大っ嫌い。

 案内を終えたディル。

 その後はホワイトキングに出向き、案内がどんな様子だったのかを皆に語った。

 それは当然のように、誰を案内したのか……などを、詳細に報告する。



 となればティグルだけでなく、ローガスやグリント、そしてエレナの名を口にしなければならない。

 それを聞いたイシュタリカの一同は、皆が様々な感情を抱く。

 一番落ち着いていたのは、おそらくオリビアだろう。



 しばらくの間、皆が考え事をした後。

 オリビアがアインの隣にやってくると、そっと耳打ちをした。



『……クローネさんが心配だから、少しお散歩してらっしゃい』、と。



 ディルの報告を聞いたクローネは、表面上落ち着ているように見えたが、内心ではどうなのか分からない。

 だからこそ、オリビアはクローネの事を気遣い、アインにこのことを提案した。



 アインはその言葉に感謝して、少し落ち着いてから散歩にでも行こうと考えた。

 そして、夕食を取った後、クローネに声を掛けて、夜の散歩に繰り出していったのだった。



「ふぅ……風が気持ちいい」



 夜といっても、島の位置が影響してるのか、まだ完全に暗くなっていない。

 地平線の端っこには、まだ陽が見える程だ。



「丁度いいね。寒すぎないし、涼しいぐらいで」



 優しく吹く風を身に浴びて、長い髪の毛を靡かせるクローネ。

 アインはその姿を見つめながら、クローネの言葉に答えた。



「それにしても……ふふ。どうしたの?急に」


「急にって、何のこと?」



 あまり意味は無いのだが、軽く惚けて見せる。

 心配だから……と、そう素直に伝えるのも、何となく気恥ずかしいのだ。



「ふぅん。そうやって惚けるのね」



 クローネはそう言うと、楽しそうに砂浜を歩く。



「まぁ、教えてくれないなら別にいいけど。……アインは平気なの?」



 軽い足取りで振り返ると、アインに対してこう尋ねる。



「……意外と整理できてたみたい。実際に会ったら、どうなるかわからないけどね」



 ディルから聞いた、ローガスやグリントのことを考えるアイン。

 実際、こんな近くにいるというのに、精神的にも安定していたのだ。

 とはいえ、今口にしたように、実際会うとなれば、どうなるかはまだ分からない。



「そうよね。話に聞くだけじゃ、実際にどうなるかなんて分からないし」



 詳しく説明をしなくとも、クローネはアインの考えを理解できる。

 アインは、こうしたクローネとの関係が、心地よいものに感じていた。



「そういうクローネはどうなのさ。俺、心配してたんだけど」


「あら、心配してくれてたの?」



 クローネは、くすくすと笑い、悪戯っ子のように声を上げた。



「私もね、意外と大丈夫だったみたいなの」


「……本当に?」


「えぇ、本当よ。……こんなこと、今更になって嘘ついても意味ないでしょ?」



 アインに同意を求めると、数歩前を歩いていたクローネが、アインの隣に並んで歩き始める。



「家族だもの。それで、考えてしまう事はあるわ。だけど、私が考えていた以上に、私はもうイシュタリカの人間みたい」



 クローネは少し悲しそうな声色で、淡々と言葉を続ける。



「これが冷たいのか、そして非情なのか分からないわ。だけど、今の私が第一に考えているのは、イシュタリカの事。お母様が敵になるなら、しょうがない……そう考えることができるの」


「……」



 隣から届く言葉に、アインは黙って耳を傾ける。

 だがアインも、似たようなことは考えていたのだ。だからこそ、クローネの言葉に同意できる。



「切っ掛けは、アインを追いかけて来た事だけど、今となっては、イシュタリカが私の祖国なの。ハイムに懐かしい気持ちはあるけど、それ以外の気持ちはないわ」


「俺も。イシュタリカに来たのは別の理由でだけど、その気持ちは分かるよ」


「ふふ……そうよね。いい国だもの、イシュタリカは」



 技術や文化の話を抜かしても、イシュタリカは居心地がいい。

 それは、マグナの町を歩いていても感じたことだ。



「今となっては、ハイムに対しては、無関心に近いのかもしれないわね」


「あー……言われてみれば、確かに」


「そうでしょ?多分ね、もう別の世界の話……こんな感じかしら?」


「なるほどね。つまり俺たちは、別世界の人たちと会談をするわけか……」


「もうっ……アインったら」



 話がおかしくなって、二人して笑みを浮かべた。

 こうして笑ってくれたことで、クローネの気持ちが落ち着いていたことに安堵した。



「……一番面倒なのは、あの王子がいることよ」



 すると、ため息をつき、明日の会談の事を考え始めたクローネ。



「なんか言ってくるかな?」


「くるに決まってるじゃない。連れて帰るー、とか言いだすと思うわよ」


「……それはいけない。ウォーレンさんは何か言ってた?」



 クローネのティグルとの再会は、これまでの関係に、一石を投じることとなるだろう。

 だからこそ、ウォーレンがどんなことを口にしたのかが気になった。



「『誘拐や、それに準ずる行為があったら、その場でハイムに攻め込みます』……ですって」


「なるほど。そりゃ安心だ」



 冗談のように語り合うが、ウォーレンは恐らく、冗談では済まさないと予想される。



「そうならない為にも、昔みたいに、『俺のクローネ』……なんて言ってもらったほうがいいかしら?」


「ぐっ……な、なんて懐かしい話を」



 思い返せば、ハイムの手紙の時の事だ。

 そして会談の前日の今日、その事を話しているのだから、つい、アインも縁を感じてしまう。



「言ってくれないの?」



 上目遣いとなって、アインを見つめるクローネ。



「……ば、場合によっては言う可能性も」


「可能性なの?確実に言ってくれる方が、私は嬉しいのだけど」



 アインの言葉に、こう返事をすると、クローネがアインの正面に進む。

 次に、軽く一歩を踏み出して、アインの胸元に納まった。



「……私はここにいるのに?」



 その距離は、クローネの胸が、アインの胸板に押し付けられるほど近い。

 吐息すらも感じられるほど、クローネは傍にいた。



「——クローネ」



 自然と彼女の名を口にする。

 両手を彼女の背中に回すと、そっと抱き寄せるように力を入れる。

 気恥ずかしくなる事もなく、狼狽える様子を見せる事もなく、最後は力強く抱き寄せた。

 こうするのが当たり前と言うかのように、アインの身体が無意識の動いた。



「……うん」



 それを感じたクローネは、唇をつん、と主張すると、瞼をゆっくりと閉じていく。

 そして、艶やかな唇に誘われるように、アインが顔を近づけた。



 睫毛の一本一本まで分かる距離。

 もう数センチで、唇同士が触れ合う。



 ——……その瞬間、二人の耳に聞きたくない声が聞こえてしまった。



「くそっ、くそっ!一体何なのだ、あのディルという男は!」


「で、殿下っ!落ち着いてください……」



 アインはその声の主に覚えがある。

 エウロで出会った、例の二人だろう。



 ——よりにもよって、どうして今なんだ。



 そう思ったアインだったが、クローネを引っ張ると、木の陰に身を隠す。



「……ア、アイン?」


「多分。初めてこんな殺意を抱いたかもしれない」



 木の陰に隠れると、クローネを後ろから抱き寄せて、例の二人に見られないようにした。

 邪魔をするにも程があるだろう、アインは苛立ちのような何かを募らせる。



「だ、誰……?」


「俺とクローネが良く知ってる人だよ。……ティグルと、グリントだ」



 密着した状態で、アインに『しー……!』と言われ、クローネが一瞬身を震わせる。



「本当に、イシュタリカは気に入らない者ばかりだ……!王太子といい、その護衛といい……!」


「え、えぇ。仰る通りです!」



 近くにその王太子が居るとも気が付かず、ティグルは不満を口にし続ける。



「それに、王太子の補佐官もだ!」



 補佐官という言葉を聞いて、アインに抱かれたクローネが、ピクッと身体を動かした。



「お、王太子の補佐官ですか?」


「グリント。お前は覚えていないのか?なんともまぁ、不快にする文(ふみ)を寄越した者の事だ!」


「不快な文……ですか?」



 何のことかさっぱりだったグリントが、ティグルに尋ねた。



「人を見下すかのような文字を書き、高圧的な返事を送ってきたであろう!」


「っ……は、はい。覚えがあります」



 アインとクローネは、二人の会話を黙って聞く。

 特にクローネは、呼吸すらしていないのではないか、そう思わせる程、静かな状況にあった。



「はぁ……駄目だ。思い返すと、この苛立ちも尚更だ。戻るぞ、グリント!」


「は……はっ!」



 そして二人は、嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。

 去っていったのを確認したにもかかわらず、クローネはアインの側から動こうとしない。



「……ねぇ、アイン。一つ聞いてもいい?」


「う、うん。いいけど……何?」



 王太子補佐の手紙が気に入らない。

 文字が駄目だ。思い返すだけでも苛立ちが募る。

 さっきの二人の会話だが、これは例外なく、クローネの事を語っていた。



「私の文字、変?」


「い、いや。すごい綺麗だと思うよ。それはウォーレンさんも認めてるでしょ?」


「……えぇ、そうよね。それなりに綺麗に書いてたつもりなのよ」



 ぶつぶつと、呟くように言葉を口にする。



「邪魔して来たあげく、あの文句……?なんなのよあれ。人に喧嘩売るにも程があると思うの」



 クローネの言い分には、アインも寸分違わず同意する。



「面倒な王子って言ったけど、撤回するわ。……二度と関わりたくない王子よ」



 今回の件で、ティグルは底辺近かった評価を、更に下降させてしまった。

 恐らくティグルは、明日にはそのツケを支払うことになるだろう。



「アイン、頬をこっちに向けて」


「……ん?別にいいけど」



 素直に従って、クローネに向けて頬を差し出す。

 すると、アインの頭を抱き寄せるようにして、唇を触れた。



「んっ……。ちゅっ」



 譲れない何かがあったのだろう。

 さっきまでの雰囲気は消えてしまったが、アインの頬に口づけをした。

 ほんの数秒の触れ合いだったが、頬に触れた、暖かく柔らかい感触を、アインは忘れることがないだろう。



「い、今はこれで我慢するもん……」



 するとアインの胸元へと、紅くなった顔をうずめる

 そして、この無念を晴らすかのように、両手で力ない拳を、アインの胸板に何度も叩きつけた。



「……うん。わかった」



 お互いに、数分前の様な雰囲気には浸れない。

 そのためクローネも、断念する気持ちになった様子。



 アインはそんなクローネを、しばらくの間、優しく撫で続けるのだった。




 *




 翌日、曇りで冴えない天候の中、会談の初日が始まった。

 両国とも、朝早くから支度をして、会談のために準備をする。



 ……そして、午前十時を過ぎた頃。

 先に大会議室にやってきたのは、ハイムの一行だった。



「我々が先とは……なんとも、待つのはいい気分がしないな。そう思わんか、ティグル」



 たった今、ティグルに声を掛けた男。

 彼のはラルフと言う名前で、現代のハイムの王だ。



 金糸をふんだんに使った、分厚いマントを羽織り、豪華絢爛な王冠を被っている。

 一目見てわかるような、"如何にも"な姿をしていた。



 身長はアインと同程度ぐらいで、体つきは痩せすぎてなければ、太すぎるという事もない。

 自慢の金髪と同じ色のヒゲを伸ばし、ふんぞり返るように座っている。



「……えぇ、仰る通りです。父上」



 ハイムの重鎮は、合計で五名。

 ラルフを筆頭に、ティグル、グリント、ローガス、エレナ。

 つまり、ハイムにとっての重要人物たちを集めて来たということ。



 この五名の背後には、護衛するように、ハイムの騎士達が立ち並ぶ。



 その中には、ランス家の人間も並んでいる。

 ランス家当主のリカルド・ランスは、ローガスに世話になった影響もあってか、息子のリバインを、グリントの付き人のようにさせていた。



「……ようやく来たようだな」



 ラルフがこう口にすると、ティグルはイシュタリカ側の扉に目を向ける。

 両開きの扉が開き始め、先に入ってきたのは騎士の姿。



「あれが、イシュタリカの近衛騎士か」


「父上?ご存じだったんですか?」



 ローガスが声に出した言葉は、隣に座るグリントに届く。



「初めて見る。だがしかし、あれ程に洗練された動作だ。間違いなく、ただの騎士ではない」



 するとグリントは、父に倣って、イシュタリカの近衛騎士に目を向ける。



 ——確かに。ただの騎士ではなさそうだ。



 整然としながらも、力強さを感じさせる動き。それは、一目見て強者の動きと分かるものだった。

 ……そうして近衛騎士が進み終わると、最後に入ってきたのはクリス。

 クリスは中に入ると、中央近くの席に立ち、そこに座る者を待つ。



「ふむ……いい女だ。悪くない」



 ラルフはクリスを見て、一目で気に入った様子。

 品定めするように、足元から腰付き、そして胸元や首筋に視線を送る。



 クリスはその視線に気が付いて、静かに舌打ちをした。



「おぉ。お待たせして申し訳ありませんな。ハイムの方々」



 騎士達が入り終えると、次にやってきたのはウォーレンだ。

 柔らかく笑みを浮かべながら、大会議室へと足を踏み入れる。



「我々の参加者も、すぐに参ります。少々お待ちを」



 するとウォーレンは席に腰かけると、手に持っていた鞄から、いくつかの書類を取り出し始める。



「……気に入らん態度だ。ティグルよ、アレはなんという男だ」


「はっ……。あの男はウォーレン。イシュタリカの宰相を務める男です」


「ほう、あの老人がな。ふふん……存外、楽な会談となりそうだ」



 ラルフはこう口にするが、対照的に、ティグルは簡単に進むとは思えなかった。

 なぜなら、ティグルは一度、エウロでウォーレンと話したことがあるからだ。

 何をするにも相手にならず、気が付けば自分が逆上されていただけの結果。



 その苦い過去を思い返せば、ティグルは警戒を強めるしかない。



「陛下。どうぞ、こちらへ」


「うむ」



 そして、次に入ってきたのは二人の男。

 先に入ったのはロイドで、シルヴァードを案内するように先に進む。



 そしてウォーレンの隣にシルヴァードが腰かけると、ロイドはシルヴァードの後ろに立った。



「見る限り、そちらの王太子が居ないようだが、此度は欠席であるか?」



 陛下と呼ばれた男が座ったのを見て、ラルフが口を開き、イシュタリカの方に問いかける。

 その言葉を聞き、答えるのはウォーレン。



「いえ、参りますよ。もう到着すると思いますので、少々お待ちを」


「……待たせすぎではないのか」



 ティグルは不満を口にするが、その言葉には答えることがない。

 ウォーレンは黙って、手元の資料に目を通していた。



 ——コツン、コツン。



 こうしていると、石畳を進む音が聞こえてくる。

 それは二人分の足音で、徐々に音が大きくなってきた。



 どれほど待たせるのだ。

 ハイムの一同からそうした不満が漏れてくるが、イシュタリカの一行は、全く意に介していなかった。



「ただいま到着したようですな。……お待たせしました。今この場にやってきたのが……——」



 そうして、一組の男女が会議室に姿を現す。



 男性の方は腰に長い剣を携えて、白銀を基調とした、イシュタリカ王家の正装に身を包む。

 一方、女性の方は、全身を黒の制服に身を包み、男性の隣に立って会議室にやってきた。



「我らが王太子殿下と、王太子殿下の補佐官を務める者です」



 ウォーレンがニヤリと笑みを浮かべ、やってきた二人を紹介する。

 二人はそれを聞いて、自らの名を口にした。



「……私が、アイン・フォン・イシュタリカ。イシュタリカの王太子だ」


「王太子殿下の側仕えを務める、クローネ・オーガストと申します。……先日は、不躾な文(ふみ)を失礼致しました」



 自己紹介の最後には、チクりとティグルの件を付け加えた。

 それを口にし終えたクローネは、満面の笑みでティグルを見る。

 余談だが、この事は、ウォーレンにも許可を取っているので問題ない。



 そして、イシュタリカ側が楽しそうにしているのとは対照的に、ハイムの一同は驚きに染まるばかりだった。

 ハイムの中でも、その様子が顕著に現れていたのは四名。



 ようやく、想い人に再会できたティグルに、大きく成長したアインを見た、元・家族の二人。

 最後の一人は、マグナでアインと出会っていたエレナだった。


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