2018/3/17(2)
ビジネスホテルの喫煙室で、僕たちは向かい合っていた。
僕は煙草を吸わなかったけれど、戸越が会話の最中にたびたび席を立って煙草を吸いに行くものだから、いちいちそれを待つのが面倒になって喫煙室までついてきたというわけだ。
喫煙室には煙草のいやな臭いが影のようにべったりと染みついていて、元の壁紙の色が判別できないほどにやにで汚れていた。
照明は薄暗く、深夜だということもあって、利用者は僕たちしか居なかった。
吸煙テーブルの作動音がやけに大きく響いていた。
ビジネスホテルの名前は、「ホテル・リスブラン」といった。
現行の消防法の基準を満たしているのかどうかすら怪しいこの薄暗いホテルをそう呼ぶのは、いささかの抵抗があった。
「ここと、ここ」戸越はスマートフォンの画面を、形の良い爪で叩く。
“埋めてください”。
“星の破片を墓標に置いて下さい”。
「『夢十夜』やな。漱石の」
――“死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の
夢十夜。
「こんな夢を見た」という書き出しから始まる、夏目漱石の連作幻想小説。
その第一夜からの引用だった。
「けれど、どういう意味だろう?」
「……どうもこうもないやろ。あえて意味見出すんやったら『不死島
確かにそうだ。
僕を呼びつけたければはっきりと「不死島兆の件で話がある」とでも書けばいい。
そっちの方が効果的だ。
現に僕は、送りつけられるメッセージに漂う彼女のわずかな残り香のようなものに簡単に釣られて、彼女と過ごした土地――小鶴市まで戻ってきたのだから。
「第一夜の結末はどうなるんだったっけ?」と僕は言った。
さて、この無駄に凝り性な送り主の意図するところは何だろう?
「女が死んだあと、『自分』は女に言われたとおりに墓を掘って墓前で百年待つ。日が昇って落ちるのを数えて待っとったら、真っ白な百合が伸びてくる。それ見て『ああ、もう百年経ったんやな』で終わりや」
奇妙な符号だった。
これは偶然だろうか? と僕は考える。
偶然だ。
僕はこのビジネスホテルを自分自身で探し出して予約したのだ。
そこに他者の意思が介在する余地はなかった。
偶然に決まっている。
「ま、とりあえずの方針は決まったやん。不死島ちゃんの墓参りや。まずはその前で待ってみたらええやん。都合百年くらい」と戸越は言った。
「有給は四十日しかないよ」と僕は返した。
◆
グリーンビュー小鶴霊園は小鶴市の外れの高台にある。
グリーンビューとは上手く言ったものだけれど、眼下に広がるのはただのうら寂しい雑木林だ。
最後に彼女の墓参りをしたのは随分前で、墓のある場所はあまり覚えていなかったけれど、探すのにはそう時間はかからなかった。
“不死島家之墓”なんて冗談みたいな墓碑銘はそうそうあるものではない。
太陽はちょうど一番高い場所にあって、煌々と輝いていた。
残念ながら漱石の言う“
僕と戸越は線香を上げ、墓前に手を合わせてから、適当な場所に腰掛ける。
墓はずいぶんと前から手入れされていないようで、ところどころが汚れ、雑草も伸びていた。
どうせなら掃除道具も買ってくればよかったと、コンビニエンスストアで買ってきたミネラルウォーターを飲みながら思った。
とはいえ、他人の家の墓を勝手に掃除するのもそれはそれで気が引けた。
僕は不死島先輩の後輩ではあったけれど、それ以外の遺骨たちとは何の面識もなかったからだ。
急に現れた面識のない客人が、唐突に自分の家の庭の草むしりをしだしたら、たぶん気味が悪い。
そういえば、彼女の両親は今どうしているのだろう?
僕がそんなことを考えている間、僕と戸越の間に会話はなかった。
戸越は買ってきた缶コーヒーの空き缶を灰皿にして、ひっきりなしに煙草を吸っていた。
ときおり雑木林から響く野鳥の鳴き声とジッポライターの音以外は、僕たちの間を支配する沈黙にさして影響を与えようとはしなかった。
戸越が沈黙を破ったのは、僕の腕時計の針が三時を指し示した頃だった。
「……なあ佐藤くん」と戸越は言った。
「自分、もしかして、ほんまに不死島ちゃんがどっかで生きとると思っとんちゃうか? 不死島ちゃん本人があのメール送ったって」
「ふむ」と僕は小さな声でうなった。
正直なところ、図星だった。
暗い煙突の中にひとりうずくまっている不死島先輩の姿が、ずっと頭にちらついていた。
彼女からの最初のメッセージを受け取ってから――いや、彼女を失ってしまった十二年前から、ずっとそのイメージが頭にこびりついていた。
――きざしは、まだ、暗いところで泣いてるんじゃないか?
もしそうだとしたら、もしかしたらあのメッセージは、彼女が助けを求める声なんじゃないか?
暗くて煤だらけの煙突の底から見える、たった一点の空に向けて打ち上げられた、救難信号なんじゃないか?
僕は頭の片隅で、ほんの少しだけ、その荒唐無稽な可能性を信じていた。
「佐藤くん。死んだ人間はメールなんて打てんて。見たんやろ? 不死島ちゃんの遺骨。不死島ちゃんが佐藤くんにとって、めっちゃ大事なひとなんはわかるよ。でもな――」
その時だ。
彼女の話を折るように、ぽこんと間抜けな音が響いた。
木琴の鍵盤を軽く叩いたような音。
メールの着信音だった。
◆
差出人:pketpdxz458w3xf5kv8@dmail.com
件名:ポイントチャージが螳御コ?@ました 2018年3月17日 15:07
豁サんだ人間は繝。繝シ繝ォ縺ェ繧薙※
なんて縺ェ繧薙※なんてなんて打てん
縺ヲ隕九◆繧薙d繧?遺骨
下下下下下下下下下下下下下下荳倶ク倶ク
下下下下下荳倶ク倶ク下下下下下下下下下
下下荳下下下下下遺骨下下下下下下下下
下下下下下下下下下下下下荳下下下下下
下下下下下下下下下下下下下骨骨骨骨灰
◆
「ワレどっから見とるんやボケカスチンピラコラハゲカス!! 殺すぞアホンダラァ!!!!」
メールの中身を見るや否や、戸越は弾かれるように立ち上がって叫んだ。
それからすぐに僕の方を振り返る。
「佐藤君、携帯貸し!」
ほとんどもぎ取るようにして僕の手からスマートフォンを奪った戸越は、ものすごい速さで操作をし、すぐに舌打ちをする。
「
戸越は鬼の形相で叫ぶ。
「佐藤くん、なにボサッとしてんねん! 犯人探すで! コイツ、たぶん現在進行形でウチらのこと監視しよんねんで!?」
僕はその言葉につられて立ち上がる。
そうだ。
彼女を探さなければ。
「――お前ッ……! なに笑ろとんねん!!」
「……は?」
戸越の言葉で、僕は自分が引き攣った笑いを浮かべていることに初めて気づいた。
不死島先輩は、ばかだ。 逢坂 新 @aisk
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