戦艦への撤退。
一方で、カインと別れたシルビアは、港町ラウンドハートから少し進み、王都へと続く道に一人佇んでいた。
「――運命を背負わせたのは、私たちなのかしらね」
シルビアが見る方角には、巨大化を続ける
王都中に深く根を張り、ツタを絡ませ、甘美な香りを漂わせる。
甘く、香ばしく、ほろ苦く、それでいて唾液を分泌させる旨味を漂わせた。
何の香りか……と聞かれれば答えは見つからないが、危険な魅力に満ち溢れているのはすぐに分かる。
「急げ!急いで戦艦まで退くのだッ!」
「ちょっと、元帥閣下!ハイム兵が邪魔すぎて……」
すると、王都の方角からやってくるイシュタリカの軍勢。先頭を走るのはロイドとマジョリカだった。
彼らは戦艦まで撤退するため、生き残った全ての騎士を連れ、大急ぎで馬を走らせていた。
……だが、その通り道に集まっていたハイム兵たちが妨害をし、彼らの進路は保たれていない。
「うーん。ハイムの鎧……じゃないのを着ているのって、こっちの大陸の冒険者たちかしらね」
不憫そうにつぶやくと、シルビアはどこからともなく豪華絢爛な杖を取り出し、地面をトントンと二度叩く。
すると彼女はを中心に強風が吹き荒れ、ハイムの軍勢がシルビアの姿に気が付いた。
「ッだ、誰だお前……!」
「いい女――おい、早い者勝ちだろ!?」
分かりやすい態度でハイム兵たちが声をあげると、ハイエナのような瞳でシルビアを視姦する。
しかし、される側のシルビアと言えば、男の視線には慣れてるのか、彼らの視線を気にする事は無かった。
「……だ、誰だあの女性は……皆、急げ!急いであの女性を救出し……」
撤退を続けるイシュタリカの軍勢――その先頭を走るロイドがシルビアに気が付き、馬の速度を上げて走る。
「
砂塵舞い上がる戦場にありながらも、シルビアの周囲だけは穏やかだった。
まるで茶会でも開いているかのような、雅やかで婉(しと)やかな幻想を皆に抱かせる。
だが、無粋な者というのは何処にでもいることで、シルビアの艶に誘われたハイム兵が、下卑た欲望を押し出し襲い掛かった。
「おらッ!娼婦らしく仰向けにな――あ……れ……?」
――が、振り上げた逞しい腕は感触を失い、指先を動かす感覚が消えた。
訳も分からずハイム兵が両腕に目を向けると、
「あら綺麗……もっと、見せてくださるかしら?」
ハイム兵の指先が光る砂……まるでガラスのような砂になって崩れていく。
それは連鎖し、徐々に肘へ、肩へ……そして、
「どうしたのかしら?そんなに怯えちゃって」
シルビアが笑みを浮かべて振り返る
「ひっ――おい、くるな!近づくなッ!止め……やめ……て……」
「……自分から女を求めたのに、そんな顔をするのは失礼じゃない?」
ハイム兵の最期は筆舌にし難い。
シルビアが手を伸ばしハイム兵の頬に触れたと思いきや、ハイム兵は怯えたまま全身を砂と化し、辺りに吹き続ける風に煽られ姿を消したのだ。
その砂が飛び去る光景は印象的で、真冬に降る光を反射する雪景色のようだ。
この光景に驚いたのは辺りに蔓延るハイムの軍勢――だけでなく、シルビアを助けようとしていたロイドもだ。
初めて目の当たりにした光景に、皆が一様に恐怖を抱く。
すると、彼らの抱いた恐怖を知らず、シルビアは楽しそうに語りだす。
「――物売りがほつき、お薬師は病(やまい)を治す。戦士が戦い、文官が富まし、その統べてを王が統べる。――では、
シルビアは語りながらも眉目好(みめよ)い所作で手を振ると、近くに居たハイム兵を砂に変える。
だが誰も一向に答えず、ただ恐怖を抱いてシルビアから距離を取る。
彼女は悲しげな表情を浮かべてハイム兵を見ると、じゃあ、と前置きをして問い直す。
「じゃあ、ここにいるハイムの兵士さんたちは何をするのかしら。敵となるイシュタリカを滅ぼすの?そして、意気揚々と海を渡って攻め入るのかしら」
……当然誰も答えない。
ハイム兵ができたことは、武器を構え、じりじりと戦いに備える事だけだ。
彼らにとっては、撤退途中のイシュタリカの軍勢も驚異的で、徐々に困惑した様子が広がっていく。
「――そう。貴方たちは愚者なのね」
するとシルビアは落胆し、蔑みの笑みに冷たい瞳を浮かべ、呆れ果てたと言わんばかりの声を漏らす。
「自分たちが愚者であると知るならば、貴方たちにも賢者は居たのかもしれない――だけど、無意識での愚者に救いは無いわ」
風が吹く。
シルビアを中心に、冷たく暖かく、感覚を鈍らせる特質的な風が吹いた。
「語る事ができない愚者たちへと、語ることができる賢者が示しましょう」
シルビアは気怠そうに杖を叩く。
地面を優しく、そっと叩いた。
みせるのは何も派手な事ではなく、彼女がしたのは
「――素敵でしょ?」
理不尽の一言に尽きた。
だが、シルビアが本気なことは皆が理解し、ハイム兵は一層の恐怖に駆られ、我を忘れてシルビアに襲い掛かる。
「私ね、綺麗な景色が大好きなの――愛おしいの。だから、貴方たちはそのお手伝いをするだけでいいの……ほらね、簡単でしょ?」
ハイム兵たちからすれば、このシルビアの言動は狂人としか言えない。
しかし一方のシルビアは本気も本気。その目に偽りは全く感じられないのだから。
「……い、いったい何なのだ……あの女性は」
一番の戸惑いを見せたのはロイドだ。
なぜならば、シルビアがしたことはすべてハイム兵にのみ行われ、イシュタリカの騎士達は何一つ被害を被っていない。
敵か味方かの判断が付かず、それでいて、無視できない状況とあってか困惑するばかりだった。
すると、戸惑いながら馬を走らせていたロイドへとシルビアが振り返り、女性らしい優しさに満ちた瞳を向けた。
「……急げ。このまま戦艦まで走るぞッ!」
「ロ、ロイド様ッ!?あの女性は危険ですッ!もしかすると、あの女性こそが赤狐の残した切り札という可能性は……」
「構わん!おそらく……いや、あの女性は、ほぼ確実に我らの敵ではないッ!」
「といわれましても――いったい、急にどうされたのですか!?」
ロイドの突然の心がわりに呆気にとられた近衛騎士だが、狼狽えながらもロイドの隣で馬を走らせる。
「――今は亡き、我が母のような慈愛を感じたのだ」
戦争のせいで精神に異常をきたしたのか。
失礼ながら、近衛騎士はこうした危機感をロイドへと抱いた。
しかし、ロイドの目つきは変わらず雄々しく険しい。
――結局、近衛騎士はロイドを信じ撤退をつづけた。
……その後の彼らイシュタリカの軍勢が行ったことは単純だ。
大急ぎで港町ラウンドハートへと足を踏み入れ、剣の王が暴れまわる様を横目に、味方が待つ戦艦へと乗り込んだ。
そして救助したアウグスト大公家の二人を安全な部屋に連れて行くと、ロイドは海龍艦リヴァイアサンへと足を踏み入れるのだった。
*
ほぼ死にかけたというのに、馬を急いで走らせたロイドの身体は限界に近い。
だが休む間もなく、ロイドは大股で操舵室に向かう。
数人の近衛騎士を連れ、情報の確認を行うためにもと急いだのだ。
「帰船した。誰か現状の報告を――む、リリ。休まずともよいのか?」
すると、ロイドの目に入ったのはリリの姿だ。
なにやら考えていたようで、口元に手を当てて窓際で佇んでいたのだが、ロイドの一声に気が付くと、慌てた様子でロイドに近づく。
「ロイド様ッ!無事だったんですね……よかった……ッ」
「
ロイドはあそこと口にすると、港町ラウンドハートの方角を指差した。
「あ、あぁー、えっと、その女性って……黒いローブを着た、色気が半端ない方ですか?」
「む……ま、まぁそのようなものだが」
「では、暴れてた騎士っていうのは、銀髪の色気が半端ない男性ですか?」
非常事態といえど、リリも混乱しているのだろう。
あまり適切ではない言葉の選択だったが、ロイドも気にすることなく同意する。
「おそらく、リリが想像する通りの二人だ」
「――結論から言えば、私たちも分かってない感じですね」
「……む?」
「なんていえばいいのか、省略しながら説明しますと……」
こうしてリリが語りだした。
リヴァイアサンに戻って来てから、クリスを治療させにいったことや、その後遅れてディルがやってきたということ。
そして、自分の身体も疲れたことで休んでいたら、突如巨大なクラーケンが現れ、どうしたもんかと悩んでいたら……
「その二人がやってきまして、銀髪の男性が一振りでクラーケンを沈めたと思えば、港町に飛び出していった……っていう感じでして」
「なるほどな。理解した――理解しきれないということをな」
「あ、あはは……」
ロイドの答えにリリが渇いた笑みを漏らす。
だが、ロイドにはその二人以外にも覚えがあるのだ。
「――しかし、今思えば、あの二人はアイン様の関係者……と思うが」
というのも頃合いが良すぎたのだ。
マルコというリビングアーマーの出現からはじまり、イシュタリカの軍勢は多くの助けを得てここまで辿り着いた。
戦艦で控えていた者たちも、クラーケンを倒してもらうという助力を得ているのだから。
「アイン様の関係者?」
すると、ロイドの言葉にリリが疑問を露にする。
「……アイン様は何処にいらっしゃるんですか?その、王都で何があったのかも」
「あ、あぁ――恐らく、赤狐達は倒されたのだと思う」
「ッてことは、私たちが勝ったんですね……!」
本命だった赤狐の件が解決したと言われ、リリだけでなく、乗組員たちも大きく喜びの声をあげた。
そうは言っても対照的な様子の近衛騎士たちを見て、リリは急激に表情を暗くする。
「――ロイド様。アイン様は何処にいらっしゃるんですか?」
リリは再度同じことを尋ねる。
さっきよりも声を固く、ロイドを詰問するかのように尋ねるのだ。
そうなると、ロイドは苦々しく、今にも泣きそうな表情を浮かべて不安を露にした。
拳を強く握りしめ、近衛騎士も一様に俯いてしまう。
「ッ……ロイド様!」
リリがロイドに近づき、ロイドの肩に手を置きロイドの身体を揺らす。
立場を考えれば不敬なこと甚だしいが、今のリリを咎める者は誰もいない。
――だが、操舵室へと一人の女性が姿をみせたのだ。
「……あら?どうしたの、そんなに怖い顔しちゃって」
「ッ――あ、貴女はさっきの!?」
やってきたのはシルビア。
ロイドからしてみればさっき助力をもらったばかりで、リリからしてもあまり長い時間は経っていない。
シルビアは我が物顔で操舵室に乗り込むと、騒々しい様子のリリをなだめる。
「きっと、知りたいことがたくさんあるのよね?大丈夫、私が教えてあげますから、ね?」
シルビアの言葉はまるで麻薬だ。
リリの脳髄にまで沁み込むと、無意識のうちに、その声に従わねばならない――という気持ちにさせられる。
「なっ……きゅ、急に触らないでください!だいたい、誰なんですか貴女は……ッ!」
「私?私はシルビアっていうの。よろしくね」
「あ、はいどうもご丁寧に――じゃなくて!だから、そのシルビアって……」
いくら丁寧に挨拶を返されようとも、リリの疑問が解消したわけではない。
肩透かしを食らい続けたことで、リリの気分も乱暴に高揚していった。
だが、シルビアはそんなリリを気にすることなく向きを変えると、乗組員に向けて声を掛ける。
「――貴方たちの王太子からの命令です。騎士の乗船が済み次第、急いでハイムを離れ、全艦全速力で王都キングスランドへと撤退しろ。……さぁ、
「……はっ!」
「畏まりました」
勝手に命令を下すと、シルビアは振り返ってロイドたちを見る。
一方のロイドやリリはその命令へと異を唱える。
やけに素直に乗組員が言うことを聞いたことが印象的だが、今はシルビアを詰問する方が優先だ。
「貴女、何を勝手に命令して……ッ!アイン様が戻ってないのに、我々が王都に帰るだなんて――」
「……やはり、アイン様と関係があったのか。……だがしかし、さっきは助けてもらったが、それとこれとは話が別だ」
「だからね?その王太子アイン君からの命令なのよ、これは」
「……本気で言ってるんですか?」
リリが尋ねる。
彼女の心からは徐々に刺々しい感情が取り払われ、幾分か冷静な態度でシルビアに言葉を投げかけた。
「本気ですよ。――さぁ、どこかお部屋を貸してくださる?二人には静かなところで教えてあげるから」
すると、リリとロイドは顔を見合わせて考え込む。
少しの間迷い続けたが、ロイドの頭には、シルビアがみせた異次元の強さが思い出される。
アインと関係があるというのを全て信じるのは難しいが、ここで下手にシルビアを刺激することは避けることに決める。
「リリ。場所を移動しよう。悪いが、私も分からないことだらけなのだ……」
結局折れたのはロイドだった。
リリを宥めるように提案すると、リリは大きなため息をついて同意する。
……それと同時に、リヴァイアサンが動き出し、イシュタリカ目指して進みだす。
「あれ?そういえば、貴方と一緒に居た銀髪の人は来ないんですか?」
「銀髪の人……カインのことね?あの人なら、後で来るから大丈夫なのよ」
素朴なリリの疑問へと、シルビアはあくまでも優しげな表情でさらっと答える。
だが、その答えは新たな疑問を生んだ。
「あとで来るっていわれても、戦艦が全体撤退してしまえば……」
「大丈夫よ。泳ぐか、魚捕まえて乗ってくるとかいってたもの」
リリとロイドは呆気にとられたが、急いで気を取り直し、シルビアを別の部屋へと案内するのだった。
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