溢れんばかりの騎士道精神
到達までの道中と比べて、春のような陽気に包まれたこの場所。
アインはぼーっと、皆が働く姿を眺めていた。
「……解せない」
たった一言だったが、アインの心境を表すのにこれ以上の言葉はない。
「アイン様。何卒ご納得いただければと……」
「言ってることは理解してるよ。でもこれだと俺って本当に要らない子じゃ……」
旧魔王領二日目。
アインが今していることは、用意された椅子に腰かけて、手前のテーブルへと両肘を乗せて、黙って待ってるという……なんとも締まらない姿。
ディルは隣で待っているが、ロイドは忙しそうに指示を飛ばしているのが良くわかる。
「まだ危険があるかもしれませんからね……」
昨晩の献上品事件もあり、アインは何もさせてもらえていない。
不測の事態といえば仕方ないが、だがそれでも、自分が来た意味はないのでは?と考えてしまう。
「……ねぇディル」
「はい?なんでしょうか」
「魔王城。行ってみよ「行きません」……やだなー。冗談だよ」
食い気味かつ笑顔でそういわれたアイン。
ディルの対応が早すぎて、もはやどうすることもできなかったのが切ない。
「今回の調査に、カティマ様がいなくて本当に助かりました」
「どうしてさ?」
「気が付いたら、アイン様と一緒に魔王城に潜入してそうなので」
「……やだなー。さすがに俺はそこまでのことはしないってば。カティマさんは知らないけどね?あの人ならやりかねないね」
とぼけてみるが、彼がアインを見る目と考えは、カティマに対する"それ"と変わりない。
さすがに苦笑いを浮かべ、彼から視線を逸らす。——その露骨な態度に、ディルは深くため息をついた。
「アイン様?いくらアイン様に彼らの"加護"のようなものがあるとはいえ、現状では危険といわざるを得ないのです。ご理解いただけますよね?」
「わかってるってば。冗談をいってみたかっただけだよ」
「なるほど、冗談でしたか……。ちなみに、どの程度の割合で?」
「6割ぐらいかな」
「それではもう、いってみたかったでは済まされませんね……」
危険なのは理解してるが、だがやはり、強く興味を惹かれるという事実は否定できない。
一心に魔王城を見ていると、その気持ちは高まるばかりだ。
「念のため聞きたいのですが、なにか良く分からない感情によって、魔王城に引き付けられてるというのはございませんか?」
「……えっと。無意識にって感じ?」
「左様でございます」
それをいわれてしまうと、なんとなく心配な気持ちがよぎる。
精神を落ち着かせるようにして、心の内を探ってみる。……だがそう簡単に分かれば苦労はしない。
実際そんな暗示があったとすれば、こんなことで破ることなんてできないだろう。
「自覚はない。これしか言えないかな」
「何かあればすぐにお伝えください」
「わかったよ。ありがと」
だが昨日のことを思えば、魔石組の夫婦が変な事をしてくるとは思えない。
あんなに落ち着いた気持ちで、『ただいま』と口にしただけなのだ。
わざわざ危害らしい危害を加えてくるとは考えらえない。
「でもやっぱりさ。みんなあんなに働いてるのに、自分だけぼーっとしてるのも悪いよね」
「……お気持ちは分かります。私が逆の立場であれば、同じことを考えるでしょうから」
「だよね?ほんと要らない子だよこれだと……」
口に手を当てて、どうにかしてあげたいとディルは考える。
危険がなくて、皆にも感謝されそうな事……そう考えていると、一つの結論にたどり着いた。
「何か報告を待つ間、例の肉でも捌いてましょうか?」
指をさすのは、ドンと放置された2体のヤツメウサギ。
いくつか調べた結果、呪いの類や毒の類は確認されなかった。
そのためその2つの肉塊も、皆に振舞われる食材と決まったのだ。
「あー……たしかに。うん、そうしよっか。せっかくだしもう捌いてようかな」
『よいしょ』と小さく声を上げ、アインが椅子から立ち上がる。
アインが前向きになったことは喜ばしい。
「"幻想の手"でもつかって、ちゃちゃっと捌こうかな」
このように軽々しく考えていた時期が、僕にもありました。
その後のアインは、このことを回想してそう呟くことになる。
——旧魔王領にいながら、デュラハンのスキルを使うことの意味。それをしっかりと理解するべきだったのだ……。
*
目を覚ますと、見覚えのない天井が広がっていた。部屋の中は薄暗く、意中の女性とでも居れば、そこそこいい雰囲気にでもなれたかもしれない。
だが残念ながら、今のアインは一人である。
「……誰か教えてくれないかな?ここがどこかってさ」
記憶を辿ってみよう。まず自分がしたことはなんだ?
……ディルの発案により、ヤツメウサギを捌きにいった。幻想の手を使って、順調に解体をしていたはずだ。
終わってからは、いくつかの調査報告を受けてから、その情報整理とやらに追われていたはず。
テントに戻って休憩しているうちに、うとうとしてきたので仮眠をとっていたのを覚えている。
「いい部屋だね。意匠が凝らされた、素晴らしい家具だらけだ」
周囲を見渡してみれば、芸術的な家具に囲まれていた。
ちなみにアインが今座ってるのはソファ。金糸と黒の生地に覆われた、複雑な刺繍が施された一品。
床も同じく、黒を基調とした絨毯が隅々まで敷き詰められている。
というか黒だらけだ。
男は黒に染まれなんていうが、こうした芸術性があるならば、女性も割と気に入るんじゃないだろうか。
ふむふむと頷いていると。木の軋む音と共に扉が開く。
場所は分からないが、体は自由だったため、立ち上がって警戒態勢をとった。
——すると薄暗い廊下から、想定外の存在が部屋へと入ってきた。
「おや。お目覚めでしたか」
「(……よ、鎧……?)」
体の所々に、血管のように赤黒い線が入った鎧。
顔の部分も兜で覆われており、顔つきまでは確認できない。
「お考えの通り、この身は鎧です。……さぁまずはこれを。飲んで一息ついて頂ければと」
一つのティーカップをアインの側に置き、彼は離れて静かに立つ。
万が一毒がはいっていようとも、それは全く効かない為警戒の必要がない。だがもちろん、気分的にはいいものじゃないのだが。
大体殺すつもりなら、自分が起きる前に殺しているだろう。
——……というか心の内を読むな。どうやったんだよ。
「……なにこれ?」
彼?彼女?……鎧が置いていったティーカップを見て尋ねる。
中身は普通の茶の様な色合いをしてるが、さすがに説明ぐらいはほしい。
「これは失礼致しました。ただいまお持ちしたのは、"長老樹の葉"のお茶でございます」
なにそのすごそうな生き物。と考えていると、それも知られた様子で説明が始まる。
「千年近く生きたフオルンのことでございます。貴重な食材ですが、貴方様のようなお方のために用意している物。どうぞご賞味くださいませ」
「……良く意味が分からないけど、そういうなら貰っとくよ」
これを飲まなければ、何も話は進まないのだろう。
どうせ何もわかってない現状だ。もう開き直ってしまおう。
「……おいしい」
「それは何よりです。そうして精神を落ち着けていただければ、すぐにでも連れの方々の近くに。元の居場所へとお連れできます」
「つ、連れ?」
「えぇ、多くの騎士達の事です。落ち着けたのを確認しましたら、元の場所へとお送りしますのでご安心を」
「ちょ……ちょっとまってって!そういえばここは……何処なの?」
茶のおいしさにリラックスしている場合じゃなかった。
ここが何処なのか、そしてなんでここにいるのか。知りたいことらだけで、訳が分からない。
「そのお茶を飲み続けてくださるなら、続けてご説明致しますが」
いかがですか?とそう言った。
後手に回りっぱなしなのは好ましくないが、何一つ分かってない現状では、これも仕方ないことだ。
「わかったよ。飲むって、飲むから教えてくれ」
「承知致しました。さて……どこから話せばよろしいでしょうか」
「うんまぁ……最初からに決まってるよ」
すると数歩、その鎧は近づいてくる。
若干身を固めてしまったが、敵意は感じられなかったので、それ以上のことはしない。
「この地域では、カイン様……そしてシルビア様の技は、"まだ"お使いにならない方がいいでしょう。貴方様はまだ不安定すぎる。最悪の事態が起こりえるのですから」
「……えっと。ごめん、もう少し詳しく……」
まず誰だよカインとシルビアって。
……それすらも、アインの新たな疑問となった。
「貴方様の中で眠っている、デュラハンとエルダーリッチの二人の事でございます。この地では特に、二人の技をお使いになるべきではありません」
二人の名前なんて初めて聞いた。
……考えてみれば、アインとオリビア。そしてカインとシルビア。どうにも似通った名前に、親近感すら覚える。
「俺が幻想の手を使ったから、ここに連れてきたってこと?」
「慧眼お見事、その通りです。……とはいえ、無理やりお連れしたことはお詫びいたします」
幻想の手を使ったから、無理やり連れてこられた。
よしここまでは理解できた。それじゃ次にいこうか。
「ここは何処?随分と綺麗な部屋だけど」
「こちらは私の屋敷です。今はもう私一人しか残っていませんが、どうにか屋敷としての体裁は保てているかと」
彼は重鎮のような立場だったのだろうか。
屋敷というからには、おそらく平民の立場ではないはずだ。
「場所は魔王城のすぐ近くです。なのですぐに戻れるのでご安心を」
「あ、あぁそっか……わかったよ」
思いっ切り近くに住んでたことに驚く。
やはりこの地には、住んでいる存在がいたということか。
——そうなれば、聞きたいことがある。
「もしかしてなんだけど。ヤツメウサギ持ってきてくれてた?」
「昨晩の事ですね?えぇ。随分と嬉しそうに召し上がっていたので、近くに残っていたのを、狩って参った次第でございます」
献上品とかいう、大穴が的中したことの証明だった。
「お届けに上がる際に、一人だけ妙に鋭い男が居ましたが……まぁ特に問題はありませんでした。あれでは無警戒なのと、そう大きく違いはありませんから」
それは確実にロイドの事だろう。彼以上の実力者は、調査団にはいないのだから。
——絶対的な存在だったロイド。その彼の警戒が意味をなしてなかったと聞いて、アインは少しばかり呆然とした。
「……聞きたいことだらけなんだけど、そういえば貴方は……誰?」
「これは申し遅れました」
そして背筋を伸ばし、居を正した後に語り始める。
「魔王軍近衛騎士団……通称"黒騎士"所属、副団長のマルコでございます。今は亡き騎士団だろうとも、私が持つ名はこれだけです。——種族はリビングアーマー、以後記憶の片隅にでも置いて頂ければと」
一つ一つの単語が、アインの興味を惹き続ける。
魔王軍、そして副団長。リビングアーマーという種族、その全てを詳しく聞きたいと感じた。
「……気になることだらけだけど。もしかして俺たちが到着したときから監視してた?」
「仰る通り、時折様子を窺っておりました」
きっと過去にクリスを監視していたのも、このマルコというリビングアーマーだったのだろう。
一つ疑問が解けたのは嬉しく感じる。
そして立場もかなりの重鎮。
王都でいえばこないだまでのクリスと、同レベルの地位の者だったということだ。
「名前も聞けたところで。——俺が不安定すぎるとか、事故が起きるってのはどういう意味?」
まずなんでそんな重鎮が、人の自分へとへりくだって接してくるのか。
その説明もほしいと感じるが、先に不穏な言葉について問いただしておく。
「不安定というのは"器"が定まっていない、としか説明が出来ません。うまく説明できなくて申し訳ないのですが……」
「う、器か……器。器ねー……」
隠している様子もなく、正直に話してるのだと感じる。
だからこれ以上それを聞いても、アインが望むような答えは返ってこないだろう。
器が定まっていないといわれると気になるが、こればかりはしょうがない。
「わかった、それは置いとくよ。——じゃあ事故が起きるってのはどういうこと?」
その言葉を聞いて、マルコは声色を変えた。そして深刻そうにその内容を口にする。
「……陛下のように、核の暴走を引き起こす可能性がある。そういうことです」
陛下といわれて頭に浮かぶのは魔王。
何せ彼は、魔王軍の騎士だったのだから。
「ごめん。それももう少し詳しく聞きたいなーって……」
「一言に纏めると、"自分が自分で無くなる"。そういう事態が考えられるということです」
「……俺が自我を失って、暴走するかもってこと?」
「左様でございます」
丸っ切り例の魔王と同様の事態。
なんでそんなことになるのか、その理由を続けて尋ねた。
「……あの獣共の影響が、この地ではまだ完全に消え去っておりません。なのでどうか口にすることはお許し願いたい」
「獣……?」
一瞬不思議に思ったが、調査の目的を思い返すとすぐにピンと来た。
「お察し頂けたみたいですね」
「あぁ。残念なことにね」
それをしっかりと思い出したアインは、おおよその事情は理解した。
デュラハンやエルダーリッチの影響がある自分にとっては、何が起こるかわからないのも必然だろう。
丁度いい頃合いだったので、残った茶をぐいっと飲み干した。
「長老樹の葉には、精神を落ち着かせる効果があります。それは精神防衛の効果もあるので、今回の様な場合には特に打って付けでございます」
「……なるほどね」
突如起こった夜の邂逅。
その相手は、まさかの魔王軍の重鎮だった。……なんて二流な話だろう。そうは思っても、この事実が変わることは無かった。
「つまり俺は、暴走する前に警告と保護をしてもらった。そういうことかな?」
「言葉は不適切ですが、似たような意味合いでございます」
となると、意味が分からない。
こうまでして自分を気遣う意味はなんだ?疑問がアインの心の中に生じた。
なにせ自分は、デュラハンとエルダーリッチの魔石を吸収し、体の中に宿していようとも人間だ。
魔王が暴走した際には、敵同士だった種族。
だというのに、ここまで手間をかけて面倒を見る必要があるのだろうか。
「分からないんだ。マルコさんが俺をこんなに気遣ってくれるのも、わざわざヤツメウサギを取って来てくれたことも。……どうしてここまでしてくれたの?」
マルコに顔があれば、ポカンとした顔の次に、大きな笑顔を見せてくれただろう。
陽気な言葉と共に、優しい声でアインに語り始める。
「何事かと思えばそのことでしたか。……騎士が"王族"のために尽くすのは当然のことです。違いますか?」
「……い、いやその言葉は間違ってないよ?だけど俺は、イシュタリカの王族なんだけど……」
だからわざわざここまで立ててやる必要もない。アインはそう言ったつもりだった。
その後数テンポ遅れて、マルコは不思議そうに口を開く。
「え、えぇ。ですので私が、"イシュタリカ王家"に尽くす。それは当たり前の事ではないかと……」
何を可笑しなことを言ってるんだ。
そう言わんばかりの声色で、マルコはアインへと返事を続けた。
——若干会話が噛み合ってない様に思えたが、大した問題には感じなかった。
「……見事な騎士道精神だよ」
他国といえばいいのだろうか?そうした違う立場の王族にも、礼を尽くすことができるマルコ。
それはまさに、見事としかいえない騎士道精神だ。アインも手放しで称賛の言葉を送る。
「お褒めに預かり光栄の至りでございます」
美しい角度の礼を披露され、そうした魔物も存在することをアインは学んだ。
——旧魔王領という、謎と不思議に満ちたこの領域。そこでは過去の魔王軍で重鎮だった魔物が、見事な騎士道精神を持ち屋敷に住んでいる。今日の出会いはそう纏めることにした。
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