十一章
状況を説明して、最後は一息ついて。
その言葉を聞き、時が止まったかのように、シルヴァードとウォーレンの二人が硬直する。
すると、先に動いたのはシルヴァードだった。
「……大陸中を巻き込むであろう戦争に、暗殺をしたその手段。信じたくはないが、自然と納得できる話ではある」
シルヴァードはそう口にすると、隣に居るウォーレンを見た。
「え、えぇ……。そうですな、断定する材料はありませんが、仮説としては十分にありえるかと」
すると、ウォーレンは困った様子でこう答えた。
過去の騒動を思い返してみよう。
赤狐は魔王を利用して、大陸中を巻き込んでの戦争を引き起こした。
その件と、現状のハイムの話。これを照らし合わせてみれば、その手法は不気味なほどに似通っている。
言ってしまえば、舞台がイシュタリカからハイムに変わっただけの事だ。
だが一向に、その目的が理解できない。
享楽主義と語られることもあるが、それはアインが自分で確認した事実ではなく、あくまでも昔話のようなものだ。
本当に享楽主義だったからこそ、こうした騒動を引き起こすならまだしも、別の思惑があると想像してみれば、不可解な気持ちは増す一方だった。
……とは言っても、現状では何か手を打てるわけじゃないのだが。
「お爺様。奴らの存在が隠れてるとして、我々はどうするのが最善でしょうか?」
「決まっている。必要とあらばそれを殲滅するべきだが、何せ場所が悪い」
「……陛下の仰る通りですな。大陸イシュタルで起こった事態であれば、我々としても行動するのは容易です。しかしながら、他国の話となれば、行動するのも難しくなります」
仮に犯人が、赤狐或いは赤狐の関係者としても、居場所なんてものは一切情報が無い。
そして別大陸の話であり、調べるのにも一苦労する地域だ。
現状では何を考えても現実味が無い。
「もどかしいですね。確信に近づけた気がしたけど、今は何もできないなんて」
「アイン、その気持ちは我らも同じこと。今はもう少し、情報を待つべきだ」
心の中では、自分が行って調べたいなんていう気持ちもある。
だがそれは出来ない。イシュタリカ内での話とは違い、海を渡り国外での調査をするとなれば、アインの身分がそれを許さない。
今までの調査とは違う話だというのは、アインも理解していた。
「今の今までアイン様に調査をしていただいたと言うのに、今回はアイン様に動いていただく訳にはいきませんね」
「うん。わかってる。こればっかりは、俺があっちの大陸に行くわけにも行かないしね」
「その通りです。それに、私としてもあまり人員を送る気はありません。送ったとしても、エウロのみですな」
情勢を理解する必要はあったが、わざわざ危険を冒してまで人を送る必要はない。
突き詰めてしまえば他国の問題であるため、赤狐の話は、もう少し情報が集まってからでも遅くはない。
その考えには、アインとシルヴァードの二人も同意した。
「本当はリリを派遣する予定だったのですが、やめておきましょう。万が一の事態を思えば、リリを失うのは避けたい。エレナ殿たちに接触させるのは、別の者を派遣します。……あるいは、エウロとの条約締結の際に、エレナ殿に来てもらうことも考えます」
「うむ。それがいいだろう。して、仮にイシュタリカが犯行に及んだとハイムが判断した場合はどうする?」
「その可能性は低いでしょう。彼らも理解しているかと。何せ、先日の会談の際に、我々はハイム王ごと打ち取ることができたのです。ですから、こうした面倒な方法を取るとは考えないかと思われます」
いくらハイムの者とはいえ、そうした馬鹿げた判断はしないだろう。
ウォーレンはこう判断した。
「現状で我らと事を構えるのは、なによりも愚策。さすがのハイムも、今は我らを刺激しないと思われます」
過去のハイムの行いを思えば、ウォーレンの言葉とはいえ信じられない部分があったが、今はこう考えるしかない。
「何はともあれ、アイン様の仰った赤狐の件。それも踏まえて、今後の事を考えて調査をします。我々が何か行動をするのは、その後でいいでしょう」
「……うん。わかった」
現状決まった事と言えば、エレナを含むアウグスト家の者達を保護するという話だけだ。
ウォーレンやシルヴァードとしても急な話のため、これが現状の限界だろう。
「――も、申し訳ありません。遅れました……!」
……と、会話をしていたアイン達の下に、クローネが息を切らせてやってきた。
オーガスト家の屋敷から急いで向かってきたのだろう、恐らく城内についてからも、走って会議室に向かってきたのだと思われる。
髪の毛が少しばかり崩れているのが、慌てて来た様子を表していた。
「おぉ、クローネ殿。夜分遅くにお呼びしてしまい申し訳ありません」
「い、いえ。むしろ、連絡をいただけて感謝しております――」
クローネも心配だったのだろう。
ハイムにはエレナをはじめとする、クローネの家族が住んでいる。
国同士の諍いを抜きにすれば、何事もなく平穏に過ごしてほしいと思うのは、至極当然の事だ。
「アイン。クローネに先の件について説明をしなさい。余とウォーレンは、いくつか確認する事がある」
「お、お爺様?それなら私とクローネも……」
「よい。いいから、執務室にでも向かってゆっくり話してきなさい」
……もしかすると、シルヴァードなりの気遣いだったのかもしれない。
アインはその事に気が付くと、シルヴァードに頭を下げてからクローネに語り掛ける。
「それじゃ、クローネ。俺の執務室に行こう」
「え……?い、いえ……でも……」
――こんな時に不適切かな?
こう考えてしまったが、どうしようかと迷っているクローネを見て、アインは咄嗟に彼女の手を取る。
「ほら。行くよ」
もっと緊張感を持てと言われれば、今のアインは何も反論ができない。
だが、クローネのためを思うならば、これが最善な気がしてならなかった。
*
半ば強引に会議室から連れ出すと、アインはそのまま自らの執務室に向かう。
……道中、多くの給仕や騎士から見られたことを考えれば、手を引いてまで抜け出すのは愚策だっただろうか?
緊張感に覆われる城内を、こうして逢引のように抜け出す姿は、少し考えモノだったかもしれない。
「……いきなり強引に連れ去るのは、ひどいと思うの」
慌てた様子に、不満げな顔つき。
そして、どうしたらいいのか分からないこの感情。
クローネはそんな状況に陥り、アインの事をジト目で見つめる。
「手っ取り早かったから、悪いけどこうさせてもらったよ」
執務室に着いた二人は、ようやくになって手を放す。
すると向かい合ってソファに腰かけると、クローネがこうして不満を口にしたのだ。
「きちんと話してくれたら、私だってすぐに……」
「わかってるけど。お爺様が気を使ってくれたんだから、あまり遠慮し過ぎても失礼だよ」
「……そうね」
やはり、シルヴァードに気を使われたという事実が大きい。
アインにこう言われると、クローネは観念したようにため息をつく。
「それじゃ、アインが説明してくれるのよね?分かってると思うけど、今の私って落ち着けてないの。だからお願い、どうなってるのか教えて……?」
「もちろん。そのつもりで連れて来たんだからね。……それじゃ、早速だけど――」
先程まで話していた内容を思い返し、それを順番に説明する。
しかし、アインだけでなくシルヴァード達にも多くの情報は届いていない。
だから情報は足りていないままだったが、ある程度の状況を説明するとともに、エレナ達への対処についてをクローネに伝える。
クローネが耳にしていたのは第二王子の件だけだったようで、イシスたちの情報を耳にすると、分かりやすく緊張した様子を見せた。
アウグスト家に対しての事件は無かったことに安堵しながらも、事の重大さに驚かされる。
そして最後には、赤狐の件を口にするのだった。
「――今日中には手を打つって言ってたから、すぐにでも保護とかに動いてくれると思う」
「……わかったわ。ごめんなさい、イシュタリカに迷惑を掛けてしまったのね」
ウォーレンが対処してくれることは有難いが、それと同時に、国に迷惑を掛けたという感情に苛まれる。
しかも相手は他国の人物となるのだから、こうして特別扱いしてもらうことが、より一層に気を揉むのだった。
「迷惑だなんて誰も思ってないよ。俺たちも、ただ心配なだけだから」
「……ほんと、アインったらいつも優しいんだもの」
憔悴しながらも、なんとか笑顔を見せるクローネ。
家族に万が一があったら……。それを思えば、クローネがこうした表情を浮かべるのも無理はない。
仮にアインの様な形でハイムを離れたのならば、クローネにとっても話は別だろう。
だが、クローネの場合はアインを追ってきたのであって、家族との折り合いが悪いなんてことは無かった。
そうなれば、こうして安全を心配してしまうのも当然の事だ。
「――って、ごめんなさい……!アインもお婆様を亡くしたのに、私ったら、自分だけ被害者みたいにしちゃって……」
「あ、あー……。亡くなった事は残念だと思うんだけどさ、あまり祖母とは思えないから、俺にとっては難しいところだよ」
クローネが心底申し訳なさそうに語るが、アインは困ったように笑いかけた。
亡くなった事には多少思う部分はある。
だが、恨みのような感情は抱いていたが、別にこうした形でイシスが死ぬことを望んだことは無い。
更にいえば、シルヴァードにも語った事だが、祖母と思う感情も皆無のため、悲しいか?と聞かれれば何とも言えない話だった。
「冷たいのかもしれないけど、俺にとってのお婆様はここにいるお婆様だけだからさ」
「……ごめんなさい」
「ははは……。今日のクローネは謝り過ぎだよ。そんなに謝らなくていいから、ね?」
第三者が見たら、アインの行動にケチをつける人物もいる可能性はある。
だがここには、アインとクローネの二人だけなため、そんなことは気にしないで、アインがクローネに近づいた。
すると、幾度に渡って謝り続けるクローネの頭を、アインはそっと撫でるのだった。
「こんな時まで王太子殿下に慰められるだなんて、補佐官としてどうなのかしら」
「むしろ、こういう時ぐらい慌てるのが普通だから、気にしない方がいいと思うよ」
少なくとも、危険が訪れた対象がオリビア達であったのならば、アインは何をしてでも駆け付けただろう。
こうしたことを考えれば、アインからしてみれば、クローネは落ち着いているように思えた。
「さっきも言ったけど、これ以上の情報は連絡待ちになる。犯人に赤狐の関係があるのかは分からないけど、どんな形であれば、あっちの大陸は荒れることになるだろうけど……」
「……私はむしろ、大陸が荒れることになったら、赤狐が関わってるので間違いないと思う」
アインの言葉を聞くと、クローネが自らの考えを口にする。
「だって、曲がりなりにもハイムは強国だもの。そりゃ、イシュタリカと比べれば劣るけど、でも、あちらの大陸では並ぶ国が無い強さを持つわ。だからこそ、ロックダムや……それこそ、エウロなんかは手を出す利点が無いもの。だからハイムの人が行った犯行でないのなら、間違いなく関わってると思う」
クローネの意見を聞いたアインは、数度に渡って頷く。
確かに言う通りで、ハイムはあの大陸にとっては覇をとなえる強国なのだ。
ロックダムやエウロにとっては、わざわざ危険を冒してまで事を構える利点が無いのだ。
「後で、その意見をウォーレンさんにも伝えてもらえる?」
――アインがそう言うと、クローネは静かに頷いた。
有力な仮説だったはずが、クローネの意見のおかげで確定的な仮説に変貌した。
間違いであってほしかったと考える自分もいる中、アインも複雑な感情に襲われる。
「赤狐の気配だっていうのに、俺の中に居るご夫婦は静かだなあ……」
「デュラハンとエルダーリッチの事?」
「そうそう。ちなみに、カインさんとシルビアさんっていうんだけどね」
「へぇー……。アインとオリビア様みたいなのね」
「うん。名前が似てるんだよね」
始めて口にした、デュラハンとエルダーリッチの名前。
カインにも名前が似てると言われたが、彼には、気にするなと言われたことを思い出す。
大したことではなかったのだが、なんとなく二人の気持ちも緩くなる。
「……でも、こんな時なんだから、知恵の一つでも貸してくれればいいのに」
特にエルダーリッチのシルビアには、その頭脳を貸してほしいものだ。
「魔石に。それも、アインに吸収された人たちに意見を求めるのってどうなのかしら……」
「でもいい人たちだったよ。いや、いい魔物……?」
「もう……どっちでもいいわよ」
アインがしょうもないことに迷ったことが、クローネの笑い声を誘う。
「魔石持ち主だった魔物が、アインの中で生きる事。それ自体が異常な事なのだから、当てにはできないでしょ?」
「うーん。まぁ、そうなんだけどさ」
どうしてそうなったのか、その理由や原理なんてものは一つも理解に至っていない。
長い間、二人が沈黙を保ったままな理由も、アインには調べる術がないため、また唐突に現れることを期待するしかないのだろうか。
「でも私、一つ気になってたことがあるのよね」
「ん?それって、デュラハンたちの事で?」
「えぇ、そうなの」
少しばかり元気を取り戻した様子を見せて、クローネが不思議そうな顔を浮かべる。
「昔の魔王騒動の時って、どうしてデュラハンとかエルダーリッチは、魔王のように、操られるような状況にならなかったのかしら」
孤独の呪いと呼ばれる、赤狐の長にしか使えない呪い。
それを使い、魔王アーシェは操られた。
だが、魔王アーシェを操ることができたというのに、デュラハンたちを操れなかったのは何故だろう。クローネはこうした疑問を抱いたのだ。
「いろんなところで曖昧だと思うの。だって、イシュタリカの人々を滅ぼしたかったのなら、その二人の事も操るはずでしょ?でも、その二人は操られてなかったじゃない。結果として魔王は討伐されて、魔物側は敗北。……やりたいことが分からないの」
一言で享楽主義と言ってしまえばそれまでだが、クローネの言葉がアインの心に疑問を生じさせた。
それは、黒騎士の副団長……マルコの事だ。
「……効果に個人差がある?」
「でも、それを言ったら、魔王には効果が出たというのに、他の魔物にはそれが出づらかったというのはおかしいと思うの。だって、魔王が魔物の中で頂点に位置するはずでしょ?」
「うん……。そのはずなんだけど」
意思の強さの違い?
アインは魔王アーシェの人となりを知らないが、少なくも、魔王となるのだから、それ相応の抵抗力はあるはずだ。
一方では、数百年に渡って呪いに抵抗していたマルコという騎士が居る。
魔王アーシェは完全に呪われいたが、マルコは数百年に渡って抵抗していた。
そして最後に。魔石の夫婦に関しては、その呪いを受けてなかったように思える。
「――駄目だ。呪いを手加減をしたのかもしれないし、意図的に呪わなかったのかもしれない。でも、どう考えても良く分からないや」
だが、何を考えても結論が出ない。
どうにも赤狐のすることには矛盾が多すぎて、目指すべき場所や理由を特定できない。
「……そうよね。私たちがすぐに理解できるなら、カティマ様とかなら、もうその理由には到達してそうだもの」
駄猫は頭がいい。
アインもその事にだけは同意する。
――その時だった。
「アイン様!アイン様!?ご無事ですか!?」
アインの執務室を叩く音と、アインを呼ぶ心配そうな声。
その声には、アインとクローネの二人が覚えがあった。
「……え?俺?」
「え、えぇ。アインの事だと思うけど……とりあえず、返事をしてあげるべきだと思うわ」
無事ですかと声を掛けられても、『え?』としか言えなかったアイン。
だが、クローネの言う通りに、扉の外に居る人物に声を掛ける。
「……えっと、クリス?入ってきていいよ」
アインの返事を聞くや否や、クリスが勢いよく部屋になだれ込む。
「アイン様っ!ご、ご無事でしたか……。ハイムで大きな事件があったと聞き、急いで駆け付けたのですが……あ、あれ?」
どうやら彼女も、自分の言葉の矛盾に気が付いたのだろう。
ハイムで事件があったと言葉にすると、自問自答をはじめる。
「……うん。ハイムで事件があったんだもん……でも、あれ?どうしてアイン様がご無事ですかって、私……」
数十秒ほど考え込むと、ようやくその答えに至ったのだろう。
顔を少しずつ赤く染め上げると、クリスは両手で顔を隠す。
「――すみませんでした。その、早とちりをしていたようで……」
アインが襲われたという勘違いでもしたのだろう。
そんなクリスに対して笑うのは不謹慎かもしれない。
だが、アインとクローネの二人は、クリスのお陰で空気が和らいだことに感謝して、微笑みを浮かべるのだった。
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