petit four(1話読みきり掌編)

petit four4 サンダーレモンの魔法菓子

「ああ、もう、最悪」

 愛知県の知多郡にある、とある海水浴場。

 そこから少し離れたコンビニの店先。優香ゆうかは、飲み物を大量に入れた袋を手に、唸るような声でひとりごちた。

「なにが慰安イベントよ。騒ぎたい奴らだけが好き勝手してるだけじゃない」

 優香は、会社の行事で海辺のバーベキューに訪れた一人だった。去年転職して入った会社だったが、こういう『イベント』が多く、人付き合いの得意でない優香にとっては、慰安よりは地獄といっても過言ではない。

 不快だったのは、恋愛経験や、休日になにをしているのかしつこく尋ねられること。酔っぱらった一部の社員からは、腰や肩にべたべたと触れられ、はっきり言って気分のいいものではない。

 なので、イベントがあるたびに全て無視し、冷たくあしらった。結果、比較的平和そうなグループの会話にすら入れなくなった。意図的に避けられているらしい。

 しかも、イベントは社長の意向で全員参加が基本のため、病気にならないと欠席ができない。去年の冬くらいから仮病を使って休んでみたが、評価面談時にイベントへの不参加が『コミュニケーション能力の欠如』と指摘され、なんと評価が落ちた。馬鹿らしい、と本気で思ったが、仕事内容にやりがいがあり、蓄えも少ない。今すぐ転職は難しい状態である。

 生真面目で、気の利かない性格のせいなのは自覚済みだ。どうすることもできないまま、一年が過ぎた。

 今も社長じきじきに買い出しを命じられ、会場から少し離れたコンビニまで歩いてきたのだった。

「もー、あっつい」

 重い足取りのまま、視界に広がる海を見る。青い空に白い雲、きらめく水面の美しさを素直に喜べないのが憎い。一人で訪れたならば、絶対に気持ちのいい景色なのに。

 優香は一人旅が趣味だ。女の一人旅はいまだにオッサンにはウケが悪いどころか、いらぬ説教が付いてくる。だから休日の予定は訊かれたくない。

 顔を背けると、海と反対にある広場がある。すると『夏のスイーツフェスティバル』なる看板が目についた。

 かき氷やアイス、いかにもな屋台がずらりと並んでいる。老若男女、お客たちの賑やかさがまぶしい。煙草と炭と酒の臭さが漂う会社のバーベキューとは、世界が違った。

「寄り道、しよう」

 重たい荷物を地面に投げつけて台無しにする前に、自分を甘やかそう。社長以下はビールがなくとも、死にはしないだろう。自分は会社の中では死んだも同然になるかもしれないが、もう限界だった。そう結論付け、優香が広場へ足を踏み入れた瞬間だった。

 めまいと同時に平衡感覚がなくなり、目の前が一瞬真っ暗になる。倒れそうになった優香の背中を、だれかが受け止めた。

 肩を叩かれながら大丈夫ですかと訊かれ、慌てて首を縦に振る。男性の声だった。立ち上がろうにも、上手く力が入らない。熱中症だろうか。

「だ、大丈夫です、少し休めば、平気です」

 なんとか立ち上がると、受け止めてくれたであろう男性と目が合った。

 女性と見間違うような整った顔立ちだが、声は男性だ。百五十センチの優香よりも頭一つ分大きい。

 イベントのTシャツにジーンズを履いた姿は珍しくはなかったが、目を引いたのは、肩でゆるりと一つにまとめられた長い髪だった。

 細めの体型、整った顔立ち、さらりと流れる長髪。少女漫画から抜け出したような甘いマスクに心配の色を浮かべる彼は、三十二歳の優香よりは確実に若いだろう。

 ぼおっと彼を眺めていると、まためまいが訪れ、こめかみに手を当てる。

「熱中症、ですよね。よかったらうちのスペースで、少しだけ休んでいきませんか?」

 男性は柔らかく微笑んだ。本当に死んでしまっては洒落にならない。優香は彼の言葉にこくりとうなずいた。



 案内されたのは、屋台の裏手だった。優香はパイプ椅子に座るよう促される。

 鼻先に漂うのは、甘くさわやかな香り。周りを見渡せば、色とりどりの果物と、水のボトルが並んでいる。

 どんなお店なのだろうかと眺めていると、

「気つけにはなると思います。よかったらどうぞ」

 プラスチックのコップに入った飲み物を差し出された。それは、青から紫、赤、黄のグラデーションがきれいなジュースだった。中には氷と一緒に、角切りにされたイチゴやブルーベリー、パイン、オレンジが入っていて、フチには薄い黄色の鉱石のようなものが一つ、差し込まれている。

「商品、なのでは?」

「お気になさらず。急にキャンセルされて、余ってしまって。それに、具合の悪いひとにお代を請求するようなまねはしませんよ」

 遠慮しようにも、口の渇きが勝った。軽くお礼の言葉を述べた後、ストローに口を付け、軽く吸う。グラデーションがゆらりとゆらめいた。

 甘さと冷たさが体にしみこむようだった。ほてった体と頭が冷えていき、わずかな酸味で活気が戻ってくる。

 挿してあったロングスプーンで、フルーツもすくって食べる。角切りのはずのイチゴが口に入れた瞬間、とろりとした濃厚なソースに変わり、優香は目を白黒させた。

「あっ、な、なにこれ」

「申し訳ありません、説明を失念していました。うち、魔法菓子のお店なんです」

「魔法菓子!」

 魔法菓子。食べれば魔力によって不思議な現象が起こる、高級嗜好品の一種だ。優香は結婚式か百貨店くらいでしか見たことがない。『自分へのご褒美』がコンビニスイーツで事足りるような優香から見れば、縁のないものだ。

「こんな高いものを――」

 タダでもらってしまったと同時に、こんなところで売れるのかと、余計な心配が頭によぎる。

「うちは派手さはありませんが、少し不思議な体験を、お手軽な値段で提供するのがコンセプトのお店です」

 穏やかに説明した男性は「では、もう一つ不思議を」と言い、フチの鉱石を指さした。

「ジュースに入れてみてください」

 不思議に思いながら手に取る。表面は乾いていて、少しだけ弾力があった。

 言われるままコップの中に入れた瞬間、泡がぷつぷつと現れ、ピカピカと小さな火花のようなものが起こった。炭酸ではなかったはずだし、なにより、飲み物の中で火花が起こるはずがない。

「大丈夫です、飲んでみてください」

 戸惑う優香に、男性はにっこりと笑顔を作る。成人男性らしからぬ愛らしささえ感じるそれに、別の意味で戸惑いながらも、好奇心に動かされるままに口を付けた。

「……!?」

 思わず目をしかめたくなるほどの酸味と、パチパチとはじける刺激。まるで、目の前にピカッ、と雷が落ちたようなと言いたくなるような。

「炭酸になった!?」

「これは、氷琥珀という寒天と砂糖の干菓子です。『サンダーレモン』で風味付けしています。普通に食べることもできますが、飲み物に入れると、刺激が若干和らいで、ついでに炭酸水にもなるのです」

「サンダーレモン?」

 聞き慣れない名前に、優香は小首をかしげる。

「広島の瀬戸内で、レモンの木に雷が落ちまして。通常の広島レモンとしては出荷できないので、知り合いから魔法菓子の材料として譲り受けました」

 瀬戸内、と聞いて、優香の脳裏に瀬戸内海の光景が広がった。学生時代、自由気ままに一人旅をするのが好きだった。瀬戸内海の美しい光景は忘れがたいものがある。

「瀬戸内、懐かしいです。気に入ってる場所の一つで。いろんな色が入り交じった、不思議な『青』なんです。黙って眺めるのが、気持ちよかった」

 優香は感慨深げに語る。思い出が色あせていないのがうれしかった。すると、男性の髪の毛がほんのりと青に光った気がした。息を飲み、尋ねようと思ったときには、すでに光は失われていた。

 幻覚かなにかか、と目をこする。片手に持ったジュース――サンダーレモン氷琥珀入り――を見て、そうか、魔法菓子の効果なのか、と思い直した。

「お話を聞いて、行ってみたくなりました」

「機会があれば、ぜひ」

 ええ、と男性が答えると、店先からすみませーん、と声がする。どうやらお客のようだ。男性が振り返り「少々お待ちくださーい」と声をかけた。

 これ以上世話になるのは、本当に迷惑になるだろう。優香は急いで立ち上がる。

「ごめんなさい、お仕事の邪魔をしました。もうすっかり元気です。ありがとうございます」

「残りはどうぞ持って行ってください。まだ外は暑いので、お気をつけて」

 最後の最後まで気遣う優しさをうれしく思いながら、優香は店を後にした。



 外に出れば、男性の言ったとおりのカンカン照りだった。しかし、もらったジュースのおかげで優香の症状は落ち着いたのか、それほどつらくはない。

 優香は店先に赴き、看板をスマホで撮影した。店の名前を訊きそびれたからだ。

「魔法菓子店 ピロート、か」

 近い将来、会社を辞められたら、お祝いに一人で訪れるのもいいだろう。重いだけだった買い出しの袋も、心なしか軽く感じた。


 

 その後優香は、ふと手に取ったタウン誌で、助けてくれた男性……『魔法菓子店 ピロート』のシェフパティシエ・天竺蒼衣の顔と名前を見かけた。

 そして、名前の横に書かれた『三十二歳』の表記に、

「同い年!?」

 と叫び、しばしの間硬直するのだった。



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第七回Text-Revolutions webアンソロジー再録。

作中魔力含有食材「サンダーレモン」アイディア提供は歌峰由子さんより

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