純文学とライトノベルの違い

尨犬

第1話

純文学とライトノベルの違いということで、一つ拙論ながら述べさせて頂きたいと思います。


はじめに、共通認識として確認しておくべきは、純文学とは純粋な文学の略称でありまして、文学とは学問に属するという点であると考えます。

およそ、小説という形態を取りながら、文学問上の純粋な何か、或いは純粋さそのものを研究する、これこそが純文学と私は捉えております。

一様に文学問上の純粋さと言いましても、ナンノコッチャですから、詳しく説明したいと思います。

単刀直入に申し上げて、純粋さとは、カタルシスのことであります。今は亡きギリシア悲劇における、解放や浄化という意味あいで用いられるカタルシスというものが、近現代の日本における純文学に同義のものと私は考えます。

ギリシア悲劇には、喜劇及びサテュロス劇に見られるような歌舞伎的な自由はなく、多くの制約と構成に縛られたものでありました。私の知るところによると、ギリシア悲劇は能楽にちかいものという評価を受けているようです。

そこで、問題になるのは、純文学とライトノベル及び大衆文学に制約的なものが存在するのかという点であります。この制約こそが、本企画において主問題になる"違い"となる訳であります。

これがカタルシスがあるかないかの違いであります。ところが、カタルシスといって、単に感動すれば良いのでは違いなど見つけられないという考えもあると思います。

私が申し上げたいのは、カタルシスとはただの感動や心の揺れ動きではないということです。カタルシスというのは、飽くまで学問の上で議論されうる感激ということでありまして、感覚のみに頼った選り好みとは異なるということであります。

一般に、純文学が風刺や諧調、政治問題や冠婚葬祭はたまた神学や哲学を扱うのも、議論の余地があるからでありましょう。

対して、ライトノベル及び大衆文学には、そのような余地は見られないように私には見受けられるのです。

したがって、私の拙論を終わりたいと思います。

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純文学とライトノベルの違い 尨犬 @mukuinu

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