第4話 桜舞う駅
中学三年生の頃、私は春が来るのが待ち遠しかった。私の住んでいるところは桜が多く群生しているから、一度桜が咲けば一面桜色に染まる。私はその景色を見るのが毎年の楽しみだった。
…いや、それは単なる子供のころからの楽しみに過ぎない。
この時の春を待つ胸の高鳴りは別の事。この頃私は春を待ち焦がれた。夏が過ぎ、秋が来て冬が去る。そんな季節の移り変わりの中で日に日に近づく春への思いは日に日に強くなった。
私は早く高校生になりたかった。中学の頃とはまた違う、真新しいセーラー服を纏い、幼馴染と一緒にこの桜並木の道を歩いて駅へ行くのが、待ち遠しくて仕方がなかった。
私の幼馴染・伊賀和志清彦は私の一級上の幼馴染。私の隣のお屋敷に住んでいて、私の母と彼のお母様は同郷の幼馴染で、私の父と彼のお父様はそもそもお隣同士でどちらも大親友だったから、物ごころついたときから家族ぐるみの付き合いがあった。だから私は何時も清彦さんの隣に居た。
だから私は清彦さんの事なら何でも解るつもりでいる。勿論良い意味で。
そして去年の今日。高校生になれた嬉しさと、隣に居る幼馴染と一緒に居られる嬉しさを胸一杯に抱きながら、駅のホームではしゃいだあの頃が懐かしい。
セーラー服は紺色ベースから水色ベースへと変わった。真新しい制服は何だか良いにおいがした。
清彦さんの「良く似合ってるじゃないか」という褒め言葉は一生忘れるつもりはない。忘れたくない。
なのに、清彦さんはあの言葉を覚えてくれているのだろうか。時折私はそう思う。やっと一緒に通学できると思っていたのに、一年経ったら清彦さんはもう受験生。伊賀和志家は代々名門の帝國大學へ進学するので、清彦さんは勉強に全てを投じている。
伊賀和志家は優秀な人材を輩出してきた名家で、皆優しくて良い人たちなのだけれど、学業に関しては特別厳しい家だ。家督を継ぐ清彦さんには特別強いプレッシャーがかかっているのは私にも解っていた。
だからその学業に身を投じ始めた清彦さんは、時折ボーっとしている。睡眠時間さえも削りながら学業に励んでいる。
私は清彦さんが好きだ。他の誰でも無い。伊賀和志清彦が好きだ。世界のどんな美男子よりも、どんな好青年よりも、どんな金持ちよりも私は清彦さんが好きだ。依存していると云う訳ではないけれど、一人の女として清彦さんが好きだ。
将来の夢は子供のころから変わらない。
だから追いつきたい。清彦さんがいる場所へ追いつきたい。だから私は来年、帝國大學を受験する事を決めた。
清彦さんは今一番頑張っている。人一倍、いや人の何倍も、誰よりも頑張っている。苦労している。それは私が一番知っている筈だ。だから私に清彦さんの邪魔をするようなことはできない。
だけれども、本音は構ってほしい。本当の事を云えば寂しくて仕方がない。
そんな二つの考えの中で私は板挟みになっている。それがどれほど辛いことか。
でも受験が終われば清彦さんは居なくなってしまう。だから今のうちにたくさん話しておかなければといつも私は思っている。
だから私は今日も清彦さんに話しかける。
○
「もうあれから一年も経つのねェ…」
桜が満開の駅のホームに立った私はそう呟いた。
「お前も昔は小さかったのにな。いつからそんなに成長したんだか」
清彦さんは私の方を向いてニヤリと笑った。
「ちょっと、それは私の何を見て云っているの?」
私はそう冗談めかして清彦さんを肘で突っついた。
すると清彦さんは「いっ、いや…しっ、身長の事に決まってんだろう?」と、顔を赤く染めて照れ気味に答えた。
「なーに照れてるのよ。照れるってことは、なにか下心でもあるのかしら?」
「ばっ、馬鹿を云うんじゃない。今の俺に色欲なんて必要ないんだ。そんなこと思うわけがないだろうが。でも、本当に昔は俺の二分の一ぐらいだったもんなぁ」
「そんなに低くないわよ。小人じゃないんだから」
「ああ。そうだったそうだった。ごめんごめん」
清彦さんはそう云って苦笑いした。
こんなくだらない会話を十数年やってきたと思うとバカバカしくって笑ってしまう。それでもこんなくだらない一時は私にとって一番大切な時だった。
だからそんな時を大事にしたいし、清彦さんにも大事にして欲しい。いつかは離れていてしまうからこそ、一分一秒でも長く清彦さんの隣に居たい。そう私は強く思っている。
三江線回顧録 正保院 左京 @horai694
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