木霊らしい。
リビングの時計を確認すると、時刻は既に深夜の2時。
アインは数時間に渡って就寝していたようで、つまり、クリスも寝づらい体勢でしばらくの間過ごしていたのかもしれない。
尚更に申し訳ない気持ちを募らせると、手ごろな紙を見つけ、それに書置きをしていった。
内容としては、今の時間を書いてから、少し散歩に行ってくるという簡潔な書置き。
「……深呼吸するだけでも十分休めるかな」
静かにクリスの家の扉を開けると、アインは木材特有の軋みを感じながら階段を降りる。
森の奥だからだろうか?夜風がどこか、王都と違う気がした。
「うーん。さっきよりもヒヤッとしてる」
外套を持ってきてよかった。
勝手に散歩に出たあげく風邪を引いて戻っては、クリスに怒られるだけでは済まされない。
王族だと一目でわかる外套を羽織ると、寝起きの身体を馴染ませる。
――星が凄い。なんというか、距離が近い?
満天の星空が広がり、何処を見渡しても大きな星の光が目に映る。
こんなところまで幻想的とは、エルフの里に恐れ入ってしまう。
「泉まで行ってみようっと」
*
クリスと里に入り、すぐに目に入った泉。
なんとなく水辺を目指したくなり、アインは思い出しながらその道を辿る。
エルフの里は入り組んだ道は無いため、その道筋に関しては問題ない。
しかし、夜という事に加えて、少し離れれば多くの木々が立ち並ぶ風景に、アインが迷ってしまう可能性もあった。
「……残念ながら、方向感覚は悪くないんだけどね」
へへっ、と笑みを零すと、上機嫌で足を進める。
こうした夜の散歩なんて数えるぐらいしか経験が無いが、王太子の自分がすると、悪いことをしているような気分に浸れて悪い気がしない。
実際のところも、護衛を連れていないのだから悪い事で間違いなかった。
そんな中……勘違いや気のせいかもしれないが、腰に携えたマルコの剣が、自分を守ってくれてるような温かみを感じる。
もしかすると、剣になった今でも二代目魔王を守護しているのだろうか。
「――いや、可能性はある気がするんだよね。だって、あの二人だって魔石になってからも意識あったわけだし……あと、魔王アーシェなんて明らかに俺を拒絶してたし」
言っては何だが、イシュタリカの叡智を使っても分からないことがそれなのだ。
となれば、マルコが剣になってからも守ってくれてるのも、可能性としてはあり得ない事では無いだろう。
ただ、それを判断する術は持っていないため、今はただの妄想で終えるしかない。
――こうして独り言を呟いていたアインが、迷うことなく泉の傍に到着した。
「水……飲んでみても平気かな?」
まぁ、いいか。
どうせ毒なんて効かないんだし、お腹壊すこともないだろ。
アインは高を括って手で器を模り水を掬った。
「……うん。なんか自然って感じ」
抽象的過ぎるが、その一言に尽きた。
湧き水みたいなものなのだろうが、口当たりは優しく、思った以上に冷たい温度が心地良い。
もう一杯をお代わりすると、アインは近くにあった大岩に腰かける。
少しゆっくりしたら帰ろう。
そう思った矢先、光る玉が二つ現れると、アインを囲むようにくるくると回りはじめる。
大きさは拳ほどで、飛び回る速さはトンボのように素早い。
「――ん?」
空を見上げて惚けていたアインが、光の玉の姿に気がつく。
なんだ、攻撃か?と一瞬慌てて剣に手を伸ばすが、光の玉に目を凝らすと、小さい人型の影が見える。
「君たちは誰?里の住民かな?」
我ながら、随分と肝が据わった対応だったと感心した。
光の玉はアインの声を聞くと、飛び回る速さを落としてアインの目の前で止まった。
止まったのを見て、アインは右腕を差し出した。
「すごい、すごい!」
「わぁ……珍しい生き物がいる!」
すると、二つの玉がアインの右腕に近づいた。
光が収まってくると、小さな人の姿がはっきりと見える。
背中には半透明の羽を持ち、軽やかな動作で宙を浮いていた。
「はははっ……珍しい生き物ね。初対面なのに、君たちも中々言うじゃないか」
アインの言葉を聞き、片方が指にぶら下がり遊びはじめた。
ブランコのように前後に体を震わせると、楽しそうに笑い声をあげる。
「私はお姉ちゃんなの!」
「……お姉ちゃん?」
「うん!私、この子のお姉ちゃん!」
一言目にすごい、すごいと言った方がアインに語り掛ける。
更に光が収まると、その小さな人型は女性だという事が分かった。
自分をお姉ちゃんと言った方は金髪で、アインの手にぶら下がっている方が銀髪。
年の頃は、二人とも十二歳程度の容姿をしている。
「――お姉ちゃんの名前は何て言うの?」
「名前?名前なんてないよ?」
「……じゃあ、お姉ちゃんって呼べばいいのかな?」
「うん!だって、私はお姉ちゃんだもん!」
本人がいいと言ってるのだから構わないだろうが、お姉ちゃんとだけ呼ぶのもなんとなく違和感がある。
と言ってもそれ以外に呼び方が無いのだから、そう呼ぶしかないのだが。
「じゃあ、お姉ちゃんは……えぇっと、一体なんていう種族なのかな?」
名前も気になるが、どんな生き物なのか教えてほしかった。
「うーんとね、妖精さんって言われてたの!」
「うん!私たち妖精さん!」
――なるほど。妖精さんか。
二人の言葉に苦笑いを浮かべると、一応は素直に頷いた。
一言に妖精と言われても、それにはピクシーを含み、色々と種族が居るはずだ。
だが、この二人にはなんとなくそんな知的(・・)な会話は難しそうな気がしてならない。
初対面で随分な感情だが、アインも似たような事を言われたのだからと開き直っていたのだった。
「あー!疑ってる!疑ってる目をしてる!」
「疑心暗鬼っていうんだよ、それ!」
――意外に鋭い。
アインの筆舌にし難い感情を察すると、とてもご不満そうな声色と共に、アインの顔の前に浮き上がった。
すると両腕を組み、眉間にしわを寄せる二人の妖精。
「……違うんだってば。妖精っていわれても、なんかピンとこなかっただけだからさ」
「――ピン?」
「こうだよ!ピーン!」
姉は首を傾げて見せたが、妹は手足をピンと伸ばしてみせた。
この対照的な姿がアインの表情に笑みを作る。
「私たち本当に妖精だもん!すごいんだもん!」
アインの言葉の意味を考えていたが、それを諦めて自分を凄いと言い張る
「じゃあ、お姉ちゃんは何が出来るのかな?」
子供をあやすように尋ねると、自信満々な様子でこう答える。
「じゃあね、じゃあね!あなたの事を調べてあげる!」
……と答えると、アインを見つめながら『むむむむ……』と難しそうな声を上げた。
それを見て、妹も同じような仕草を見せるが、彼女の場合は途中で飽きてアインの肩に乗る。
自由すぎるその姿に、王都に居る駄猫を連想してしまった。
「ん?俺の事を調べてくれるの?」
「――もう調べてるの!静かにしてて!」
「……あ、はい」
集中力を乱されたのか、お姉ちゃんが空中で地団駄を踏む。
それが終わると、もう一度考え込む様子を見せ、それが数分に渡って続いた。
「――うん!やっぱり、珍しい生き物!」
「わーい!珍しい生き物だーっ!」
妹も便乗して珍しい生き物と口にすると、アインをいとも容易く困惑させた。
「えー……」
自然とこんな声を漏らし、目の前に浮かぶお姉ちゃんに目を向ける。
「どうしてー?あなたのお父さんとお母さん。どうして、あなたと同じで変な生き物なのー?」
「……変な生き物なのは
笑顔でアインが答えるが、お姉ちゃんは合点がいかない様子で首を左右に何度も傾げた。
「アレー……?ちがうよー?あなたのお母さん、ドライアドじゃないよー?」
「……は?」
いや、全く意味が分からない。
間違いなくオリビアが自分の母で、産まれ方は特殊だが、間違いなくドライアドの血を引いているはずだ。
なに言ってるんだコイツ。そんな瞳でお姉ちゃんを見つめる。
「
「やーい!嘘つき嘘つき―!」
「最初に……?って、え?まさか、嘘でしょ?」
何をどうやって調べたのかは知らないが、最初に産んだと言われれば、アインも一つだけ身に覚えがある。
それは確実に前世の事で、アインですら記憶にないことをお姉ちゃんは探っていたのかもしれない。
妖精というよりも、むしろ、神に近い何かの力を持っているように感じる。幼い態度と違って、やってることはアインの常識の遥か上をいっていた。
「お姉ちゃんの知ってる人間じゃなーい!だから変な生き物ー!」
あぁ。別の世界の人間だから、変な生き物という事か。
ようやく一つだけ納得できたところで、アインの興味の矛先が、謎の能力に移り変わった。
「嘘つき嫌ーい!あ、でもこれあげるー!」
「嫌ーい!ばいばーい!」
「――あ……ちょ、ちょっと!さっきのってっ……!」
突然現れたくせに、突然何処かへと飛び去って行く。
散々人の事を変な生き物呼ばわりした挙句、人の中身まで調べていかれたのだから、アインとしてはたまったもんじゃない。
ただでさえ小さな妖精の姿が、飛び去って行くことで更に小さく、そして見辛くなっていく。
あっという前に森の方角へ飛び去って行くと、アインに多くの困惑を残していくのだった。
嘘つき嫌いと言いながらも、楽しそうに手を振って去っていく姿が印象的に映る。
ちなみに、お姉ちゃん妖精が最後に置いていったのは、直径十センチほどもある巨大などんぐりだった。
「……なんだろ。この、良く分からない敗北感は」
振り回されたと思えば、嘘つき呼ばわりで立ち去っていった妖精たち。
アインは飛び去って行った方角の夜空を見ると、伸ばしたままだった腕を力なく見つめる。
――そんな中、一つだけ分かったことがあった。
「妖精さんってすごいんだね……」
性格はこの際気にしないことにしよう。
能力だけ見れば、なんとも反則じみた効果を発揮したのだから。
「おや?話し声がすると思って来てみたら、貴方様でしたか」
「……サイラスさん?」
「こんな夜更けにお一人ですか?」
長の家であった時と同じく、サイラスは軽めの鎧に身を包むと、長弓と短剣を携えてアインに近づく。
夜の見回りだろうか、特に眠そうな目ではなく、足取り軽くアインの傍に寄ってくる。
「こんばんは。――さっきまで三人だったんだけど、今はもう一人だよ」
妖精の数え方が分からないので、とりあえず人と数えてサイラスに伝える。
「なるほど、左様でございますか。……話し相手をしていたのはエルフですか?私はすれ違わなかったものですから」
不思議そうな顔でアインに尋ねると、アインは先程の出会いをサイラスに語りだす。
「どんな種族かは分からない。だけど、自分たちの事を妖精って言ってる二人の女の子達だよ」
困ったように笑いながら答えると、サイラスは驚いたように声をあげた。
「――やはり、尊き血を引かれるお方には惹かれるのでしょうか」
「……へ?」
「し、失礼致しました。殿下がお会いになった妖精は、おそらく幼い木霊(こだま)かと。警戒心が強く、相手が例えエルフであろうとも近づいて来ませんので……」
アレが木霊?
つまりあれか、樹木に宿る精霊みたいな感覚だろうが、そんなに貴重な存在とは思いもしなかった。
「木霊なんだ……すごい好き勝手に話してどこか行っちゃったけど」
「ははは……。私はお会いしたことがありませんが、私が子供の頃、どんな存在なのかと長に聞いた事がございます」
覚えがあるのだろう。
同情するように笑うと、サイラスは一度咳払いをする。
ところで、子供の頃って何年前だろうか。
「気に入った相手がいると、木々を揺らして木の実を落とすらしいです。そして、その木の実を拾った者に語り掛け、小さな悪戯を繰り返すとか」
……それだけ聞けば、ただの害獣にしか思えないのが不思議だった。
だが、アインはそれを口にせず、サイラスの言葉に耳を傾ける。
「これだけですと、迷惑な存在に思えるかもしれません。ですが、木霊は気に入った相手を守ってくれるとのことですよ」
「ま、守る?」
あのひ弱な身体でどう守るというのか。
疑問に思うが、謎の能力でアインの過去を探ったあたりに、まだ隠された力があるのかもしれないと考えさせた。
「はい。長からは、木霊が守ってくれると聞きました。その手段などは分かりませんが、まぁ……言い伝えのようなものかと」
「なるほどね……」
アインはそう口にすると、受け取った巨大なドングリを見た。
「――それは一体?」
「あぁ。これはね、さっきの木霊らしい子がくれたんだ」
「……殿下はきっと、その木霊に気に入られたのでしょうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます