第二部 自由の夢を描くペン・エクレア

recette1 自由の夢を描くペン・エクレア

自由の夢を描くペン・エクレア1

 九月二週目の土曜日早朝、愛知県名古屋市……の隣に位置する彩遊市さいゆうしの一角に店を構える「魔法菓子店 ピロート」には、いつにも増して甘い焼き菓子の香りが立ちこめていた。


八代やしろ、まだ『金のミニフィナンシェ』いるよね? どのくらい持ってくればいい?」


 ピロートのシェフパティシエである天竺てんじく蒼衣あおいは、厨房と店内をつなぐドアから顔を出す。朝から焼き菓子を焼いていたためにこもった熱気と香りが、ドアから抜けていく。


「あと十袋分あると助かる!」

「じゃあ持ってくるね」


 店内カウンターの中で焼き菓子の袋にシールを貼り続けているのは、ピロートのオーナー兼店長、売り子も兼ねるあずま八代やしろである。蒼衣が持ってきたばんじゅうの中に転がっているのは、小さなフィナンシェ――ピロート名物「金のミニフィナンシェ」。八代は手早く袋に詰め、計る。賞味期限と原材料表示を印刷したシールを張り終え、ひいふうみ、と総数をカウントする。


「これで初日、大丈夫だろうか」


 八代は山のように積まれたミニフィナンシェの袋を眺める。普段、自信のありあまる八代にしては弱気な発言に「珍しいね、君が不安がるなんて」と疑問が口をついて出た。


「一周年記念を盛大にやって、もしもお客さまがこなかったら、って僕は結構不安なんだけれども」


 ピロートは今日で開店一年を迎える。今日から三日間、一周年フェアを行う予定なのだ。先ほどまで八代が用意していたミニフィナンシェは、フェア期間中、店で買い物をしてくれたひとにおまけで付けるものである。

 開店してからというもの、思い返せばいろいろな出来事があり、常連と呼んでも差し支えないお客もできた。しかし、店の「特別」に来てくれるかどうかまでは、わからない。店が愛されているか否か、残酷ながら今日、結果がわかるだろう。

 故に、蒼衣はこの準備期間中も不安でしかたなかった。


「そこは心配してないけどな、俺」

「えっ」


 存外あっけらかんとした返事が返ってきたので、拍子抜けする。


「俺はおまけが足りなくなることを心配してるんだが」

「えー?! 結構な量を焼いたんだよ?」


 普段の仕込み量の、二倍以上はあったはずだ。

 手元のスマートフォンの画面を覗いた八代は「反応がいいからなー」と笑みさえ浮かべてつぶやいている。インターネットの世界は相変わらず疎いままだが、八代のこういった発言で、今まで間違いはない。


「地方都市の魔法菓子専門店はまだまだ珍しいし、夏に百貨店出店もしたし、限定の新作もSNS上で受けがよかったしな。気候がいいうちに来てくれる可能性はあるさ。なにせうちで一、二を争う人気商品『金のミニフィナンシェ』をプレゼントだぞ~? 金の粒が手に入る運試し、みんな好きだろうそうだろうへっへっへ」


 魔力を含んだ「魔力含有食材」で作った嗜好品――魔法菓子。

 食べれば星座が浮かび、フィナンシェのように中から「金の粒」が出てきたりする。蒼衣は魔力含有食材を扱える力を持つ、魔法菓子職人であった。


「そ、そうなの?」

「だから心配めさるなパティシエくん。君に伝えた数字で余裕だよ。十分過ぎるほど用意したさ」

「お、脅さないでくれよお」


 ほっとしたのもつかの間、八代は「でもなー」と続ける。


「まあ問題があるといえば、売り子の問題だよなぁ」


 うーん、とうなる八代を見た蒼衣は「あの、そのう……だよね」と歯切れ悪く答える。


「もう、二人だけじゃ回らないかもしれないってことだよ、ね?」


 開店当初から、ピロートには二人以外の従業員はいない。人を雇うとなると、それなりに経費は掛かる。ゆえに二人で店を回してきたのだが、蒼衣にはもう一つ問題があった。


「開店するとき、僕が『しばらく他のひとは雇わないでくれ』って無理を言ったから……」


 開店当時の蒼衣は、八代以外の従業員と共に働くことに不安があった。さまざまな店で体験した従業員同士の軋轢を、自身の店で味わいたくないという恐怖が大きかったのだ。

 かつての勤務店「パティスリーパルフェ」オーナーシェフ・五村ごむらのような強いカリスマ性も、魔法菓子の師匠――三蔵さんぞう広江ひろえのような他者を受け入れる広い度量も、蒼衣は持ち合わせていない自負がある。

 今の自分が握れるのは、八代の手が精一杯。それを理解してくれる彼相手だからこそ、主張できた無理だった。

 しかし、去年のクリスマスのことを考えると、ピーク時には八代と自分だけでは回せなくなってきたのも事実。特に、販売と経営は八代だけに負担がかかっている現状を、蒼衣とて理解していた。

 ごめん、と力なく謝る。すると八代は、呆れたような、しかし笑いの混じった声で「蒼衣~」と名を呼ぶ。


「最初は二人で、ってのが約束だったろ? それはそれでよかったんだよ。蒼衣が販売に出るのは……まあ、手際は前よりはよくなったし、お客さんも喜ぶしでメリットはあるけど、やっぱおまえが製造に集中できる環境を整えたいし、お客さんも待たせたくないしな」


 あくまで蒼衣を責めない八代の優しさが、逆に申し訳ない。いつだって八代は、蒼衣がうまく立ち回れるようにサポートをしてくれる。

 だからこそ、今こそ新しいことを受け入れなければならない。

 前から考えていた――販売アルバイトの募集の提案を切り出そうとした瞬間、八代が慌てた声で叫んだ。


「やべ、そろそろ開店の準備、本格的にしないと間に合わない」

「えっうそ、そんな時間!?」


 二人は慌てて、残っていた開店準備をどたばたとこなす。陳列棚のホコリを取り、ショップスタンプを押した紙袋の残数を確認する。喫茶のテーブルと床も綺麗にして、ショーケースをくもりなく拭き清める。

 そして、とびっきりの生ケーキをショーケースに収めていく。

 ボイスマジック・ロッカー、火イチゴショートケーキ、クリスタル・モンブランにブルーミング・チーズケーキ。そして、黒く艶めくドーム型のスペシャリテ――プラネタリウム。

 ケースの上には山のように積まれた「ふわふわシュークリーム」の皮に、ささやかなプレゼントの「金のミニフィナンシェ」の袋。

 どのお菓子も、蒼衣が丹精込めて作り上げ、八代が自信を持って魅力を紹介してきてくれたものだ。


「さあ、俺たちの店を開けるぞ、蒼衣」


 二人で店のドアの前に立つ。シャッターを開けるボタンを押すと、暗かった店内に光が射し始めた。


 魔法菓子店 ピロートの開店である。


:::


「やっと一息付ける……」

「ふぃ~、目が回った」


 月曜日、閉店後の店内。蒼衣と八代はカウンターの中でほう、と息を吐く。


「三日間、朝からほぼ途切れなくお客さまがいらっしゃって」

「いや~、予想を上回るご来店でほくほくだぜ」


 売り上げの表示されたタブレット端末を眺める八代は、疲れた表情ながらも、にやけを止められないようだ。

 三日間の一周年フェアは、盛況のまま終わりを迎えた。

 山に積まれた「金のミニフィナンシェ」は魔法のように消えてなくなり、ショーケースの中は、夕方に慌てて増やした追加のケーキが、それでも一個や二個といった具合で残っているだけだ。


「高校生の子たちは賑やかだったなあ」

「お花屋さんのご夫婦もお元気そうでよかった。シュークリームの常連さんもきてくれたし。あ、おばあちゃんたちも」

「ばーちゃんらはいつも来てるだろ。でもまあ、みんな祝ってくれてうれしかったよな。ほんと、俺たちよくがんばったって」


 うれしいことに見知ったお客から「一周年おめでとう」「よくがんばったね」と褒められてしまった。頼りない自分を支えてくれたのは、八代と、自分のお菓子を求めて来てくれたお客のおかげだ。


「ありがとう、お客さまと、八代のおかげだよ。すごく、ほっとした」

「またまたご冗談を。何度でも言ってやるけど、蒼衣のお菓子はおいしいんだからさ。自信持てって」


 すると、店の電話が鳴る。閉店後の電話はお客さんではないだろう。僕が出るよ、と蒼衣が電話を取った。

 すると、電話の向こうから、懐かしい声が蒼衣の名を呼んだ。


『あ、蒼衣くんだ、ラッキー。一周年、おめでとう』


「師匠!」


 蒼衣の魔法菓子師匠である、三蔵広江の声だった。

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