届いた連絡。
夜の静けさが王都を包み込む頃。
緑が美しいこの季節は、深夜になると、まだ肌寒い空気が漂う。
そんな中、その空気とは対照的に、城では慌ただしい様子だけが漂っていた。
ベッドに入ってから数時間程度が経ち、アインもいつも通りに休んでいた時。
突然やってきた給仕によって、アインの就寝は終わる。
その後のアインは、分厚い絨毯を急ぎ足で踏みしめながら、城内の会議室を目指し進んでいた。
「……」
神妙な面持ちで歩くアインの脳裏には、多くの考えが錯綜していた。
二度と関わる予定が無かったハイム国内で、類を見ない程の事件が発生したのだから、考えがまとまらない事も仕方がなかったのだ。
会談を終えて帰ったアイン達は、こんなにも早く、ハイムの話で心を惑わされるとは考えもしなかった。
「――殿下!」
「あぁ。早速だが、入るぞ」
「はっ!」
目的地の会議室に着いたアインは、入り口で番をしていた騎士に声を掛ける。
その言葉を聞き、騎士は会議室の扉を開いた。
すると部屋に居る皆がアインに注目し、一瞬の静寂が訪れる。
「気にしないで、話を続けてくれ」
アインは一言そう口にすると、奥に座る、重鎮たちが待つ席に向かって足を運ぶ。
すると、事態が事態なせいもあってか、すぐに元通りの騒々しい姿を見せた。
会議室には、いつもの面々だけでなく、今日は幾人かの貴族も呼ばれていた。
中にはレオナードの父の姿もあり、事態の大きさを物語っている。
「すみません。遅くなりました」
到着した奥の席。
そこでは、シルヴァードとウォーレンの二人が神妙な面持ちで座っていた。
「構わぬ。急な報告だ、支度もあったであろう」
アインの謝罪を聞き、シルヴァードがそれを許した。
今日は急な報告という事もあって、アインは就寝中に唐突に起こされた。
こうした理由があるのだから、遅れてしまうのも無理はなかったのだ。
「ありがとうございます」
シルヴァードの言葉に感謝して、アインは自分の席に腰かける。
クローネも今日は城に泊まっていなかったのか、まだこの場に到着していなかった。
「どこまで話を?」
自分が居ない間に、話がどこまで進んだのかをアインが尋ねる。
「まだですな。どのような状況だったのかを確認していただけですので、もう一度そこから始めましょう」
「あぁ。お願いするよ」
ウォーレンの言葉に安堵し、もう一度状況確認を頼む。
「……ではまず、密偵から届いた、亡くなった者に関する情報からです」
そうしてウォーレンは、密偵からの報告を語り始めた。
「被害を被ったのは複数の貴族家ですが、特筆すべきは、ハイム王国第二王子と、ラウンドハートのイシス殿が、その被害者に含まれるという事です。王子だけでも大事ですが、大将軍家の前当主夫人が亡くなったという事で、事態は更に大きくなっております」
イシスという女性は、アインにとっての祖母にあたる人物だ。
第二王子が殺されたという情報よりも、イシスの情報の方が、アインとっては衝撃的に聞こえてしまう。
「ウォーレンさん、続けて」
気になることだらけだが、まずは情報の確認からだ。
ウォーレンがアインの表情を覗っていため、アインはすぐに続きを促す。
「――……事件が明るみになったのも、城に被害者全員の首が届けられたからです」
「……趣味が悪いな」
聞くだけでも吐き気を催す犯行に、アインも気分を悪くした。
「届けられたのは、ハイムの一行が帰国したその日の晩です。つまり、昨日の晩という事になりますが……」
「俺たちとの会談中に、その事件が起こっていたってことか」
「はい。アイン様の仰る通りかと」
会談が終わってから、まだ二日しか経っていない。
だというのに、こうして騒動となるのだから、何とも言えない感情に苛まれる。
会談中に事件が発生していたという事実。
安直な判断ではあるが、明らかにその期間を狙った犯行と言えるだろう。
だが、それを行う利点や動機がさっぱりだった。
「……今頃、ハイムはどうなってると思う?」
「会談で溜まった鬱憤もありますし、帰国早々のこの事件だ。恐らくは、計り知れないような負の感情に飲み込まれているかと」
「――やっぱり、そうだよね」
アインが疲れた様子でため息をつく。
すると、頃合いを見計らってシルヴァードが口を開く。
「だが、我々も動かないわけにはいくまい。であるな、ウォーレン」
「えぇ……。陛下の仰る通りかと」
「大陸にとって覇を唱える国。そこでこうした事件があったのだから、大陸が揺れないはずがない」
――戦争。
それがアインの脳裏をよぎる。
分かりやすい戦争というものと縁が無かったアインは、首筋に一筋の汗を流す。
「考えたくありませんが、犯人捜しの状況によっては戦争となる。……お爺様はそうお考えなのですか?」
「その通りだ。あの王が何もしないとは思えぬ。ハイム国内で犯人が見つかればよいが、万が一のことを考えるならば、エウロにも影響が出るのは否定できぬ」
「……アイン様。私も陛下と同じ考えです。この数日以内に犯人が見つからなければ、あの大陸は戦乱の時代に突入するでしょう」
「あぁ。本当に考えたくないけど、そうなるかもしれないね」
「ですので、陛下。エウロにあるのは、武装されているとはいえ輸送船です。大型戦艦を二隻ほど派遣しますが、よろしいですか?」
いざとなれば、その船を使ってアムール公やエウロの民を避難させられる。
そして、多くの岬に囲まれたエウロだからこそ、海上からの戦艦での攻撃は、ハイムが攻め込んできても高い効果を見せてくれることだろう。
「構わぬ。ウォーレンに任せるとする」
「畏まりました。では、私の裁量で判断致しましょう」
ウォーレンが頷くと、シルヴァードはもう少し言葉をつづけた。
「ハイムが軍を率いてきた場合、威嚇射撃などの許可も一任する。良いな?」
「はっ。お心のままに」
二人の会話を聞けば、本当に戦争が近づいているのを感じる。
これを幸福と表現していいのかは分からないが、イシュタリカと直接の関係が無いことにアインは安堵する。
そうは言っても、この緊張感が消え去ることは無いのだが。
「お爺様。王権を使ってでも、強引にアウグスト家の人々を保護するべきでは?」
「分かっておる。――ウォーレン、アウグスト家に関してはどうだ?」
「保護するべきでしょう。状況が状況ですので、アイン様が仰るように、多少強引にでも保護するべきかと」
今回の事件は、狙われたのが王族だけでなく、ラウンドハート家を含むいくつかの貴族家だ。
こうした状況では、アウグスト家が狙われない保証が無い。
そして、王族を暗殺できるような者がいるのなら、エレナたちの安全は無いのと同意義となってしまう。
「苦労を掛けるが、夜明けまでに立案せよ」
「畏まりました。いくつか考えておきましょう」
「ウォーレンさん。立案が終わったら、すぐにでも実行に移せる?」
「えぇ、お任せください。もう日が変わってますので、今日中には何かしらの行動ができるかと」
安堵したアインは、テーブルに置かれた水に手を伸ばす。
思えば、急に起こされてからというもの、何も飲んでいなかったため、喉がカラカラに渇いていた。
アインが口に含んだのは只の水だが、喉の渇きと緊張によって、それはご馳走のように感じられるのだった。
コップ一杯の水を飲み干すと、アインはようやく一息ついた心地になる。
「ですが、王族を暗殺するなんて、よほど警備が軽いのか、それとも実力者が暗殺をしたのか、どっちなんでしょう」
「ふむ……。どう思う、ウォーレン」
困った時のウォーレンの意見。
いつもの事だったが、シルヴァードがウォーレンに話を振る。
「会談中の事件ですから、その短い間に犯行を終えていたという事。それはつまり、実力者の説が濃厚ではないかと」
ウォーレンは数秒ほど考えると、少しずつ考えを口にする。
「異常な事態です。複数の貴族が暗殺されるだけでもそうなのに、それに王族や大将軍家の者が含まれる。ハイムにとっても、過去に例を見ない程の事件でしょう」
「……考えれば考える程、ハイムの人間の犯行には思えないね」
「私もですよ、アイン様。利点や動機が無さ過ぎるのです。少なくとも、市井にいる人物が行える犯行ではありませんから」
「そう考えると、やっぱり他国の人間が犯人になるのかな」
ハイムの城に入ることができて、いくつかの貴族に顔が利くような人物。
アインはそれを犯人かと考えてみたが、明らかに無理がある気がしたのだ。
なにせ、そうした人物が犯人となってしまうなら、すでに犯人は見つかっているだろうし、事件は収束に向かっているはずなのだから。
そして、収束に向かう気配がないという事は、やはり他国の人物の犯行なのだろう。
「……ところで、アイン様。少々聞きづらい話なのですが、今回ばかりはお尋ねしたいことがございます」
「ん?どうしたの?」
ウォーレンが言いづらそうにアインを見るが、アインは気にするなと言わんばかりにそれに答える。
「イシス殿が暗殺された。そうなれば、ローガス殿やグリント殿はどのような行動をとるでしょうか。過去の人物像から言って、どうなるかご意見をいただけませんか?」
「あぁ……そういうことか。別に、そんなに気にしないで良かったのに」
元家族という事で、ウォーレンはアインの心境を考えていた。
だがアインは、いつも通りとはいかなかったが、それでも落ち着いた様子を見せる。
「今更だけど、家族としては思えないからさ。亡くなった事は悲しむべきことかもしれないけど、それ以上の感情はないよ」
故人を悪く言うつもりもないため、アインはイシスについてはこの程度で話を終えた。
続いて、ウォーレンの問いに対する答えだ。
「
今思えば、それでクローネと出会えたことに加えて、イシュタリカに来ることができた。
結果だけを口にしてしまえば、別に恨むことではなかったと言えよう。
また、イシスの呼び方を迷ってしまったのは、ララルアをお婆様と呼んでいるからであり、今更イシスをお婆様と呼ぶことに、若干の嫌悪感があったからだった。
「だから、実の母が亡くなった事に呆然としてしまうかもしれない。だけど、あの人は確実に敵討ちを考えると思う」
ローガスのイシスに対する態度を思い返せば、そうすることが自然に思えたのだ。
「なるほど。教えていただきありがとうございました。……それに加えて王族の問題ですから、やはり事は大陸を巻き込みそうですな」
心底面倒くさそうに、ウォーレンがため息交じりにそれを語る。
「きっと、そうなると思う。考えたくもないけどね」
すると、アインは苦笑いを浮かべてウォーレンに答えた。
なにせ帰国早々のこの話題だ、アイン達の疲れもより一層大きくなる。
「ったく……こっちだって、赤狐の問題が残って……る……のに……」
なにせ最近も、マグナで調査を終えたばかりなのだ。
それを思い返して、アインは呆れたように声を漏らすが、赤狐と呟くと、何かが繋がったように視界が広がった。
「赤狐……?」
するとアインは、頭を必死になって働かせる。
黙りこくって考え事をはじめたことに、シルヴァードが不思議そうに様子を伺う。
「アイン?どうしたのだ、急に静かになって……」
シルヴァードが心配そうに語り掛けるが、アインの耳にはその言葉が届かない。
これまでに無い程に、アインは強く集中していた。
同じくウォーレンも心配そうに見つめていたが、シルヴァードの言葉が届かなかったことで、アインの返事を静かに待つことにする。
それが一分ほど続いた頃になって、ようやくアインが顔を上げた。
「一つ、面倒な事に気が付いたかもしれません」
この異常ともいえる貴族たちの暗殺。
人知れずそれを行えるだなんて、あちらの大陸に出来る人物がいるだろうか。
こうした前提の中、アインは赤狐の事を思い出したのだ。
「面倒な事だと?」
「アイン様。その面倒な事とは一体……?」
赤狐が海を渡ったという情報を照らし合わせれば、こうした時期を狙ったというのもどこか納得できる。
「はい。その面倒な事っていうのは――」
イシュタリカは、この事件と直接的な関係が無いはずだった。
だが、アインはこうした予想から、一つの仮説を打ち立てるのだった。
イシュタリカという国は、すでに、強制的に舞台に立たされたのかもしれない、と。
まだ仮説にすぎないが、このまま仮説で終わってほしいという願いも込めて、アインはその言葉を二人に語る。
「――この暗殺には、もしかすると、赤狐が関わっているのかもしれません」
今までは、必死になって赤狐の手がかりを探し続けてきた。
だが、そんなアインでも、この言葉を口にするのは勇気が必要だった。
……それはなぜなら、"戦争"という一言が、どうしても、脳裏に焼き付いて離れることが無かったからだ。
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