アインの困惑。

「……殿下。この話を聞いて、心の中では多くの困惑と迷いに襲われていることでしょう」


「ははは……勿論ですよ。近い血縁にあるのかと思ってたんですが、まさかこんなにも近かったとは思いませんでした」



 何親等も離れているとはいっても、始祖となる人物が同じことに違いはない。

 アインは無意識のうちに頭を抱えると、扉の外で待つクリスを思い浮かべたのだった。



「――ですが、殿下。これは本来、誰に話すことなく墓に持ち帰るつもりだった話です。ラビオラ妃との約束ですし、私はそれを違えるつもりはございませんでした。……ですので、どうかこの話は殿下のお心の奥底へと、優しく大事にしまっておいてくださいませ」


「……長の願いはわかりました。本当ならお爺様……陛下に伝えるべきなのでしょうけど、俺も困惑しています」


「えぇ。私も殿下のお気持ちは痛いほど分かります。ですからもう一つお願いがございます。どうか、クリスティーナさんのことを大切にしてあげてください。噂に聞けば、クリスティーナさんは殿下をとても大切に思っているとか。そうしていただければ、きっとラビオラ妃もお喜びくださいますから」



 ラビオラがどんな気持ちで子を手放したのか。

 アインにも長にもそれを知る術は残されていない。だが、ラビオラが第二子を愛していたことは事実だろう。

 だからこそなのだ。だからこそ、長はクリスを大切にしてくれとアインに伝えたのだった。



「クリスティーナさんは、ヴィルフリート様を思い出すような女性です。努力家ですが照れ屋で、やはり内気な性格の可愛らしい女性ですから」


「――ははっ。思い当たる節がたくさんありますね」


「えぇ、そうなんです。そのせいか、セレスティーナさんが居ない時はいつも一人か、シエラが傍にいるぐらいでした」


「……幼馴染と聞きました」


「はい。その通りです。――……私がヴィルフリート様へと特別な態度をとってしまったせいでしょう。ヴェルンシュタイン家は、長の私と同じように、自然とエルフの者達からも一目置かれる一族となってしまいました。その影響もあってか、クリスティーナさんはエルフの中でも少しばかり浮いた存在だったのかもしれません」



 長は頑張ろうとしたのだろう。

 だが、それまで王族だった御子を預かり、当たり前のように他の者達と同じく接することは難しいだろう。

 例え長が長寿のエルフ族であろうとも、そんなものは簡単にはいかない。

 苦々しい面持ちで語る長を、アインは同情するように見つめた。



「セレスティーナさんが居なくなってからは、里に帰ることもめっきりと減りました。帰って来ても、ヴェルンシュタインの家で休むか、シエラと会うぐらいの事しかしておりませんでした。……一目置かれていたというのが、クリスティーナさんにとっては寂しく感じられたのでしょうね」



 そう語った長の顔は、先ほどと比べても悲しそうだ。

 自らの力のなさを恨むように声を漏らし、クリスに謝罪するように言葉を続ける。

 すると、アインはクリスの固い態度の理由を理解したのだ。このような事情があったからこそ、クリスは固い態度をとっていたのだろう、と。

 だが、そんなエルフの里の中でも、やはり実家と言うのは別格なのだろう。夕方のクリスの姿を思い返すと、あの家はクリスにとっての聖域の様なものなのだろうと考えさせられる。



「長は、真摯にラビオラ様の思いを引き継いでくださったのだと思います。同じ王族として、私からも礼を」



 アインはそう口にすると、王族として頭を下げる。

 あまり褒められた行動ではないが、今はそれをするべきだと感じたのだ。

 長は慌てた様子でアインを咎めるが、アインは気にすることなく、十秒近くに渡って頭を下げた。



「大丈夫ですよ。むしろ、私が頭を下げなければ、初代陛下達もお怒りになるかもしれませんから」



 冗談を口にするように答えると、一度だけ軽く咳払いをした。



「――ところで、その二人の従者というのはどんな方だったんでしょうか」


「二人の従者……あぁ、あのお二人の事ですね」


「できれば、ご一緒に教えていただけないかと思いまして」



 これはただの興味本位だ。

 本筋の質問には関係ないが、ラビオラが信頼していた二人の事が気になってしまっただけのこと。

 閑話休題がてら、アインはこうして長に尋ねる。



「統一国家イシュタリカ建国にあたって、お二人はとても重要な役割をもっていました。男性の方は法の整備や多くの献策を行った、マルク陛下のご友人です。そしてもう一人の方は女性でした。……その方はラビオラ妃の給仕を務め、ラビオラ妃はその方のおかげで力を発揮できたと口にしていたほどですから」


「……失礼ですが、やっぱりそんな人物は聞いた事が無いんです。本当に建国当時の資料は少ないんですね」


「えぇ。なにせ、随分と昔の事ですから」


「ちなみに、なんというお名前だったんでしょうか」



 一応、覚えておけば、いずれ調べることができるかもしれない。

 淡い期待感を抱いて尋ねるが、長は困ったように首を傾げる。



「申し訳ありません。お二人には名がありませんでしたから、そうした事は私にもさっぱりで……」


「名前が無い……?」


「――はい。当時はそうした異人種も多くおりました。ですので、そのお二人も同じことだったようでして」



 名前を持つという文化は今では当たり前の話。

 だがそれが、過去のイシュタリカでも同じだったかと聞かれれば違う話のようだ。

 特に異人種の場合であれば、それが顕著に表れていたのだろう。



「ちなみに、なんという種族だったんでしょうか?」



 これまた、ただの好奇心に過ぎない。

 だが、アインの言葉を聞いた長は表情を一変させ、緊張した面持ちで口を開く。

 まるで真正面に座るアインを労わるように、それでいて心配するように声を漏らした。



「……殿下が追っていらっしゃる種族ですよ」


「俺が追ってる種族……――それって、もしかして」



 長の声を聞き、アインは自分を俺と呼称した。

 若干の精神的な揺らぎを感じ、次の長の言葉を待った。



「赤狐です。そのお二人は、赤狐を裏切ったお方ですから」


「――……あり得ない」


「いいえ。あり得るのです」



 そんな赤狐がいるはずがない。

 こうした先入観に心の中を満たすと、長の言葉を否定する。

 すると、長はアインの言葉に否定の意を込めて即答した。



「殿下はマルコ様の事をよくご存じの様子。……でしたら、マルコ様が居るところに、二人の赤狐が居ることに違和感を感じませんか?」


「――っ!?」



 言われてみればその通りだ。

 あれ程の忠義を捧げた騎士が、目の前にいる赤狐に対して容赦をするだろうか?

 長の話によると、二人はマルコに守られて呪いの部屋を通り抜けたという事だから、少なくとも、敵のような存在には思われていなかったのだろう。



 だが、アインには一つの疑問がある。

 その疑問というのも、赤狐に騙されていたのではないか?という疑問だ。



「どうやら殿下は、マルコ様の事をよくご存じのようですね」


「……はい。よく知っています。でも例えばマルコさんが――」


「騙されていた、あるいはアーシェ様のように赤狐の影響を受けていたから、二人を見逃した。そんな事実はございませんよ」



 再度の否定をされ、アインは呆気にとられる。



「そのお二人は戦争の以前から、マルコ様ともよくお話をなさっていましたから。ですので、殿下の懸念はきっと大丈夫です」


「そ、そんな前から裏切って……?」



 アインが驚き染まった表情を見せると、長は楽しそうに笑みを浮かべる。

 口元に手を当てると、なんとも上品な仕草で微笑みかけた。



「……とはいえ、裏切るも何も、お二人は最初から陛下やラビオラ妃と行動を共にしておりましたからね。――ところで、マルコ様はお元気でしたか?」


 続いた言葉に驚いていたアインも、マルコが元気だったかと聞かれると、突然に表情を硬くする。

 当たり前だ。彼の壮絶な最後を思い返せば、恨みや悲しみ、そして無情な感情に覆いつくされてしまう。



「……なるほど。語らずとも結構です。ですが、マルコ様の最後は殿下に看取っていただけたご様子。きっとマルコ様は、それだけでも幸せに逝けたことでしょう」



 察してもらえたことに感謝すると、アインは一度だけ深く頷く。



「きっと、マルコ様は、最後まで忠義を貫き通したのでしょう」



 長が目に涙を浮かべると、必死に歯を食いしばりながら涙が漏れるのに耐える。

 膝の上に置いた両手が強く握られ、力を籠める事で静かに震えていた。



 二人は沈黙という会話を数十秒続けると、長は布で目を拭った。



「見苦しい姿をお見せしました」


「い、いえっ……!俺も同じでしたから」


「――それはそれは。きっと、マルコ様も満足して逝けた事でしょう」



 満足しただろうか?

 きっと無念もあったと思うが、少なくとも、少しの満足は感じてくれていたと信じたい。

 マルコの最後の言葉がアインの頭をよぎった。



「それでは、少し話を戻しましょう。――ですので、マルコ様がお傍にいるのを許可していたのですから、二人は敵ではなかったというのをご理解いただけましたでしょうか?」


「……そう、ですね。分かった気がします」



 他でもないマルコの忠義だ。

 騙されていたという可能性が無いのなら、アインにとって信じるに値する話に間違いない。



「さて、では次に、どうして私がこうした話を王都に届け出なかったのか。それを説明致しましょう」



 近くに置いた茶に口を付けると、長がゆっくりと語りだす。



「単刀直入に言えば、私は赤狐に対しての知識を多く持ちません。なぜならば、当時の私は幼く、戦場に出ることもありませんでしたし、エルフと隠れるように過ごしていたからです。ですから、殿下達がお持ちの古い本……それに書かれている内容以上の事は知らないのです」


「――どうして、あのエルフの本の事を?」



 カティマが購入したという一冊の事。

 どうして長が、それについて詳しく知っているのだろう。

 不思議に思ったが、長がその答えをすぐに口にした。



「あの本を書いた人物は、私が面倒を見ていた人物だからですよ。著者に関しては、多くの偽の情報が錯綜しているようですが」



 長が苦笑いを浮かべて語った。



「っ……ま、まさか著者って――」


「はい。あの本を書いたのはヴィルフリート様です。彼は世界樹に導かれる最後の日まで、自分がイシュタリカ王家の人間だという事実を知りませんでした。ですが、どうしてか旧王都に興味を抱き続けていたのです。……もしかすると、本能で分かっていたのかもしれませんね」



 研究熱心で、数百年から千年単位で生きてるかもしれないと言われた、例の本を書いた高名なエルフ。今では隠居しているとの話だった。

 それがアイン達の認識だったが、なるほど……微妙に情報が間違っていないあたりに、作為的な部分が見え隠れする。



「私も知っている情報を提供し、それで出来上がったのがあの一冊です。この話を知っているのも、今では私だけですがね」


「……道理で現実味があるというか、当時を知りすぎているなって思っていたんです」



 くすくすと笑うと、長がアインの言葉に答える。



「写本されたものが数冊ありましたが、恐らくもう残っていないでしょうね。ちなみに、新王都にある一冊は、ヴィルフリート様の直筆……いわば原本ですよ」



 どんな経路で王都に届いたのか。

 あとでカティマに尋ねようと決めると、長の言葉に耳を傾ける。



「――……また、ラビオラ妃との話に関してお教えしなかったのは、ラビオラ妃との約束のため……という事で納得していただけませんでしょうか」



 別の場所に埋葬したという話。

 それに、旧魔王領とイシュタリカの繋がりについてだろう。

 これらの情報を教えなかったのは、はっきりといえば罪に当たる。

 だが、それを約束させたのはラビオラ妃となれば、罪なんてものは何処にもない。

 長はただひたすらに、王族(・・)との約束を守ってきただけなのだから。



「ラビオラ様とのお約束です。ですから、何一つ問題ありませんよ」



 逆に申し訳ない気持ちがあったりもした。

 こうして話してもらったという事は、ラビオラとの約束を破らせたともとれるからだ。



 しかし頭が混乱してきた。



 クリスが濃い王家の血筋を引いており、ラビオラ妃は二人の赤狐を部下にしていた。

 更に付け加えれば、古いエルフの本の著者は、初代イシュタリカ王の第二子という事実。

 まさか、こんなにも多くの情報を得られるとは思いもしなかったのだ。



 エウロで出現した生物の話も重要だったが、それ以上に衝撃的な事実にアインは困惑する。



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