忠犬は優秀。
クリスの口から不安な言葉が漏れたが、中々、自信あり気な足取りで進んでいった。
その後、説明された通りに瘴気が漏れる領域に入ったのだが、クリスが言うように、あまり危険性がある箇所ではなかったようだ。
というのも、遠目に様子を窺われてるのは何となく分かったが、それ以上の事はしてこなかったのだ。
恐らくそれは魔物の視線なんだろうが、むしろ二人を避けるように監視していたように思える。
力量の差を感じているのだろうか。
「そういえばさ、イストでも似たような事あったよね。セージ子爵のアレとか」
言い掛かりを付けられ、結局魔物同士の決闘となった事件。
最後は双子がご馳走にありつけた形で終了したのだが、切っ掛けは彼のワイバーンがアインに怯えてしまった事。
……と思えば、割と言い掛かりではない気もするが、やり過ぎだったというのは事実だろう。
「あっ、そういえばそうですね。――ワイバーンが怯むんですから、ここら辺の魔物ではもっと逃げてしまいそうです」
アインの言葉を聞き、クリスが苦笑いを浮かべる。
本格的に危険が消えてきた事で、二人の間の空気も更に穏やかに変わった。
「でもさ、瘴気が漏れてるっていうのに、案外見た目は変わらないんだね」
魔物実習の際には、毒々しい色合いに変貌した地面だったというのに、今歩き地域はそんな姿は見せていない。
目に映るのは、こげ茶がもう少し暗い色になったかな、と思わせる程度の地面だ。
霧のような空気が漂ってるわけでもなく、瘴気があると言われなければ気が付かないかもしれない。
辺りを見渡すアインを見て、クリスが楽しそうに口を開く。
「それぐらい薄めということですよ。ですが、人体に悪影響を与えないという事にはなりませんから、勿論注意することは大切です」
「へぇー……。それって、どのぐらいの悪影響なの?」
「個人差はありますので……ですが、そうですね――」
アインの言葉に、クリスが考え込む様子を見せる。
すると、すぐに答えが浮かんだようで明るい表情をみせた。
「近衛騎士であろうとも、数十分も吸えば命に関わりますね」
「あれ?結構長い時間耐えられるんだね」
拍子抜けだ。
てっきり、数分も吸えば限度なのかと思っていたのに、数十分とは意外だった。
「命だけは、って言葉がついちゃいます。例えば、手足の自由が利かなくなったり、視力を失ったり……あるいは、昏睡状態に陥って自力では目覚めるのが出来なくなるなどですね。ですから、数分でも危険ってことに間違いはないんです」
「あぁ、確かにそういう影響もあるか。失念してたよ」
「……といっても、アイン様には通用しないと思いますけど」
それを聞くと、アインもクリス同様に笑みを浮かべる。
仮にアインが冒険者を営んでいた場合、この能力はかなり優位に働いてくれていたことだろう。
もし、もしもオリビアがイシュタリカの王族で無かった場合。ハイムを出てバードランドで冒険者をしていたら、また違った生活をしていたのだろうと思うと、そんな未来もありだったのかな?と考えさせる。
当然、今の家族やクリス……ディルやウォーレンにロイドなど、この大切な人たちがいる世界の方が幸せなのだが。
「あっ!そろそろ瘴気のある場所を抜けますよ!」
考え事をしていたアインの耳に、クリスの嬉しそうな声が聞こえてくる。
「それは何より。やっとこのコートを脱げるってことだね。――って、どうしてそろそろ抜けるって分かったの?」
「私の場合は、人よりも五感が優れているので、主に香りや目視で判断してますよ。一応、地面の色も変わってきますから」
なるほど、と感じてアインも地面に目を凝らす。
うん。違いが分からない。同じ色にしか思えないあたりに、何となく敗北感を覚えた。
香りも……違う気がするが、理解した気になってるだけだろう。
腐ったの木々の香りや、湿った地面の香り。偶に花の甘い香りが漂ってくるのはわかったが、その何処に瘴気の香りが混じっているのかは分からない。
むしろ、森に入ってから同じような感覚でしかなかった。
「ぜんっぜん分かんないや。全部前と同じように見える」
「ふふ。エルフの性質っていうのもありますから、余り気にしないで大丈夫ですよ?それに、私の場合はエルフの中でも鼻が利く方ですから」
――どれぐらい利くか試してみますか?
そんな瞳でアインを見つめた。
そこはかとなく挑戦的な目線に、アインも乗り気になってしまう。
「自信あり気だね」
こう答えると、クリスが革のコートを脱いだ。
恐らく、瘴気の影響がない安全な領域に入ったのだろう。
すると見張られていたような気配が一気に消え去り、元の静かな森の空気に早変わりする。
「はい。実は結構自信あるんです。例えば、アイン様の事なんかは絶対に外しませんよ?」
魔王城から戻った際も、彼女は香りでアインかどうか判断していた。
それを判断材料にでもすれば、クローネも同じく鼻が利くということだが、今のクリスは珍しくすごい自信だ。
「……ここって、もう安全?」
「えぇ。獣が通るぐらいで、魔物は出現しない地域に入りました。……もうすぐエルフの里ですよ」
「ならよかった。それじゃこうしよう」
アインはクリスに止まるよう指示を出すと、悪戯心をだして語る。
「今着てるコートをさ、この近くに俺が隠してくる。だから、それを3分以内に見つけられたらクリスの勝ち。負けた方は、勝った方に今度何かお願いできる……ってことにしよう」
「――どこまでお願いできますか?」
「うーん……。常識的な範囲で、買い物に付き合って―とか、お互いにできる内容って感じでいこうか」
曖昧な決め事でしかないが、お互いに無理は言わないという安心があったからこそ、アインはそう決めた。
するとクリスは、自信満々な表情のまま、満足そうにその言葉に頷いた。
「では、何をお願いするか考えておきますね」
「……じゃあ置いてくるから、クリスは自分のコートで頭を隠してて?」
勝気というか、確信めいた言葉ばかりを口にするのみて、アインに意地悪な感情が芽生えた。
「はい。あまり遠くには行かないでくださいね?」
「大丈夫。危ないから遠くには行かないよ。それに、範囲を広めたら可哀そうだしね」
……意地悪と言うのも、アインが着ていたコートの隠し場所についてだ。
腐葉土のように、湿った葉っぱが地面を覆っているところがある。
なんでもない地面に向かい、その下に隠してしまおうと決めた。
わざとらしく足音を立てて離れると、目ぼしい場所を見つける。
柱樹の間にある、何の変哲もない地面に近づくと、そこに落ちていた葉を除ける。
そこにコートを平らに隠すと、元のように葉を被せた。
――よし。自然な感じに見える。
元のような姿に戻すと、アインは回り道をしてクリスの傍に戻る。
彼女はアインの言葉通りに、コートを被って目を隠していた。
「クリス。戻ったよ」
アインの声を聞き、クリスがコートの中から顔を見せる。
真っ黒なコートから出てきたクリスが美しい金髪を伴っていて、黒いコートとのコントラストが目に映える。
「くん……くん……」
若干眩しいのか、目を瞑りながらクリスが鼻を動かす。
「――あぁ、あそこですね」
うん、うんと数度に渡って頷くと、クリスは勝者の笑みを浮かべる。
一方のアインとしては、何を言ってるんだ?としか思えない仕草だった。
「え?分かったってこと?」
「はい、分かりました!なんでしたら、目隠ししたまま近くまで行きましょうか?」
「……出来るの?」
不思議そうに語ったアインの声を聞くと、クリスは大きめのハンカチを取り出して、それで目を覆った。
「では行きますので、付いてきていただいても構いませんか?」
「……構いません」
つい変な言葉遣いになったが、歩き出したクリスの隣を進む。
多分、アインが通った道を辿るか、近くを進むのだろうと思っていたのだが、その予想はあっさりと裏切られる。
「――嘘でしょ」
向かう先は一直線に、柱樹と柱樹の間……そこは、アインがコートを隠した葉が落ちている場所だ。
目隠ししているというのに、明らかにそこだけを目掛けてクリスが進む。
「……あれ?アイン様、埋めたりしました?」
「さぁ……。良く分からないかな」
幼い抵抗だったかもしれない。
ここまでくれば、もうほぼアインの敗北が決まったような感じなのだが……。
目を隠すという不利がありながらも、こうして答えに近づくクリスに驚かされるばかり。
葉や枝を踏みしめる音が響き渡り、それはアインのコートが隠された箇所の手前で終わった。
「ここですよね?」
「はぁ……降参だよ」
獣染みた嗅覚の鋭さに、アインは降参を口にする。
するとクリスは目隠しを取り、嬉しい気持ちを滲ませた。
「やったやった!私の勝ちですよね?」
「わかってる。俺の負けだよ……まさか、ここまで凄いとは」
「……でも、こうして隠すのってずるいと思うんです。……ひどくないですか?」
楽しげな表情から一変し、アインを詰問するように尋ねた。
「い、いやいや!だって、ちゃんと隠すって言ったでしょ!?」
「言いましたけど……でも、こうして埋めるのってずるいと思うんです」
そう口にすると、アインのコートを掘り出して葉や土をよける。
綺麗になったのを確認すると、大事そうにコートを抱えるのだった。
口元を固く閉じると、眉間に少しのしわ寄せ、『私、不満なんです』と言わんばかりにアインを見つめる。
「むぅ……」
「――わかった。出来るだけお願いを聞いてあげられるよう頑張るから、それで許して……」
この答えに納得したのだろう。
クリスはすぐに表情を変え、今度は嬉しそうにアインを見つめる。
「……ほんとですか?後で何のことか分からないなんて言われたら、私下手したら泣いちゃいますよ?」
「言わないから。お願いだから泣かないでね?」
安請け合いしてしまっただろうか?
だが、何かの褒美を出す予定はあったのだ。
いくら任務だとしても、アインを護衛しながら里に案内するのをただ一人で行っているのだから、褒美を渡しても角は立たないと考えていた。
ならば別に問題ないのでは、とアインは心の中で一人納得していた。
「それじゃ、何をお願いするか考えておきますね!」
うきうきしてるのが良く分かる、そんな歩き方でクリスが前を進みだす。
疲れていた体に、ちょっとした気分転換になったと思い、アインも気持ち新たに足を進めるのだった。
*
エルフの里への道のりは順調だった。
というのも、アインが疲れて休憩を求めることもなかったため、クリスのペースで先を進めたからである。
こんな機会もあるのだから、旧魔王領に向かった時の経験は生かされたと言えよう。
――そして、ついにエルフの里が目に見えるところまでやってきたのだった。
「見えましたか?あれが私の故郷ですよ」
クリスと宝探しで遊んでから一時間ちょっと。
想定よりも若干早く、エルフの里の近くまでやってくることができた。
「……すごいね」
都や町とは言えない規模だが、それでに数多くの家が立ち並ぶ。
その家というのも、全てが丸太や加工された木材を使っていて、自然と共存しているというのが良く分かる光景だ。
巨大な木をくりぬいて作られた家も目に移り、緑あふれるこの地と相まって、今まで住んでいた場所とは別世界のように感じさせた。
また、小さくも澄んだ水が溜まった湖のほとりでは、エルフの女性が水を汲む姿を見せる。
そんな生活感あふれる光景も、里には木の壁などが作られていないからこそ、アインにも見つけることができた。
「なんていうか、本当に別世界だよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです。……その、王都からくると、時代に取り残されているように感じたりもしますから」
「いやいや。こうして文化を守ってるっていうのも、立派な事だと思うよ。別に取り残されてるってわけじゃないと思うし」
アインの言葉に、クリスは穏やかな笑みを浮かべる。
リラックスしているのか、いつも以上に、少女(・・)らしく感じられる表情を見せた。
「ほんっと、アイン様はお優しいですね。――あ、里の人も私たちに気が付いたみたいです」
クリスが指し示すほうを見ると、数人のエルフの男女が二人を目指して進んできた。
軽装な鎧を身にまとい、弓や槍を手に持っているあたり、恐らくこの里の戦士なのだろう。
なにやら緊張した面持ちで歩いてくる。
「……あれって、大丈夫なの?」
「多分、緊張しているだけだと思います。私たちを敵だと勘違いしているのであれば、確実にもっと多くの戦士たちが向かってくるはずですから」
「――うん。ならいいけど」
エルフ族の世界樹信仰。
その影響でドライアドも歓迎されるとのことだが、さてはて、どうなることやら。
アインは完全に気を抜くことなく、多少身構えながら彼らがやってくるのを待った。
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