踏切

 そこは東京二十三区内だったが、未だに踏切が残っていた。


 私の家から最寄り駅に行くまでに、その踏切を超えなければならなかった。

「開かずの踏切」と呼ばれる程には閉まっている時間もそれほど長くなかったが、朝の忙しい時は結構厄介だった。


 だが、その頃、残業で終電になることも多く、駅前で飲んでから帰ったりすると、もう踏切が閉まることはないので、楽だった。


 その日も残業で終電になり、疲れた体を引きずって、ぼうっと踏切の方へ歩いて行った。


 丁度、踏切に差し掛かったところで警報機が鳴って、遮断機が降りてきた。


(あれっ?終電遅れてたのかな?いや、そんなことはないな。電車のアナウンスで終電だって言ってたもんなぁ)と不思議に思っていた。


(保線工事だろうか?それなら工事用のゴテゴテした電車や作業員が大勢いるはずだよな)


 線路の周りには誰もおらず、警報機だけがけたたましく鳴っていた。


(回送電車だろう…)


 しかし、一向に回送電車は現れず、電車のライトが見えたり線路の音が伝わってくることもなかった。


 いつになったら電車が来るんだろうと思っていると、突然、遮断機が鳴り止み、踏切が上がった。


(何だったんだ、今のは?)


 警報器の点検だろうか?それなら点検員が来てるはずだが…。単にキチンと作動するかどうかだけの点検なので監視カメラだけで済ませてるんだろうか?

 集中制御室で間違って非常ボタンを押してしまったのか?


 色々考えてみたが、答えは出るはずもなく、そのうち忘れてしまった。


 そんなことが二回ほどあった。


 特に被害を被るというわけでもなかったが、迷惑な話だと思った。



 ある時、友人と駅前で遅くまで飲んだ時、また警報機が鳴った。


 夜中の二時過ぎだった。


 いつもの様に突然、踏切に差し掛かる直前に警報機が鳴り、鼻先で遮断機が降りてきた。


 また、どうせ電車など来ないのだろうと思ったが、そんな時に限って、遮断機を潜った途端に回送電車が疾走してきたりしたら嫌なので、仕方なく踏切が開くのを大人しく待った。


 すると、何だか嫌な匂いが漂ってきた。何の臭いか全く解らなかったが、ひどい悪臭で、線路の左側から微風に乗って漂ってきた。


 左側を見ると、線路の上に水蒸気の塊のようなものが漂っていた。


 冬の寒い時にはアスファルトの上でそういう現象がよく起きたが、今はもう春先である。


 線路の上の石が昼間の日差しに暖められてこんな現象を起こしてるんだろうか?

 いや、これは臭いからして化学薬品が気化して雲みたいになってるんだ、と私は判断した。


 その白い雲の塊は風に流されて、ゆっくりと線路上を左側から右側へ流れて行きった。


 満月に照らされたソレは怪しげに輝き、周辺が触手のように動いたり消えたりしていた。


 その雲が線路を這うように右の方へ消え去ると、警報機が止まり、遮断機が開いた。


 前を見ると、踏切の向こうに中年の男が、雲が去っていった方向を眺めていた。


(あの男、いつの間に来たんだろう?さっきまで、いなかったような気がするが…)


 私が訝しげにその男を見つめていると、前を見たその男と目が合った。


 いきなり目が合ってしまったので、何だか気まずくなってしまった。


 その男も同じように感じたようで、鼻白んだ顔で私に話しかけてきた。


「この辺に引っ越してきて、まだ一週間くらいなんですが、この辺はあんな車両がまだ走ってるんですね」


「えっ?」


「今走っていった電車ですよ。もう三十年以上前に引退したはずなんだけど…」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る