編集済
すいません、企画を読みに来たのに、こっちを読んでしまいました(笑)
あの戦争となると、作者さん自体があの戦争をどう捉えているかを問われるので、超ハードだと思いますよ。
わたしみたいに、小うるさい奴も寄ってきますからね(笑笑)
面白いお話しが読めると思って、わくわくしています。頑張ってくださいね。
作者からの返信
どうもありがとうございます。
実は靖国神社に行ったことがない私。今度、行く予定です。
桜の名所として、どこがいいかなって思ったんですよねぇ。千鳥ヶ淵ですか。そこも行ったことがない……。
上野恩賜公園は遠すぎますかね~。そこなら行ったことがあるんですが。東博とか。
神社の方は舞台を選定しなおそうと思います。確かに靖国はまずいきがしますし、舞台として他の所でもいい話なので。
手をつなぐ描写ですが、当時は、わりかし過剰な性サービスもありましたし、この後、不景気でますますそっちの方も過剰に。キッスガールもそうだし、カフェなんかも。いわゆる援助交際も。
フラッパー(ひらひらした服)に対して、保守的な人からは非難を受けつつも受け入れられていた時代です。が、これも後に性サービスが過剰になるにつれ、いい目では見られなくなりました。モダンガールもそのあおりをくっていますね。
こうした社会風俗の変化から、おそらく明治・大正まではそのような風潮だったと思いますが、昭和前期はすでに移行している時代と判断しました。おそらく年配の人や保守的な人は次第に人数が減っていったと思います(東条英機なんかはそうですね)。もうあと数年すれば、デパートの女性従業員の制服も洋装に統一されます。
これは戦時中映画になりますが、『ハナ子さん』でも銀座デートのシーンがあり、旦那と並んでいたと記憶しています。手もつないでいたかと。あのデートシーンは、今と何ら変わらない様子に思います。家族間の雰囲気も、ほとんど建前的な礼儀が残っている程度で。(嫁に行った娘が実家に帰るときも、礼儀としては他家の人間として挨拶するけど、お互いにフフフっ。ほらほら、わかっているから、早くやんなさいみたいな。雰囲気です)
まあ、デートシーンはボーナス目当てに銀座に出たはいいけど、勝手に国債に回されてて、それでも笑い合うという微妙なシーンですが。検閲されていたので仕方ないのでしょう。
ただし、この2人の場合、というか先のことなので控えます。おそらく、その価値観が守られている職業があるのだろうと。
地方なので東京の雰囲気はわからないことも多いです。ある程度は妄想で書きますが、変なところはご指摘いただけるとうれしいです。
まだ執筆が序盤も序盤なので、がんばります。どうもありがとうございます!
【追記】
やはり舞台は、この作品のイメージを暗示をしていると思われましたので、何らかの形で靖国を残したいと思います。
ただ書き方として、千鳥ヶ淵から靖国を望むとか、色々パターンは考えられるので、一度、現地を歩いてみたいと思います。
【追記】
山中恒・山中典子『「少年H」の盲点 忘れられた戦時史』に次の記述がありました。
「(『日本全国神社物語』昭和13年を引いて)
これを見ると、日中戦争以前は、靖国神社はさまざまな人寄せがあって、賑やかなお祭で有名な、あたかも東京名所の一つのような雰囲気さえあったことがわかります。事実、靖国神社のお祭でサーカス見物やら相撲見物をしたという老人の話を聞いたことがあります」(p241)
「(早稲田大学教授稲毛金七「靖国神社と国民生活」の引用)国民はこの御社に対し、何とはなしに、「吾々」の神社というような感じをさえ懐きがちだからである。事変や戦争の無かった平和な時代において、境内は、国民の憩いの場所となり、池のほとりに打集うものも決して少なくなかったばかりでなく、例祭や大祭などには、境内において相撲をはじめ種々の興行物や商店や飲食店さえ許されたのも、実はこの国民に対する親近性に基因するところである。(以後、お祭り騒ぎになることを遺憾としている)」(p252)
「それまでは、俗に九段祭と言われた靖国神社の例大祭は、日中戦争が長期戦化すると、境内での興行、出店などのお祭騒ぎ的なものは一切禁止されました。昭和十三年はまだ平和な時代の靖国神社の様子を伝えていますが、昭和十八年四月になると、護国の英霊が神鎮まる靖国神社という面が強調されています」(p245)
あまりコメントを残さない方なのですが、靖国神社に言及していたので少しだけ……。
靖国神社が神聖視され出したのは、第二次世界大戦及び太平洋戦争中です。
それまでは鎮魂のための場所ではありましたが、特別神聖な場所ではありませんでした。
この話は昭和2年の設定ですので、手を繋いで歩いているカップルがいても何ら問題がないと思われます。
作者からの返信
どうもありがとうございます。
そうですか。鎮魂の場所というイメージはあったのですが、詳しくなかったのでとても助かります。
神社から舞台を変えると、下で書いたんですが、よく考えたら、作中で靖国が出てくるのはここだけなんです。
とすると、これから先の展開の暗示として、やはり靖国を何らかの形で残しておくべきかなって思いました。ただし、鎮魂の祈りを捧げるシーンを加えようかと検討中です。
コメント、ありがとうございます。
【追記】
山中恒・山中典子『「少年H」の盲点 忘れられた戦時史』に次の記述がありました。
「(『日本全国神社物語』昭和13年を引いて)
これを見ると、日中戦争以前は、靖国神社はさまざまな人寄せがあって、賑やかなお祭で有名な、あたかも東京名所の一つのような雰囲気さえあったことがわかります。事実、靖国神社のお祭でサーカス見物やら相撲見物をしたという老人の話を聞いたことがあります」(p241)
「(早稲田大学教授稲毛金七「靖国神社と国民生活」の引用)国民はこの御社に対し、何とはなしに、「吾々」の神社というような感じをさえ懐きがちだからである。事変や戦争の無かった平和な時代において、境内は、国民の憩いの場所となり、池のほとりに打集うものも決して少なくなかったばかりでなく、例祭や大祭などには、境内において相撲をはじめ種々の興行物や商店や飲食店さえ許されたのも、実はこの国民に対する親近性に基因するところである。(以後、お祭り騒ぎになることを遺憾としている)」(p252)
「それまでは、俗に九段祭と言われた靖国神社の例大祭は、日中戦争が長期戦化すると、境内での興行、出店などのお祭騒ぎ的なものは一切禁止されました。昭和十三年はまだ平和な時代の靖国神社の様子を伝えていますが、昭和十八年四月になると、護国の英霊が神鎮まる靖国神社という面が強調されています」(p245)