それから

 今年の夏も蝉は騒がしく鳴いている。炎天下の街角を行き交う人々は、誰のせいでもないのに無用な苛立ちをつのらせて足早にすれ違ってゆく。

 市場で買い物を済ませ家路につく道すがら、風通しのいいカフェーのテラス席の横合いを通り過ぎたとき、突然、向かいの通りから男の怒号が轟いた。

 目を向ければ、顔を真っ赤にした男が怒鳴り散らしている。その対面でもうひとりの男が真っ青な顔をして固まっていた。

 どうやら交際中の女性が別の男性に浮気を働いたというので、件の浮気相手に食って掛かっているらしかった。

 こんなに暑い昼下がりだというのに野次馬たちが三々五々に集まりだす。

 このまま通り過ぎようとしたとき、視界の端にチラチラと光が瞬いた。

 刃物だと気付いた瞬間、弾かれたように道路を飛び越して、買い物袋を頭上に投げ上げた。

 宙をまたぎ、向かいの通りに降り立って、赤い顔をした男の腕をひねり上げ、ナイフを奪いつつ地面に引き倒す。ついでに青い顔の男の背後に回り込んで膝裏を刈って転ばせる。

 落下してきた買い物袋を受け止めて、地面に這いつくばる男たちの顔の間に奪ったナイフを突き立てた。

「話し合いましょうよ。女の人を半分こにして分け合うことなんてできないけど、同じ人を好きになったなら、案外話が合うんじゃないですか。ほら、ちょうどそこに喫茶店もありますし、ね。血を見るのはその後でも遅くないでしょう」

 ふたりは言葉を失って身じろぎひとつしなかった。何が起こって何をされたのか理解が追いついていない様子だった。

「もし話し合っても彼女さんの好きなところやいいところが出てこないっていうなら、あなたたちには怒る権利も怒られる資格もありませんよ。自分かわいさで他人を傷つけてるだけなんだから」

 これ以上深入りして面倒を見るつもりもなく、それだけ言ってその場を後にした。

 まだ戦闘機動は取れる。戦闘技能も十全に働く。鋼人としては完調だ。

 けれど入隊するはずだった軍には入れなかった。

 去年の今頃、この躯体が暴走事件を起こしたせいだ。

 その時期の記憶は今でもあやふやで、この躯体が何をしたかという記憶はあるのに、自分がそれをやったのだという自覚があまり感じられない。

 記録データだけを移植されたような違和感を今も抱えたままでいる。

 暴走事件の最後に、国境の森の中でシステムダウンした末、回収されて機能を復旧されたのだ。

 はっきりした記憶が始まるのはそこからだ。

 レストアを指揮した所長からは、悪運が強かったのだと言われた。鋼人のシステムを破壊するウィルスを流し込まれた頚椎部には、そもそも物理的な破損を検知した際に自壊するプログラムが積まれていた。システムを破壊する要素同士が重なり合ったとき、お互いが実行を阻害し合い結果的に破壊をまぬがれた――らしい。毒をもって毒を制したというわけだ。

 破壊されないだけでシステムダウンは避けられなかった。本物の戦場なら確実に死んでいる。確かにこれは悪運と呼ぶしかない。

 まるで目に見えない何かに守られたような、悪運だ。

 それから今日まで一年近くひとりで暮らしてみた。事件を起こす前の部屋を引き払って、別の街に移り住んで、今は高等学校に通っている。買い物をして、掃除をして、料理をして、洗濯をして――人間みたいに暮らしてみた。

 妙なことだけれど、どうにもそれがしっくりきた。自分が人間であるような……そんな錯誤に歪んだ現実を受け容れて生きてきた。

 そうしたシステムエラーじみた事実誤認は、入隊できなかった自分の劣等感から発生しているのかもしれない。

 幼馴染のフロンは花形の強襲隊に配属されて、今は北の軍との合同演習に呼ばれている。

 建ち並ぶ家々のその向こう。街外れの山肌に、大きな白い風車にも見える装置がそそり立っている。四枚の円盤型の羽板は風を受けても回転しない。四つ葉のクローバーを連想する形状のそれは新型の発電設備だった。

 この設備の設計図を交渉材料にして北の国との和睦が推し進められ、ひとまず限られた官民での交流が図られている。フロンはそれに参加するのだと、春に会った際にそれはそれは自慢気に聞かされた。

 ずいぶんと差が開いたものだ。こちらは暴走事件のお咎めを食らって自宅から半径十キロ圏内に移動が制限されているというのに。

 とはいえ、鬱屈とした自省も今日でおしまいだ。なにしろ軍から任務を与えられたのだ。

 曰く、養育期間中の鋼人をひとり預かってほしいという。

 妙な時期にやって来るものだと訝しみもしたが、渡された資料によれば配置された尋常小学校が廃校になるというので、急に引っ越し先が必要になったらしい。

 そこで手の空いているこちらにお鉢が回ってきたわけだ。

 買い物袋を提げて自宅のドアを開ける。前の部屋とは違い、手狭だが一軒家だ。鋼人がひとり増えたくらいでは窮屈にはならない。

 掃除は朝のうちに済ませた。台所に買い物袋を置いて、干したシーツを取り込んだ。

「あ、そういえば今日か……」

 買い集めた人形たちの隣に並ぶ、居間のラジオの電源を入れる。スピーカが明るい音楽を奏で始めた。今日は学生バンドコンテストが放送される日だ。

 たどたどしくも賑やかな演奏が続くのを聞きながら、寝室に二台並んだ調整台へ干したばかりのシーツを掛ける。

 コンテストのエントリーナンバーが進み、目当ての参加者に順番が回ってくる。

「なんだ。結構上手いじゃないか」

 低音のベースの音に耳をそばだてて含み笑いがこぼれる。ベーシストの懸命な顔が目に浮かぶようだ。

 時刻を確かめると路面電車の到着時間から二十分ほどが経っている。そろそろ来る頃だろうか。

 預かる鋼人は女の子だと聞いている。シッターもいないこの家でどんな世話を焼けばよいものやら。所長は女性だが、こと子育てに関してアテになりそうもない。ペルさんに相談しようか。でも子供は男の子だったな……。イチマツさんのお孫さんは女の子だったっけ? でもあの人の教育方針も信用できない……。間違ってもフロンみたいにおっかない子には成長してほしくないなぁ……。

 思案しているうちに呼び鈴が鳴る。

 玄関のドアを開けると、女の子が立っていた。資料の通りの長い栗毛に琥珀色の瞳。小さく頼りなげな肩にちっぽけなリュックを背負っている。荷物はそれっきりだ。

「やあ、初めまして。君のことは資料で見た程度には知っているよ。ぼくのことは何か聞いているかな?」

 彼女は小さな頭をフルフルと横に振った。

「ぼくはトォイ。今日から君の家族だ。さあ、入って」

 玄関にいざなうと、女の子はおずおずと頭を下げて敷居をまたぐ。

「おじゃまします……」

「礼儀正しいのはいいけど、ここは君の家だよ」

 彼女はハッとして、少しはにかんだふうに照れ笑いを浮かべて言った。

「ただいま、トォイ」

「おかえり、アンヘル」

 十六歳の夏。ぼくは家族に出会った。


                                完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魂の生まれるところ 豊口栄志 @AC1497

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ