過去の慈悲は姿を見せず。
ロックダムという国は、都を囲む堅く強固な岩石の壁を持つ。
古くから国を守ってきたそれは、面前に広がるハイムの大軍に囲まれようとも、しばらくの間は耐えきることができる代物だ。
であれば、海上経由で攻め入るのも一つの手となろう。
だが、ロックダムの場合はイシュタリカへの定期船を出す影響もあってか、船の装備は決して悪くない。
ハイムはそれを嫌ってか、自由が利かない海上戦を避けたのかもしれない。
「ロイド様。全艦、魔導兵器……並びに、騎馬隊用の馬を降ろし終えました」
「馬の調子はどうだ?」
「緊張状態にある馬もおりましたが、特筆すべき問題はございません」
「それは何よりだ。――とはいえ、壁で圧殺するように進軍する。騎馬隊が主軸とはならんがな」
一歩一歩を着実に進むのがロイドの予定だった。
しかし、その一歩の速度はとても速くなることだろう。
「な、なぁ……ロイド殿。一ついいだろうか」
「……む?どうされた?」
ロックダムの指揮官レンドルが声を掛けた。
「聞けば、少し前の光の攻撃もイシュタリカのものということだ。……ならば、それを使ってハイムの者達を一気に排除すればいいのではないか?」
「――おぉ。その事であったか」
「なにせ、ハイムの連中は城壁外に陣取っていた。大軍だからこそ、その陣の範囲はとても広いが、あの攻撃を仕掛ける方が打って出るより効果的なのでは?」
レンドルが疑問に思うのも当たり前で、イシュタリカがどうしてそれをしないのかを疑問に抱く。
「距離を考えれば、城門前ですら無理やりの射程なのだ。既に移動を始めたハイムを相手にするならば、あまり効果的ではないだろう。だからこそ、我々が前に進む必要がある」
「ふむ……なるほど。そういうことであったか」
ロイドの乗る一号艦が、他の戦艦よりも距離が近かったからできたことだった。
慌てた様子で距離を空けたハイムに対しては、もう高い効果は望めない。
「もう少し早く次弾を用意できれば、更に一撃を加えられたが。……まぁ、今更悔やんでもしょうがない」
ロイドが苦笑いを浮かべた。
「ところで、レンドル殿。突然の訪問で申し訳ないのだが、国家元首……確か、
「――申し訳ないのだが、それは出来ない」
さて、どう交渉したものか……と、ロイドが考え込むが、レンドルは慌てて繕うように言葉をつづけた。
「おっと、申し訳ないっ……。というのも、ザウド様は人に会えるような状況ではないのだ」
「む……?というと、何か病気でも?」
「いや、そういうのではないのだ。――あまり他国の者に語るべき話ではないが、精神的に参っていらっしゃる。明日の事を考えて、ベッドの上で朝からずっと怯えているとのことだ」
「お、おぉ。そういう事情であったか」
困ったような表情を浮かべたロイドの後ろで、近衛騎士が呆れたように手を額に当てた。
国家元首がそれでは、戦場の騎士達も浮かばれないだろうなと、若干の哀れみすら覚える始末だ。
「イシュタリカのような国の騎士からすれば、思う所もあるだろう。しかし、ザウド様はお優しいお方なのだ」
ロイドが困惑したのを見て、レンドルがザウドをかばった。
「あ、いや……うむ。変な態度を取ってしまったな。すまない」
「ははっ。気にしてないさ。……よし、着いたぞ」
気にしてないと答えたレンドルが、とある場所で足を止める。
「見ての通りだ。まだまだハイム兵たちは残ってる。……どうだ?」
辿り着いた場所は、城門の外を一望できる高台。
広範囲に効果のある砲撃を仕掛けたというのに、城門の外では、まだまだ多くのハイム兵の存在があった。
「ほうほう。なるほどな……。おい、お前はどう見る?」
「私ですか?」
「あぁ、お前だ」
すると、ロイドは付き添ってきた近衛騎士に声を掛けた。
「見た通りの戦力であるならば、四日あれば殲滅……あるいは、バードランドまで追いやれましょう。面倒くさそうな魔物たちを飼ってるわけでもなさそうですしね」
「――っい、今なんといったのだ!」
近衛騎士の言葉にレンドルが詰め寄る。
自分たちが滅ぼされる直前だったというのに、四日で始末をつけるとは何事かと、そう驚かされたのだった。
「レ、レンドル殿。落ち着いてください!」
「あ……あぁ、すまなかった。――だが、それは本気で言ってるのか?」
「本気だ。レンドル殿」
近衛騎士がなんて答えるか迷った瞬間、ロイドが代わりに答えた。
壁の外に陣取っているハイム勢を見ながら、満足そうに数度に渡って頷く。
「最終確認の意味でここに案内してもらったが、これなら十分だ。では我々はアレらを屠りにいくとしよう」
「ロイド殿?本当に今から戦いに行くのか……?もうすぐ辺りは暗くなる、戦うには不便では……」
「それは相手も同じことだ。それに、完全に辺りが暗くなる前には我らも野営の支度をするのでな」
――無茶苦茶だ。
ハイムの大軍を追い払ってから、そこで野営の支度をするなど正気の沙汰とは思えない。
レンドルが魚のように口を開け閉めするのを横目に、ロイドは近衛騎士に声を掛ける。
「城門近くまで、いい加減魔導兵器も運搬し終えてるだろう。騎馬の支度も終えるころだ。……ならば、そろそろ戦に参るとしようじゃないか」
*
ロックダムの都。その城壁の外では、唐突に届いた攻撃の衝撃が抜けきらず、ハイム兵たちの間でも動揺が広がっていた。
前後に長く構えられたハイムの陣。それでも、前方にいた騎士からの動揺が後衛にも伝わってく。
「ランス将軍!やはり、相応の死傷者が……」
「――私の事を気にすることは無い。素直に死者といってもいいのだぞ?」
「……失礼致しました。先程の攻撃により、多くの死者……加えて、生存の見込みがない者が多く居ります」
「最前線の者達はほぼ全滅か」
彼の名はリカルド・ランス。
ローガスに面倒を見てもらったことのある騎士で、息子はグリントの付き人をしているリバインだ。
この地の指揮はローガスではなく、このリバインが任されていた。
明日にはロックダムが落ちる。
そのはずだったというのに、突然の一撃で、常勝の雰囲気も一気に霧散してしまう。
今では、状況確認で手一杯だった。
「……地面が抉れるわけでもなく、何か大きなものが降ってきたわけでもない。言葉にできないが、初めて見る衝撃波だった」
状況の理解なんてものは全くできていないが、自分たちが大打撃をくらったということは分かる。
明日の戦いはどうするべきか。リカルドがそう考えた矢先の事だった。
「――おい!門が開いてないか……?」
「あ?な、なんであいつら門を開けてるんだ?」
ふと、ロックダムが都の門が開きだす。
開き直って攻撃でもしかけるのか、自分たちの動揺を狙ってきたのだろうか。
リカルドは考えてみるが、それでは、ただの鼬(イタチ)の最後っ屁にしか思えなかった。
何か不穏な気配を感じると、リカルドは傍に留めていた馬の許へ行き、急いで馬の上に乗る。
「陣形をッ!陣形を組め!使者や怪我人は後回しだ!」
馬を走らせると、大声でその言葉を伝える。
すると、リカルドの声を聞いて慌てて武器や防具を装備し直すと、近くにいる者同士で並んで陣形を組む。
「盾持ち、前へ!弓兵は急いで背後につけ!」
相手が突撃してくるのなら、防御を固めて弓を射ればいい。
定石の構えを指示すると、ハイムの者達は一斉に準備をする。
「将軍!槍隊はどうなさいますか!」
「決まっているだろう!盾持ちの後ろに行け!相手がここに来るようであれば、盾で守りながら刺し殺せ!」
「はっ!」
迅速に指示を続けるリカルド。
すると、とうとう門が開き終える。
一体何がはじまるのか。遠くにある門に目を凝らすと、見慣れないナニカが姿を現す。
「なんだ……あれは……。弩砲(バリスタ)、なのだろうか――」
真っ白に染まった、横になった弓。
だが、そこにはいくつもの管(くだ)と大砲のような筒が繋がっていて、リカルドはその正体が分からなかった。
「何の音だ。これ……?」
「あ、あぁ……なんだ。この、ずん、ずんって音は」
すると、ほぼ同時に威圧感に溢れた音が響き渡る。
それは地面を伝わって、リカルドたちが構える場所へと届いた。
徐々に大きくなってくるそれは、ハイム兵たちの不安を誘う。
「弓兵構えろ!合図があるまで射ってはならん!」
不安をかき消すように、リカルドが弓兵に向かって指示を出す。
端から端まで声を届けることは出来ないが、隣接した弓兵の動作を見て、皆がほぼ一斉に弓を構える。
「ランス将軍。
リカルドが指示を続けていると、一人の騎士……身なりはいいので、おそらく一般兵ではないだろう。
彼が一本の武器を手に、リカルドの傍にやってくる。
「ご苦労。やはり、これが無くてはな」
「――ランス家の印でもありますからね」
騎士の言葉にリカルドが深く頷く。
受け取ったのは、銀色の大きなランス。
このランスはリカルドの家名ではなく、騎兵が使うランスの事。
リカルドはそれを受け取るや否や、力強くそれを天に掲げる。
「あぁ、その通りだ。これこそが私の力の証明にして、ハイム王国最強の槍使いの証明ッ!
リカルドの声を聞き、ハイム兵たちは大いに沸いた。
……が、それも束の間の事。彼らは一様に驚いた表情を浮かべると、ロックダムの門に注目を向ける。
その気配を察し、リカルドは門に対して視線を向け直す。
そして目に映ったのは、徐々に展開されていく白銀の兵団だった。
――ふっ……!……はっ!
地響きのように伝わる音は、白銀の兵団が槍の底を地面に叩きつける音。
そして、同時に彼らの迫力ある声が、まるで威嚇のようにハイムの一行に届く。
「白い騎士……?ロックダムの騎士達は、濃い緑色の鎧をしていたはず。では、あの白い騎士共は一体……」
一言で言い表せば秩序だ。
それほどまでに白い騎士達の動きは乱れが無く、一つの生き物の如く圧力を与え続ける。
すると、先ほど確認した巨大な弩砲が、いつの間にか計十台も横に並ぶことに気が付かせられた。
「……確かに巨大で攻撃力がありそうだ。しかし、この距離ならば大した損害にはならんか」
目視では、お互いの距離はおよそ500から600メートル程度と予想される。
であるならば、弩砲の一撃なら大した損害にはならない。一気に蹴りをつけられる……リカルドはそう安堵した。
しかし解せないのは、展開を続ける白い騎士達の事。数を言えば、ハイム勢の方が三倍は優に超えている。だが、その得体の知れなさが尾を引き続けるのだった。
「おい。誰か近くに」
「――はっ!」
「ハイムの旗を持ち、あの白い騎士達の近くへ。何者かを尋ね、何が目的なのかを聞いてこい」
「承知致しました!」
手頃な兵士に声を掛けると、リカルドの指示を聞いて兵士が馬を走らせた。
旗を大きく振りながら走る姿は、大陸の覇者ハイムらしい……と、リカルドは惚れ惚れとした様子で見つめる。
少しの時間が経つと、馬を走らせた兵士は声が届く距離に到達する。
旗を振りながら声を掛けると、白い騎士達の中から、巨大な馬に身体を預けながらも、その馬に負けない程の体躯の大男が姿を現した。
「――……む?」
「ランス将軍。どうなさいましたか?」
「い、いや……あの男に見覚えがある気がしてな」
かなりの距離がある中では、詳しい顔つきまでは分からない。
リカルドの視力は決して悪くないが、目を凝らすように見てもはっきりとは分からなかった。
先程リカルドの
「まぁいい。――一応、中衛部分を確認してくる。何かあれば私を呼べ、いいな?」
「はっ。承知致しました」
弓兵たちの待つ場所へと向かい、彼らの状況を確認しに馬を走らせるリカルド。
冷静に対処すれば、何一つ問題のない話だ。そう自己完結させると、自慢のランスを担いで辺りを見渡す。
――その時だった。
「ランス将軍ッ!」
「っな、なんだ……?」
馬を進ませて数秒も立たぬうちに、さっきの騎士が声を上げる。
「わ、我らの兵士が戻ってきます……ですが、なにやら様子がおかしく……」
「何を言っている?様子がおかしいだと?――はぁ。なんと慌ただしい事だろうか」
面倒くさそうに馬を振り返らせると、リカルドの目に映るのは、死に物狂いで走ってくるハイム兵の姿。
これはただ事ではない。そう感じてリカルドが前に進もうとしたその時。
「……ん。なんだ?雪でも降って……――」
例えるならば、真冬の気温が寒い日に見ることができる光景。
そう。ダイヤモンドダストのように、辺りに煌くように淡く光が舞い降りた。
リカルドはそれを見て、手を伸ばしながら呟く。
だが、それはおかしな話だ。そもそも、今の時期は初夏に入ったばかりで、もうすぐ完全に日が暮れる。
こうした現状でありながらも、辺りが静かに煌きだす。
ただ一つ言えることは、その光景こそが、リカルドの見た最後の光景だったという話だ。
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