素焼きの人形

 あれはもう五年以上前になるね。

 いや、事の始まりはもっと昔の話なんだけど…。


 あの例の事件が起きたのは五年くらい前のことだね。


 事の始まりは懐かしい再会だった。


 ある日、SNSで小学校時代の親友に再会したんだよ。

 俺が親父の都合で転校することになっちゃって、それ以来だったんだ。


 俺も彼も実家を出ていて、割と近くに住んでたから、頻繁に会うようになったんだ。元々、仲が良かったからね。

 名前は仮に堀口君としとこう。


 だけど、その堀口くんがさぁ、再会してから一年くらい経った頃だったかなぁ。彼が段々元気なくなって、顔つきもやつれたようになってきちゃって、どうしたんだ?って何度も聞いても何でもないの一点張りなんだ。


 三ヶ月位すると、身体も痩せてきちゃってね。流石にマズイと思った。そこで、どうしたんだと、しつこく尋ねたんだ。するとね、


「あの人形、覚えてるか?」っ真剣な顔で聞くんだ。

 あの人形って、どの人形だ?って思ったよ。すると、



「ほら、遺跡で発掘したあの埴輪だよ」って言うんだ。


『遺跡で発掘』は少々オーバーだね。そんな大層なもんじゃない。だけど、彼はそう言ったし、俺もその思い出は直ぐに頭に浮かんだよ。




 判りやすく説明すると、こういうことだ、



 俺が小学生の頃、近くに国道が造られることになったんだ。

 俺達がよく遊んでいた原っぱや林なんかを切り開いてね。

 ある日突然、重機やダンプが唸るほど沢山入ってきて、プレハブの建築事務所が次々と作られてったんだ。


 俺達の遊び場は破壊された。


 とは言え、俺達も負けてはいない。

 夕方になって、作業員達が帰ると、工事現場に忍び込んで、プレハブ倉庫の裏に置いてあったボルトやら特殊な電池やら木片やらを盗んで、それで新たな玩具を作って遊んだんだ。

 なぁに、当時は工事現場のセキュリティーなんてたいしたことなかったから、楽々侵入できたよ。


 ところが、ある時、ぱったりと工事が止まったんだ。どうしたんだろうと思っていると、大人たちが言うには、縄文時代の遺跡が発見されたので、工事を中断して発掘作業を始めたって言うんだ。


 こっちの方は、工事現場より手強かった。


 建築事務所と同じようなプレハブの発掘基地みたいなものが建てられたんだけど、警備役の人が何人か泊まり込んでいて、四六時中パトロールしてたんだ。

 俺達の様な悪たれ小僧はすぐに蹴散らされてしまう。


 それでも僕らは発掘現場から少し離れた所で「発掘ごっこ」をして遊んでいた。


 驚いたことに、少し離れたところでも縄文土器の欠片が結構出てきた。

 俺達は興奮し、調子に乗って土を掘りまくった。今思えばとんでもないことだが、移植鏝(スコップ)一つでザクザクと乱暴に掘りまくって、深い溝が入った素焼き粘土の欠片を発掘して遊んだ。


 そして、ある時、近所の中学生のお兄さんが丸々無傷の壺を発見したんだ。


 すぐにニュースになり、発掘隊が壺を買い取って、それが出た周辺も発掘現場に指定してしまった。


 小学生だった俺達にとってはあまりにも高額で買い取ったという噂を聞いて、更に俺達の発掘熱は上がっていったんだ。


 そして、とうとう堀口くんが土偶を掘り出したんだ。


 俺達は飛び上がって手を叩いて喜んだね。


「土偶が出た、土偶が出た」ってはしゃぎまくった。


 だけど、一緒にいた中学生は冷ややかな視線だった。

「これ、土偶じゃないぞ」中学生の一人が言った。「模様もないし、なんか埴輪みたいだ…」


「でも、埴輪でも凄いじゃん」と誰かが言った。


「馬鹿だな。土偶と埴輪じゃ時代が違うじゃないか。縄文文化と古墳文化は時代も場所もぜんぜん違うよ」中学生はそう冷たく言い放った。


 言われてみると、写真で見た土偶とそれは全く別物だった。


 中が中空で、目と口は只の穴だ。その辺は埴輪に似てたが、衣装は武具ではなく、着物に近いものだった。


「多分、どっかの土産品じゃないか?きっと、ずっと最近のものだよ」


 俺達はすっかり興味をなくして、それっきりだった。





「で、その人形がどうしたの?まだあんなの持ってたの?」と俺は尋ねた。


「河原に捨てたつもりだった…。でも、捨ててなかったのかもしれない…」堀口くんの顔が段々青ざめてきた。「この前、実家に帰ったら、押し入れの中に入ってたんだ。なんとなく懐かしくなって、自分のマンションに持って帰ってしまったんだ…」


「ふん、それで?」俺は先を促した。




「僕はその人形を本棚の隅に置いておいた。ベットからちょっと離れたところさ。持ってきたはいいけど、なんか気味が悪くなってね。夜中にこの人形の顔は見たくないと思って、少し離れた所に置いたんだ。

 二・三日経った頃、そいつが少し近くに動いてたんだ。元に戻しても、次に日の朝には本棚のこちら側に移ってた」


「気のせいじゃないのか?夜中に酔って人形を手に取ったとか…」


「僕も初めは、そう思った。でも、酒を飲んでない日も翌日には動いてたんだ」


 俺はなんにも言わなかった。


「暫くすると、枕元のサイドテーブルの上に移動するようになった…。ある朝、起きてみると、そいつの顔がすぐ近くにあった…。真っ暗な目を僕の方に向けてたんだ。びっくりしたなんてもんじゃ無かった。実際に体験しないと、あの怖つは解らない…」堀口くんの顔は益々青くなった。


「でも、そんなのはなんでもないことだ。気のせいだと思えばそれで済む」


 俺は黙って頷き、更にその先を促した。


「一週間位前、突然夜中に目を覚ました。時計を見たら午前二時だった。まだ、三時間も寝てない。だけど全然眠くないんだ」堀口くんはモジモジした。


「仕方ないので、ウィスキーをチビチビやってたら、ふと実家に住んでる婆ちゃんのことを思い出した。


 寝れない時は熱燗におろし生姜を入れたのを飲むといいって言ってたのを思い出したんだ。


 その時、あの人形の目がピカッと光ったんだ。ほんの一瞬だったけど、ハッキリと両目が光った」


 堀口くんの両目は恐怖と混乱に満ちていた。


「翌日の早朝、実家から電話が掛かってきた。婆ちゃんが亡くなったという。昨夜の午前二時頃、突然苦しみだして、死んだそうだ。死因は、心臓発作…。人一倍心臓が強かった婆ちゃんだったのに…。しかも、ばあちゃんが死んだ丁度その時、あれの目が光ったんだぜ。あの真っ暗な目が…」



 俺は唖然とした。


 堀口くんは、精神に負荷が掛かり過ぎてる。


 心が病んでる。そう思った。


 堀口くんはまだ話し続けようとしていた。


 堀口くんの震える唇は恐怖のためだけじゃなく、何か次の言葉を紡ぎ出そうとしているようだった。蚕が繭を作るように…。


「それから、半年くらいして…」堀口くんはちょっと躊躇した。


「会社帰りに、犬の散歩をしている女の子をよく見かけたんだ。可愛い女の子だったんで、気になってたんだけど、彼女の飼い犬が僕を気に入ってくれたみたいなんだ。尻尾を振って、嬉しそうに近づいてきた。僕も女の子にアピールしたくて、犬の頭をなでてやると、犬は嬉しそうに擦り寄ってきた」


 堀口くんは苦痛に歪むような表情をちょっとだけほころばせた。


「毛がフサフサしたかなり大きい大型犬でね。『ラム』って名前だった。飼い主の女の子は、他人には懐かないのにすぐに懐くなんて珍しい、って言ってた」


 沈黙が暫く続いたが、俺は根気よく待っていた。


「ある日、朝の五時過ぎに突然目が覚めたんだ。起きた途端にすっきり目が冷めてた。こんな事はめったにない。いつものように六時半に起きても、暫くは眠くてしかたがないのに無理矢理起きるのに。

 僕はハッキリ目が覚めて、枕元の目覚まし時計を確認して、『ラムが朝の散歩をしてる頃だな』と考えたんだ。飼い主の女の子に聞いていたからね。毎日、朝五時と夜九時に散歩をしてるって…。その時、またあの人形の目がピカッと光ったんだ。闇のような目が、ピカッと…」


「それで?」堀口くんの顔は益々青黒くなってたが、あえて尋ねた。


「三日後の会社帰りににコンビニで女の子に会った。ラムの散歩時間だったのにラムを連れてなかった。どうしたのかと尋ねると、死んだって…」


 堀口くんは苦しそうに顔を歪めた。


「三日前の朝に、国道の前で急に何かに怯えたように吠えて、車道に飛び込んでダンプに轢かれたそうだ…。そんなことする子じゃないのに…。丁度、あの人形がピカッと光った時間だ…」


「単なる偶然だ!」俺は叫んだ。彼の正気を取り戻そうと思って。


「偶然じゃない。アイツの顔を見れば判る。アイツは僕の大切なものを奪おうとしてるんだ」



 これは厄介だと思ったよ。彼の精神が壊れてるか、ヤバいクスリをやっているとしか思えないじゃないか。でも、どうしていいか判らなかった。精神病院に行くことを勧めても、そういう人は行くはずはない。引きずって連れて行くしか方法がないが、そうまでするほど取り乱してはいない。

 そこで、取り敢えず、彼の家に行ってその人形を見てみることになった。彼が是非実際に見て欲しいと言ったからね。俺が信じていないのを察してそう言ったんだと思う。


 数週間後、彼の家に行って、その人形を久しぶりに手にとって見た。記憶にあった人形と一致した。こびり付いた土が無くなって、小綺麗になっていたけど、あの人形に間違いなかった。


 彼が言ったように、その眼と口はぽっかり空いて暗黒の空間に続いていて、不気味だった。口元は微妙に笑っているようにも見える。何かを嘲笑っているように…。

 しかし、やはりそれは素焼きの陶器の人形だ。


 何の変哲もない素焼きの人形。


 それが人や動物を殺すとはとても思えなかった。


 俺は思ったままを彼に伝えた。堀口くんはガックリして寂しそうに頷いた。俺の意見は当然だというように。


「偶然のいたずらだよ。大切な人が亡くなれば、ショックは大きい。心の優しい人はその死の原因を自分のせいにすることで昇華しようと考えちゃうんだ。自分の記憶を書き換えることもあるそうだよ」


 堀口くんは黙って頷き続けた。

「無論、そうだろう。全て僕の幻覚なんだ…」

 そうは言ったものの、堀口くんは項垂れたままだった。


 その後、暫くは堀口くんの精神状態も安定しているようだった。時々、居酒屋で呑んだりしていたが、例の人形の話をすることはなかった。少し青い顔は相変わらずだか、統合失調書的な言動は全く無かった。



 丁度、一年ほど前、堀口くんの携帯から電話があった。


「もしもし、堀口の母です」しわがれた女の声だった。その声には言いようのない不吉な予感が秘められていた。




「堀口が死にました」




 暫く固まって、動けなくなった。


 翌日、葬式に出た。その時もまだ実感がわかず、涙すら出なかった。只、ぼうっとしているだけで、自分の方が幽霊になったような気分だった。


「死因」は「事故死と思われる」ということだった。自宅のベランダから墜落して即死したそうだ。詳細は彼の両親も知らなかった。


 葬儀から帰るときに二人の男に呼び止められた。警察手帳を見せられた。


 堀口くんの死亡当時のアリバイを聞かれた。


 堀口くんが自宅のマンション六階か飛び降りた時間、俺は駅前の居酒屋で飲食していたので、アリバイは証明できたが、彼の死亡理由を警察がまだ探っていることに興味を抱いた。


 彼は事故死じゃなかったのか?


 警官によると自殺の可能性もあるような言い方だった。生前の堀口くんの精神状態などを詳しく聞きたがった。

 遺書がなかったので自殺とは断定できず、かと言って事故死とも他殺とも考えられないようだった。


 俺は一瞬、あの人形のことを話そうかと思った。しかし、科学的に証明できないことを死因とすることが出来ないと分かっていたので、その事は一切、話さなかった。


 しかし、刑事たちの方から、その事を聞いてきた。


 粉々に砕けたその人形の写真を俺に見せてきたのだ。


「この人形に見覚えはありませんか?」刑事が尋ねた。

 かなり粉砕していたが、あの人形だということははっきり分かった。顔や手や背中のあたりがまだ原型のまま残っていたのだ。


「ええ、彼の人形です」俺は無表情に答えた。


「彼はこの人形に特別の愛着を抱いていましたか?」もう一人の刑事が尋ねた。


 愛着など感じておらず、むしろ嫌悪を感じていたと、正直に証言した。勿論、彼の祖母と犬の死に関しては語らなかった。


 しかし、警察は彼があの人形に特別な愛着を感じていて、その人形がベランダから落下しそうになったのを救おうとして、ベランダから落下した事故死として処理された。


 俺はあの時、刑事からもらった名刺の電話番号に電話して、その経緯をしつこく尋ねた。

 中々白状しなかったが、再び科捜研に依頼して詳しく調べたところ、ベランダの一角にあの素焼きの人形の粉が発見されたそうだ。


 素焼きの人形は二百年くらい前に作られたもので、ベランダにかすかに残っていた粉末と成分が一致したそうだ。


 だから、堀口くんがベランダの手摺に置いた人形が、風か何かの理由で落下しそうになって、それを救おうとして、堀口くんが誤って落下した、と言う結果で収まったようだ。


 俺もその結果で納得したよ。理屈が通るからね。人形が彼に何かしたなんて考える方が可笑しいだろ?


 一年程して、彼の死の事も、忌まわしい彼の妄想のこともようやく忘れようとしていた。




 そんなある時、会社から帰ると、自宅のパソコンデスクにあの人形が置かれていた。

 粉々に砕けていた、あの人形がそこにあった。完全な形のままで。


 今、目の前にその人形がある。


 パソコンデスクから一切動かしていない。

 動かしたら、その魔力を自ら証明してしまうような気がして、触れない。


 まして、眼が光るようなことがあれば…。



 人形の目は暗黒の洞窟で、同じように暗黒の口は嘲笑っているように見えた。「今度はお前の番だ」と言っているようだった。

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