二日目の朝。
昨晩は有意義な話が聞けた。
……まぁ、誰かに伝えられるかと聞かれれば、それは当然『いいえ』なのだが。
ちなみに有意義な話というのは、決して木霊の件ではないと前置きをしておきたい。つまり、ヴェルンシュタインという家系についての話だ。
「ふぁ……ねむ」
昨晩はクリスに秘密で散歩を楽しんだアイン。
物音を立てないよう慎重にクリスの家に戻ると、アインは革製じゃないコートを取り出して、それを掛け布団代わりにソファで休んだ。
入浴をしたい気持ちもあったが、勝手に使うのも躊躇われたため我慢した。
それに、浴室が何処かわからなかったのもあってか、家探しするようで気分もよろしくないのだ。
「あー……朝日だ。なんか、別世界みたいで気分がいい」
森の奥から昇る陽の光を見て、ちょうど夜明けだという事に気が付いた。
昨晩はどのぐらい寝落ちしていたのか分からないが、数時間は寝ていたと考えられる。
散歩から戻ったアインはすぐさまソファで就寝したが、それでも4時間は寝られていない。
幸い、寝落ちした時間との足し算で、なんとか休めたという感覚だった。
「クリスは――……まだ起きてないみたい」
彼女の場合、寝起きにアインがソファで休んでるのを見れば、卒倒するほどの驚きを見せてくれるだろう。
その気配が一切なかったという事は、クリスはまだ夢の世界という話になる。
――さて、どうしよっかな。
寝起きは眠気もあったが、朝日を見たらもう満足してしまった自分がいる。
ここから二度目……いや、三度寝だろうか。
そうして寝直すのも気分じゃないので、何をしてクリスが起きるのを待つかと考えた。
軽く素振りでも……なんて思ったが、外からの客人が剣を振ってるのは、里のエルフからするといい気分がしないだろう。
すると、その試みは断念となってしまう。
……と、その時だった。
迷っていたアインが待つリビング。その端にある一つの扉がゆっくりと開く。
「あぅ……朝……眠ぃ……まだ眠いよぉ……」
――クリス、朝弱いんだ。
いや、きっと実家だからリラックスしてるんだ。イストの時はこんな感じでは無かった気がする。
心の中でクリスをフォローすると、眠そうに目をこするクリスを見た。
薄手の生地の寝巻が捲(めく)れ、胸元のボタンが大胆に数個外されている。
寝づらくなって手を掛けたのだろうが、出てくるときは付け直してほしかったものだ。
――むしろ、ここで劣情を暴走させない自分の精神力を評価してほしい
アインの
「えーっと。クリス、おはよ」
何と語り掛けるか迷った挙句、こうして軽く挨拶することを選ぶ。
すると、クリスは、『はえ?』と声を漏らすと、目を大きくまばたきしてアインを見つめる。
「ア、アイン様ッ!?ど、どうして私の家に……!?」
……そう来るか。
想定外の返事に、これは悪戯のチャンスかと思い口に手を当てた。
少しばかり寝ぼけているのか、アインとエルフの里にやってきたことを失念しているようだ。
「昨日、一緒にきたばっかりでしょ?」
と思ったが、クリスの場合、本気で悪戯を信じそうだ。
断腸の思いで悪戯を断念したアインは、普通に昨日の事を指摘した。
戸惑った様子のクリスを見て、アインがソファから立ち上がってクリスに近づく。
「ほら。寝起きでもそんな格好じゃ風邪ひくよ。……それと、ごめん。汗を流したいんだけど、お風呂借りてもいい?」
目に毒なクリスの姿を見て、アインは近寄ると自分の外套を着せてその姿を隠す。
内心、アインもそれなりに緊張していたのだが、それを表に出すことなく近づいた。
「あ……は、はい。勿論です……。それと……えっと、その、ありがとうございます……」
そしてクリスがアインに答えると、そっとキッチンの近くを指差した。
「分かった。あっちが浴室ね?……じゃ、少し借りるよ」
こうして、アインは荷物が置かれたところに近づくと、その中から自分の着替えを手に取った。
クリスが何か言いたそうにしていたが、着せてもらったアインの外套を強く握りしめるに留まるのだった。
アインとしては、風呂に入りたいと思っていたから丁度良かったのだ。
それを口実にしてこの場を離れる。
自画自賛したくなるいい考えだった。口角を上げると、アインはクリスが指差した方向に歩いていく。
すると、アインが去っていったのを見てクリスが口を開くのだ。
「……あ」
そっか。そういえば、昨日の朝出発してエルフの里に来て……。
徐々に頭の中も覚醒してきたようで、昨日の事を思い出す。
アインが風呂に向かったのを良い事に、クリスは椅子に座るとその上で体育すわりをして、アインの外套の中に体をすっぽりと収める。
「――うん。少し休んでから、長の家に行って……」
アインが長と会話をして、それからしばらくしてこの家に戻ってきた。
確かその後は、アインがテーブルの傍で肘をついて眠ってしまって……。
というところまで思い出すと、段々と状況が理解できたようで、両手で顔を覆った。
「やっちゃった……。多分、アイン様は途中で起きちゃったんだよね……。それで、ベッドを私に譲ってソファで休んで……」
チラッとソファを見れば、人が横になっていたような痕跡が残っている。
この家にはクリスとアインの二人しか居ないため、それは明らかにアインのものだ。
確固たる証拠に気が付いたクリスは、やらかしてしまったと頭を抱えた。
――昨晩のクリスは珍しく風の魔法を使うと、アインを丁寧にベッドに運んだのだ。
運び終えてからは、番をするつもりですぐ傍で休んでいた。……つまり、そこまでは何も問題が無かった。
「うぅ……起きてればよかった……。もったいない……」
クリスがベッドの上に居て、更に布団まで掛けられていたということは、間違いなくアインが自分を運んだのだろう。
その時の記憶が無い自分を恨み、起きてればよかったという、本末転倒な言葉を漏らす。
「――はぁ。着替えてこよ。それと、朝ごはん温めなきゃ……」
アインと同じく荷物を漁ると、自分の着替えを手に取って寝室に向かっていくのだった。
*
頃合いを見計らってだろうか。
マーサ特製の食事を平らげてから一時間ほど後の事。
長はどうしてるかと二人が会話していると、クリスの家に来客があった。
「――朝早くから申し訳ありません……」
来客はシエラ。
両手に多くの紙の束と本を抱え、歩くのに苦労しながらやってきたのだった。
口を小さく開けると、疲れた様子で呼吸を繰り返す。
「いや、食事も終わってたし構わないんだけど……すごい荷物だね」
シエラにアインが答えると、クリスが苦笑いを浮かべ、シエラから荷物を受け取ってテーブルに置く。
「ありがとね、クリス。――殿下。実は報告がありまして、長は本日、体調が優れないとのことです。ですので、昨晩から用意していた資料をお持ちしたのです」
――申し訳ありません。
シエラが謝罪して頭を下げた。
「……急な訪問だっていうのに、昨晩は長い時間、長の話を聞けたんだ。だから体調を崩しちゃったのかな」
相も変わらず、立場は王太子であろうとも、心配症というか腰の低いアイン。
それでも、資料を集めてくれたことで、シエラへと感謝の言葉を口にする。
「でも、ありがとう。こんなにすごい量の資料集めてもらっちゃって……」
テーブルに置かれたのは、クローネの執務室もびっくりな量の紙の束に、くたびれて古くなったほんの山。
これを一晩で集めたと聞けば、むしろアインの頭が下がる。
「大した仕事ではありません。殿下がお尋ねになったものを、長の指示で私が集めただけですから」
小さい身体ながらも、シエラも仕事が出来る女というやつなのだろう。
だからこそ、長のすぐそばで仕事を任されているのかもしれない。
「――それと、長から伝言をお預かりして参りました」
懐から取り出したハンカチを使い、額に浮かんだ汗を拭う。
一息ついたところで、シエラがアインに向かってそれを伝える。
「粗末なものではございますが、本日の晩、長の屋敷にて、歓迎の意を込めて食事を振舞いたいとのことです」
その言葉には、クリスが先に反応を返す。
「シエラ?分かってると思うけど……」
無下にしないためにも言葉を選び、困ったように口を開く。
すると、シエラは、クリスが何を口にするのかを察した様子で答えるのだった。
「分かってるわ。安全面に配慮を……って言いたいのよね?」
「うん。そんな感じなんだけど……――」
「最初から最後まで、しっかりと私が確認するわ。――それに、同席するのは私とかサイラス様……若い戦士が数人だけよ。席の距離とかも調整するわ」
「――それなら大丈夫かな……」
他のエルフよりもシエラの事を信頼しているのだろう。
警戒心は残っていたが、クリスなりに納得できた様子で頷く。
「それは何よりね。……では、殿下。夕方過ぎになってから、私がお二人をお迎えに上がります。ですので、そのお時間までごゆっくりとお過ごしくださいませ」
「あぁ、わかった。エルフの料理を楽しみにしてるね」
「まぁ。では、料理をする者にもそう伝えておきますね」
嬉しそうに頷き、軽口を叩くように答えると、シエラが出入り口のドアに向かって歩く。
時折軋む木の音に加えて、コツン、コツンという、堅い木材を踏むとき特有の音がリビングに響き渡る。
「夕方過ぎになったら、またご案内に参ります。では、エルフの里をご堪能下さいませ」
シエラの仕草は、城の給仕たちとはまた違った印象を抱かせる。
洗練されているのはどちらも同じことだが、城の給仕たちは一枚の絵画のように感じるところを、シエラの場合は、古くからの有名な劇を見せられたかのような満足感がある。
――簡単に言えば、どっちもすごいって事だね、うん。
シエラの後ろ姿をみて、他人事のように心の中で呟いた。
「……って、本当にすごい量だね」
「あはは、そうですね……。夕方までじゃ、確認が終わらなそうです」
振り向いてテーブルの上に目を向ければ、シエラが持ってきた資料の山だ。
数枚を手に取ってみれば、エルフの言葉で記載がある。
「ごめん。俺一人じゃ読めないみたい」
「あ……ですよね……。――分かりました!私に任せてください!」
やはり、エルフの言葉に関してはクリスお姉さんが頼りになる様子。
アインに頼られたことで、クリスが嬉しそうに近寄ってくる。
「そういえば、アイン様。私、昨日の夜、一つ気が付いた事があったんです」
「昨日の夜?」
「はい。というのも、エウロで出現した生物に関してなんですが……」
それを聞き、アインがクリスの目を見る。
「……ほんと?」
「えぇ。恐らく、アイン様も覚えがある話のはずです。なにせ、一緒に向かった場所で聞いた話ですから」
「俺も行った場所?……ごめん、もう少し詳しく教えてもらえる?」
「――イストですよ。オズ教授との会話で、こんな題名の資料を受け取ったはずですから」
クリスが手ごろな紙を手に取ると、胸元からペンを取り出して書き始める。
するとその内容は、アインも覚えがある研究内容についてだった。
「……『異人種の魔物化実験。到達点、人工魔王を目指しての研究』。そうか、言われてみれば、人工での魔物化という意味ではやってることが同じなんだ。……ありがと。いい情報だよ、クリス」
突然の有力な手掛かりに、アインがクリスの頭をぽん、ぽんと撫でる。
意識してなかった行動のようで、アインは自然にそれを行うと、考え込みながら窓に向かって歩いていく。
実際には人工での魔物化なんて断定はできないのだが、関係がありそうな情報には違いない。
「はえ……!?え、え……!?」
一瞬の事でポカンとしてしまう。歩いていくアインの後ろ姿を見つめ、高まる脈拍を感じていた。
そしてクリスは両腕を頭に回し、アインが撫でてくれた箇所に手を当てる。
なんで、どうしていきなり撫でられたの?と困惑しながらも、素直に嬉しさを表情に滲ませるのだった。
「――それに、考えてみればラビオラ様の二人の従者っていうのは、オズ教授が話してた昔話にそっくりだ……」
海を渡ったという事に加えて、敵対関係を人と赤狐……そして魔王の勢力に入れ替えれば、むしろ、しっくりとし過ぎている。
「うん。ホルトラに戻ったら、オズ教授に王都に来てもらうよう連絡しないと……。ほかに用事があっても、申し訳ないけど後回しにしてもらうしかないか」
エルフの里の最寄りの町。
そのホルトラに戻り次第、すぐにオズを呼ぶことに決める。
アノンが赤狐とほぼ確定した今では、あまり必要のない知識かもしれないが、例の昔話も詳しく聞いておきたくなった。
また、人工魔王を作ろうとしたという過去の話も、オズ自身から詳細に尋ねる事にしたのだ。
朝日がエルフの里を照らすように、今回の調査は順調に進みそうだ。
一人深く頷くと、後ろで困惑したままのクリスを見て、何してるんだと不思議に思いながら、資料の傍に向かっていくのだった。
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