第33話 昭和19年3月、夏樹、3299高地の戦い

 マニプール川を渡った俺たちは、山中を敵に遭遇することなく順調に北上し、第一目標トンザン陣地の退路を計画通りに遮断することに成功した。


 さらにトンザン方向にある山あいに、英印軍の一大物資集積場所を発見。

 通称3299高地と呼ばれるその集積所には、目視できるだけでおよそ1000両のジープやトラック、そしていくつもの倉庫に加え野戦病院まであるようだ。


 笹原連隊は、トンザン陣地後方を遮断するために部隊を2つに分けていた。インパール方面には第1入江大隊が展開して敵増援を防ぎ、第3末木大隊がトンザン方向を遮断するという計画で、残る第2大隊は連隊の控えである。


 3月16日の朝、俺たちはその第3末木大隊の陣地まで弾薬補給に行き、さらに倉庫係から敵3299高地が見える場所を教えてもらい、今、そこに来ている。

 末木大隊の陣地は峰の上にあり、谷間にある敵陣地を一望できる位置にある。


 昼間なので英印軍から見つからないように、背の高いかやのすき間から顔を出し、敵陣地を観察する。

 そこには話に聞いていた以上の集積所が広がっていた。


「確かに、すごい数の車両だ。あれが手に入れば、補給の問題は一気に決着が付きそうだな」

 増田がそういうと、一緒に来ていた俺たちの上官・長谷川小隊長殿が、

「あの倉庫も半年分くらいは優に食料がありそうだ。……是非ともうちに欲しいな」


 だがそのためには、3299高地の入り口にある敵の突角陣地を撃破しなくてはならない。幸いにこっちの方が高地にあるから、地の利はこちらにあるといえるだろう。


 この小隊長殿は、多分に漏れず士官学校上がりなので26歳ほどの若い将校だ。

 ……というより編成された1個小隊も、俺と増田以外は若い一等兵、二等兵ばかり。まったくなぜ2人だけおっちゃんが入っているのか、そっちの方が疑問だったりする。


 不意に爆音が聞こえてきた。

 あわてて頭をかやの中に隠して小さくなる。もしスピッドファイア戦闘機なら、上からではなく谷間から低空で飛んでくるからだ。しかもあの戦闘機は旋回性能が高いから、一度場所が露見してしまえば、執拗に機関銃掃射が飛んでくると聞く。絶対に見つかってはいけない。

 だがこの音はもっと大型の……。B―24、いや。ダグラス輸送機のもののような気もする。


 その時、俺たちの頭上を巨大な影が覆った。

 さっと見上げると、予想したとおりのダグラス輸送機のシルバーの機体が飛んでいた。空気をバリバリと震わせて通り過ぎていく輸送機は、3299高地に落ちるように、いくつかの物資を投下した。


 空中に咲く花のようにパッパッと広がるパラシュート。全部で20。あれだけの集積があるのに更に空輸までしてるのか……。

「圧倒的だな」

 思わず独り言をつぶやいてしまう。


 輸送機はそのまま通り過ぎていった。きっと他にも補給する場所があるのだろう。

 俺たちが地上をいずるように歩いている間に、敵軍は空をあっという間に飛んでくる。人も、武器も、食料も、その輸送力はけた違いだ。

 小隊長殿がうらやましそうにつぶやいた。

「俺たちも飛行機で運べればなぁ……」


 その時、ドンっと軽い音がして、何かが風を切る音が聞こえてきた。あわてて3人ともその場から離れる。

 獣道を走りながら、増田が、

「やばいな。見つかったか?」

と言うが、おそらくそうじゃないだろう。


「元から大隊の陣地は見つかってるよ。さっきまでは輸送機が来るから砲撃をとめてたんだろ」

「そうか、なるほど」

 末木大隊は昨夜も威力偵察をしたっていうし、日中は砲撃を受けているって言っていた。とっくにこっちの陣地は、敵にバレてるさ。


 背後から砲弾が炸裂して土砂を巻き上げる音が聞こえてきた。爆発の衝撃が風となり、俺たちの周りを吹き抜けていく。駆けおりるスピードを上げた。



 第3大隊の陣地に戻るには戻ったが、俺たちはそのまま陣地の後方に回り込むことになった。

 なぜなら俺たちを狙っていた砲撃と別に、陣地にも直接砲撃が加えられていたからだ。


 そのまま近くに掘られたごうの中にさっと潜り込む。中にいた歩兵が俺をを見て、あわてて銃口をらした。

「脅かすなよ。グルカ兵かと思ったじゃないか!」

 怒鳴るように言うのに、俺は頭を下げる。

「すまん。余裕がなかった」


 土まみれの顔で俺を見たそいつは、そこにいろというようにあごをしゃくる。

 きっと小隊長と増田も、近くの壕で隠れているんだろうが、同じ状況になっているだろう。


 いつまでも続く砲弾の音に耳がおかしくなりそうだ。

「お前……、輜重兵しちょうへいだろ! 今さら連隊には戻れないぞ。夜までこのままだからなっ」

「この攻撃が夜まで続いているのか」

「あ? もっと大きい声で話せよっ。聞こえねえって」

「夜までこのままなのかっ」

「ああ。……だが、それも今日で終わりだ!」

 そういう歩兵の目がぎらつく。


「今晩だっ」

 ……なるほど。突撃命令か。

 それで俺たち輜重に銃弾の補給命令が出ていたんだな。


 その時、至近距離に砲弾が着弾した。地面がズウンと揺れ、頭上から土砂がバラバラッと降ってきた。

 たしかにこの調子では、夜になるまで連隊本部に戻れそうにない。夜までこいつと一緒にいるほかないようだ。


 歩兵はタバコに火を点けると小銃を構え直した。その間にもあちこちで砲弾が炸裂している。

「お前もそいつ99式歩兵銃の準備をしとけっ。……そろそろ――が来るぞ」


 え? なんて言った?

 と思った瞬間、砲撃が突然途切れ、前方からオオオォとときの声が聞こえる。

「グルカだっ。お前も急げっ」


 即座に銃を構え、壕からそっと頭を上げ外を覗く。

 前方の森から沢山の英印軍のインド兵が湧いて出てきて、まっすぐに突撃をしてくる。

 陣地内の壕や物陰から大隊の兵達が歩兵銃や機関銃で応戦。手榴弾が弧を描いて飛びかっていた。


 天帝釈様の戒めを思い出しながら、俺は銃を構えて敵を追い払うように打つ。今回の戦争では初めての実戦だ。射線は上の方に向けているものの、1発撃つごとに走る震動に気が引き締まる。


 俺たちの反撃に先頭のグルカ兵は次々に倒れ、陣地の手前で退却していく。それが終わると、今度は再び突角陣地からと思われる砲撃が始まった。

「くそっ。これだから追撃できないんだっ」


 いらついて地面をり飛ばす歩兵を見ながら、俺は再び壕の中にうずくまった。


 3月の長い1日がようやく暮れようとする頃、敵の砲撃は少しずつ治まっていった。


 入っていた壕からそっと立ち上がると、まるでプレーリードッグが巣穴から顔を出すように、あちこちから同じように歩兵たちが出てくる。

 一緒にいた歩兵も出てきた。俺は手を差し伸べて身体を引っ張り出してやり、互いに健闘を称えるというわけでもないが、拳と拳をぶつけ合った。


「次は俺たちが攻撃する番だ。……じゃあな」

と言って大隊本部の方に歩いて行くそいつを見送り、そばにいた長谷川小隊長と増田に合流する。


 俺たちはそのまま第3大隊の陣地を出て、インパール道を連隊本部に向かって進んだ。

 夜の闇が迫る。そろそろ日本軍の夜襲が始まるだろうか。


 帰り道、増田が、

「そういえば小隊長殿は結婚は?」

と思い出したように尋ねた。


 こんな時に聞く話じゃないだろうと思ったが、小隊長殿は首を横に振り「独り身だ」と短く答えた。


「そうですか……」

とつぶやいたきり、気まずい沈黙が漂う。


 きっと増田は壕の中で色々と考えることがあったんだと思う。

 いつだったか話していたんだが、あいつは上の男の子こそ国民学校1年生だが、下の女の子は生まれて1年も経っていないという。

 初めての女の子でベタ甘で、もうかわいくて仕方がないと言っていた。


 そういえば第3中隊の石田も、ひとまわり年下の18歳の若妻をもらっていたが、あれは赤紙が来て、あわてて両親が親戚に声を掛け従姉妹いとこを嫁にもらったそうだ。

 新婚期間は結婚してから出征まで。俺が8月19日に赤紙が来て入営は9月1日だったことを考えれば、せいぜいが1週間くらいの結婚期間だ。


 俺たちだけの時は2人とも絶対に生きて帰るんだと言っていた。脱走まではしないが、仮病くらいならしてでも、必ず生きて帰ると。


 それを聞いた俺は、ひどく後ろめたかった。


 今、隣を歩いている増田も、長谷川小隊長殿も、限りある命を生きている。撃たれれば死ぬし、熱病にも冒されるだろう。

 時代が時代なら、こんな戦場に出ることもなく、結婚したり、家で子供たちと暮らしていたはずだ。

 それがいかなる運命の巡り合わせか、こんな南方の、遥か遠い国の山中を歩いている。

 家族と離れて……。



 何事もなく連隊本部に帰着すると、小隊長は本部に報告に行くという。俺と増田は輜重小隊の皆のところへ戻った。


 帰りが遅かったから戦死したと思ったという皆に、3299高地の様子を話すと、興味深そうに聞いている。

 その時、突然、東の空に閃光が走った。


 振り向くと、山と山の間から強い光が発している。

 次々に閃光がまたたき、放たれた光が空の雲にまで届いていた。

 同時に激しい砲撃の音と銃撃の音が、谷間を響かせながら伝わってくる。


 誰も何もいわない。第3大隊が突撃していることをわかっている。あれは反撃する敵が打ちあげた曳光弾えいこうだんなのだ。


 バチバチバチという音、重々しいドオンという音、耳を澄ませばわあぁという喊声かんせいまでもが風に乗って聞こえてきた。


 俺は強く拳を握り、ただひたすらに強い閃光を放つ山間の方角をじっと見つめる。


 がんばれ。戦友たちよ。


 まわりの皆も同じように、今まさに突撃している方角を見ている。無言のうちに、砲撃音が続く。

 いつしか小隊長殿も戻ってきていて、並んで同じ方向を見ていた。



 ――戦闘音が途絶えたのは翌朝午前5時。

 戦傷者が続出し全滅に近い隊も出たが、末木大隊は突撃攻撃を成功させた。


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