recette2 期待の大型新人と雲クリームの反乱

期待の大型新人と雲クリームの反乱1

「おはよーございまーす」


「お、おはよう、幸久ゆきひさくん」


 十月はじめの月曜日。夕方十七時のピロート厨房内。明日使う予定の魔力含有食材の選定をしていた蒼衣は、顔を上げて反応する。

 業界内では当たり前のあいさつ……夜でも「おはようございます」を八代や馴染みの業者以外から聞くのは久しぶりで、ぎこちなくなってしまう。

 蒼衣の視線の先には、真新しいコックコートを身につけ、紙の帽子をかぶった青年――三蔵さんぞう幸久ゆきひさがいる。

 一週間前、突然店に現れた彼をピロートのアルバイトとして採用したときの出来事を思い出し、蒼衣は緊張から、小さなため息を零した。


:::



「蒼衣くん、弟子を取ってみたらどう?」


「――で、弟子ぃ!?」


 話は、蒼衣と八代の素っ頓狂な声が響いた一週間前にさかのぼる。

 蒼衣と八代を見て、ニコニコとどこか楽しげな笑みを浮かべる広江を二度見し、蒼衣はやっとのことで口を開いた。


「で、弟子って、どういうことですか師匠」


 突然の「弟子」発言におろおろする蒼衣だったが、広江は相変わらず笑顔のままだ。


「蒼衣くんも、一国一城の主になったのだし……そろそろ、手が足りなくなる時期かしらと思って」


 一緒に叫んだはずの八代が「まあ、たしかに」と納得した様子を見せた。

 懸念通り、厨房も販売も、どちらも二人だけでは店を回せないのは、事実ではある。だから、以前の電話でアルバイトのことを聞いたのか、と納得する。

 しかし、蒼衣は眉をハの字にして「それはそうなんですけど」とよわよわしく発言した。


「僕は、まだ弟子なんて取れる力はないですよ」


「あれだけ腕が上達したのに、メンタル面では変わらないわねえ。まあ、蒼衣くんらしいけど」


 ペン・エクレア一つ作るにも浮き沈みが激しい自分が、販売のアルバイトならまだしも、弟子として若い人を指導できるとは、到底思えない。

 お菓子に対する自信や技術と、他人の教育は別物だ。

 悪いとは思いつつ、まだ魔力効果が残っている広江の「感情」を探る。

 ――「信頼」と、いくばくかの「希望」。誰に向けての信頼と希望なのか図れずにいると、今まで黙っていた幸久が「母さん」と口を開いた。


「話が違う。ここで一年修行したら、母さんの厨房で働けるって話だったのに。だったら大学辞めて母さんのところで働かせてよ」


 あからさまな怒気が含まれた発言に、蒼衣は体をすくませる。

 彼は、広江の弟子――魔法菓子職人――になりたいのだろう。ならば確かに、広江の元で修行したほうがどう考えてもよいはずだ。わざわざ長野から名古屋に移り住むのも大変だろう。いっそ、彼と一緒に反対すれば体よくお断りできるかもしれない……と考えて、はたと「大学」という言葉が気になった。


「彼、大学生なんですか?」


「下宿して、名古屋の大学に行ってるの。せっかく合格したのに、辞めるなんて」


「名古屋……」


 専門学校卒の蒼衣は、いわゆる「大学受験」をしたことがない。しかし、八代やほかの話を聴く限り、容易なことではないはずだ。それを職人になるために棒に振るのは、いささか極端すぎやしないだろうか。しかも、地元長野からわざわざ名古屋まで出てきている。

 これでは容易に彼の肩を持てない。しかし、自分が本当に弟子を取れる人間なのだろうか。安易に快諾など、できない。

 どう言葉を挟んだらいいのだろうか。わからず黙っていると、広江は小さくため息を吐く。


「何度も言うけど、学校を辞めるのは絶対ダメ。これは、あなたの親としての主張よ。まだ引っ越し費用も稼げないくせに、生意気なこと言わないで」


「でも、俺は……」


 幸久はしかし言葉が続かないのか、黙って拳を握る。なにか、部外者の前では言えない確執があるのかもしれない。詮索は出来かねる。

 ――親として。

 初めて見る「親」としての広江の姿に、蒼衣はナイフをえぐりこまれた気持ちになる。

 ――学びの機会を捨ててまで、飛び込む職ではない。そんな博打はやめろ。お前は自分の人生を棒に振るのか。正気じゃない――

 過去に放たれた言葉が脳裏を掠める。忘れていたはずの苦しさが広がり始め、必死で無視する。


「そして、職人として。うちは、そもそも未成年は雇わないと決めてるの。それは家族であっても例外はないわ。だから、たとえ勝手に大学辞めてこっちにきても門前払いするわよ。これがどういうことか、わかるでしょう」


 つまり、無理矢理大学を辞めたとしても弟子にはなれないと広江は言うのだ。


「それに、蒼衣くん……天竺シェフの元で勉強するのは、あなたのためになります。さっきの新作魔法菓子で確信しました」


 広江が鋭さをにじませ、言い放つ。

 自分の息子を任せるに値する職人であるかどうか――突然の「課題」の理由はこのためだったのか、と得心がいった。

 おそれ多い評価に心が浮き立ちかけるが、当の弟子候補の顔には疑念の表情が浮かんでいる。


「マジ? 俺のためになる? このひとが?」


 じろり、と無遠慮に見られ、蒼衣はたじろぐ。


「幸久、言葉と態度には気を付けなさい。職人の世界は上下関係が厳しいの」


 広江がぴしゃりと言い放つと、幸久はぐ、と言葉を失う。次いで、彼女は「蒼衣くん」と名前を読んだ。


「これも、星の巡り合わせよ――お願い」


 広江は座ったまま蒼衣を見上げる。

 伝わる感情は、まるで縋るような「願い」と「弱り」だ。はて、こんなものを抱えているひとだっただろうかと蒼衣は考える。いつもひょうひょうとしていて、我が道を行く、したたかで心の強いひとが。

 蒼衣の知っている広江とは違うひとが目の前に居るような気がする。不安から、八代の顔を見てしまった。

 眼鏡の奧で瞬きをした八代は「すいません、ちょっとこいつ借りていいですか。作戦会議をね」と広江に断りを入れ、蒼衣のコックコートをつかむと、三蔵親子からは見えない位置のカウンターへと引っ張り込んだ。まだなにやら二人が言い合う声が聞こえてくるが、距離を取れたことで蒼衣の口からほっと安堵の息が漏れる。


「ごめん、うちの師匠が迷惑をかけて」


 八代は「唐突だから驚いてはいるけど、まあ気にするな」と苦笑したあと、


「で、蒼衣はどう思ってんだ。本音としては」


 と、真面目な顔で尋ねてきた。

 即答できずに言葉に詰まる。が、ここで話して整理しなければ、広江と幸久への返事もままならないだろう。

 八代は、そのために蒼衣を連れ出してくれたのだ。


「……弟子、を育てられる自信は、あるとは言えない。でも、師匠が僕にあんなこと言うのは、初めてなんだ」


 広江の心にあった、不安げで、こちらに縋り願うような「感情」の色が気になる。


「それに、作ったものを認めてもらって、悪い気はしない」


 自分に「息子を任せてもいい」と言ってくれた広江の「信頼」も、蒼衣の自尊心をほんのりとくすぐっていた。


「幸久くんも、大学を辞めてなんて発言が出るってことは、魔法菓子職人になりたい気持ちは強いと思うんだ。師匠が言ってたけど、リベルテが未成年を雇わないのは本当だよ」


 蒼衣の修業時代も、成人していない志望者が直談判にくることはまれにあったが、ことごとく断っていた。広江曰く、私の中では酒が飲めるか飲めないかが重要なのよ、と冗談めいた理由しか聞いたことがないため、真意は闇の中だが。


「うちでのアルバイトって形なら、学校も辞めずに済むから、師匠の面子もつぶれないだろうし、幸久くんも、無茶しなくていいかなって。本当は、師匠のところがいいんだろうけど、それはやっぱり無理だし」


 広江もそうだが、蒼衣は、幸久のことも心配なのだ。

 進路に口を出される嫌悪感は、蒼衣は高校と専門学校の進学時、それぞれで経験している。

 家から通える進学校ではなく、わざわざ市外――しかも片道一時間かかる彩遊市――の商業高校を選んだことも、大学進学ではなく、製菓専門学校を選んだことも、ひどく反対されたからだ。

 幸久が、なぜ焦って職人になろうとしているのかはわからない。

 大学を卒業してからでも、適性さえあれば職人にはなれる。魔法菓子職人に限らず、菓子職人の世界では、社会人を経てこの世界に入るようなひともいるくらいだ。

 だが、今の彼にそれを説いたとしても、おそらく聞き入れてはくれないだろう。余計に反抗的になって、関係をこじらせるだけだ。

 目の前で繰り広げられていた彼らの言い合いは、昔の自分と親を思い出すようでつらいのだ。

 ならば、今自分ができることで助けたい。

 蒼衣は、両手を握りしめる。


「僕にできることがあるなら、やってみたいんだ。東オーナー、彼を雇ってもいいかな。僕の、弟子として」

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