第7話




「落ちついて。誰も君を傷つけたりしないから」

『ヴー!!』

「弱ったな…」

「何事?」

「あぁ、香夜。ちょうどよかったよ」



 香夜たちより先んじて、子供の様子を見に来ていた柊が。部屋の外で立ち往生しているのを見つけた。


 先ほどの会話からして、どうやら子供は目を覚ましたらしい。そして、かなり警戒けいかいされているようだ。


 柊のように、善意ぜんいが全身からにじみ出ている好人物でも警戒されるのであれば。椿などは、顔を見せるだけでも駄目ダメだろう。


 なけなしの望みをかけて。直接子供を助ける手助けをした香夜に、必然的に賭けることになった。他の者は手出しすら出来ないのだから、仕方ないのだが。


 これで香夜まで駄目だったなら。かなりの歳月を費やして、心を解きほぐすしかなくなる。それはとても手間で面倒だ。


 時間が惜しい訳ではないが、香夜はこう見えて多忙たぼうである。ずっと子供にかかりきりにはなれないのだ。



「…それにしても、本性があるとは思っていたけれど。まさか『真神まかみ』だったとは」

「真神?犬神じゃないんだ」



 真神まかみとは、狼が神格化したもののことだ。古来より聖獣せいじゅうとして、崇拝すうはいされていたのである。


 狼本来の獰猛どうもうさから神格化され。猪や鹿から、作物を守護するものとされた。



「うん、あれは真神ね。間違えそうになるけれど、根っこの部分に神格しんかくがあるもの」



 人語を理解し、人間の性質せいしつを見分ける力を有し。善人を守護しゅごし、悪人をばっするものだとされている。


 また、厄除け。特に火難かなんや、盗難とうなんから守る力が強いとされ。絵馬などにも描かれてきた。



「色々混ざっているから~…よーく見ないと気づかない」

「香夜は目がいいから」

「それほどでもある」



 二人がのほほんと、会話に花を咲かせていれば。背後から椿の咳払いが聞こえ。同時に空笑いに変わった。



「…あれを放っておいてもよろしいんですの?」



 能天気のうてんきに笑う香夜を見て、深い嘆息たんそくを一つ。そして白く長い指先を、部屋の奥に向けて指さした。



「あら、可愛い」



 部屋の奥にあるふすまの中で。茶白の毛並みの子犬が、牙を見せてうなっていた。


 普通なら、どこから迷いこんできたのかと思うだろうが。子犬から発せられる気配と。布団に寝ているはずの、子供の姿が見えないことから。みちびきだされた答えは、一つだった。



「弱りきって、本性が現れたってところかしら」



 どれだけ威嚇いかくしようとも。香夜からしてみれば、愛らしいことこの上ないだけである。


 必死に己の身を守ろうとしている姿は健気だが。どうにも微笑ましいと思ってしまう。緊張感が足りないのだ。



「可愛い坊っちゃん」

 


 子供に対して、優しく話しかける。その声音こわねからは、恐れも怒りも感じられない。


 ただただ、怯えて怖がっている小さな子供のことを気づかい。救ってやりたいと願う、慈悲の心がにじみ出ている声色こわいろだった。



「私たちはお前を傷つけたりはしない」



 決して声を荒げることも、手を出すこともせず。子供に根気よく話しかけることに専念した。



「お前を助けてほしいと頼まれたのよ」



 香夜自身は同情でも哀れみでもなく。己の欲の為に行動しているわけだが。子供自身が気にくわない性格だったら。たとえ欲しい物が手に入らずとも、決して助けなかっただろう。


 だが、小さな体で精一杯の抵抗ていこうをみせる姿が。香夜の心に強くうったえかける。子供がいじらしくてたまらないのだ。



「お前の大切な人…いたでしょう?愛して、慈しみ、心からお前のことを案じてくれていた人が」



 死してなお、老婆は孫のことが気がかりで仕方がなかったのだろう。他に頼れる者も無く、かといって子供一人では心配で。


 そんな時に、香夜という存在を見つけた老婆は。でも孫のことを頼み込むと決めたはずだ。


 人柄を見こまれたことは、素直に喜ぶべきことなのだろうが。子供が香夜を、信じられるかどうかなんてわからない。


 信用してもらいたい、信じてほしい。欲徳のことだけでなく。ひどく傷ついている幼い子供を、助けたいと願うから。




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心をつないで愛(信仰)をもらう 桐一葉 @bonmocoan

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