城に着いてから[後]
やぁ僕だよ、アインだよ。
今いるのは浴場と繋がっている綺麗なサロンだよ、え?浴場ではどうだったかって?
うん、それを語る必要は無い。
「いいお湯でしたねアイン」
「はいお母様」
先ほどまで入っていた浴場は、いくつもある浴場の中でも一番広い大浴場。
もちろんそんな広い浴場がいくつもあるわけがなく、大浴場は一つだけしかない
とても広くて綺麗なお風呂でしたよ、ジャグジーとかも完備されてて逆カルチャーショックを受けた。
なんかいい匂いのする石鹸で体を洗ってもらって、とてもいい時間でございました。
男湯?聞いたことない単語ですね……。
「冷たいものをお持ち致しました」
大浴場の前で待っていてくれたクリスさんが飲み物を持ってくる。
中身は冷たいお茶だ。
「はー……スッキリしたわ、あとはご飯食べて少しお休みですねアイン」
「何が食べられるか楽しみです」
「一段とお腹が空いていらっしゃるようですねアイン様」
だからクリスさん、お前は何でおれの空腹を理解しているんだ。
恥ずかしいからやめなさい。
「これは早めの訓練をしていただければならないですね。あるいは食事をして満腹になれば変わるのかしら……」
クリスさんが何かを呟いているが気にしない。
火照った体に冷たいお茶が美味しいです。
*
「一先ずは多少お疲れを取っていただけたようですね、なによりです姫様、お帰りなさいませ」
「マーサっ!えぇただいま、やっと貴方が来てくれたのね」
「……姫様、幼少の頃から何度も何度も……何度も言ってきましたよね、唐突に行動するのではなく前もってしっかりと考えること、思わぬ事故が起きてからでは遅いですよと」
オリビアによって呼ばれていたマーサが、ようやく到着した。
「(マーサさんって、え?この女の子?)」
現れたのは身長140程度のこげ茶の髪の女の子、少しのそばかすがアクセントの可愛らしい少女だった。
しっかりと着こなしているメイド服とのギャップがすごい。
「(アイン様、驚かれているかと思いますが……彼女は立派な成人です、オリビア様のお世話係もできるほどお歳をとっています、それに……それに彼女は既婚者です)」
「(き、既婚者……あの人が!?)」
そばにいたクリスがこっそりとアインに耳打ちしてくれた。
何考えてるのかバレてるのがまた悔しいアインだった。
とりあえず合法ロリが素直に結婚できるこの国の文化、それを称えることとした。
アインの好みとしては年上だったが。
「あれぇ……?折角帰ってきたのに、いきなり怒られるのかしら私。なんか思ってたのと違うわ」
「私も同じく考えておりますよ姫様?急なお帰りのせいで何一つご準備できてませんでした、特にお隣にいらっしゃるアイン様に必要なものは不足してますよ」
なにそれ、部屋無いとか?アインが不安に思うが、先ほどのオリビアの言葉を思い出す。
部屋はオリビアと一緒と聞いていたし、不自由があるようには思えなかった。
「アイン様、お初にお目にかかります。私はマーサ、第二王女オリビア様専属メイドをしておりました。今は一等給仕として城内にて奉仕しております」
「あ、あぁ……初めましてマーサさん、俺はアインです。前の名を名乗るのもちょっと違う気がするので、今はただのアインとして名乗らせていただきます」
「ご丁寧にありがとうございます、失礼ですが一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
アインが自己紹介をしたとき、いや最中に急に顔を顰め始めた。
何が知りたいのだろうか。
「なんでしょうか?」
「大変失礼ですが、前の名をというのはどういった意味でしょうか?」
なるほど、離縁を知らない。
それはそうだろう、何せオリビアも誰も離縁について話していないのだから。
「え、えぇっと」
俺が言っていいことじゃない気がする。
そう思ったアインが言いよどむ。
「ねぇマーサ、私なんで帰ってきたと思う?ねぇ当ててみて」
オリビアが楽しそうにマーサに尋ね始めた。
「はぁ……そうですね、一介の給仕である私には存じ上げませんが、お国で……イシュタリカで緊急の問題があったとかでしょうか?あるいはアイン様の顔見せですか?」
マーサが答えるが、その顔は少し疲れていた。
しばらくぶりに帰国したオリビアが、いきなりクイズが如くからかうように話し出したからだ。
「はい外れです、正解はですね……私、もうあっちに戻ることありません」
「(このマーサさんって人は、お母様にとって本当に素になれる人なんだろうな。こういう悪戯する姿なんて初めて見た)」
「なるほどもうハイムには戻らないと、えぇ仰る意味が分からないのですが」
「ねぇマーサ。食事は何を用意してくれたのかしら」
「肉類をご所望だったとのことですので、メインに小さめのステーキを、あとは疲れがとれるスープなどをいくつかご用意しておりますよ、それで先ほどの意味を説明してくださいませんか?」
マーサという小さく可愛らしいメイドが怒っている、その姿は額にだんだんと青筋が浮いてきていた。
「お母様そろそろ話してあげたほうがいいんじゃ……」
「本当にせっかちなんだから、いいですよ教えてあげます。私、オリビアはローガスと離縁致しました。はいもういいかしら?」
「そう一言で済ませることではございませんよ姫様?まったく理解できていないのですが」
あぁこれもうだめだわ、完全青筋だわ。
青空もびっくりの青色だわ、アインは諦めることにした。
「そう言われても……ねぇクリス?」
「姫、私も詳しい離縁の内容についてお伺いしていないのですが」
「あら……アイン、こっちにいらっしゃい?」
逃げ道を失ったオリビアがアインを膝の上に呼ぶ、もちろんアインは喜んでそこに座り込む。
「アイン様を使って逃げるのもどうかと思いますが」
「クリスが冷たいの、アインひどいと思わないかしら」
「えぇひどいですね」
クリスはアインをうわぁ……といった感じの瞳で見る。
マーサも若干不憫な子を見るような目でアインを見た後、オリビアへと話しかける。
「姫様のご教育がとても順調なのはよく理解できました、陛下の下でお話になるのでしょう?」
「そうよ、とりあえずお父様に報告してから、貴方たち二人にも同じ内容を伝えます。いいですね?」
オリビアの態度が少し変わって、先ほどと違った少し真面目な表情、声色となってこれを伝えた。
その意思を尊重してか二人が引き下がる。
「……アイン様、長旅でお疲れでしょう?さぁこちらへどうぞ、お部屋へご案内いたしますね」
「よろしくお願いします」
マーサがオリビアへではなく、アインにお疲れさまでしたと声をかける。
これはマーサなりのオリビアへの了承の返事であり、気遣い……ちょっとした仕返しだった。
「ねぇねぇマーサ。どうして私にはお疲れ様ってないの……ねぇ私も案内してよ、もう……」
「久しぶりだというのにからかいすぎるからですよ、私がご案内しますので参りましょう」
城に戻り風呂に入り、そして自分の世話係を長年務めたマーサも姿を見せた。
そのおかげか、今までオリビアが見せることがなかったオリビアらしさ、そんな姿が垣間見えた。
*
「急な対応お疲れさまでしたマーサさん」
「いえいえ、昨夜からの遠征任務についたクリス様程ではありませんから」
クリスにとっては昨夜からの緊急のお迎え任務、そこからようやくの一休みだ。
アインとオリビアの二人を部屋へと案内し、食事を終えた後彼らが小休憩するので、クリスも少しの休憩時間となった。
若干クリスは眠そうな顔をしている。
マーサとしても昼頃急に帰ってきたオリビアのため、食事や着替え……多くの使用人を動員しての浴場の支度、そして予想していなかったアインの出現による、アインのためのいくつかの用意。
「あの年齢のお子様……アイン様には辛い日程と思いますが、この短い休みでいいとは」
マーサが感じたのはアインの手間のかからなさ、ここが一番初めに目に付いた。
会話も気遣いもそつなくこなし、空気も読める。
母への愛が強すぎるきらいはあるが、現状は常識の範囲内と思われた。
「本当ですよもー……むしろオリビア様より手がかからなかったんですよ?もう本当にいい子でいい子で」
「昨夜からご一緒なさってましたもんね、クリス様は」
「はいそうなんですよっ、でもほんっと何て言うか気遣いがすごくできる子で……私たちがお迎えに向かった時だって、オリビア様を守るように前に立って警戒してましたもん」
オリビア達のすぐ近くの部屋、そこに控えていた二人の会話はもっぱらアインとオリビアの事だ。
昨夜のクリスも、執事室からオリビアの連絡を受けた時、あの人は何をしているんだ……とつい考えてしまった。
一方先程のマーサとしても、何を言っているんだこいつは、との考えをむしろ態度に出した、分かりやすい青筋がそれを物語っていたはずだ。
「……自由という言葉を辞書で引くと出てくるオリビア様が?立派に子育てをできたと……?」
「正直私も疑ってますけど……でもオリビア様があんなに人に執着してるんだから、嘘じゃないんだろうなーって思ってます」
「子供のほうが立派で、逆に親を本当の親なのか疑うなんて……給仕をこんなに続けてきて初めてですよ」
「実は私もです」
オリビアも頭は昔からよかった、同年代では相手にならないし、貴族の嫌味を嫌味で返せるほどに頭の回転もよかった。
ただ欠点を言うならば自由奔放……自由すぎたのだ。
「クリス様、あなたは今日これからどうなると思いますか?」
「陛下の前でということですか?」
「そうです、私たちはあと一時間少ししたらお二人を起こしにまいります、その時にどうなるか・・です」
「やっぱり怒るんじゃないかなって思いますよ。だって帰ってきたのにお風呂にはいって、あがったらご飯食べて……それから息子と寝てるんだから、誰だろうと怒るって思います」
「あぁ陛下はおそらく知りませんよ、オリビア様が戻っていることを」
「え?オリビア様が帰っていらっしゃったことをですか……?」
そんなはずはないだろう、だってあんなに何人にも姿を見られていたのに。
あげく騎士にマーサ呼んできてと命令したりと、これでばれないはずがない。
「えぇ、とりあえず関係者には全員"知らなかった"ということにしなさいと命令してあります」
「あ、あぁー……なるほどマーサさんが」
「陛下がいろいろと考える時間を与えてしまわないほうがいいでしょう、むしろ唐突にただいまと言いに行った方が問題がなさそうですから」
マーサは一級給仕としてそれなり以上の命令権を持つ、特にマーサの場合オリビアの専属であるため、その言葉は近衛騎士団の副団長、クリスのそれと同格といっても過言ではない。
「マーサさんは優しいですよねー、オリビア様もおかげでゆっくり休めてますし」
「……ゆっくりお話ししたいですけど、まず別のことをしっかりと終えられてからですね」
悲しそうな表情を浮かべたマーサ、多くのことを考えていた。
いつ帰ってきてもいいように、オリビアが嫁に出た日から何事も手を抜かないで務めた。
そう考えて務めていたにも拘わらず、"オリビアにとってのマーサ"としての働きが出来ていた気がしないのだ。
出迎えもできず、やっと会話ができたのは、二人が浴場を出てサロンで一息つき始めた頃だから。
「えぇ、そうですね。とりあえずはいきなり離縁して帰ってきたことを、しっかりと話してもらいましょう!」
「理由を聞くまで怒っては可哀そうですからね、まずはしっかり説明を聞いて考えるのが一番ですね」
(あーうんそうだよね、マーサさんにとってはやっぱりそこからだよね……)
教育係の一員としても傍にいたマーサ、彼女はその小さな体とは打って変わって、何事にも厳しく凛とした態度で向かう、オリビアの未来はどう転ぶだろうか。
「って熱いっ!あぁー……火傷しちゃった……うぅ、痛い……」
疲れて眠そうにしていたクリス、紅茶を手にこぼしてしまう。
(姫様が戻ってからの二次災害でしょうか、クリス様のポンコツ具合が戻っているような)
自由な姫と、ポンコツなとこがある騎士、二人とも個人スペックが無駄に高いがゆえ、いくつかの面倒事を起こすことがあった。
マーサはそれが復活するのかと考えると少し疲れた顔になったが、同時に楽しかった過去を思い出したようで、最後には少し笑顔を浮かべていた。
「はぁ火傷痛いなぁ……あ、でもアイン様がお腹いっぱいになってから体のだるさも消えたし、すぐ治る治る。うんうん……アイン様の体質についてきちんと考えておかなきゃなあ……」
「クリス様?アイン様の体質ってなんですか?」
マーサが声をかけると、クリスは既に寝付いてしまっていた、護衛の責任者として仮眠をとる余裕がなかったのだろう。
神経を使う仕事を一晩中していたのだから。
「本当にクリス様は寝付くのが早いんだから」
クリスが気になることを言っていたが起こすわけにはいかない。夜にでもまた聞いてみよう。
まずは休憩してもらって、あとでゆっくりと話すことにした。
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