新たな一面と献上品?

 意味が分からない状況のため、とりあえずはポルターガイストと呼ぶことにした。

 アインはその後、微妙な表情を浮かべてロイドのテントを目指す。

 そして何があったのかを話していた頃。



 バルトの町で留守番……いや、ギルドへと働きかけるために残ったクローネが、今日の日程を終えて部屋に戻ってきた。



「はぁ……疲れた」



 バルトという寒い地域はどうにも慣れない。

 そのせいか、体の疲れというよりも、精神的な部分でも疲労を感じる。



 部屋に戻った彼女はコートを脱ぎ、それをソファーへと掛ける。

 室内は暖かい状況に保たれているため、羽織っていたジャケットも脱ぎ去った。



 薄いブルーのシャツ一枚を上に着て、身軽な格好に早変わりする。下にはスカートを履くのみだ。

 一番上から2つ目までのボタンを外して、胸元にもゆとりを与える。徐々に大きくなってきたクローネの胸元が、ボタンを外したことでふわりと揺らめいた。



「あっちは無事に到着したかしら……」



 今は連絡を取り合うことができないため、アイン達がどうしてるのかがわからない。

 だがきっと大丈夫だろう。あれほどの戦力を用意して向かったのだ、あれで駄目だったらイシュタリカはお終いだ。



 この場に居ないアインへと想いをはせて、グラスに注いだ飲み物へと手を伸ばす。

 疲れた体に冷えた飲み物が染み渡る。細胞一つ一つまで届きそうなこの感覚に、クローネは『ふぅ』とリラックスした。



 アインを見送ってからというもの、クローネもなかなか忙しい予定を送っていた。

 クローネ自身はギルドへと顔を出していないが、バルト伯爵へと面談をしにいったり、残った者達に指示を出したりと、昼食を食べる暇も無かった程だ。



 アインが豪勢な昼食をとっていたと知れば、彼女は恐らくチクリと文句を口にするだろう。



「……一人、だものね」



 中で部屋が分かれているとはいえ、今日の朝までアインとほぼ同じ空間で寝泊まりをしていた。

 だが今は一人のため、もちろん彼の声やなにかをする音。そうした全てを耳にすることはできない。



 思えば近しいものが傍にいない日なんてのは、今回が初めてかもしれない。

 城に用意された部屋は、なんだかんだと同じ建物内にアイン達が居る。

 オーガスト商会の本店そばにある自宅には、グラーフやアルフレッド達が居る。



 ふとそれを思えば、唐突な寂しさを感じたクローネ。



「寂しがり屋だったってこと……?私が……?」



 滑稽に思えることだが、それを否定できるような何かは思いつかない。

 しんしんと降り続く雪景色が、窓の外にどこまでも広がっている。

 その様子をじっと見つめていると、やはり気が滅入ってくる気がしてならない。



「変な事考える前に、お風呂……はいろうかな」



 本当は先に仕事を済ませたかった。

 いくつか確認しなければならないことが溜まってしまったので、それを片付けてから寝る支度に移りたい。



 風呂上がりの時間には、仕事をしないと決めていた。

 子供っぽいことと笑われるかもしれない、だからアインへは伝えていないことだが、クローネは風呂上がりになると眠気に襲われやすくなる。



 そうした事情もあってか、集中力が上がらないため、するべきことを終えてから風呂に入る。これは彼女が決めたルールの一つ。



「でもまだ寝られないし……ううん……」



 今の気分を変えたい。

 なんとなく切なくなってきたこの気持ちの中で、残された仕事に向かうのは億劫に感じる。

 ——そして数十秒ほど考えた彼女の結論はこうだ。



「うん決めた。早めに起きればいいのね」



 もういっそのこと、さっさと眠りについてしまおう。

 そしてその分早めに目を覚ます。起きてから残った仕事に取り掛かろう。



 どちらにしろ集中力が戻りそうにない状況の今。

 この選択こそが、自分なりの最善の選択だと信じて。



「決まったのなら急ぎましょう。明日に備えなきゃ」



 今日の自分は、随分と独り言が多い。

 自覚はあったが、この表現しにくい寂しさから逃れたいという気持ちもあり、どうしようもできなかった。



 ——自室に寄って、新しい下着と寝巻を手に取る。

 明日はどの下着にしよう?そう考えるだけでも、気分が少しはましになる気がする。

 まだ"彼"に見せる機会はこないだろうが、下着には人一倍好みがうるさいクローネ。



 堂々と口にするのは恥ずかしいが、下着を集めることは、クローネの密かな趣味の一つ。

 下着に合わせてネグリジェも選ぶ。入浴前の、ちょっとした楽しみだった。



「バルトにも売ってるお店あるのかしら」



 あるなら足を運んでみたい。

 目新しい下着があれば、是非購入して帰りたい。

 ……アインが居ない間に、時間に余裕が出来たら探してみよう。心の中でそう頷いた。



 そして浴室についたクローネは、シャツのボタンへと手をかける。

 上2つ以外の残ったボタンを外し始め、徐々にその肌が露になる。



「ん……うん。やっぱり綺麗な色……。ピンクもいいけど、やっぱりこの色が一番好き」



 細やかな刺繍や、レースが施された高級品。

 肌触りも抜群で、そのデザインも相まって、身に着けていると幸せな気分になれる。



 クローネが着替えに用意した下着は黒。今身に着けているピンクの下着と同様に、美しいレースと刺繍で飾られた一品。

 可愛らしい色合いから、性的魅力に満ちたデザインと色へと変わる。



 ……着替えの下着に黒を選んだのには、簡単な理由がある。

 それは黒真珠のネックレスと同様に、"彼"のイメージカラーだからだ。



 下着にまでそんな意識を持っている。

 そんなことを知られては、さすがのクローネも赤面では済まさないレベルの失態だ。

 だからこのことは、おそらく誰にも教えない。自分だけが分かってればそれでいいのだから。



 ——パサッ。という音を立てて、クローネのスカートが床に落ちる。

 美しい造形の脚を抜き去り、残ったシャツも脱ぎ去った。

 近くにある籠にそれらを入れて、残された下着のホックへと手をかける。




 *




 数十分ほど入浴を楽しみ、浴室を出て長い髪の毛を乾かした。

 今回宿泊しているような立派な客室には、こうした魔道具が完備されているのが当然で、女性としては有難いことこの上ない。



 その後は数回に分けて水を飲み、リビングスペースへと仕事道具を置いて、自室のベッドへと向かった。

 決めていた通り、早めに休んで早く起きる。

 こうすれば、予定に狂いが生じないだろうと考えたのだ。



 ……だがその願いは脆くも崩れ去る。



「……なんでよ」



 いつもなら眠くなってくるはずなのに、今日に限ってそれがこない。

 むしろ目が冴えてきてる気がしてならない。だというのに、仕事をするか?と考えると、それはなぜか気が進まない。

 ……最悪の状況だった。



 何か温かいものでも飲もう。そう思い、ベッドから体を起こしてリビングスペースへと向かう。

 ソファに座って少しゆっくりしていると、別に飲み物が欲しいとも感じていないことに気が付いた。

 ——最悪の一言だ。なんでこんな意味の分からない状況になってるのかと、クローネは頭を悩ませる。



 そんなにいつもと違う環境なのが、自分の精神へと影響してるのか?それを考えてしまうと、自分の情けなさに頭を抱える。

 王太子アインの側仕えだというのに、こんなことをしていては示しがつかない。



『はぁ』と大きなため息をついてしまう程、どうすればいいのか悩みが消えない。



 ……そうこうしているうちに、部屋の中を見渡すクローネ。

 手持ち無沙汰に思えたのか、一人しかいない部屋の中を隅々まで見渡す。

 


 ——するとふと、一つの場所で目が止まった。



「……いい、かしら?」



 そこを見ると、不思議と気分が落ち着いた。

 自然と立ち上がり、『大丈夫だ』と言い聞かせて、そこに足を進める。



 十歩に満たない距離を歩き、その扉の前に立ったクローネは、大きく深呼吸をしてからその扉を開ける。



「お、お邪魔します……」



 誰もいないのは分かってる。

 だがなんとなく、そう口にしなければいけない気にさせられた。

 扉を開けると灯(あかり)が灯されて、部屋の全貌が良く見える。



「……王太子殿下の寝室に入り込むなんて、悪い補佐官」



 くすっと笑い、アインの寝室へと踏み入った。

 もちろん中にはだれもない。クローネただ一人が居るのみだ。

 だが自然と、心の中が落ちつきを取り戻してきたのが分かった。



「ねぇアイン。貴方はここに居なくても……ちゃんと私を助けてくれるのね」



 アインが使っていたベッドへと腰掛けると、かすかに残る彼の優しい香りを感じる。

 良く嗅ぎなれた、大好きな香り。それがクローネの疲れた心を癒し始める。



『もういいや』と我慢することをやめて、そのベッドへと入り込み、彼が使っていた枕を抱きしめる。

 そこに至るまで数秒しか経たなかったことを思えば、我慢していたとは言い難い。



「んっ……ぁ……はぅぅ……」



 自分でも、随分と艶めかしい声が漏れたと驚いた。

 それだけリラックスできたのだろう、そう自分を誤魔化すことにしたが、顔が赤らむのは止められない。

 アインの枕を強く抱きしめる自分。それをなんとか正当化しようと必死になった。



 ——するとアインに包まれていると錯覚するほど、彼の香りに包まれたクローネ。

 赤らんだことを自分に言い訳をしているうちに、瞼が徐々に重くなる。



「……早く帰って来てよ、ばかっ……」



 我が儘なことを理解している、後ろ向きで控えめな文句。"寂しがり屋"という弱点が分かったのだけが、唯一の救いだ。



 ——そしてクローネは、寝付けなかったのが嘘のように、アインのベッドで深い眠りにつけたのだった。



 数日後。

 アインが宿に戻ってから、ベッドの香りに"悶々"としてしまう結果となるのだが、それはまた別の話……。




 *




 夜が明けて、外が明るくなり始めた頃。

 アインは体を起こして、『んー!』と背筋を伸ばす。



 昨晩は意味が分からなかった。

 誰があんな贈り物をくれたのか、それは今だ分かっていないが、とりあえず有難く頂戴することにした。



 ロイドの許へと行き、ディルにも声をかけた。

 様子を見に来たロイドがその現場を目にする。

 もちろんロイドたちには身に覚えがなく、そもそも逃げ去ったヤツメウサギをどう捕まえるのか?人間技じゃないということに結論付けられる。



 その後はロイドとディルが交代でアインのテントを見張り、更には数人ずつ近衛騎士を付けることとなった。

 申し訳なく思ったが、アインはしっかり休んでほしいと懇願されたため、その願いを聞き入れて素直に休んだということだ。



「アイン様。お目覚めですか?」


「おはようディル。ごめんねずっと番してもらっちゃって」


「滅相もない。何もなくて何よりでした」



 ディルはテントの中で番をした。

 アインが目覚めたことに気が付いたディルが、ベッド周りに付けられたカーテンの側に寄る。



「あれ、ロイドさんは今休んでるところ?」


「……そのことですが、アイン様にもお伝えすることがあるとのことで、父上は外で待っています」



 何かあったのだろうか?

 だがとりあえず彼を待たせるのも悪い。目も覚めたことだし、早速ロイドのところへと向かうアイン。

 向かうといってもテントのすぐ外のため、上着を羽織ってそのまま外に向かった。



「ロイドさん。おはよ」


「おぉアイン様。昨晩はあのようなことがあったばかりですが、お休みいただけたでしょうか」


「みんなのおかげでね。でもちょっと申し訳ないかな」


「はっはっは!我々はアイン様がしっかり休めたなら、それ以上求めることはありませんからな」



 豪快な言葉が嬉しい。

 こうして気持ちを察してくれるのも、ロイドの"いいところ"なのだろう。



「ディルから聞いたけど、なにか伝えることがあるって?」


「おっと……。えぇ、実は興味深い発見がありまして、その報告をと。どうぞこちらへ」



 ロイドについて進む先は、アインのテントのすぐ横の場所。

 そこには昨日持ち込まれた2体のヤツメウサギが置かれている。



「明るくなったので、首元の傷を確認致しました」


「傷?そこになにかあったの?」


「左様でございます。……一言でいえば、これは芸術だ」



 傷が芸術といわれても、どうにもピンとこない。

 なにか模様でも書かれてたのかと邪推する。



「げ、芸術……?」


「どちらもほぼ同じ角度と位置から、一直線に"核"を貫いている。……恐ろしいほど正確な技だ」



 そう言われて確認すると、確かに機械のように正確な角度で貫かれている。

 なんで持ってきたのか、そして持ってきた者が誰なのか。疑問は依然として残ったままだが、仕留めた者の技術の高さは分かる。



「しかしこれではまるで"献上品"だ」



 ロイドの言葉に同意するアインとディル。

 言われてみれば、こんな高級な品を2つも持ってきたのは献上品にすら思える。

 ……受け渡し方としては最悪の部類に入るが。



「でも献上品だとさ、俺がその対象になるわけだけど……」


「うむ、その通りですな。さてはて……これがどういった者からの献上品なのか、それを解き明かしたいところですが」


「難しいところですね。父上」


「あぁそうだ……。おそらくは、我々を監視していた者と関係がある。更にいえば、誰にも見つからずにアイン様の御傍に行ける。そんな力の持ち主という意味でもある」



 後者の意味が何よりも致命的だ。

 もし完璧な敵対生物ならば、ロイドたちが気が付かない間に殺される。そんな事態になっても可笑しいことじゃない。



 アインだけはなんとしても生かして……という考えも、あっさりと瓦解してしまう羽目になる。



「なのでまずは、純粋な敵対生物じゃないことを喜ぶべきでしょうな」



 そう口にするロイドの心境は複雑だ。

 今一番考えていることは、調査を中断してバルトへと帰還すること。

 この状況はあまりにも不確定要素に包まれすぎている。万が一の事態を思えば、素直にここを離れるべきなのかもしれない。



 うんうんと唸っていると、アインが合点がいったように考えを口にした。



「そういえばさ、デュラハンとエルダーリッチ。どっちも反応してなかったから、多分大丈夫なんじゃないかな」


「……と、いうのは?」


「希望的観測だけど、赤狐と何かしらの決着を着けようとしてる俺たち。そして俺のことを、デュラハンなんかは見捨てない気がするんだよね。むしろ見捨てるぐらいなら、アッサリと俺の体奪ってるだろうし」



 乾いた笑顔を浮かべていうが、デュラハンならやりかねないことだ。

 エウロでの件を思い返せば、ただやられるという事態にはならないと思う。



「どうせならさ。こんなに近くに来てたんだし、"直接"話したかったけどね。誰なのか、何が目的なのかって」



 直接という部分を強調して、それを口にしたアイン。

 アインの考えを聞いたロイドとディルは、その考えに正当性を感じることができる。



「確かに……。あのデュラハンならば、アイン様の体を奪うぐらいはしてきそうですからね」



 ディルがそう言って思い出すのは、イシュタリカ王専用船"ホワイトキング"艦内での事件。

 アインの体を乗っ取って、船の一部を破壊する暴挙に出た。



 その彼が何も仕出かさなかったということは、昨晩の件を特に問題には感じていなかった。そういう意味にはならないだろうか?とアインは予想している。



「一番怪しいのは、やっぱりあそこだけどね」



 チラッと魔王城へと目をやった。

 突如として開門した魔王城。そこに行けば、"献上品"を届けに来た誰かがいるかもしれない。

 とはいえ、そこに入るという決心はまだ一同にはない。



「……歯がゆいですな」



 そこに行けば、何かの答えがあるかもしれない。

 そう思えるばかりに、魔王城へと入れない現状が惜しい。



「調べられるところから手を付けていこう。最初から欲張っても、何か面倒なことになりそうだ」



 頷く二人を見て、アインはどうしたものかと歩き出す。

 結局のところ、だれが何の目的でやってきたのかが分からない。



「(折角だから、このウサギ肉は頂くけどね)」




 旧魔王領二日目。

 調査活動が、ようやく幕を上げることになる。


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