三日目の夜

 始めの合図を聞き、二人は同時に踏み込んだ。

 ディルも踏み込み遅れることなく前に進み、一本目とは違い、果敢にローガスの前に立つ。



「っ……!?」



 先程とは全く違った様子のディルを見て、ローガスは一瞬驚かされる。

 だが、するべき事は変わらない。

 いつも通りに剣を振り、相手を倒すために力を籠める。ただそれだけだった。



「――ぜあぁぁっ!」



 大振りになりすぎず、且つ大胆さを忘れない一振り。

 ローガスにとっての最適解を披露し、その一撃がディルに振り下ろされる。



 正面からの打ち合いは望むところ。

 だがそれに自信を持っていたのは、ディルも同じことだった。



「ぐっ……重いっ。だけど、受け止められる……!」



 思い出すのは父との訓練。

 幼いころから受け止め続けた、元帥ロイドという男の一撃だ。

 加減されてきたとはいえ、その重さは常人のそれじゃない。剣を握り始めた頃から受け止めて来た、重い重い一撃だ。



 それを受け止め続けてきたからこそ、ディルの身体にも、その力は徐々に蓄積されてきた。

 この力は、ローガスの一撃を止めるのに何一つ不足することは無い……。



「真正面から……だとっ……?」



 どこにそんな力があるのか、それを不思議に感じさせる迫り合いだった。

 ディルの場合は、筋力以外にも培ってきた技術がある。

 重心の管理や、受け止めてからの力の入れ方……そして、どの体勢ならば受け止められるかという経験則だ。



「俺も、アイン様に示さなきゃいけないんだ……!」



 歯を食いしばり、全身にその力を行き渡らせる。

 血管の一本一本を巡らせて、それは脳天から指の先まで集中させた。



 身体的な疲れだけでなく、集中からくる精神的な疲れも蓄積してくる。

 そんな苦しい状況にありながらも、ディルは指や足を、必死になって動かした。



「ふっ……!はぁっ!」



 あくまでも自分の呼吸で、血を滾らせ過ぎることなく剣を振る。

 自分の持ち味を殺してしまわぬよう、ローガスの持つ大剣に向かっていった。



「まだだ。まだ終わらせない……っ!」



 相手を追い詰めるような立ち回り。

 それが一番うまかったのは、以前アインが見せたものだ。

 何をするにも一歩以上先をいかれ、誘導するかのように、そして支配するかのように剣を振るう姿。

 ローガスの一挙一動に気を配り、ローガスが嫌うような動きを続ける。



「ぬ、ぬぅっ……!面倒な動きをっ!」



 打開するため、ローガスが大剣を振る仕草を見せる。

 ここで一戦目のディルは、その打ち合いを避けるように立ち回っていたのだ。

 だが次は避けず、その勝負を受けて立つと決めていた。



「もう一度崩れろ!」



 首から肩、そして肩から腋の下を伝い腰にたどり着く。それは鍛え上げられた太ももにまで到達し、全身で力を練り上げる。

 そんな凶悪な振り上げが、ディルに向かって襲い掛かった。



 ――しかし。



「ローガス殿っ……!力が入ってないみたいですね!」



 言ってしまえば苦し紛れの振り上げだ。

 ディルが優勢だったが故に、どこかしらに綻(ほころ)びが見え隠れしていたのだ。

 握りがいつもより弱く、足は指まで力が入っていない。腰の位置も若干不安定で、身体のひねりも足りていなかったかもしれない。

 そうした、少しずつの積み上げが溜まり、全身を使った一撃であろうとも、ディルが受け止めることができる一撃となってしまった。



「な、なぜこれを受け止めっ……!」



 上から抑えるように剣を受け止めると、相手は力を籠めることができない。

 ロイドとの立ち合いもそうだが、魔王城から帰った時、アインにされた一撃でもある。



 ディルはそれを見事に使いこなすと、ローガスを正面から抑え込んだ。



「くっ……ぁ……力が……!」



 振り上げようとしていたせいもあってか、重心が安定しない。

 全身の身体も上手く機能できず、体勢的な有利は圧倒的にディルにあった。

 だがローガスは、負けじと意地を見せる。



「二本目は……俺がもらう!」



 ディルは、つい俺と口にしてしまう程、興奮してしまう。

 そうして体全身に力をいれると、ローガスの剣を横に薙ぎ払った。

 すると、ローガスの正面ががら空きになったのを見て、ディルはローガスの胸元に剣を押し当てた。



「はっ……はっ……一本、ですね?」



 息を切らしながらローガスを見ると、ローガスは驚きに染まった表情を見せた。

 二人にとっては多くの思惑が交錯した時間だったが、第三者からしてみれば、それは十数秒程度の僅かな時間に他ならない。

 その短い間に体を酷使したのだから、ディルが疲れた様子を見せるのも当然の事だった。



「――あぁ。二本目は私の負けだ」



 ローガスが負けを認め、二本目はディルの勝利となった

 その言葉を聞くと、ディルは剣を杖のように使って、身体を支える。

 勝利を抑えめたのに間違いないが、体力の差が如実に現れたのだろう。

 対照的に、二戦目を終えたというのに、ローガスはまだ余裕があるように見えた。



「ち、父上が一本を取られた……?」


「グリント!ローガスは花を持たせただけだ、そう馬鹿な事を口にするものじゃない!」



 ハイムにとって絶対的な存在であったローガス。

 そんな彼が一本を取られたことは、ハイムの者達に大きな衝撃を与える。



「……ティグルの申した通りだ。見てみよ、ローガスはまだ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)ではないか」



 確かにその通りだ。

 ディルが剣を杖にしているのとは違い、ローガスは一人で立ち上がると、重くない足取りでハイムの方へと歩み始めた。

 その姿を見れば、ローガスが花を持たせたと勘違いするのも無理はない。



「……」



 自分が戻るのを待つハイムの一行を見て、ローガスは一瞬だけ微笑みかけた。

 だが、その後の精神状況は最悪の一言に尽きる。



 ――私が、二十歳にも満たぬ男児を相手に、一本を取られた……?



 思い当たる中でも、一本を取られたのは、最近ではエドとの戦いぐらいなものだ。

 だというのに、正面の迫り合いも込みで一本を奪われた。

 自分の不甲斐なさに、剣を握る手にも力が入る。



 屈辱のような感覚ではないが、ここまで苛立ちを抱くことも久しぶりだった。



「三本目は確実に私の勝利となろう。だが……そうだな、腑抜けていたこの身を正さねばなるまい」



 ハイム王国、大将軍ローガス。

 彼は集中力を磨き上げると、三本目に向けて闘志を高めていくのだった。




 *




 ローガスが意識を整え始めた頃、ディルがイシュタリカの一行へと戻ってくる。

 無理に力を込めた腕は軽く痺れており、精一杯踏ん張り続けた影響もあってか、太ももが震えるようにストレスをため込んでいる。



「ディル。手を見せてみろ」


「ち、父上……?どうしたのですか、急に」


「いいから見せてみろ」



 ロイドはそう口にすると、ディルの手を強引に引いた。

 その二人の様子を、アインも心配そうに見つめる。



「この辺りに力が入らないだろう?」



 マッサージをする様に手をもみ込むと、ロイドはとある場所を指摘した。

 それは前腕の内側部分、拳を強く握ると連動する筋肉だ。

 力を振り絞るために多くの血を送り続け、筋を凝縮し続けた結果、力を加えるのが大変に思えるほど損傷してしまったのだった。



「……さすがは大将軍を名乗る方です。こうまで体力差を理解させられるとは思いませんでした」


「はぁ……。他にもやりようはあっただろうに」



 呆れた様子のロイドが、アインに視線を向ける。



「アイン様。先ほどお伝えした通り、これが若さです」


「わ、若さってそういう事だったんだ……なるほど」



 二本目が始まる直前に、ロイドはアインに語っていた。

 恐らく、二本目は取れるが三本目は分からないと。

 ……その理由というのが、この事だったのだろう。



「落ち着いて期を伺い、そして徐々に自分の剣で踏み込んでいく。それが出来れば、私から見ても一流でしたが、勝ち急いでしまったのです」


「……申し訳ありません」


「気持ちは分かる。結果として一本もぎ取ってきたのだから、私としても誇らしい。だがな、後先考えずに体を酷使するのは、時と場合を考えるべきだったな」



 ディルはロイドの言葉を静かに受け止め、反省するべき事を反省した。

 最後の一本が残っていることを考えるならば、二本目のような立ち合いは、三本目にするべきだったのだ。

 今の状況で三本目を戦っても、勝敗は分かり切っている。



「だが、お前は三本目で、今日一番の体験をすることになるだろう」



 すると、ロイドは笑顔を浮かべてディルに語り掛ける。



「今日一番の体験、ですか?」


「うむ。形はどうあれ、お前はローガス殿から二本目を勝ち取ってきたのだ。一本目の内容も考えれば、ローガス殿の意識も変わっているはず。……恐らくは、大将軍としての剣を見せてくるはずだ」


「で、ですがそれは……父上との立ち合いと変わらないのでは……?」


「何を言っている、違うに決まっているだろう?私がしていたのは稽古であり、三本目でローガス殿がみせるのは敵意だぞ」



 それを聞いて、隣にいたアインは深く納得した。

 アインは強烈な敵意を前に、何度か戦いを経験している。



 それは海龍であったり、最近ではマルコとの一騎打ち。

 この二つは、どちらも生死を賭けた戦いだった。

 さすがに交流戦という名目のため、ローガスも殺す気ではやってこないだろうが、今までの二本とは空気が変わることは明白。



「……ロイドさん。初手でいきなり来るってこと?」



 ――そう。



 ローガスは確実に、初手から仕留めに来るだろう。

 これまで以上に力を籠めると同時に、速度や剣筋にも影響が出るはず。



「アイン様のお考えの通り、ローガス殿は一切の甘えをなくし、初手からディルを潰しにくるでしょうな」



 アインは一瞬考える。

 それならば、ディルの身体を考えれば棄権した方がいい。

 怪我をする可能性があれば、今の体力で三本目をするべきとは思えなかったからだ



 ……しかし、ロイドの考えは違う。



「アイン様。ディルは私を超えると口にした、ならば、これは避けてはならないのです」



 アインが考える事を察したのか、ロイドが困ったようにそれを告げる。



「……大丈夫?怪我、とかさ」


「ディル。いけるな?」


「も、もちろんです!アイン様、ご心配をおかけして申し訳ありません」



 ディルが頭を下げると、謝罪の言葉を口にする。

 それよりも無理はしてほしくなかったのだが、ディルの目を見れば、アインも強く止められなかった。



「ふふっ……。立派な矜持であるな、ディル」



 様子を伺っていたシルヴァードが、疲れ切ったディルを労わりにやってきた。



「二本目も見事であった」


「っ……勿体なきお言葉です」


「三本目は、相手の本気とやらを体感してくるといい。お主の剣は、イシュタリカの騎士として何一つ恥じ入ることはない。倒れようとも気にするな、ロイドに運ばせるからな。はっはっは!」



 無様な戦いをしてしまったらどうしよう。

 そんな心配があったディルにとって、これ以上に頼もしい言葉は無い。

 シルヴァードに勇気づけられ、ディルは足に力を入れて立ち上がる。



「はっ。今出来る、私の全てを出して参ります」


「という訳だ、ロイド。疲れ切った息子を運ぶのに、何も苦労することは無いであろう?」


「おや、陛下。何を仰います!倒れたディルを運ぶだなんて、つい先月も行ったばかりで……――」


「ち、父上っ!それは内密に……!」



 ロイドの暴露を耳にすると、ディルが顔を羞恥に染め上げた。



「何それ。ディル、聞いてもいい?」


「なりません!」


「アイン様。大したことではないのですよ、ただ、私の訓練で起き上がれなくなったディルを、担いで運んだだけでして……」


「ち……父上、裏切るのが早すぎます……」


「アイン様に聞かれて、断れる訳がないだろうに」



 尤もな言い訳だった。

 だが、ディルは恥ずかしい気持ちがありながらも、緊張がほぐれていくのを感じる。

 身体が軽くなってきたように思えたのだ。



「アイン様」


「ん?どうしたの?」



 活力を取り戻したディルは、アインに声を掛ける。

 握力も回復して来たのか、握りを確認する仕草を見せた。



「三本目を終えて帰りましたら、父上が先日、お母様に叱られた話でも如何ですか?」


「何それ聞きたい。全力で待ってるから、気を付けてね!」


「って、おいディル!貴様、父を売るとは何事かっ!」



 二人のやり取りを見て、アインとシルヴァードは笑い声をあげる。



「では行って参ります!」



 ロイドに答えることなく、ディルは軽い足取りで円の中央に向かっていくのだった。

 その姿を見て、ロイドはこめかみの辺りに手を当てて、困ったように笑いだす。



「全く。やんちゃな息子でお恥ずかしい限りです」


「いい男に育ったではないか。アインの護衛となってくれたこと、余は嬉しく思っておるが」


「……それ以上の言葉はありませんな。ディルは幸せな男です」




 *




 円の中央に戻ったディルを迎えたのは、先にこの場に戻っていたローガス。

 すると、彼はディルの顔を見て語り掛ける。



「先ほどは、見事な剣だった」



 これほど素直に称賛されるとは思わなかった。

 呆気にとられたが、礼を述べない訳にもいかない。



「ローガス殿にそう言っていただけるとは、私も捨てたものではありませんね」


「……だからこそ、私も私にとっての、最高の剣を披露する」


「これまでは加減をしていたと?」



 ディルの言葉を聞くと、ローガスは言葉を選んで答えた。



「加減……ではない。だが、例えるならば、訓練のように剣を振っていただけだ」


「なるほど。ならば、次に見せていただける剣は別物だと?」


「あぁ、そういうことだ」



 その声を聞くと、ディルは冷や汗を浮かべる。



 ローガスが纏った気配に、強者のそれを感じたのだ。

 それも、ただの強者ではなく、完全な格上の気配に感じられる。



「……胸をお借りしましょう」



 両者はその会話を後に、手を上げてロイドに支度が出来たことを伝える。

 それを見たロイドが合図を口にすると、二人は二本目と同じく、同時に駆け出したのだった。



 ――そうはいっても、同じなのは、駆け出すところまでだった。



 距離が近くなるにつれて、二人は剣を構え、鍔迫り合いとなる状況に持ち込んでいく。

 ディルとしては避けたい部分があったが、だがこの初手を避けたとしても、次の一手も厳しいことに変わりない。

 だからこそ、正面から勝負を受けて立ったのだ。



 ここまでは同じことだったのだが、次の瞬間には、一気に状況が変化する。



「なっ……!?」



 迫り合いった状況となり、ディルはローガスを押し戻そうと力を籠める。

 だがローガスは微動だにせず、ディルは多くの考えを巡らせた。



 ――こんなにも疲れが溜まっていた?いや、違う……これは……っ!



 一本目、二本目の時の自分を思い出す。

 その時の万全な体力であろうとも、今のローガスを推し戻せるだろうか?

 今回のローガスは、大岩のように重く、巨大な魔物が如く押し寄せてくる。



 それは、単純な力などでなく、ローガスがみせる鋭い眼光すらも、それに影響しているのは明白。

 つまりディルは、ローガスの気迫にも圧されていた。



「――くっ!」


「ふんっ……!」



 ローガスの身体が大きく見え始め、その存在感は増していく。

 それは、ロイドとの訓練とも違えば、アインとの立ち合いとも全く違う。

 実力の違いという問題以前に、この空気がディルに重くのしかかる。



 状況は膠着しているように見えたが、それも数秒の事。

 徐々にディルの身体が後ろに押されると、数センチずつ、膝の高さも下がっていく。

 このまま押されるなら、ローガスも体力を消耗するはずだ。ディルがそう思った直後、ローガスが動いた。



「悪いが、砕かせてもらう」



 腕の力も使い、ディルの剣を押しのけたかと思えば、剣を横に構えた。

 すると、剣底をディルに向けると、それを使って突くようにディルの剣にぶつける。

 これまでの勝負とは全く違う、ローガスの巧さが現れていた。



 そして、局所的に与えられた衝撃が、ディルの手元を狂わせた。



「そんなものではっ……!」



 そんなものでは崩されない。

 こう考えようとも、ローガスの攻撃はまだ終わらない。

 一瞬の隙が生じるや否や、構えた剣を動かす。



「あぁ、こんなものでは終わらないに決まっているっ!」



 剣を引くようにディルに切りつけると、引き終わってから再度体勢を変える。

 今度は大剣の中央部分。一番力を込められる箇所を、ディルの脇腹目掛けて斜めに振り下ろし、ディルが慌ててそれに反応する。



「……若いな」



 ――フェイント。



 それはあくまでもフェイントで、ディルが反応し始めた時点で、ローガスは剣の動きに変化を加えた。

 重い大剣の動きを止めると、ディルが反応しかけた剣に向かって突進する。



「ぐっ……ぁ……」



 突如やってきた衝撃によって、肺の中の空気が飛び出し呼吸が辛い。

 脳にも揺れがやってきたのだろう。視界もブレて落ち着かない。

 そんな中でも、突進して来たローガスとの間に剣を構え、どうにか倒されないようにと力を入れたが……。



「これこそが、ハイムの大剣だ……っ!」



 最後の一撃を受けたディルは、それでも意地を見せつけた。

 決して剣を手放すことなく、片膝をつく以上の姿を見せることが無かったのだ。

 吹き飛ばすつもりで剣を振ったローガスは、敵ながらも、若い身でその雄姿を見せたディルの事を、心の中で称える。



 こうして、イシュタリカとハイムの交流戦は、ローガスが二本を取った事で、ハイム側の勝利で幕を下ろす結末となった。




 *




「申し訳ありません。付き添ってもらってしまって……」



 その日の晩。

 ハイムにとって憎きイシュタリカを倒したとあって、船では盛大に祝いの席が設けられた。



「いえ、私も少し散歩したくなっていたので」



 不用心といわれればそれまでだが、ティグルが大会議室に忘れ物をしたらしく、それを取ってくるようにグリントに命令する。

 そんなもの適当な騎士にでも頼めばいい。グリントは一瞬それを考えたが、ティグルが持つ物なのだから、自分が取りに行く理由が分からないでもなかった。



 そんなグリントの姿を見て、エレナは伴を申し出る。

 ここ数日は多くの事を考えてきた。

 そのせいもあってか、夜の散歩も悪くない気がしていたのだ。



 二人はそうして、イシュタリカが建設した大会議室を目指して進んでいる。



「エレナ殿。それにしても、陛下と殿下が喜んでくださってよかったですね」


「そうですね。交流戦まで断られては、ハイムに戻ってからも気を悪くしていたでしょうから」


「……ですが、これでイシュタリカとの縁も、本当に終わるんですね」



 明日には両国とも、お互いの国に向けて出港する。

 会談が終わった時点で、わざわざここに残る必要もない。



「エレナ殿はその……。クローネ殿の件は、もういいのですか?」


「もういい、とは?」


「二度と会えなくなると思います。殿下がクローネ殿と結ばれないのも残念でしたが、エレナ殿も、もう二度と会えないと思えば考える事があるんじゃないかと思って」


「あの子はもう、自立して生きているようです。……親離れしているのです。でしたら、私も子離れするべきでしょうね」



 想像以上に立派に育った娘を見られたこと。

 それは何よりも嬉しかった。

 ハイムに嘘をついていることは気にかかるが、娘の幸せぐらい祈っても罰は当たらないだろう。



「そういうもんですか。私にはまだ分かりませんが……」


「きっとグリント殿も、アノン殿との間に子が出来れば分かるかもしれませんよ」



 照れたような顔を見せ、グリントが答えた。



「ははは……。では、将来に期待ですね」



 すると、思い返したかのように表情を変え、突如、納得がいかないと口にしたのだ。



「ですが納得いきませんね……」


「――はい?どうなさったのですか、急に」


「クローネ殿の事です。エレナ殿が居る場所で言うのは申し訳ないのですが、アイツを選ぶ理由が分からなくて」


「アイツとは、アイン王太子殿下の事でしょうか?」


「当然です。顔は確かに悪くないですし、多少は頭も回るらしい。ですが殿下の方が、遥かにいいお方だ」



 それを聞くと、エレナも困ったように笑みを浮かべる。

 マグナでアインと出会った時、彼はエレナに宿を紹介した。

 お忍びとはいえ、そうして身元も知れぬ者を相手にしても、器の大きさを見せつけた。

 これはエレナにとって当たり前のように好印象で、グリントとは別の考えだ。



「だからこそ分からないのです。ハイムに居る間も、殿下のお誘いを断っていたらしいですし……」



 ラウンドハート家の事情というものは、社交界の貴族たちは皆が知っている話。

 弟のグリントの方が優れ、兄のアインは次期当主の器にない。

 それが幾度も語られてきた話であり、当事者であるグリントからすれば、兄に抱く感情も一際大きいのだろう。



 一言でいえば、無意識のうちに兄を下に見てしまうのだ。



「海龍とかいう魔物は、イシュタリカの戦艦程に大きいらしい。ですが、そんな魔物をたった一人で倒せるはずがない」


「……聞くだけでは確かに疑わしいですが」


「そうでしょう?王太子だからといって、ただ持ち上げられているようにしか――」



 ……と、グリントがアインの陰口を語ろうとした瞬間のことだ。

 二人が歩く道、そこに生えていた木の上から、エレナがよく知る女性が下りてきたのは。



「なら見ていきますか?我々イシュタリカも、あっちの広場でちょっとした祝いをしているんですよー」



 ――……どうしてこの子は、いつも落ち着いて登場できないのかしら。



 突如やってきた珍客に、エレナは頭を抱えた。



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