開戦にむけての出航。

 初夏の陽気に包まれるマグナは、海から反射する陽の光が眩しく、少しばかり暖かすぎる。

 港町マグナ。この地では、イシュタリカ史上最大数の艦隊が出航を待っていた。



「――おい!こっち資材足りてねえぞ!なにやってんだ!」


「おらおらー、さっさと乗り込むぞー!」



 王都の騎士だけでなく、大陸の各地から多くの騎士達が集められた。

 魔物が多く出没する地域の騎士も呼ばれ、戦い慣れした者達が揃っている。



「はっはっは!元気がよくて何よりだ!」


「……父上。もう少し緊張感をですね」


「そんなものはいらん!緊張して縮まるぐらいならば、こうして騒ぐ方が皆も気が滅入らずいいってものだ!」



 桟橋に立つのは、ディルとロイドの二人。



「――はぁ。これから戦地に赴くというのに、どうしてそんなに元気なのですか……?」


「士気ぐらい知っているだろう。全く、これほど重要な物はないぞ」


「い、いや……ですから、その元気の質と言いますか……はぁ。いえ、なんでもございません」



 妙に張り切っているロイドを前に、ディルは諦めたように口を閉じる。



「ところで、マーサはどこにいった?」


「お母様なら、目を赤くしたまま雑務をしておりますよ」


「……そうか」



 一方のロイドも、同じく切なげな瞳で海原を見つめた。

 やはり、夫が戦地に向かうというのが辛かったのか、マーサは珍しく弱気の様子。



「――ハイムがロックダムに攻め込んで、はや五日。ロックダムは落ちる寸前です。ここが勝負どころですね」


「あぁ、その通りだ。……ウォーレン殿が倒れたことで対応は遅れたが、まだ手遅れではない。ロックダムからハイム勢を追い払い、そのままバードランドまで進軍する。その後、港町ラウンドハードへと攻め入り、一気に勝負をつければいいのだ」



 これは一つの切っ掛けだ。

 イシュタリカが軍を動かすことにした、一つの理由に過ぎない。



 通常であれば、こうした武力行使は国民からの支持も受けられないが、今回はハイムが新たな口実をくれたのだった。



「ですが、まさか、もぬけの殻のエウロまで占領しに行くとは思いませんでしたね」


「うむ。だが、我らにとっては都合がいい。これ以上の口実はないからな」



 アムール公や住民が避難したエウロはもぬけの殻だ。

 だが、そのもぬけの殻のエウロをハイムは占領したのだった。

 こんな事をしては、完全にイシュタリカに喧嘩を売ってるとしか言えない話だが、一方のシルヴァード達にとってはこれ以上の大義名分はない。



「……ですけど、ここまでする意味ってありますか?いくら過去に魔王を操ったといっても、イシュタリカの怒りを買って滅ぼされるような結果になれば、全く意味がないと思うのですが」


「うむ。私もそう思う。だが、赤狐にとっての価値観が一緒とは限らぬからな。……例えば、奴らにはそうした統治者になりたいという欲はないのかもしれぬ。純粋に騒動が好きで、大きな話題を作りたい……それだけなのかもしれぬからな」


「ははは……。なんとも、本当にはた迷惑な話ですね」



 ロイドの言葉に、ディルが苦々しい笑みを浮かべる。



「もうすぐ式典(・・)か?」


「えぇと……はい。あと一時間もすれば始まりますので、私はもうすぐアイン様の許へ参ります」


「――殿下を守ることだけを考えよ。いいな?」


「……心得ております」


「して、陛下はなんと発表するんだったか」



 何を言ってるんだこの人は。

 ディルが呆れた様子でロイドに答える。



「"魔王大戦の時の敵が、ハイムに渡って悪さをしている"……ざっくり言えば、こんな内容となるかと」


「おぉ、そうであったな。……しかし、アイン様のいい思いつきだったな。そのように語れば、魔王アーシェについての真実を語らずに済む」



 赤狐に関しての情報を、アインとシルヴァードは国民へと伝える決心をしたのだった。

 しかし、マルクの生まれや気持ちなど……そうした一面は全て伏せて説明されることとなる。



「数日前の前触れを聞いた者達は、どのような反応をしていた?」



 唐突にそれをシルヴァードが語っても、艦隊出航前に多くの衝撃を与えすぎてしまう。

 そのため、前触れという形で情報が公開されることは決して珍しくない。



「当然、困惑していますよ。ですが、ハイムの行いに腹を据え兼ねていた者ばかりですので、こうした事情も重なれば、攻め入って当然!……という世論になってきているようです」


「……まぁ、当然だな」


「一度に複数の決着を付けることができる。それによって、多くの期待感やお祭り染みた感情が入り混じっているみたいですね」


「ふふ……祭りか」



 ロイドは片方の頬を引きつらせるように笑うと、マーサに切ってもらった髪を強くこする。



「本当に世論なんてわからぬものだ。時に複雑であるが、単純に思えてならぬ時もある」


「えぇ……。ですが、イシュタリカの勝利を願ってるのは本心かと」


「だろうな。まぁ、任せておけ。ディルに私の戦いを見せられぬのは残念だが、いざとなれば私がローガス殿の首を取る」


「はい。その事に関しては、何一つ疑ってませんから」



 その言葉に若干照れたのだろう。ロイドが鼻先を人差し指で触る。



「――では、そろそろ私はアイン様のお傍に参ります。ですので、父上。……お母様のお傍に行っては?」


「いや。昨晩のうちに別れは済ませた。もう一度を求めてしまっては、それはただの欲張りだ」


「何を馬鹿なこと言ってるんですか?そんなこと言って、あっちの大陸で死んだらどうするんです」


「なっ……お、おい!戦地に向かう父に向かって、死んだらどうするとは何事だ。ディル!」



 ロイドは不満げな表情でディルの身体を小突くと、腕を組んでそっぽを向いた。



「ほら、さっさと行け。アイン様がお待ちだろうからな」


「はいはい……。では、行って参りますね」



 見送りの最後まで軽口をたたき合うと、ディルは笑みを浮かべて振り返る。

 お互いがするべき事がある。そのためにも、ディルはアインの許へと向かうのだった。



「――ご武運を。父上」




 *




 所変わって、港町マグナの大通り沿いの宿の一室。

 泊まるわけじゃないのだが、アイン達が休憩用に貸切にした宿だ。



「アイン。始まったわよ」


「……うん。声がここからも聞こえるよ」



 宿の外では、特別に設営された演説台の前で、シルヴァードが今回の遠征についての演説をはじめた。

 シルヴァード本人が王都を離れ、マグナにやってくるという事だけでも異例の事態。

 これまで以上の厳戒態勢が敷かれ、シルヴァードの周りを警護しているのが部屋からもわかる。



 所用で外していたクローネが戻ってくると、静かなアインを見て近くに寄った。



「ロイド様たちと話に行かなくていいの?」


「――お爺様の演説の前に話してきたし、二度目はお互いによした方がいいかなって思って」


「……そう。ならもう言わないわ」



 クローネはそう答えると、窓際のソファに座るアインの隣に腰かける。

 同時にふわっと漂うクローネの香りが、いっぱいいっぱいだったアインの精神に落ち着きを与えた。



「イスト大魔学から連絡があったわ。やっぱり、オズ教授との連絡は付かなかったって」


「はぁ。こんな時に……。確か、自分で研究材料を集めに遠出してるんだよね?」


「えぇ……。近衛騎士達も確認して来た事だから、それに間違いはないと思う」



 人工魔王の研究について、知ってることをオズに尋ねることにしていたアイン。

 シルヴァードの名も使って呼び出しを掛けたのだが、そのオズとの連絡が取れなかった。

 今回ばかりは、オズの行動力がアイン達にとっての仇となってしまう。

 オズは自分の足を使い、研究のために走り回っているとのことだったのだ。



「代わりに、古い情報を知っているっていう方達が、今日王都に到着するはずよ。カティマ様がお会いになるはずだから」


「あー、そうなるよね。でも、オズ教授みたいな知識量は期待できない?」


「……言いづらいけど、期待はできないわ」



 そりゃそうか、とアインが諦めたように笑った。



「――であるからこそ!我らイシュタリカはハイムと!そして、過去の敵との決着をつける必要がある!今日この日、マグナに集まった勇者たちがそれを成さんが為、この港を出航することとなろう!」



 ふと、静かになった二人の耳に、シルヴァードの演説の声が届く。



「こんな時、ウォーレン様が居たら……って思っちゃうのは、アインに悪いかしら」



 クリスの事は伏せて、ウォーレンとベリアの二人が赤狐という事をクローネは聞いていた。

 その情報源はアインであり、近頃のアインが元気がない原因でもある。



「俺も分かってるんだ。二人は多分、悪い赤狐じゃなかったんだと思う。だから、きっと俺が幼いだけなんだ。――なんかさ、整理しきれないんだよね」


「……しょうがないでしょ。私だって、全てを受け入れられてるわけじゃないもの。きっと、陛下も同じく驚いてるはずよ」



 慰めるような言葉に、アインが『ありがとう』と口にしてクローネに感謝した。



「俺だって考えるよ。感情と矛盾しちゃうけど、こんな時にウォーレンさんが居れば……ってね。その影響もあって、今回の行動も遅れたのは事実だからさ」


「――でも、大丈夫よ。ハイムがロックダムに攻め入った戦力を考えれば、一週間から二週間もあれば、ロイド様達がハイムの勢力を押し戻すはずよ」


「うん。順調にいけばそうなるよね」



 すると、二人はしこりが残ったように表情を硬くする。

 というのも、過去に魔王を操った女が、そう簡単に倒されてくれるとは思えなかったからだ。

 だが、その唯一の懸念材料すら全くの予想がつかない現状では、どうにも後手に回るしかないのだ。



「その……やっぱり、歯がゆい?」


「ははは。そりゃ、歯がゆいどころじゃないよ」


「……そうよね」



 クローネは、現地に向かうことができないアインに対して、今の感情をたずねた。



「出来るなら、マルコさんの分も……マルコさんの剣でとどめを刺したかった。でもさ、自分の立場とかは理解してるつもりだから、そのために俺が行くのはダメって事も分かってる」


「ならよかったわ。――あ、もしも私が行かないでって口にしたら、アインは止まってくれるのかしら?」


「……えぇ、なにそれ。もしかして、海龍の時の仕返し?」


「あら。分かってくれたのね」



 自分の身体にしたい事をさせてあげるから行かないでほしい。

 海龍の時、クローネはそう口にしてアインを止めようとしたが、アインはその制止を振り切って討伐に向かった。

 アインが理解してくれたことで、クローネは上機嫌に頷いた。



「じゃあ、俺は何て言うと思う?」


「うーん……そうね……」



 空元気に近い感覚で、アインがたずねた。



「――でも、それでもアインはまた行っちゃうと思う。ほんと、ひどい人なんだから」


「ちょ、俺なにも言ってないじゃん!」



 クローネは楽しそうに笑うと、アインの手を握る。



「こんな時にこんなことしてたら怒られちゃうけど。……大丈夫、きっと上手くいくわ」



 不確定要素が多い中、それでもクローネは気丈にアインの手を握る。

 一方のアインは、クローネの手を眺めて重苦しそうに口を開く。



「……男の俺がこんな感じじゃカッコ悪いね。――よしっ!」



 すると、アインは元気よく立ち上がってクローネを驚かせる。



「下に行こうか、クローネ。途中でクリスも連れて、お爺様が戻ってくるのを待とう」




 *




「む?おぉ、アイン。余の演説はどうであった?」


「お爺様らしくて、王の威厳に溢れてましたよ。お疲れさまでした」


「ふふふ……そうであろう、そうであろう?」



 アインが宿の下に降りて半刻が経ち、演説を終えたシルヴァードが中に戻った。

 演説を続けたからか、シルヴァードの額には大粒の汗が浮かぶ。

 それを見て、クローネは持ってきていたタオルを手渡した。



「おぉ。すまぬな。やはり、こうしたことをすれば汗を掻く……」



 タオルを受け取ると、ゴシゴシと音が鳴りそうな勢いで顔を拭き、スッキリとした様子を見せた。



「意外と……危機感に襲われてるのは私たちだけみたいですね」



 ふと、外の様子を見ていたクリスが呟いた。



「――そう言うな、クリス。これはよいことだ……イシュタリカの民が恐怖に駆られてないのならば、それに越したことは無い」


「……ですが」



 騎士達はこれから戦場に向かうというのに、演説を聞きに来た民は祭りのような大騒ぎをしている。

 彼らイシュタリカの民にとって、騎士に対する信頼は厚い。しかし、戦地に向かうという事を考えれば、クリスはその様子を上気分で見ることはできなかった。



「それに、余も軽く見ているわけではないが、魔王大戦ほどの被害は出ないとの予想もできる。なにせ、今回は人同士の戦い……さすれば、魔物のように操れるとは思えぬ。――まぁ、その力を隠していた場合は絶望的だがな」



 締まらない言葉でシルヴァードが語り終えると、アインにクリス。そしてクローネの三人は苦笑いを浮かべた。

 とはいえ、何も行動をしないという愚策を取るわけにもいかず、筆舌にし難い厄介さも秘めている。



「多くの兵器も導入した。赤狐討伐に出向くというのに、他国の人間を手に掛けるのは心に来るものがある。……だが、致し方ないと思うしかなかろう」


「……作戦開始は到着後すぐでしたね」



「うむ。クローネが言うように、ロイドは到着後すぐに作戦に移るだろう。つまり、これより半日もしないうちに、我らが騎士はハイムと事を構える事となる」



 クローネの言葉に、一同がより一層の現実味を感じた。



「余の演説をもって、艦隊はついさっき出航した。――これより、我らも王都に戻る事となるが、我らは騎士達の吉報を祈り……勝利を待つとしよう」



 ロイドを指揮官に戦場へと向かったイシュタリカ艦隊。

 それが戦いの舞台に立つのは、もう数時間後の事だった。



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