海龍[後]

 港町マグナから船で少し進んだ場所。今回の海龍出現地点であり、クリスを筆頭とした討伐隊が派遣された海域だ。



 イシュタリカには多くの冒険者たちが存在する。それは質の面で言えばハイムとは比べ物にならない程の猛者が揃っていた。

 だがこの海龍討伐に関しては、彼らは参加を渋った。

 海上戦という人型には圧倒的に不利な戦い、そして何よりも海龍の強さだ。海上という完全な海の生物が有利な戦場において、更に海龍といった海の覇者といってもよい存在を相手にするのは、まさに命を捨てるようなものだと考えられていた。



 それでも、今回の討伐にはイシュタリカからの要望に応えた多くの冒険者たちが参加している。そのおかげか、想定よりはいくらか被害を抑えられていた。



 すでに戦艦を数隻沈められているという状況は、戦争のような舞台であれば大きな損害だろう。だがこの海龍を相手にすることを考えれば、半数を失っていない状況と考えればまだ上等に思われた。



「司令官!海龍が再度海中に潜り込み、こちらの様子を伺っている模様!」


「損害の報告はいらねえぞ!おらさっさと追撃仕掛けろやお前ら!」


「どんどん油まいてけ!海が汚れるが仕方ない!燃やせ燃やせ!」



 海龍は炎を強く嫌う。それが弱点なのか、それともただ嫌いなだけなのかはわからない。

 だが効果があるのは今までの海龍防衛で学んだことだった。海が汚れてしまうがそれを気にしている場合ではない。油を多く海に投げ入れ、それに火をつけて海龍を誘導し攻撃しやすい状況を作り出す。これが一番の海龍攻略。



 ある程度でも動きを制限させられるのは大きかった。船の上からでは攻撃できる範囲がとても狭い。魔法使いといった者達も多く連れてきているものの、距離が遠く海中の海龍の姿が確認しづらいとその攻撃は当たらない。



 この作戦の司令官を務めるクリスは、さしあたりは順調だったこの流れに少しの安堵をしていた。



「……一頭はそれなりに手傷を負った。もう一頭は大きな損傷がない」



 二頭のうちの一頭の海龍は、うまく当たったいくつかの魔法により、片目をやられヒレが千切れかかっている。だがもう一頭は自慢できるほどのダメージを与えられていなかった。



 総戦力のうち半数以上はまだ機能する。そこから考えれば、一頭を仕留められるのは確定している。

 とはいえ二頭目をと考えると、クリスも厳しい表情を浮かべるしかなかった。



「司令官!海龍が浮上します!」



 海龍は海中から船底めがけて突進することや、噛みついてくることも当然あった。

 だがイシュタリカとしてもその対抗手段を開発してこなかったわけではない。

 砲撃手段や、電撃を発する魔道具などいくつかの対抗手段を用意している。

 海龍は途中からそれを嫌い、浮上してのしかかりやマストに噛みついてくるといった攻撃をしかけてきた。



 いくら丈夫なイシュタリカの戦艦といえど、海龍ほどの巨体にその体を使った攻撃を仕掛けられれば何度も耐えることはできない。



 海龍が浮上するとの報告を受けて、クリスもその近くへと向かう。海龍が船に攻撃を仕掛けてくる前に、目や喉。そして魔石がある額といった弱点を攻撃し、体力を削らなければならない。



 運よく多くの攻撃が同じ場所にあたらない限り、一頭目にできた目を潰すなどといった打撃は与えられない。だからこそ、少しずつでも体力を必ず削り続けるのが重要だった。



「砲撃部隊、喉を狙え!魔法を使える者は私と共に額の魔石を狙い続けろ!」



 クリスの号令によって狙いが決まる。これでも引くことなく近づいてきたら、槍なども海龍に向かって投げつけダメージを狙う。



 浮上したのは目を潰された方の一頭。死に物狂いの一撃を放とうと、今までで一番の勢いで突進を仕掛ける。



「奴は瀕死だ攻撃をやめるな!続けるんだ!」



 海龍が命を賭した突進は、ただただ恐ろしいばかりだった。討伐に参加した騎士達だけでなく、常に命を懸けて魔物を狩る冒険者たちにとってもそうだった。



 グギャアアアと、断末魔のような咆哮を発しながら突進を続ける海龍。それに向かって攻撃を続ける、海龍が倒れることを祈りながらそれは続いた。



 そしてその時は訪れる。疲弊し大きな傷を負った海龍は、額をうまく守り切れなかった。

 艦隊からの砲撃を嫌がり喉を守ろうとした海龍は、額を魔法で狙われていることに気が付かず、クリスを筆頭とした魔法の攻撃を正面から受け止めてしまった。



 砲撃部隊と魔法舞台による連携が実を結び、とうとう一頭の海龍は魔石にヒビを入れられてしまう。

 こうなってしまっては魔石はただ壊れるのみ。刻一刻とその生命力は流れ出す。



「やった……やったぞ!魔石を割ってやったんだ!」


「っしゃあ!どんなもんだこの野郎!」


「もう一頭だ、このペースならいけるぞ!」



 クリスも安堵した。そしてこのペースなら何とかなるかもしれないと思えた。多くの者の魔力は尽きかけ、砲弾も数少なくなってきていた。とはいえこの士気と残存戦力ならばなんとかなるかもしれないと希望を見いだせた。



「……お、おいあいつなにやってんだよ?」


「っ海龍が飛んで……?」



 すでに魔石の輝きはほぼ失われていた。そんな海龍が少し海に沈んだかと思えば、まるでイルカがジャンプするかのように海上に飛んだ。なぜ飛ぶのかと一瞬不思議に思ってしまったクリスだったが、その下をみてすぐに察してしまう。



「っ待てあの場所はっ……!」



 艦隊は隊列を組んで海龍へと対処していた。そして海龍はクリスが乗った戦艦から少し後方で飛び上がり、あとはただ海に落ちるのみだった。その下に何もなければクリスも何一つ問題には思わなかっただろう。



 だがその下にはその何かがあったのだ。3隻で隊列を組んだ艦隊が、ただただ落ちてくる海龍を待つしかできない艦隊が。



 距離がありながらも響く騎士や冒険者たちの叫び声、彼らはこれから海龍にただ押しつぶされることになる。海に逃げ込むことができた者も多くいた、だが助かる見込みは決して高くない。



 段々と悲鳴が高くなったころ、ついに海龍は艦隊の上へと落ちる。その巨体は見た目通りかなりの体重があり、そんなものが高い場所から勢いをつけて落ちてくれば、イシュタリカの船といえどもひとたまりがなかった。



「こんな、ことが……」



 過去に例がなかった、海龍が海上に飛びあがることなど今まで一度もなかった。これが偶然なのか、それともあの海龍がたまたま思いつきであの行動をとったのかはわからない。

 だがイシュタリカが進化するのと同じく、長い歴史で海龍も進化したということなのだろうか。



「もう一頭が浮上します司令官!」



 討伐隊が大きく混乱し、そして大きく戦力を削られた瞬間攻撃を仕掛けに来た海龍。

 これを見てしまえば、本当に進化しているのだと感じてしまったクリス。



「……先ほどと同じく攻撃を仕掛ける!構えろ!」



 何もしないわけには行かない、彼女は司令官だ。

 ショックを消すことはできなかったものの、同じ行動をとれば少なくとも時間を稼ぎながら相手の体力を削れる。



「っ進路を変えて別の船に向かってます!」



 海上に飛びあがった海龍のせいで、海にまいて点火していた火が消えている、そのせいで誘導がずれた。海龍は決して馬鹿ではない、クリスが乗る船が一番戦力が高い。それを理解していたからこそ周りの邪魔者から排除しに向かった。



 それを確認したクリスは猛攻をしかけた。こちらに進路を戻させるために。

 だがその勢いは止まらない、その勢いのまま他の戦艦へと攻撃を仕掛ける。



 その戦艦では炎を使える魔法使いが、必死に海龍へ向かって炎を繰り出す。

 だが海上にまかれた多くの油、それに点火された広範囲の炎と違い、範囲が狭い炎の魔法ではその勢いが収まることは無い。海龍としても少しよけながら船を目指すだけでよかった。



「嘘だろふざけんなよっ!」


「なんでこんなことに……」


「逃げろ!逃げてくれ!お願いだ!」



 クリスの周りでは騎士達が悲痛の叫びを発するものの、その声は誰にも届かない。

 まだまだ体力に満ち溢れているもう1頭の海龍は、あっさりとその一隻を海の藻屑にしてしまった。

 こうなってしまえばバランスは崩れる。今までもギリギリのラインで誘導し、ギリギリのラインで突進を対処してきた。そんな中、ここまで戦力が削られてしまっては次がない。



「……構えろ!」



 それでも気丈に構えるクリス。自分が諦めることは許されないと、なんとか気持ちを保っていた。

 一隻を沈めた海龍は、再度海中へと潜った。潜り進んだ方向を見ていると再度クリスが乗る戦艦へと向かい始めた。



 海龍は理解した。これほど戦力を削ってしまえば、あとはボスを攻撃しても問題ないと。

 もう一頭の海龍が作り出したチャンスをものとし、自分を討伐しようとしている敵を倒せると。

 そして海龍は再浮上する、その巨体でクリスが乗る戦艦を破壊するために。



「(はぁ……最後に故郷の森を見たかったなぁ。あとオリビア様を泣かせちゃった、ごめんなさいオリビア様)」



 つい考えてしまう気持ち。諦めた姿を騎士達に見せることは無かったものの、クリスは心の中で心残りな事を考えてしまった。



「(アイン様……一言でいいから、最後に声を聴きたかったです。どうかオリビア様、クローネ様と末永く仲良くしてくださいね)」



 今朝、いつも通りアインを学園に送ってからこんなことになった。オリビアやアインと過ごす日常が、どれほど自分にとって輝いていたかと考えると、涙を浮かぶのを止められない。

 その姿を周りの者達に見られないよう、必死に顔を隠し指示を出す。



「皆。全身全霊を賭けた一撃を奴に浴びせろ!統一国家イシュタリカ、初代陛下がお作りになった我らが祖国を守るために!」



 その檄を聞いた討伐隊は強く叫んだ。その心は恐怖や興奮、家族への思い。そして無理やり自分を勇気づけるための思い。

 無駄死にはしない。奴を殺せなくとも、もう一頭のように目をえぐり取ってやる!と思い海龍を迎え撃とうとしていた。



 浮上した海龍が狙いを定めた。その先にあるのはクリスが乗る戦艦。

 海龍としても気合を入れ、ボスめがけて攻撃を仕掛ける。そして海龍が動き出した時、海上に異変が起きる。



「……霧?」



 濃霧が発生した。見てみると発生したのは海龍の周囲だけのようで、それに驚いた海龍も今までと違った困惑したかのような咆哮を上げていた。



 独特の空気を醸し出す。真っ白で濃い、どこか甘い香りがする濃霧だった。

 多くの冒険者とクリスはそれに覚えがあった。深い森、そして魔物が生息する危険な地域。

 そこには生き物を騙し、捕食する植物系の魔物が居る。



 森に棲むその魔物が海上に現れるわけがない。その異常事態に、討伐隊もつい動きを止めてしまう。



 そう討伐隊も海龍も困惑して戦場が膠着状態になって十数秒。大きな爆撃音が響き、それからすぐ海龍の叫び声が聞こえ霧が晴れた。



 そこに見えたのは困惑した状況で攻撃を貰い、何が起きたかまだあまり理解できていない海龍と、一隻の大きな船だった。



 その船からは、人の声が聞こえて来た。海上であまり音の聞こえ方が良くなかったものの、クリスやいくらかの冒険者たちはその声に気が付いた。



「アイン様なんですか今の霧!先に仰っていただかなければ困ります!」


「あ、あぁごめん。でもほら?海龍止まったからいいだろ」



 こんな場には似つかない、気の抜ける内容の会話だった。

 クリスが願った一つの事。それが叶ってしまった瞬間だった。




 *




「というかアイン様。そのまま霧の中で攻撃を続ければよかったんじゃ」


「いや無理だと思うよ。あいつ海に潜ればそれだけで回避できるから」



 アイン達が戦場となる海域に到着した。一目見てわかるほど戦況は絶望的だった。

 今の一撃を止められなかったらと思うと、アインは身の毛がよだつほどの恐怖を感じる。



「なるほど……言われてみれば確かにそうですね。っと、そう口にすれば……海中に逃げましたが」


「さて、それじゃもう少し進むよ」


「クリス様が乗る戦艦の手前まででしょうか?」


「そういうこと。あれは俺がやるから、ディルはこの船を守ってて」


「護衛がただ船を守っているというのも滑稽な話ですがね……」


「そんなことを気にする場合じゃないからさ。さぁ全速力で進もうか」



 そうしてディルは船員に指示を出し、クリスが乗る戦艦の近くへと移動させる。

 海龍は様子をみているため、その程度なら余裕があると思われた。グレイシャー家の船は、高い攻撃力を誇る。もちろん船底からの攻撃もいくつか揃えており、海龍はそれを警戒して船底には仕掛けてこなかった。



 炉を全力で稼働させた船は、猛烈な速度を出し艦隊に近づく。大きく声を上げればお互いの声がなんなく聞こえる程度の距離に移動した。



「ア、アイン様っ……っ!?」


「クリスさん!今朝ぶりだね、大変そうだって聞いて手助けに来た。俺があれを倒すから、一緒に王都に帰ろう!」



 クリスだけではない、騎士や冒険者たちも何を言っているのだと思ってしまった。

 それほどにアインがしていることはばかげている。たった一隻でこの危険な海域へと乗り込み、自分が倒すと言われても、何を言っているのだとしか考えられない。



「どうして……どうして来たのですか!陛下にオリビア様!ロイド様はアイン様をお止めしなかったのですか!」


「止められたに決まってる!強引にここまで来たんだ!」



 アインがロイドたちの作る包囲網を抜けて、王家専用列車を使ってここまで来たと言うことを思うと、なぜそんなことをという思いと、どうやってそれを成したのかというのが気になった。

 だが手段などはこの際どうでもいい。自分が大事に思っていた王太子が、こんなところまで足を運んでいることが一番の問題だから。



「では今からでも!」


「今からでも帰れなんて言う訳ないよね!もうそんなこと無理なのはわかってるはずだ!」



 アインが言う通り、今から港に帰るのは不可能だろう。それでも可能性に賭けてアインには帰ってほしかった。



「どうしてそんな命を捨てるようなっ!アイン様がいくら優秀なスキルを持っていようとも!海龍が相手では相性が悪すぎます!」



 デュラハンと海龍では、純粋な強さを比較すればデュラハンに軍配が上がる。それほどにデュラハンは強く、危険な魔物だった。

 だが海上での戦いとなれば、そう簡単にはいかなくなる。なにせ海は海龍のホームであるからだ。



 そしてもう一つ、アインは決してデュラハンではない。暗黒騎士という強力なスキルを持っていようともそれは変わらない。



「アイン様。そろそろです」


「あぁわかった。……クリスさん!」


「えぇ聞こえます!お願いです、どうか港へお戻りを!お願いしますっ……!」



 ディルからの報告を受けて、アインは考えたことをクリスに伝えようとする。

 だがアインの話を聞こうとしないクリスに、アインは強気に告げることにした。



「……近衛騎士団副団長クリスティーナ!俺の王太子としての命令を、初めてクリスに下す!グレイシャー家の船が流されぬよう、お前が乗る船で背後から支えろ!」


「っアイン様!?一体何を……!」



 唐突なアインの命令に驚きを隠せないクリス。アインは王太子としての権限を行使することは今まで一度もなかった。

 だというのに、このような場所で初めてそれを行使する。それに動揺してしまう。



 冒険者たちも、そして騎士達も同じく動揺していた。

 王太子ともいう身分の者が、このような死地に現れただけでなく、いきなり命令を下したのだから。



「ディル。船は全て任せるよ」


「仰せのままに。アイン様……いえ、殿下」



 そしてアインは船頭に立ち、深呼吸をした。その姿を見てクリスはアインへと声をかけた。



「アイン様何をっ……どうかおやめください!」


「クリス!王太子の命令に背くのは、近衛騎士団副団長として許されない。俺の命令を遂行しろ、そして俺は……」



 海中から浮上した海龍。グレイシャーの船から若干離れた場所から、アインを確認するとそのまま突進を始める。



 なにがなんだかわからないクリス。だが自分が命令を下されたことは理解できた、このような戦場であろうとも、自分が仕える者からの絶対的な言葉。なんとかほんの少しだけ落ち着けたクリスは、その命令を遂行するため、命令を下す。



「……王太子殿下のご命令だ!グレイシャー家の船を支えろ!」



 クリスが乗った大きな戦艦は、グレイシャー家の船を後ろから支えるように動く。前への推進力も利用して、言われた通り流されないようにした。



「俺は。こいつと戦うから」



 謎の魔石を吸収して、アインはまた多くの成長を遂げた。その内容は確認できていなかったものの、格段に強くなった魔力は、今まで以上に強く幻想の手を使えると確信していた。



 背中から6本もの幻想の手を出現させ、海龍の鼻と額の間にそれをぶつける。

 どことなく筋肉質で、少しのグロテスクさを醸し出す6本の触手は、海龍の突進に対抗した。



「っ……いける、大丈夫だっ!まだいける……!」



 誰一人として予想しなかったことだ。まさかアインが正面からその突進を受け止めるとは思いもしなかった。

 だがその衝撃は休むことなく、グレイシャー家の船へと伝わり船は後退していく。

 それをクリスが乗った戦艦が抑えることにより、衝撃の多くを殺した。



「初手は俺の勝ちだぞ、海龍!」



 たった一人の人間が、これほどの巨体が繰り出す突進を抑えるなど誰も考えなかった。

 クリスはようやく船を支えろと言われたことの意味を理解した。それでもアインがこれほどのことをしたことにまだ理解が追い付かない。



「ア、アイン様!正面からやりあうなんて聞いてませんよ!」


「言ってないからな。後悪いディル、これから海水浴してくるからさ。帰り待っててくれたらありがたい」


「海水浴っ……?何をなさるおつもりですか!」



 討伐隊も何が起きたのかわかっていない様子だったものの、一人の男の子が正面から突進を止めたことに歓喜し、希望を見出した。



「このまま攻撃続けられたら万々歳。でもそんなうまくいくわけないんだよ、こいつも生きてるからさ」



 長く作り出した幻想の手の先には、唸り声を上げながら攻撃しようとしている海龍の姿。アインはそれを指さし事はうまくいかないと口にする。



 するとアインが言う通り、状況は動いた。海龍はそのまま体を下げ、海中に潜るように動き始めたのだ。



「っアイン様お下がりください!それはダメです!!」



 ディルの声が響くがアインはやめない。アインは七本目の幻想の手を繰り出し、それを海龍へと突き刺した。その先にはカティマ特製の爪が装備されており、その爪は海龍にも傷をつけ、なんなく突き刺すことができた。



「もっと頭がいい方法はあると思うよ。でも今はこれが俺の最善だ!……暗黒ストローなんていうジョークじみた名前なのが、今回ばかりは少しだけカッコつかないかもね」



 6本の腕で海龍の額部分に巻き付き、7本目を突き刺したことによりアインは海龍の額に固定される。

 そして海龍はそのまま海中へと潜り込んだ。



「アイン様っ……アイン様ーッ!」



 クリスは悲痛な叫び声をあげる。だがそれはアインへと届くことは無かった。




 *




「(こんなことなら、もっと同じ爪作ってもらっときゃよかったよっ!)」



 海龍は海中に潜り込み、どんどん下へ下へと進み続ける。

 水圧が心配だったものの、謎の魔石を吸った後からなんとなく自分を守る術は少し理解していた。

 そのおかげか水圧で体がやられることはなかった。



「(海龍!根競べだ。最後まで付き合えよ……!)」



 アインが考えたことは、愚直なまでに素直で単純なやり方。

 吸いつくせれば自分の勝ち、その前に自分の体力が尽きれば自分の負け。

 腰にはヒールバードの魔石を詰めた袋を装備して来た。それも含めて自分と海龍の勝負だった。



 魔石から中身を吸われていることがわかるのだろう。海龍は苦痛な叫び声を上げながら、アインを自分の頭から引き離そうと、大きく動き続ける。



「(そんな動き回るなよ。俺だって辛いんだ、同じ条件だろ?海龍)」



 少しずつ暗くなっていく海中に、少し怖い気持ちを抱いてしまうが今更の事だ。

 いくら恐怖に感じようともこれから先、自分が空を目にすることができるのは、海龍を倒してから出なければ無理なのだから。



「(くそっ。早速ヒールバードの魔石だ)」



 体力の消耗が激しい。大きく動く海龍に、多くの幻想の手を繰り出しそれをコントロールする魔力に精神力。どれを取ってもアインの消耗は激しく、唯一の回復手段であるヒールバードの魔石を消費してしまう。

 一つ使ってしまうほど消耗すれば、次に使うのもすぐだ。数秒たち再度もう一つの魔石を消費し、どんどん魔石は消えていく。



 海中に引き込まれてから数十秒。呼吸をしないで耐えられる時間にも限度がある。

 必要な酸素に関して言えば、ヒールバードの魔石から回復できるようなものではなかった。



 海龍も消耗を続けている。生きながら魔石から中身を吸われるのは苦痛なのだろう、叫び声のような咆哮はさらに迫力を増し、動きにも必死な様子が見て取れるようになる。



「(……あぁ。海龍、お前最高だよ。最高にうまい。こんなうまいの口にしたの初めてだ、こんな時でもなければもっと楽しみたかったんだけどな)」



 まるで魚介類の旨味、エキスだけを凝縮したかのような濃厚な味に香り。魚なのか、蟹などの甲殻類なのか。それともホタテなどの貝のような味なのか。複雑に絡み合った旨味はどの味なのかわからない。

 だが今まで食べて来た食べ物の中で、何よりも美味いと感じているのは事実だった。



 できるならこの味を何もない平和な場所で味わいたかった。そう考えてしまう。



「(こんな時に味のことまでしっかり考えられるんだから。ちょっとした魔石グルメだよほんとっ!だけどな、もういいだろ!俺もお前ももう限界なんだから、そろそろ俺に譲ってくれてもいいんじゃないか)」



 海中に入ってから、すでに一分は過ぎている。呼吸が苦しいだけでなく、酸素不足から体の動きも大分鈍ってきた。幻想の手が解除されたらその時点でアインは敗北する。もう海龍の好きにできるからだ。



「(まだ絞り出せる。力が足りないなら無理にでも作り出せばいいだろっ!こんなにも良質な栄養があるんだから!)」



 海龍から吸収しながら、吸収したその力を利用し圧力をかけるアイン。

 幻想の手も数を増やしすでに合計9本となっている。一本一本に多くの魔力をつぎ込んでいるため、負担も比例して大きくのしかかる。



 最後のヒールバードの魔石も使ってしまった。あとはもう根性でなんとかするしかない。だがそれでも火力が足りない。見る限り海龍は瀕死のようだ、だがそれ以上にアインも限界が近い。



 何かできることは無いか。まだ絞り出せないか。手段を多く考えてみるものの、今出せる自分の限界は既に来ていた。目からは血の涙が流れ、腕の皮膚はまばらにめくれている。空気も限界に近く、視界は暗く意識も少しずつ朦朧としてきた。



「(……まだ俺には無理だったか。でも海龍、お前ももういずれ死ぬだろ?なら引き分けだよな……)」



 どうしても勝ちたかった、勝ってまた城に帰り今まで通りにみんなと生活がしたかった。

 少なくともクリスはこれで帰れるだろう。海龍はアインが死んだとしてもすぐに息絶えるだろうから。



「(黒い甲冑を身にまとい、その剣劇は並び立つ者が居ない。そんなデュラハンみたいに強くなりたかったけど……そっか、そうだな。これぐらいやっておきたい)」



 もう最後だ。でも自分の手で直接傷をつけなかったのもちょっとしゃくに思えた。そう思ったアインは、腰に装備していた一本の短剣を引き抜いた。



 ララルアがアインへとプレゼントに渡した一本の黒く美しい短剣。

 今ではアインも気に入る、相棒と言ってよい剣だった。



「(じゃあこれで最後だ海龍!正直心残りしかないけどさ、お前とこうしてやりあえたのは少しだけ楽しかった。あとすげえ美味かったよお前……っ!)」



 そうしてその黒い短剣を、海龍の額に突き刺した。



「(もう限界だ。じゃあな……ごめんなさいお母様、クローネ、クリスさん……)」



 グチュッと肉が裂けるような音がして、海龍の額からアインの暗黒ストローが抜ける。幻想の手は次々とその姿を消滅させ、アインは意識を手放した。



 ……だがそこで、意識を手放したアインが想定していなかったことが起こった。

 アインが意識を手放した直後、黒い短剣は海中であるというのに、黒いもやのようなオーラを発現させたのだ。



 その黒いオーラは海龍の魔石に溶け込みはじめる。



 海龍は苦しそうに叫び、徐々に体の動きを止めていく。やがて瞳も光を失い、完全に動きは止まってしまった。



 海龍が動きを止めたと同時に、海中をパリィインという音が響き渡った。

 魔石が粉々に割れ、海龍が死んだと言うことの証明。



 そして音が響いた後、黒い短剣はその黒いオーラと共にまるで煙のように消滅した……。




 *




 沖であった騒動もなんとやら。港町マグナは大きな歓喜に包まれていた。

 海龍という絶対的な海の支配者、イシュタリカという強大な国であろうとも、大きな被害を免れない凶悪な魔物。



 それがこの世代では、2頭も発生した。



 港町マグナに住む者達は、例外なく恐怖を抱き不安に思っていた。数多くの住民が避難し、命を守っていた。討伐隊が命を懸けているのに、逃げるわけには行かないと多くの漁師たちは町に残っていたものの、それでも彼らが恐怖を抱いていなかったわけではない。



 そんな中、大きな歓喜に包まれたのには理由があった。

 討伐隊は壊滅的な被害を受けてながらも、多くの隊員が生還。海に投げ出された者達の多くも救助がされ、港町へと帰還した。



 一斉に涙した討伐参加者たち。彼らのほとんどが、命はもう無いものと思って現場に向かったからだ。

 帰りを待つ多くの家族たちも同じく涙し、帰還したことを喜んだ。



 艦隊は海龍の亡骸を運んできた。しばりつけ、無理やりひっぱって港まで運んできたのだ。

 その大きく圧倒的なオーラを放つ海龍の姿を見て人々は驚いたものの、2頭も倒したと言う事実を目の当たりにした住民は、さらに大きく歓喜した。



 そんな中グレイシャー家の船では、一人の美しい女性が膝に男の子を抱え、彼が起きるのを待っていた。



「あれ、ここ……」


「お目覚めですか。お馬鹿な王太子殿下?」



 目を開けた男の子は、その優しく澄んだ声がする方向を見た。



「やぁ。さっきぶり、クリスさん」



 クリスの瞳は赤く充血し、周囲は腫れぼったくなっている。その様子を見てアインも、クリスが泣いていたことを理解した。



「やぁ……じゃないです。馬鹿アイン様っ……!」



 いつものようなクールな様子ではなく、若干自分の素が出てしまっているクリス。



「馬鹿ってひどいよ。これでも王太子なんだけど俺」


「なんとでも言えばいいんです。馬鹿、馬鹿っ!」



 その美しい姿と違い、若干の少女らしさを醸し出すクリスに、アインは少し可愛いらしさを感じる。



「でもさ、なんとか帰ってこられたみたい。もう駄目だと思ったけど」


「……左腕をご覧ください」


「えっと、左腕?」



 アインの左腕には、昔ウォーレンから手渡された体を守るアクセサリー。大地の紅玉が付いていたはずだった。その紅玉は粉々に飛び散ってしまったようで、今では見る影もない。



「あれ。大地の紅玉割れちゃったんだ」


「あの石は、生命の危機になると発動する性質もあります。だからアイン様が海中で溺れず、浮上するまでなんとか命を保てたのです」



 危険があるとそれを弾くことは耳にしていたアイン。そんな機能があると聞いてすごいと思ったものの、すでにその紅玉はアインを守って壊れている。



「なるほど。だから俺はあの後助かったんだ」


「本当に。もうあんなことしたら駄目です。絶対に絶対ですからね!」


「あーうん……まぁそんないつもあることじゃないし、もう大丈夫だと思うけど」



 今までで一番必死なクリス。アインが自分を助けに来てくれたことは何よりも嬉しかった。

 アインとは言え、異性に膝を貸す程に嬉しく思ったクリスだが、それでもアインがしたことは許せない。



「ディル殿から聞きました。王族令まで行使して、王家専用列車を乗り潰す勢いで向かってきたと」


「……あいつには説教が必要だ」


「アイン様にこそ必要かと思います!」



 その通りだった。無茶を重ねての結果なだけあり、アインとしてもたくさん怒られるのは覚悟していた。でも今クリスからされるのは疲れが溜まりそうだったので、なんとか回避したい。



「ま、まぁまぁ……。そういえば、あれ持ってきたんだ」



 アインが見たのは倒された2頭の海龍。まさかこのまま引っ張って持ってくるとは思ってもみなかったので、驚いてしまう。



「海龍の体はなんにでも使えて、高い質を誇る貴重品ですから」



 それを聞いて納得した。あんなに強く強大な魔物だったのだから、骨まできっと使えるのだろうと。



「あっ!それで思い出した。大事なことがあるんだよクリスさん」


「だ、大事な事ですか……っ?まさかまだ問題が」



 大事なこととアインから言われ、警戒してしまうクリス。



「すっごい美味しかったよ。海龍の魔石、あんなに美味しいのはもうないだろうなあって」


「……」


「あれ、クリスさん?」



 とてつもない美食だった。それほど良い味だったのだ、海龍の魔石の味は。

 それをクリスにも伝えたいと、アインはそれを口にしたがクリスは返事をせず、瞳から色を失った様に見える。



「……あんなことがあったというのに、次に口にするのは味の事ですかッ!」



 アインにとっては重要な事だったが、クリスや周りの人間からしてみればもっともな事だった。

 だがクリスはおかげで少しだけいつもの元気を取り戻したようで、声色も戻ってきた。



「いやいや。俺にとっては大事な事だったんだからね!まったくクリスさんは……」


「え、えぇ……どうして私が悪いように言われるんですか……」



 開き直ったアインは、クリスが悪いというように反論する。それを受けてクリスは少ししょぼくれるものの、決して元気がなくなったわけではない。



「……さぁ、帰ろっか。城に戻ろう、みんなが待ってるから」



 ――統一国家イシュタリカ。王太子アイン・フォン・イシュタリカ。後世において彼のことが語られる際、何よりも最初に語られることがこの騒動についてだった。



 魔石の王アインは、単騎で海龍の突進をその身に受け、海中でそれを討伐した英雄だと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る