真昼の床下から

 夏休みに入り、早々とテニス部の夏合宿が始まった。

 合宿地はとある北関東の山間の高地で、何もないところで、恵美たちが住む街からはチャーターバスで二時間も掛かった。

 高地とあって気温は涼しく、今年の猛暑を考えると、高校の校庭で練習するより楽だったかもしれない。


 問題は、周りに店が何もないということだった。勿論コンビニもない。

 恵美たちが持ってきたお菓子は早々にストック切れとなるのが目に見えていた。

 歩いて数分の二股辻に、小さな雑貨屋みたいな、日用品から食品までなんでも売っているような店があったが、食べ物といえば、定番のカップ麺や古めかしい駄菓子、せんべい、クッキーといったものばかりで、ポテチも一種類しかなかった。

 その店で、魅力的な商品は唯一、真っ白なバニラアイスだけだった。


 泊まるのは昔の木造の学校を改造した民宿で、テニス場から坂を登って数分のところにあった。

 毎年、この民宿を定宿にしているらしい。と、いうか、この民宿以外に近くに宿泊施設はこの民宿しかないようだ。


 民宿は小綺麗にリフォームしてあって、どちらかと言えば女性客を意識した作りになっていた。恵美達初めて来る一年生は「きゃー、かわい~」と黄色い声を上げて喜んだ。如何にもインスタ映えしそうだ。


 部屋は予算もあってか、四人一部屋か三人一部屋の相部屋となったが、思ったより狭いと感じなかった。


 民宿を経営しているのは白髪の目立つ佐竹さんというおじいさんで、おじいさんと言ってもまだまだ元気で、腰もシャンとしていた。無口だけど、いつもニコニコしていて優しい人だった。先輩たちはみんな「おじさん、おじさん」と呼んでいた。


 朝と晩の食事は近所のおばさんがボランティアで交替できてくれた。みんなこの木造校舎の卒業生で、おばさんたちの話しによれば、おじさんもこの学校の元教師であり、同時に卒業生たちの救世主だそうだ。

 この学校が廃校になり、その後、取り壊しが決まった時、「校舎保存会」を作って反対運動をしていたおばさんたちの元に駆けつけ、私財をなげうって、校舎と校庭を買い取って民宿としてリフォームしてくれたそうだ。それで、おばさんたちもボランティアで手伝っているらしい。



 合宿と言っても、高校からテニスを始めた恵美達一年生がやることは球ひろいと基礎体力作りくらいで、滅多にラケットを握らせてはもらえなかった。

 単調に次ぐ単調な毎日。走りこみとランニング。腕立て伏せに柔軟体操…。

 それでも南関東のクソ暑い猛暑から逃れて来れたのだから、それだけでもありがたいと思った。


 朝食は何処の民宿でも出しているような料理だった。ご飯に味噌汁、卵に納豆、焼き海苔、おひたしにお新香。それとおかず一品。そのおかずもこの土地の名物なのかやたらと茄子料理が多いのには閉口した。


 ここは他にお店がないからなのか、お昼も付いていた。

 朝ごはんの担当のおばさんたちが作り置きしておいたものをおじさんが温めてくれて出すだけなのだが、大量のサラダと、カレーやとんかつ、フライにメンチカツ、といった罪悪感が残りすぎる料理ばかりだったが、午前の練習でペコペコになったお腹はそんな罪悪感など簡単に蹴散らしてしまった。

 脂っこいものばかりだったが、栄養士免許を持っている副顧問の新谷も何も言わないのだから、お昼ごはんとしては問題ないのだろう。

 この女、夕飯はタンパク質を控えろとか、肉は鶏肉がいいとか、やたらとおばさんたちに注文してくるが、わたしたちの健康管理というよりも自分のダイエットを優先させてるんじゃないかと、恵美は思っていた。


 恵美たちが一番楽しみにしていたのが、時々おやつ時におじさんが持ってきてくれるフルーツとそれに掛けるおじさん特製の蜂蜜だった。


 果樹園をやっているご近所から見た目が悪くて出荷できない梨や葡萄などの果物を時々もらうらしく、それを恵美たちに持ってきてくれる。

 果物自体も美味しかったが、そこにおじさんの蜂蜜をたっぷりかけると嘘のように美味しかった。


 毎日、ヘトヘトになるまで動き、お腹いっぱい食べると、夜も早くから瞼が重くなってくる。


 夕飯は小うるさい生物教師の新谷のせいなのか、それとも元から夕飯はビールやお酒と合うような料理を出しているのか、山菜や川魚、豆腐料理や鍋料理が多かった。それほどガッツリ食べているわけではなかったが、いつも箸半ばで眠たくなっていた。


 いつも夕食を終えて、部屋に帰ると、みんな倒れるように寝てしまう。

 一度も途中で起きることなく、気付いたら朝になっている。

 そんな毎日が続いた。


 一年生は雑用も多く、先輩や自分達のタオルやシャツの洗濯、使いっ走りなどの仕事もやらされたが、そういう時はサボるチャンスで、二股辻にある作田屋さんで買い食いしたり、店先にある、氷水に浸かった冷たいラムネを飲んだりと楽しいことも一杯あった。


 そうやって合宿生活に漸く慣れてきたある朝、灰色の雲が垂れ込め、下の盆地から霧も上がってきて、雨が振りそうな空模様になった。

 気温も少し肌寒く、いつ雨が降ってきてもおかしくなかった。


 午前中はどうにか持ってくれたが、お昼を食べている途中に、大粒の雨が降りだした。


「ああ、こりゃダメだな」窓の外を眺めながら顧問の佐藤先生が言った。「雨が止むまで自由時間だ」

 わぁっ、と喜ぶ下級生と、それをキッと睨む上級生。パッと散る生徒たち。


 恵美も同室のの虹花と奈々未と共に部屋に篭った。

 虹花は単行本を読み、奈々未はヘッドホンをしながらスマホをいじっていた。恵美もうつ伏せになって雑誌をペラペラと見ていた。



 どこかで誰かの笑い声がする。


 窓の外はしとしと、ざぁざぁと雨が降っている。



 コン、コン…。


 何処かで音がした。

 恵美は頭を上げて聞き耳を立てた。無音。


「ねえ、今なにか聞こえなかった?」

 尋ねてみたものの、奈々未はヘッドホンをして頭を振っているし、虹花は単行本に没入して聞く耳はなかった。


 コツッ、コツッ。


「ねぇ、虹花。今聞こえなかった?」恵美は虹花の肩を揺すった。

「何が?」

「今、変な音がした」

「しーっ」恵美は人差し指を唇の前で立てて黙るよう促した。


 コンッ、コン…。


「ほら、変な音したでしょ?」

「上の階の音とかが反響したんじゃない?」

「でも、下から聞こえなかった?」

「うーん、よくわかんないな」虹花は冷静だった。


 しかし、恵美は確かに聞いていた。

 床をノックするような音を。床下から誰かがノックしているような音を。

 しかし、空耳といえば空耳かもしれない。それほど微かな音だったのだから…。


 ゴツッ、ザザッ…。


 今度は変な音がした。何かがこすれるような音。

 しかし、虹花も奈々未も聞こえてはいないようだ。


〈ひょっとしたら、空耳なのかな?〉と恵美は思った。


 恵美は床に耳をつけて耳に神経を集中させた。しかし、それ以降、何も音は聞こえてこなかった。


 三時過ぎになって、佐藤先生が言ったように雨がやんだ。恵美達一年生はコートの整備に出されたが、実質的な練習はその日中止になった。

 水はけの悪い土地らしく、整備には日没まで掛かった。


 その後、お風呂に入って、食堂で夕食をとって部屋に戻ったが、恵美は怖くてたまらなかった。


 あの音がまたしたら、どうしよう。


 幽霊なんて信じてはいないが、あの不気味な音は確かに聞こえた。夜中にあの音を再び聞いたらと思うと、不安でならなかった。


 しかし、その夜、何も変な音は聞こえてこなかった。さほど身体を動かしていなかったことと、あの音が聞こえるんじゃないかという恐怖心のため、寝付きは良くなかったが、しんと静まり返った部屋の中で不安に思っているうちに、知らず知らずに眠ってしまった。




 翌日は朝からよく晴れていた。

 昨日の怪音の事などすっかり忘れてしまうほど、清々しい朝だった。


 お昼になり、民宿に帰ってきた時、恵美はふとあの音のことを思い出した。


「ねぇ、虹花。昨日の夜、あの音聞こえた?」チキンソテーを頬張りながら恵美が尋ねた。

「うーん、ぐっすり寝てたからね。でも、変な音がすれば起きると思うな」

「ねぇねぇ、何の話?」昨日ヘッドホンをしていて話に加わらなかった奈々未が尋ねた。

 恵美と虹花は昨日のことを奈々未に話してあげた。


「へ~ぇ、そんなことがあったの?どうして教えてくれなかったの?」

「あんたは目ぇつぶって音楽聞いてたじゃない」恵美がふくれて答えた。

「言ってよぉ、もぉ、言ってよぉ」奈々未は机を叩いて悔しがった。


「ねぇ、その幽霊、昼しかでないんじゃない」ひとしきり悔しがった後、奈々未は突然、訳のわからないことを言い出した。


「えーっ?昼間の幽霊?」恵美は目をひん剥いた。

「って、いうか、幽霊って決めつけてるし…」虹花は冷たい目で二人を見た。


「お昼食べたら、部屋に戻ってみようよ♡」奈々未が嬉しそうに言った。



 食堂から部屋へ向かうフローリングの廊下はひっそりして薄暗く、ひんやりしていた。他の娘たちは既に自分の部屋で休んでいるか、庭でくつろいでいた。

 奈々未の食事が異様に遅かったので、恵美も虹花も食堂から動けなかった。


 恵美と虹花、奈々未の三人は足音を殺すようにゆっくりと部屋へ向かった。


 三人はビクビクしながら、ゆっくりドアを開け、耳を澄ました。


 ギイ〜ッ、コツ、コツ。


 不気味な音が三人を迎えた。

「キャーーーッ!」三人は叫んだ。


「ちょっ、ちょっと落ち着いて」虹花が恵美と奈々未を制した。

「これは家鳴いえなりだと思う」虹花が言った。「昨日雨が降ったでしょ?湿度が変わって柱や梁が歪んで音を出してるのよ」

「家鳴?」恵美は呟いた。そういえばそういう話を聞いたことがある。

「でも、なんか床下からノックしてたみたいよ」奈々未が震えながら言った。

「そういう音なのよ。ピキッとか、コツンとか」虹花は落ち着いて奈々未を諭した。


 まっ、古い校舎だからそういうこともあるかもしれない、と恵美は考えた。


 結局、その日はそのまま部活の練習に入った。


 その夜も家鳴は聞こえず、静かで平穏な夜となった。



 翌日のお昼休み、食堂でお昼を食べながら、奈々未は他の部員たちに家鳴の話を自慢気に話した。


「え~っ?昼間の怪音?全然怖くないじゃん」二年の先輩が言った。

「それが、不気味な音なんですよ。昼間でも十分怖いですって!」奈々未が答えた。

「じゃあ、お昼食べたら見に行こうよ」と先輩が言った。


 と、いう訳で、恵美達三人は他の一年の子や二年の先輩合わせて十人位で恵美達の部屋に向かった。


 恵美は思った。こんなにゾロゾロ連れて行く時に限って、何も起きない、そういうパターンなのではないだろうかと。よくある話だ。そしたら、いい笑いものだ。


 恵美は部屋に近づくに連れ、だんだん怖くなってきた。


 奈々未はそんな心配は全く無いらしく、何の躊躇もなく部屋のドアを開けた。


 ゴツッ、コンッ。

「ひいいい〜」先輩の一人が引きつった悲鳴を上げた。


 恥はかかずに済んだが、やはり昼間聞いても怖い音だ。


 ガリガリッ、ガサガサ。

「床の下を引っ掻いてない?」一年の涼子が真っ青な顔で言った。


 ギイ〜ッ、ギイ〜ッ。

 今度はかなり大きい音だ。今日は一段とサービスしているらしい。


「ねぇ、なんか、床、盛り上がってない?」二年の橘先輩が言った。

 すると全員がしゃがみ込み、床に顔を近づけた。


 すると、ほんの一ミリ程度だが、確かに部屋の中央の床が盛り上がっていた。


 ギギギギギ〜。


「これヤバイよ」橘先輩が言った。「誰か先生呼んできて」


 すると、それを聞いていたかのように佐藤先生と新谷先生が小走りで寄ってきた。

「お前ら、何やってるんだ?練習始まってるぞ」佐藤先生が大声で言った。


「先生!見て!」恵美が訴えた。「床が…」

「床がどうしたんだ?」

「床が盛り上がってるんです…」


 佐藤先生は生徒たちをかき分けてドアのところに来てしゃがみこんだ。


 ほんの僅かだがが、床は盛り上がったり戻ったりしていた。それはまるで床が呼吸しているようで、ゆっくり盛り上がって、静かに元に戻った。

 ほんの僅かな上下なので、普段なら気付かないかもしれないが、窓から入る光が床に反射する事で、ハッキリと認識できた。


「誰か、佐竹さんを呼んできてくれ」佐藤先生は目を見開いて、吐き出すように言った。それを聞いて、真知子が駆け出していった。


 真知子は中々帰ってこなかった。その間、全員が石のように固くなったまま、部屋の中心を凝視していた。誰も動こうとはしなかった。


 永遠とも言えるほどの永い時間が経過していった。そして、やっと真知子が戻ってきた。バタバタと騒々しく帰ってきたが、連れてきたのは佐竹のおじさんではなくて、調理担当のおばさんたちと、知らないおじさん達だった。


「ごめんなさ~い。佐竹さん、丁度、町に下りた所で…」おばさんの一人が済まなそうに叫びながら近づいてきた。「床から変な音がするんだって?」


 恵美達は全員黙って頷いた。


「この人、私の親戚で大工なの」太ったおばさんが捻り鉢巻のおじさんの腕を取って紹介した。

 そのおじさんは恵美たちを掻き分けて部屋の中に入ってきた。おじさんが聞き耳を立てると、みんなは口を押さえて押し黙った。


 ギイィ〜ッ、ギイッ。ゴフッ。


 床は期待通りに鳴ってくれた。


「何だこりゃあ…。こりゃあ、床あけてみんとイカンなあ」おじさんが唸るように言った。

「でも、佐竹さんが来てからじゃないと…」佐藤先生がオロオロしながら言った。


「いや、すぐ開けて調べた方がいい。床材もあるけ、今開けりゃあ、夕方までに貼り直せるき、すぐ開けたほうがいい」大工のおじさんはきっぱりと言った。「爺さんにはオレから言っとくから、大丈夫だ。床材の在庫はあるし、夕方までには元通り以上にできるよ」


 鉢巻のおじさんは一旦部屋から去ると、すぐに大工道具を抱えて戻ってきた。


 小型の電鋸をコンセントに繋ぎ、スイッチを入れた。

 ギイィ〜ンと甲高い音をたてて電鋸の刃が躊躇なく床を切り裂いていった。


 フローリングの片端を一メートルちょっと切り裂いた後、反対側を切断しようとおじさんが立ち上がった瞬間、床材が破裂して四方に飛び散った。

 それと同時に、床の穴から白っぽい薄緑の靄が、ババ〜ッと飛び出した。


「キャ〜〜ッ」

「わ~~ッ」


 その悲鳴はすぐに固まった。



 床の下から出てきたのは、薄緑色の木だった。

 正確に言うと若い「竹」だった。

 床下を見ると、まだ筍が成長した跡が見て取れる。


「なんだ、佐竹の爺さんの床から竹が生えてきたよ」そう言って鉢巻のおじさんが豪快に笑った。


「光のないとこで植物って育つの?」恵美はまだ目を丸くしたまま呟いた。

「竹は他の株と根っこで繋がってるからね。他の株から栄養もらえるんだよ」虹花が冷静に答えた。


「きゃ~~〜〜っ」奈々未が突然叫んだ。無いか白っぽいものを指差していた。


 そこには竹の枝に刺さった髑髏があった。


「きゃ~~〜〜っ」

「ぎゃ~~~〜っ」


 それは紛れも無い骸骨だった。犬や猫でもない、理科室にある模型そっくりの人間の頭の骨だった。


 新谷先生が恐る恐るその骸骨に近づき、人差し指で軽く触れてみた。

「本物みたいだわ…」

「大変だ!け、警察!警察!みんなすぐに部屋を出るんだ」佐藤先生が慌てて叫んだ。


 みんな腰が抜けてしまい、這いずるようにしてドアから出た。

 恵美はドアから十メートルほど這いずった所で気を失った。

 気が付くと、周りのあちこちで赤色灯が回っていた。ドアからは「鑑識」と背中にプリントした人達がひっきりなしに出入りしていた。


 その後、救急車で病院に運ばれ、検査やらカウンセリングやらを受けて二日間入院させられ、その後警察官が来て、調書を取らされた。


 事件は既に解決し、そもそも時効が成立しているので、手続き通り調書をとっているにすぎないと、刑事は言った。


 刑事の話によると、犯人は佐竹のおじいさんで、白骨遺体が発見されたと判ると、すぐに自首してきたそうだ。

 おじいさんの話によると、四十年前に愛人と揉め事になり、殺してしまったのだという。その遺体を床下張替え工事中だった校舎の床深くに埋めたのだそうだ。

 校舎の解体話が出ると、異体を掘り返されるのを恐れ、全財産を叩いて、あの校舎を買い取ったのだそうだ。


「遺体の他の部分も出てきたんですか」恵美は刑事に尋ねた。

「出てきたよ。全部ね。でも、不思議なんだ。普通竹の根はあんなに深くまで潜らないんだそうだよ…」

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