一先ずの結末。

「な……なんだ貴様は!どこからやってきたっ!?」



 グリントは驚きながらも、エレナを守るように前に立った。

 腰を落として構えると、剣を抜いて構える。



「思いっ切り上から木の上から降りて来たじゃないですか。でも、そうやって女性を守れるとは思いませんでした」



 まるで緊張感のない様子で、グリントが剣を抜いたことを気にする様子すら見せない。

 すると、頭を抱えていたエレナが彼女に声を掛けた。



「……リリ。貴方、普通に登場するってことができないの?」



 ハイムでは数年に渡って一緒に仕事をして、マグナではイシュタリカの案内をしてもらった相手。

 そんなリリが、突然木の上から降ってきたのだから、エレナはただ呆れるばかりだった。



「エレナ殿っ!?こいつはエレナ殿のお知り合いで……?」


「――例の、城に忍び込んでいた女性ですよ」


「っそうか見覚えがあると思ったら、貴様は宰相ウォーレンの手の者だな!昨日も会談の場に来ていたが……っ!」


「あーはいはい。そういうの今はいいんで、見たいか見たくないのか。どっちなんです?」



 心底面倒くさそうに言うと、リリは取り出したナイフで首の辺りを掻きはじめる。

 虫か何かに刺されたのかもしれないが、掻くのに使う物ではない。



「リリ?急に出てきて、見たいとか見たくないとか……何が言いたいの?」


「……はえ?何言ってるんですか、エレナ様。二人が話してたんじゃないですかー、アイン様の腕が信用ならないって」


「確かに話してたけど……。それで、何を見せてくれるっていうのよ」


「その話から分かるでしょうけど、アイン様しか居ないと思いません?」



 なに言ってんだコイツ。

 リリはそう言わんばかりの目線を向けるが、向けられたエレナはたまったもんじゃない。

 精神的に疲労している状況の今、リリに優しくしてあげるような余裕はない。



「だーかーらーっ!その王太子殿下の何を見せてくれるっていうのよ!」


「ひぁっ!?い……いひゃいですっ!?」



 随分と子供染みた仕返しだが、エレナはリリの頬を抓って左右に引っ張った。

 リリなら軽く避けられるはずだったが、黙って受け入れているあたり、リリは楽しんでいるという事だろう。



「エ、エレナ殿!さすがにイシュタリカの者に手を出すのはっ……!」


「構いません!死角から降りてきた挙句、こうしてヘラヘラしてるんですから」


「ふぇ……ふぇれなしゃま?しょろしょろはなひて……」



 エレナはその言葉を聞き、ようやくリリの頬から手を放す。



「ふはー……これが我々の交流戦でしたか……」


「何を喜んでるのよ貴方は……」



 じんじんと頬が痛むが、リリはむしろ楽しそうだ。

 コイツはどうすればへこたれるのだろう。その手段がエレナにも見つからない。



「とりあえず、そろそろネタばらししますね。さっきローガスさんと、うちのディル君が交流戦を行った広場で、私たちも会談お疲れさまでした会を開いてるんですよ。それで、何を考えたのかわかりませんけど、ロイド様が御前試合を行うとか言い出して、アイン様も剣を取るみたいですし」



 その言葉を聞き、グリントがリリに語り掛けた。



「ほ、本当か……!?」


「本当ですよー。というか、そろそろ剣しまってくださいよ。私先端恐怖症なんですから」


「お、おう……すまなかった。というか、貴族を前に態度が軽すぎないか、お前は」



 ハイムでこんなことがあれば、ただ事では済まさない。

 だがリリの態度は、グリントの毒気をも抜いてしまったのか、グリントも少しばかり呆気にとられる。



「どーせ国交断絶決まってるんですから、いいんじゃないですかね?あ、それと先端恐怖症とか嘘です。ナイフとか好きですし、私」



 剣をしまったばかりのグリントが、呆気にとられた。



「リリ。貴方、正直すぎるんじゃ……」


「私の美点なんで、どーしようもないですねぇ」



 痛くも痒くもない様子で、エレナに答えた。



「だ、だが我々に見せてもいいのか?イシュタリカの者達が居るのに、ハイムの人間を案内をするだなんて、何か罠にでも……?」


「はいー?そーんな面倒なことしませんよ。大体、貴方たちを殺す気だったら、初日で終わってるでしょうに。十分もかかりませんよ?」



 確かにリリの言う通りだ。

 もしもハイムの人間をはめる気があるなら、すでにハイムの人間たちはこの世に居ない。

 イシュタリカの艦隊が揃っている時点で、それは動かぬ事実だ。



 それどころか、双子をけしかけるだけで勝利となりそうな事実すらある。



「それに、大会議室への移動は自由ですから。貴方たちが来ちゃっても問題ないですし」



 違反行為じゃないですよー。と、リリは言葉を添える。



「……どうせ国交断絶だ。なんて言ってたと思うが?」


「はぁー。細かい事気にしてたらモテませんよ?」


「なっ……――」



 そろそろ助け舟を出すべきか。

 エレナはグリントの様子を見て、リリに声を掛けた。



「リリ。せっかくだから見せてもらおうかしら。少し距離を開けて見せてくれるのよね?」


「そこらへんは配慮してますよ。ほいじゃ、行きましょー!」




 *




 二人はリリに案内され夜道を進んだ。

 それからすぐ、大会議室前の広場で灯りが灯(とも)されているのに気が付く。

 同時に、多くの人々の声も響き渡ってきた。



「見えてきましたねー」



 リリはそう口にすると、歩く速度を緩めた。

 見えてきた広場……そこでは、わざわざテーブルや椅子も大会議室から出したようで、椅子に腰かけている人々の姿が見えた。



「ここには誰がいるの?」


「えーっとですね、陛下にアイン様、それにオリビア様とかカティマ様……うん。大体全員いますね」



 数えるのが面倒くさくなったのか、リリは大体の人はここに居ると説明する。



 ――ぬははははは!ディル!もう疲れたのか!



「い、今の声は……まさか」



 ロイドの声を聞き、グリントが身体を前のめりにする。

 剣を振っているのはイシュタリカの元帥なのか?そう思って、興味津々な様子で体を動かした。



「最高の頃合いだったみたいですねー。今やってるのは、ロイド様とディル君みたいです」


「リリ、貴方さっき御前試合が……っていってたけど」


「そんな感じの名目ってとこだと思います。でもロイド様としては、自分が戦えなかった鬱憤を晴らそうとしてるだけかも?」


「……そんなのでいいのかしら」


「いいんですよー。陛下も認めてますし、祝いの席の賑わいみたいなもんです」



 内容はどうあれ、ロイドという男の腕っぷしには興味がある。

 グリントに続いて、エレナも興味津々な様子で広場に目を向けた。




 *





「はっはっは!どうした!もう終わりか!」


「っ……父上、元気すぎじゃっ!?」


「こらディルー!なーに負けてるのニャ!もっとこう……こうだニャ!」



 ハイムの人間にとっては見慣れない姿。

 ケットシーの血を引くカティマが、ロイドの前に倒れたディルを叱咤する。



「カティマさん?肉球こねくり回したって、どうしたいか分からないけど」


「うるさいのニャ!ディル!もう一度行くのニャ!」


「……あんまり無理させないでね」



 訳の分からない助言を口にすると、最後は根性論。

 カティマの隣に腰かけたアインは、自分の伯母に呆れた様子を見せる。

 だが、カティマの声を聞き、ディルがもう一度体を起こした。



「はああぁっ!」



 勢いよく踏み込むと、ロイドに向かって剣を振る。

 数時間の休憩が功を成したのか、ディルはローガスとの戦いの消耗を回復し、それなりに良く体を動かせていた。



「ふんっ!足りぬ!」


「くっ……ま、まだだ!」



 だが、それを受け止めるのはロイド。

 構えた剣を横にすると、軽々とディルの一撃を受け止める。

 ぶつかり合った時の衝撃はお互いに走るが、ディルだけが、その身体を震わせてしまった。



 遠目で見ながらも、グリントは、ロイドという男の強さを目の当たりにしていた。

 一見してみればディルの動きというものも、ローガスと戦っていた二戦目と思えば、そう大差ない動きだ。

 だがロイドはそれを受けながらも、全く微動だにせず、むしろディルが苦しそうにするばかり。



「はぁっ!ぜあああっ!」



 身体に走った衝撃を感じながらも、ディルは必死に攻撃を重ねる。

 だが、やはりロイドという男は強かった。



「今後の課題が見つかったようだな!体を鍛える必要がある!」



 ロイドはそう声に出すと、正面からディルに剣を振り下ろす。

 その光景を見ていたグリントは、ローガスとディルの対戦を思い出す。

 その攻撃なら、ディルは受け止めるはずだ……と。



「がっ……はぁっ……」



 予想は外れ、ディルは二メートルほど吹き飛ばされる。

 剣で防御していながらも、ロイドの与えた一撃が、抑えきれるものではなかったのだ。



 ローガスの一撃ですら、ディルは受け止めていた。

 だというのに、ロイドの一撃は受け止めるどころか、吹き飛ばされる始末。

 技量を見せつけられる以前の問題だ。なにせ、ただの力に驚かされているのだから。



「ディルー!もう一度!もう一度だニャ!」


「カ、カティマよ……落ち着くのだ」



 グラスを片手に、カティマが興奮した様子で喚き散らす。

 すぐ傍に座っていたシルヴァードが、娘の様子を見てため息を漏らした。



「こうなったら最終兵器だニャ!」


「……は?ちょっと、なんで俺の袖引っ張ってんのさ。こういう時って、クリスじゃないの?」


「私で良ければ、ロイド様の相手をして参りますが……」


「駄目だニャ!アインもこの会談中、仕事らしい仕事してニャいんだから、体力有り余ってるニャろ!?」


「喧嘩売ってんのか、おい」



 二人の会話を聞き、クローネやオリビア、そしてクリスといった女性陣も笑い声を漏らす。



「それに、部下の無念を晴らすのは上官の務め!それならアインだニャ!」


「間違ってないけど、それ言うなら、一応クリスが先に来るんだけど」


「ニャアアアアアア!この甥っ子はほんっとうに細かいのニャ!ほら、さっさと行く!」



 椅子に座りながら、猫の足で腰を蹴られるアイン。

 イラッとしたものの、身体を動かすのには異論がない。

 アインは立ち上がると訓練用の剣を取り、声を上げる。



「ロイドさん、次は俺だよ」


「む……?はっはっは!相手にとって不足なし!待ってましたぞ、アイン様!」



 近くで見ていた近衛騎士達も、食事をしながらもアインが立ち上がった事に歓声を上げた。



「殿下ーっ!」


「ロイド様も体力を消耗しています!」


「殿下が敵討ちをするぞー!」



 イシュタリカの騎士達は、騒ぐことが嫌いじゃない。

 だからこそ、騎士食堂の天使(メイ)なんて人間が出現してしまうのだ。

 会談中の姿とは全く違っており、見ているグリントとエレナを驚かせた。



「お、おいお前たち!どうして私の応援が居ないのだ!?」


「ロイドさーん?行くよー?」


「くっ……なんだこの敗北感は!だが、剣では負けませんぞ!」




 *




「っ来た!」



 アインが剣を取り、ロイドの下へと向かって行った。

 それを見ると、グリントが一層目を凝らす。



「ふ、ふん!どうせすぐに……」



 すぐに終わる。

 なにせディルは、ローガスの一撃をも受け止めていた男。

 そのディルが手も足も出なかった男(ロイド)を相手に、アインが戦えるはずがない。



 認めたくはないが、ロイドの力はローガス以上かもしれない。

 そう考え始めていたグリントにとって、ロイドを相手にアインが戦えるとは思えなかったのだ。



 ――アイン!頑張ってー!



 楽しそうに応援する声を上げたクローネ。

 エレナは、こんなにも楽しそうにしている娘を見たことがない。

 ……彼の事を本当に愛しているのだな。そう実感していた頃、突如リリが手を握ってきた。



「あ、エレナ様。お手て繋いでてあげますねー」


「……っはぁ?貴方、ちょっと急に何を……」


「来ますよー」



 子供じゃないんだから、エレナが不満を口にしようとした瞬間。



 ――まるで空気が割れたかのような、そんな衝撃を全身に浴びたのだ。



「な、何今のっ……!?」



 木々も揺れている。

 だが、強風が吹いたわけでなければ、地震が訪れたわけでもない。

 だというのに、今感じた衝撃は一体何なのか。

 隣を見ればグリントも驚いていたが、エレナと違って、アインから目を離していなかった。



「はーいはい。だいじょーぶですよー」



 恥ずかしながら、エレナは一瞬恐怖してしまった。

 リリが手を握っていたおかげで、安心出来ていたのは言葉にできない。



「多分、すぐ慣れると思いますので、気にしないで見ててください」


「すぐ慣れるって何を……きゃっ!?」



 さっきのような衝撃が、続けてエレナたちを襲う。

 一体何が起こってるのか、それを先に説明してほしい。



「リ、リリ!何が起こってるのよ……!」


「……アイン様が剣を振ってるだけですよ。だから言ったじゃないですか、あの人は英雄だって」



 リリの視線の先には、アインとロイドの姿がある。

 この言葉を聞き、エレナはそれでも意味が分からなかったが、気持ちを引き締めてアインに目を向けようとする。

 すると、隣で黙っていたグリントが、呆然とした様子でリリに語り掛けたので、エレナは二人の会話に耳を傾けた。



「……あれは本当に、アイツなのか?」


「えぇ。呼び方は無礼だって言いたいとこですけど、アイン様で間違いないですよ」



 こうしている内にも、アインとロイドのぶつかる音が、衝撃波のように伝わってくる。

 皮膚を切り裂くような、そんなピリッとした刺激を感じる。



 驚きに染まったグリントの言葉を聞き、エレナもアイン達に視線を向ける。

 するとそこには、信じられないような光景が広がっていた。



「いやー、それにしても、あの二人は本当に人外ですよ」



 一振り一振りが、まるで空間ごと切り裂くような衝撃の一撃で、それがロイドに襲い掛かる。

 だがそれを受け止めるロイドも、準備と覚悟があるお陰が、怪我に繋がるような立ち回りは避けられていた。

 以前のアインとの立ち合いは、それが無かったことも大きく影響していたのだろう。



「片や英雄、片や元帥。ディル君も一角の実力者ですけど、あの二人には劣りますね」



 ロイドが攻撃を受け止める度に、衝撃波のような空気が襲い掛かる。

 繋いでいた手が湿り、エレナが手汗をかいていたのをリリが感じ取った。



「……ローガス殿は、王太子殿下は剣の才能が無いって言ってたけど、あれはどういうこと?」


「んー。それ言ったら、ロイド様も剣の才能ないですしね。あの人の生まれ持ったスキル、裁縫ですし」



 ハイムの常識では考えられない。

 そんな人物が、一国の騎士の頂点に立つ事なんて、想像したことも無かった。

 エレナとグリントは、初めて聞く事実に困惑する。



「……嘘だ。あの姿が本当にアイツだっていうなら、例え父上でも――」



 それ以上は口にしたらいけない。

 自分にとっての、一番の自信と意義が失われてしまうのだから。

 ラウンドハートの次期当主と決まった自分が、ただの道化になってしまう。



 グリントがそれに気が付き口を閉じた。

 しかし、隠密所属のリリはいい性格・・・・をしているのだ。



「例えローガス殿でも勝てない、ですか?」


「っ……き、貴様!」


「怒らないでくださいよー。自分で言いかけたんでしょ?でも、最後に自覚できてよかったじゃないですか」



 グリントの内心は、ローガスがディルに勝ったお陰で、イシュタリカに一矢報いたという感情があった。

 だがその感情は一気に砕かれはじめ、逆に悔しい思いが再燃する始末。



 考えたくもない仮定の話が脳裏をよぎる。

 それはローガスの相手がディルではなく、アインやロイドだった場合の事だ。



 父はあの二人のように戦えるだろうか?そして、あの剣を受け止められるだろうか?



 グリントにとって、今まで見た中で最高の戦いというのは、ローガス対エドの戦いだ。

 その感覚はすでに消え去り、このアインとロイドの戦いが頂点にやってくる。



「今考えてることを当てて見せましょうか?多分貴方は、ローガス殿の相手がディル君で良かった……なーんて考えてるんでしょ?もしそう考えてたら、それは大正解ですね。一握りの自尊心も、そのお陰で失わずに済んでますから」


「リ、リリ!貴女ちょっと……」


「それとも、貴方が2人の相手をしてみますか?ご所望でしたら私も口添えしますよ?」



 エレナがリリを止めようするが、リリは聞こえないふりをしてそれを続ける。

 一方、絶対的な自信と、父の強さを否定され、グリントは焦点が合わないままアインを見つめていた。



 次期当主に指名されたことすら、間違いだったことに思えてならなかったのだ。

 それはつまり、グリントの今までを否定することに繋がる。



「っ――」



 割れてしまいそうなほど歯を食いしばり、横に生えていた木を強く殴りつける。

 するとグリントは振り返り、手を大きく振って走り去っていった。



「ありゃ。逃げてっちゃいましたか。うーん……女性を一人置いていくのは減点ですね」


「……貴女が悪いんでしょ。その性格、どうにかならないの?」


「嘘は言ってないですしねー。それに、いくら武に明るくないと言っても、エレナ様でも結果ぐらいわかるでしょ?」



 あの二人と戦って、ローガスがどうなるか。

 武に詳しくないエレナでさえ、それは簡単に想像できた。



「少なくとも、ただで花を持たせてくれる訳じゃないってのは分かったわ」


「えへへー」



 今の件が無ければ、グリントは悪くない気分でハイムに帰れたはずだ。

 ティグルの命令を忘れて逃げ帰るほど、今の彼は精神状況が悪い。



「それもウォーレン殿の命令?」


「んー。まぁ、そんな感じですかね。こういう機会があれば、私の裁量で振舞っていいっていってましたんで」



 それを聞けば、別の形も考えていたのかもしれないが、エレナはあまりそれを考えたくもない。

 国に戻ってからも王族の機嫌が悪いというのは、さすがに勘弁してほしいところだ。



 グリントだけで済ませてもらったのは、むしろ感謝するべきなのだろうか?



「どこまで考えてたのよ、全くもう……」



 自由なリリを見て、エレナはため息をつく。

 慣れてきたせいだろうか、アイン達が放つ衝撃を受けても、動じなくなってきた様子だ。



「あ、その言い方、クローネ様に似てますね!」


「……そのやり取り何度もしてるでしょ?母娘なの、わかる?」


「うーん。なるほど、なるほど。……ってことらしいんですが、クローネ様はどう思われますか?」


「多少、影響は受けてますよ?ですが今は、ウォーレン様の影響の方が大きいと思いますけど」


「……え?」



 締まらない笑みを浮かべていたリリが、突如クローネの名を口にした。

 何を言ってるんだと不思議に思ったエレナだったが、背後から聞こえた声に驚く。



 何せ、その声は紛れもなくクローネの声だったのだから。



「クローネさん。私とリリ殿は近くで控えてますので」


「えぇ。ありがとうございました、クリスさん」



 一人で来たのかと思ったが、クリスが連れて来たらしい。

 するとクリスは、リリを伴って離れていく。

 久しぶりの二人の時間を邪魔しない、そんな気遣いだった。



「……本当に、お久しぶりです」



 会談中の再会は、お互いに話したいことも話せない、そんなひと時だった。

 だが今はクローネとエレナの二人だけ、だからこそ、クローネは何も気にせずエレナに抱き着いた。



「ク、クローネ?貴女、どうしてここに……」


「リリ殿が合図を送っていたんです。それをウォーレン様が確認したので……クリスさんに連れてきてもらいました」



 リリは口にしていた。

 自分の裁量で振舞っていい、その許可をもらっていると。

 だが、ウォーレンに連絡をしないなんて一言も言ってないのだ。



「……大きくなったわね」



 ――まぁ、いいか。



 今はもらったこの時間を楽しもう。

 何せクローネの顔を見られるのも、これが最後の機会かもしれないのだから。



「それに、昔よりもずっと魅力的な女の子になったのね」


「あら。昔は魅力的じゃなかったのですか?」


「婚約に関する書類を、開けないでゴミ箱に捨てるお転婆だったもの」


「まぁ、ひどい。それを言うなら、アインの資料を持ってこなかったお母様たちが悪いのよ?」


「……あの時持っていっても、どうせ捨てていたでしょう?」


「そんなことは無いわ。私なら、きっとアインのならきちんと確認してたはずだもの」



 昔から変わらずに、自信満々で芯の通った女の子。

 そうした部分を残したまま、更に魅力的な女の子になった事をエレナは喜ぶ。



 だが、昔よりも輝いて見えるのは、やはりハイムはこの子には狭かったのかもしれない。

 エレナがそれを考えてしまうほどに、クローネらしさに溢れていた。



「根拠もないのに、そんな自信があるの?」


「ええ、あるの。だからお母様たちが悪いのよ」


「……はいはい。あの人ハーレイにも言っておくわね」



 その答えに満足したのか、クローネは笑顔のままエレナの胸元を離れる。

 隣に立つと、視線を、戦っているアインとロイドに向けた。



「マグナでは、アインに宿を紹介してもらったんですよね?」


「……えぇ。あの時は、王太子殿下なんて思いもしなかったのだけどね」


「そうなの。アインったら、自由すぎるんですもの」



 心底嬉しそうに語る姿は、恋をする乙女そのもの。

 幸せそうにしているのを見れば、エレナも安心できた。



「でも自由に出来る理由が分かったわ。……あんなに強い方だったのね」


「ふふ。なにせ、英雄ですもの」


「英雄様がご一緒なら、そりゃ夜のお散歩もできるわけね」



 会談初日、クローネはティグルの言葉を語っていた。

 クローネの書いた手紙が気に入らない。そうした話を、ティグルがグリントと浜辺で語り合っていたらしい。

 散歩の最中、その会話を耳にしたとクローネは口にしていた。



「夜のお散歩……?それって、私があの王子ティグルの言葉に気が付いたときの事ですか?」


「えぇ、そうよ。護衛が居なくとも、あの王太子殿下なら問題無さそうだものね」



 クローネはその言葉を聞き、不機嫌そうな顔を見せる。

 一体どうしたのか?エレナがその理由を尋ねた。



「クローネ?どうしてそんな顔をするの?」


「……だってお母様。あの王子が来なければ、私は邪魔されずに済んだんですよ!」


「じゃ、邪魔……?」



 事情が分からないエレナは困惑した様子で答える。



「うん。だって、ようやくアインと口付けが出来そうだったのに、あの人たちがやってきたせいで出来なかったんだから……」



 ――っ!?



 クローネはアインの四つ年上のため、今年で十八歳となるはずだ。

 貴族の女性であれば、クローネの年齢ならば婚姻していても可笑しくない。

 人によっては、子供がいるのも当たり前の話。

 だが、相手がアインの様な王太子では、話はちょっとばかり変わってくる。



「え、えっと……クローネ?その、貴方が王太子殿下を好きだというのは分かるけど」


「……?いえ、私はアインを好きなわけじゃないですけど」


「え?いやだって貴女、そのためにイシュタリカに行ったんじゃ……」



 少しばかり驚かされたが、次の言葉を聞き、エレナはそれが惚気だったことに安堵する。



「好きなんじゃなくて、愛してるんです。せめて、大好きとかにしてもらえないと困ります」



 ただの好きでは納得が出来なかったのか、クローネはそれを不満そうに主張する。

 散々ウォーレンに遊ばれたのだから、娘にまで困惑させられるのは勘弁願いたかった。



「……貴女が王太子殿下を愛してるのは分かったけど、どうなの?」


「どうなの?と聞かれても、何を答えればいいのでしょうか」



 恋は女を変えるというが、クローネも例に漏れないらしい。

 努力を続けて今の地位にいるのは分かってるが、娘のこんな姿を見れば、母としては若干戸惑ってしまう。



「だから、王太子殿下は貴女の事をどう思ってるの……?」


「そんなの分かりません。私はアインではありませんもの。……でも、アインから口付けしてくれそうだったんですよ」



 アインという男の人柄を思えば、クローネをよく思ってくれているのは分かる。

 だが母としては、確固たる話を聞きたくもあった。

 例えばそう、婚姻などなど……。



 ――……それにクローネ殿は、もう未来は決まっているも同然ですので。



 頭をよぎったのは、ウォーレンのこの言葉と、二人を見守るという言葉だ。



「……なるほど。そっか、だからウォーレン殿は二人を見守るだなんて」



 二日目の会談で、ウォーレンが口にしていた言葉だ。

 我々は、二人の事を見守ることにしています。と彼は口にしていた。

 今頃になってだが、その言葉の真意を理解できた。



 ……思えば、それはティグルへではなく、エレナに向けて語っていたのかもしれない。



「つまり、そういう事なのよね……」



 散々煮え湯を飲まされた相手だが、ウォーレンの言葉は信じるに値する。

 エレナはそれを思い、一人で納得した。



 国によって文化は違う。

 イシュタリカでは、貴族だからといって、そして王族だからといって、婚姻を急いだりはしていないのだろう。

 国のために子を成すというのは当然の事だが、他国の常識や考え方に口を出す程、エレナは野暮ではない。



「お母様?なにを一人で納得してるんですか?」


「……娘の願いが成就されることを祈っただけよ」


「お優しいのね、お母様。……私たちの話もいいのですけど、お父様やリールたちの話も聞かせていただけませんか?ハイムでは、どう過ごしていたのかを――」




 *




 クローネとエレナの二人が、こうしてしばらくぶりの再会を楽しんでいた頃。

 アインとロイドの一戦も、ようやく一区切りがついた様子で、アインが一汗掻いて席に戻っていた。



 近衛騎士達の応援を受け、久しぶりのロイドとの一戦を楽しんだアインは、充実した表情を見せる。

 そして、席に戻ったアインは水を一気飲みすると、近くに座っていたウォーレンに声を掛ける。



「ウォーレンさん。クローネはあっちに行った?」


「おや?アイン様、あっちとは?」


「わかってるでしょ。ロイドさんと戦って精神も研ぎ澄まされるから、余計に分かるんだ」



 するとアインは振り返らず、林の方を目線で示した。



「クリスさんが居ないし、多分護衛で連れて行ったんでしょ?もう一人見てたみたいだけど、それは誰だろう」


「……リリが隠れていたはずですのに、よくお気づきになりましたね」



 アインはウォーレンの答えに満足すると、笑みを浮かべてもう一杯水を口に含む。



「はー、美味しい。ったくもう……ロイドさん、本当に体力お化けすぎだよ」



 立ち合いの結果は、長く続いたため一旦引き分けとした。

 少し休憩してから二度目の戦いをする予定だ。



「挙句にすっごい堅いし、はー……。次は絶対倒す」



 学内対抗戦でロディとの戦いで語った、騎士の強さの一つだ。

 イシュタリカの騎士達は特に堅さを重視する。

 それはつまり、元帥にいるロイドという男は、最も堅いという証明に他ならない。



 もし、マルコとやった殺し合いのような戦いならば、話は別だろう。

 なにせアインにも、他の技を繰り出す余裕と手段があるからだ。

 だがこうした、訓練の延長戦のような舞台では、万全を喫しているロイド相手が簡単に終われるはずもない。



「アイン、カッコ良かったですよ。次も頑張ってね?」


「はい。次こそは倒してきます!」



 オリビアの応援を受け、アインはもう一度活力を満たす。



「それにしても、ウォーレンさん。一つ気になったんだけど聞いていい?」


「はい。なんでしょう?」


「ロイドさんを交流戦に出さなかったのは、戦力的に見せたくなかったとか言ってたけど、エレナさんとかに見られてるんだったら、それって意味が無いんじゃ……」



 その代わりに、ディルが交流戦に参加したのだ。

 だからウォーレンがそれを許しているのが不思議だった。



 するとウォーレンは小声になり、アインにしか聞こえないように告げた。



「此処だけの話ですが、口実みたいなものです。単にロイド殿を出し惜しみしたかっただけですので、ロイド殿を納得させたかっただけですね」


「……それだけ?」


「えぇ。それだけですね。……実際のところ、ロイド殿が戦うような場面となれば、勝負は決まっているか、あるいは戦況が最悪の場合です。ですので、隠す意味はあまりないのですよ」



 アインは滾っていた血が一気に落ち着くのを感じる程、ウォーレンの言葉に毒気を抜かれた。



「我々としても元帥を安売りしなくて済みました。良い事尽くしですな」



 その言葉は、ローガスを軽く見ている内容ではあるが、あまり気にしない方がいいだろう。



「それに、普段頑張っているディル殿への贈り物みたいなものですよ」


「贈り物?」


「えぇ。ロイド殿を倒したいといってるディル殿ですから、今日のような経験は、必ず生きるでしょうから」



 つまりご褒美みたいなものか。

 アインはそう納得する。



「でもさ、ハイムに舐められたんじゃ……」


「ですがまぁ、悪くない結果です。最後の最後に、アイン様の強さを示したい相手にそれを伝えられましたから」



 その言葉を聞き、アインはもう一人の人物にたどり着いた。



「あー。ってことは、エレナさんと一緒に居たのは、グリントってこと?」


「ご明察です。リリにいじめられたようで、もう逃げ帰ったみたいですが」


「エレナさん置いて逃げたら駄目でしょ……」



 弟の行動に呆れ、苦笑いを浮かべた。



「まぁ、どっちに転んでも悪い結果ではないのです。完全に心を折れば、もう我らに牙を剥く可能性は低いでしょう。ですが万が一牙を剥いたときには、多少舐めてくれたほうが気楽なものです。その方が、戦の中でも御(ぎょ)しやすいですから」


「……ウォーレンさんは大人だね」


「――ですが、万が一アイン様とオリビア様が、それ以上をご所望の場合。私はそのためにもう一度働きましょう」



 ウォーレンがそれを語ると、アインはオリビアに目を向けた。

 するとオリビアは笑みを浮かべると、何も気にしてない様子で言葉を口にする。



「私が一番腹を立てたのは、イシスっていう元義母なの。ウォーレン、私が首を持ってきてっていったら、貴方はそれをしてくれるのかしら?」


「えぇ。明日中には持って参りましょう」



 ローガスは今日の交流戦で分かったはずだ。

 少なくとも、ロイドと戦えば危なかったという事を。

 加えて、オリビアと面会したときに、クリスの強さを身に沁みさせているのだから。



 となると、残った中で一番嫌な相手はイシスだ。

 オリビアは久しぶりにその名を口にする。



「……冗談よ。イシュタリカが汚れるわ。だからもう、本当に終わりでいいのよ」


「じゃあ、俺も構いません。ウォーレンさん、グリントもリリさんにいじめられたし、もう俺も満足だよ」



 もうこれで本当に終わり。

 そう思えば、当事者のアインとオリビアの二人すら、十分だと思える成果だった。



「ほら、ディル!肉食うのニャ!それで元気出してリベンジだニャ!」


「ちょ……カ、カティマ様?詰め込み過ぎで……うぇっぷ」



 真面目な話をしていたのに、駄猫のせいでその空気が台無しだ。

 三人は笑みを浮かると、アインは呆れた様子で声を漏らす。



「……とりあえず、ロイドさんとの再戦の前に、あの駄猫を止めてこよう」


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