不語の木

 会社を辞めてブラブラしていた時、昔、仕事で知り合った有名な雑誌の編集長に、どうせ何もしてないなら、物書きの仕事でもしないかと、ルポライターの仕事を勧められた。


 文筆業に憧れていた私は、二度返事で了解したが、入社してみると文才が問われるような仕事とは程遠いものだと分かった。


 全国の秘境をめぐるという旅雑誌のルポで、携帯やインターネットが繋がらないような山奥や孤島で取材するというだ。


 読者は慌ただしい日常生活から隔離されて、のんびり過ごしたいと考えている人達ばかりで、都会から隔離されていればいる程良いと考えていて、出来ればネットはもとより、テレビや有線電話なども無い所が良いとされていた。


 そういう僻地を探して取材する訳だが、「景観が良い」とか「美味い郷土料理がある」とか「秘湯がある」と云うようなところはベテランのルポライターが回り、何か良さそうなところがあるのか無いのか判らないような僻地へ私のようなドシロウトライターを回すという訳で、私が取材した内容も、後でプロのライターが書きなおしたりしたから、ルポライターとは名前だけで、要は足を使っての資料集め、ということだ。



 その村は、北関東のある村とだけ書こう。詳細は勘弁して頂きたい。


 いつもの様に編集長に呼び出され、Google mapのプリントアウトを渡さた。

 地図の上と下には地域名とギャラが書かれていある。


「当面の経費は振り込んでおいたから、領収証お願いね」と編集長。


 かなり乱暴な取材依頼だ。


 しかし、仕事は仕事だし、どうせ当てずっぽうで選んだ「秘境」だから、モノになるネタがなくとも、何も言われない。そこを選んだ編集長が悪いのだ。


 私は口座に振り込まれた前払いの経費を全額引き出し、旅行鞄に着替えやノートやカメラ、ノートパソコン等を入れ、取材旅行にでかけた。


 東京から急行列車でターミナル駅まで行き、そこからローカル線を二本乗り継ぎ、更にバスで二時間ちょっとかけて取材場所の近くまで行った。交通機関で行けるのはそこまでで、そこからさらに一時間以上歩かなければならない。


 かなりしんどい旅行だが、既にもう慣れてしまった。


 早朝出発して着いたのは夕方近くだった。


 東京を出る前に予約していた民宿に向かった。勿論、HPなど無いので、GoogleMapで調べた住所にあらかた見当をつけて向かう。


 村の入口らしいところから数分歩いたところで、大きな木の板に「背搔旅館」と書かれた看板が見えた。旅館と書かれているが、見るからに古い民家を増築した民宿だ。


 その村に宿泊施設はそこ一軒だけだったので選択の余地はない。

 まぁ、そんなこともしょっちゅうだ。まだ、泊まれるところがあるだけマシだ。時には寝袋に寝たり、どこかのお宅に泊めてもらったりすることもある。


 そこで出迎えてくれたのは、小柄で腰が低く、しゃべり好きそうな初老のオヤジだった。一方、奥さんは無口でおとなしい性格だった。


 部屋にはいると、「粗茶でございますが」と小さな声でお茶を出してくれると、奥さんはそそくさと部屋を後にした。


 一方、旦那さんの方は「東京からこの村の取材に来たんですってね」といきなり切り出して、「この村のことならなんでも聞いてください。もし良かったら、夕飯の時にでもお話しますよ」と話す気満々だった。

 プライベートなら迷惑な話だが、取材の時のこういう申し出は願ってもないことだったので、是非ともと旦那にお願いした。


 そろそろ夕食の時間ですが、汗をかかれているようだから、まず風呂に入ってはどうですか、と旦那に進められ、タイル張りの五人くらいが入れそうな大きな風呂に入った。


「大きな風呂」と言っても旅館の大浴場とは比較にはならず、只々古いだけだ。


 この自称旅館そのものも、元はかなり古いもののようだが、その時代時代に改修しており、江戸時代から明治、大正、昭和のそれぞれの建築技法が交じり合い、「歴史を感じる」とか「風情ある」等という文句を使って記事で紹介するわけにもいかないな、と湯船に入りながら私は思った。


 しかし、こういう秘境にボロ民宿というのは当たり前で、「ひなびた旅館」という表現で読者の心を捉えることが出来る。


「社会から隔絶された場所」という、読者が好みそうな条件は満たしているが、プラスアルファが必要だ。旅館の旦那が何かヒントをくれればと思った。


 風呂を上がると、夕食と朝食が供されるという十畳くらいの畳敷きの広間に案内された。


 広間に通されると、驚いたことに、私以外にも宿泊者がいた。


「石の研究をされている学者さんの水渕さんです」と民宿の旦那が紹介してくれた。


 水渕氏は大柄で体格のいいロマンスグレーの中年の男だった。


「いやぁ、学者なんかじゃないですよ。趣味で鉱石を研究している素人です」と水渕氏は頭を掻きながら言った。「この近くにある紋之割山というのがありましてね、そこにあると思われる鉱脈を探しているんですよ」


 夕飯はこれといって変わった郷土料理というわけではなく、山菜や川魚の山間の民宿でよく出される料理だった。

 それだけならまだ山奥らしさが出ていたが、一緒に肉じゃがとワカメの味噌汁が添えられていて、雰囲気を台無しにしていた。


 私はそんな東京の居酒屋でも食べられそうなありふれた料理を食べながら隣りに座る旅館の旦那にこの辺りの絶景ポイントなどを尋ねた。


「絶景と言われましてもねぇ。生まれた時からずっとここに住んでますから、何処も当たり前の風景にみえてしまうわけでして…」

 人の良さそうな旦那はそれでも真剣に頭を捻ってくれた。


「温泉とかは無いですか?」

 私はこの村の地酒だという日本酒を飲みながら尋ねた。この酒も特に旨いというわけではなかった。


「五キロ離れた隣村にはありますから、掘れば出るんでしょうが、今のところはありません」


「川とかは近くに流れてますか?」


「ええ、小さな小川がちょろちょろ流れています」


「星空なんてどうですか?」膳を並べて食事していた水渕氏が突然二人の話に入ってきた。「天の川がキレイですよ」


「ほぉ、成程。それはいいですね」私はかたわらのメモに書き込んだ。


「それに山の上の風景も平凡ですが、いいですよ。殺伐とした都会を忘れさせてくれる。植物の生態系も変わってましてね。珍しい草木が結構あるんです」


「いや、でも、先生が入っている山は駄目ですよ。あそこは祟られている。先生じゃないと、入ってはいけません」

 旦那が慌てて顔の前で手を交差させた。


「祟られている?」私は旦那に尋ねた。


「ええ、あの山に入ると変な病気になって死んだり、奇形の子が生まれたりするんです」と旦那が言う。


「まさか」私は鼻で笑った。


「いえ、ウソではありませんよ」そういったのは水渕氏だった。「放射性の鉱石があるんです。大した放射線量ではありませんがね」


「でも、先生は放射能を遮断する合羽を持ってらっしゃるから入山できるんです。一般の人には危険すぎます」旦那が厳しい顔をして言った。


「放射能ですか…。そんなところに入って大丈夫なんですか?」


「ええ、シールドスーツを着ているし、ガイガーカウンターで被爆放射線量も計算していますから」水渕氏は平気な顔だ。


「まぁ、そういう面白い石があるから調べている訳ですし。西の方にある岩山です。こちらは殺風景だから、私もお薦めできません」


 話を聴けば聴くほど、記事に成らない可能性が高くなってきた。

 しかし、だからといってすぐに諦める訳には行かなかった。何か少しでも手応えのあるネタを仕入れて帰りたかった。


 その後で編集がボツを出すならそれでもいい。坊主でだけは帰りたくなかった。


 私はGoogleMapを取り出し、水渕に眺望ポイントや危険な紋之割山の場所を教えてもらっていると、横から旅館の旦那が口を挟んだ。


「ああ、村にも古地図がありますよ」そう言うと奥に引っ込み、暫くして光沢プリントペーパーに印刷された古い地図を持ってきた。


「以前お泊りになった、民俗学の先生が紋之割神社に昔からある古地図をカメラで撮ったもので、帰られてから、あの古地図は貴重なものだから桐の箱にでも入れて虫に食われないよう注意して保存しなさいと、複写を十数枚添えて手紙をくださいましてね。それがこの一枚です」


 成程、日に焼かれて茶色く変色した紙に墨で書かれている古そうな地図だった。山や川、池の名前なども書かれている。


 明日はこれを参考にこの辺を歩いてみようと思った。



 翌日、夕方まで散策に出ると女将に言うと、にぎり飯と山菜の煮物を昼飯に用意してくれた。


「この辺は食べ物屋は一軒もありませんから」と女将は小さな声で言った。


 カメラや筆記道具などの取材道具と頂いたにぎり飯を持って、旅館を出た。


 まずは村を一望できるという低い山に登ってみることにした。


 はじめにその地域を俯瞰できるところから実際の目で見て、当たりをつけるのが一番効率的だという事が今までの取材経験で分かっていた。


 その山の頂上に着くと、空が大きく綺麗だった。ここなら天の川もきっと綺麗に見えるだろう。山といっても軽装で登れる低い山だし、記事にはいい場所だ。


 山から村を俯瞰すると、村を少し外れた森のなかに綺麗な翡翠色の泉が見えた。


「なんだ。いい場所があるじゃないか」私は独り言を言いながら古地図でその泉の名前を調べた。


「静かの沼」と書かれていた。何だか月面の名前のようだ。


 その脇に「不語の木」と朱墨で書かれた木のようなものが記されていた。


「フゴの木?なんだこれは?」


 山からその辺りを見ると、巨木が一本森から頭を出していた。


「なんだ、結構見どころがあるじゃないか」


 旅館の旦那が言うとおり、長年同じ場所にいるとこういう風景も当たり前になっしまうものらしい。


 山を降りて静かの沼に向かうと、まず初めに巨木が目に飛び込んできた。


 樹齢何千年という巨木だろう。縄文杉ほどではないが、かなり大きな木だった。なんという木かは草木に詳しくない私には判らなかった。


 その木に向かうと、その根本に小さな老人が胡座をかいて座っていた。


 痩せ細っていて、作務衣のような着物の上にトレーナーという変わった格好をしていた。


 手にはカップ酒。老人の前には小皿に乗った塩のようなものがあった。塩を酒の肴にしているようだ。随分と時代錯誤な老人だ。


「こんにちは。良い天気ですな」近づいていくと老人はにっこり笑ってそういった。気の良さそうな老人だ。


「こんにちは。朝からご機嫌ですね」私が答えると、あんたもどうかね、とカップ酒を差し出したが、丁重に断った。


「この辺にお住みの方ですか?」私は尋ねた。


「ああ、ずうっと昔から住んでるよ」


「良かったら、この辺の面白いところなんかを教えて頂けませんか?」


「面白いところ?」


「景色の良い所やこの地方ならではの珍味とか秘湯とかです」


「ああ、そういうことなら沢山知っているよ」

 ダメ元で聞いたのだが、思わぬ答えが帰ってきた。


 老人はこの村のジビエ料理とか裏手にある静かの沼とか水晶の洞窟など様々な面白そうな話を語ってくれた。


 また、老人は最近の都会事情にも興味があるらしく、折にふれてそういうことを尋ねてきた。


 老人が一方的に語るのではなく、こちらの話にも耳を傾けてくれるので話は大いに盛り上がった。


 よく見ると、老人が来ているトレーナーの肩には「神無大学」と刺繍されている。きっと教職の人で授業も面白いのだろうな、と思った。


 いつの間にか日が傾き、空が赤くなってきたが、話は止まらなかった。話を聞いたり話たりするのが楽しくて堪らなくなった。


 すると老人は「向こうに薪になりそうな木が沢山落ちているから、ここで焚き火を作りなさい」と言ってきた。


 私は素直に薪を集め、枯れ草にライターで火をつけ焚き火を焚いた。


 辺りが暗くなるに連れ、焚き火の火は暖を取るだけではなく、老人の話を神秘的なものに磨き上げ、私はうっとりして話に聞き入った。


 途中、女将に貰ったにぎり飯を老人と分けて食べ、私もカップ酒を頂いた。


「お名前をお聞きしてませんでしたね」と私が名前を聞くと、


「皆からはオカタと呼ばれている」と言った。


 岡田と書いてオカタと読むのだろう。中田と書いてナカタと読むのと同じだ、と私は勝手に思った。


 そうこうしているうちに夜もとっぷり更けてきたが、一向に眠くなることも疲れることもなかった。むしろ老人との会話をやめる方が辛かった。


 そしてとうとう空が白み、夜が明けてしまったが、もう空腹になることも無く、話し続けた。


 私と老人はしゃべりで乾いた喉を潤すためにカップ酒をほんの少しだけ喉に垂らして話を続けた。


 そしてまた日は暮れ、焚き火を焚いた。


 深夜になり、これは流石におかしいぞ、と思い始めたところでわたしの記憶は消えた。




 診療所のベッドに寝かされた時に私の意識が戻った。


 体中、蔦のようなものが絡みついている。


「おお、良かった。やっと目を覚ましましたか。心配しましたよ」私の顔を覗き込んで旅館の旦那が心配そうな顔をした。「村中総出で探し回ったんですよ。そしたらオカタラさんの前に倒れてたんですもの、焦りましたよ」


「軽い栄養失調と脱水症状だけのようですな。点滴と薬で良くなるでしょう」

 白衣を着た医師と思われる老人が言った。


「お客さん、もうチョットでオカタラさんに取り込まれるところだったんですぞ」旅館の旦那が言った。


「オカタラさん?」


「語らずの木に宿る神様だで」旦那が早口に言った。


(語らずの木?不語と書いて語らずと読むのか…)


「民俗学の先生には言っておいたんだが、お客さんが不語の木に興味を示されるとは思わなかったもんで…」旦那はすまなそうに頭を下げた。


「なんで不語の木と言うんです?」私は掠れる声で旦那に尋ねた。


「オカタラさんに話しかけられて、答えてしまったら延々と語り合うことになるんだよ。そして気付かぬうちに衰弱した所を根っこで絡み取られて食われてしまう。語ってはいけないから、不語の木と言うんです」


 老人が岡田と名乗った理由も漸く分かった。


「民俗学の先生が知り合いの植物学の先生に紹介すると言ってたから、来られたら忘れずに言っとかなければ…。いつ来られるのか後でに電話しておこう」


 旅館の旦那はやけに大きな独り言を言った。


「イヤ、もう来られてもいい頃なのに、来られないのは何故だろう?」

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