタリカを目指しつづけ、もうしばらくもすれば王都の港に到着する。
リヴァイアサン自慢の速度を発揮しながら、淡々と海路を進んでいくのだ。
そして、イシュタリカという国の真実に加え、アインの現状――そしてこれからについての会話は、王都に到着してからとなった。
ロイドとリリ。この二人だけでは話が身に余ると感じ、一同は場を改めることにする。
……三人は一度解散すると、ロイドとリリの二人はクリス……そしてディルの見舞いに向かう。
その場でリリからディルの現状を聞くと、ロイドは部屋の壁に悔しさをぶつけ、ただ静かに涙を流すのだった。
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