部屋

 登録派遣アルバイトってご存知でしょうか?

 登録した会社の専用HPで希望日時にあるアルバイトの内容を確認し、やりたい仕事があったらエントリーする所謂、日雇いのアルバイトです。給料は業務終了後に担当者から作業伝票をもらい、それを持って支払い窓口に行けばいつでも給料がもらえるというものです。


 私は以前その手の会社に、正社員として勤務したことがありました。私のメインは総務の仕事だったのですが、支払い窓口が本社以外の支店にもあり、高額現金を扱う仕事のため、支払業務には、本社管理部の正社員を派遣必要があったのです。支払業務自体はアルバイトに任せられますが、現金の管理は管理部の正社員のみと限定されていました。

 そこで他の男性社員二名と女性の私が交代で各支店の支払業務を担当することとなりました。


「担当」と言っても週二回だったし、外の空気が吸えて気分転換になるし、男性社員並みに扱ってもらえることに満足していました。


 私が毎週火曜日に業務する支社支払事務所は本社が夜八時まで支払いをしているのに対し、五時までで、給与を取りに来るスタッフも少なく、かなり楽な仕事でした。他の支払事務所はアルバイトが支払業務をして正社員は現金の管理のみですが、この事務所では正社員が一人でこなします。

 この支社は本社にも近く、この支社所属のスタッフの派遣先は本社に近い所が多く、アルバイト・スタッフは皆、仕事終わりに本社の支払事務所で給与を受け取るようです。


 一時から支払いが始まり三時になると、給与を取りに来るスタッフは殆どいなくなってしまう。大抵、三時くらいになると支払いカウンターの前に座りながら、持ってきた文庫本を読んで過ごします。


 支社兼支払事務所が入っているビルは殆どが賃貸住宅で、一部が小さな会社の事務所として貸し出されてましたから、十名足らずの支社の営業さんが外回りに出てしまうと、閑散しとてしまいます。



 その日も三時を過ぎると、来社するスタッフはいなくなりました。


 私はいつもの様に文庫本を読みながら、ぼんやりと終了時間を待っていました。


 その日は営業さんも全員外出していました。


 本当は男性社員が防犯のために待機していないといけないのですが、支払いカウンターは壁とアクリル板で隔たれていたし危険はあまり感じられなかったので、私一人が残されることも珍しくありませんでした。


 本を読んでいると、正面の開け放たれたドアに人の気配がありました。顔を上げてみると、ドアの横に肩や手がチラチラ見えたり、引っ込んだりしています。

 部屋の中に入るのを躊躇しているような感じでした。


 身体のほんの一部しか見えないのでどんな人か解りませんが、スタッフの一人だろうと思ってました。


(どうして入ってこないんだろう?)


 相変わらず、その人はチラリチラリと身体の一部を見せたり隠れたり。


 暫くすると、その人影は見えなくなっていました。


 しかし、数週間するとまた同じようにドアの隅に現れました。


 また、営業さんが出払って私一人の時でした。


 見え隠れする手や服の一部の感じからして女の人のようでした。


 部屋の中を覗っているようでした。


 私は気になり、支払いカウンターから出ると、ドアに向かいました。

 ドアに近づくとその人はサッとドアの左に隠れてしまいましたが、私はのそままドアに歩いて行きました。


 その人が消えたドアの左側を見ると、


 誰もいない。


 廊下の奥には非常階段。


 きっとそこから出て行ったんだろうと思いましたが、どうしてわざわざ非常階段を使ったのだろうと思いました。だって、エレベーターホールがあるのはドアの右側ですから。


 数週間すると、また彼女が現れました。


 ドアの向こうでチラリ、チラリ。


 私はふざけているのだろうと思い、ちょっと苛立ちました。


 そこで、カウンターから出るとドアに向かって言いました。


「ちょっと、ウチのスタッフなの?お給料取りに来たなら早く中に入りなさい」


 すると彼女はオズオズと姿を現しました。


 そんなことはないと自分に言い聞かせていましたが、頭の隅で「出たのかもしれない」と思っていた私はホッと安心しました。


 彼女は十代後半から二十台前半くらいのショートカットの可愛らしい女の子でした。


 只、化粧が崩れてました。アイラインは滲んでるし、口紅も右側だけ擦ったようにはみ出ている。


「うちのスタッフの娘?」

 私は彼女に近づきました。


 しかし、彼女は何も言いません。


「どうしたの?」と尋ねると、彼女は言いました。


「私の部屋、何処ですか?」


「えっ?何のこと?」


 すると彼女はゆっくり左を向くと、視線の先にあるトイレと給湯室の方へ歩き出しました。


「ちょっと、どこいくの?」


 トイレに入るのかと思っていると、給湯室の方へ曲がって行きました。


「そっちはトイレじゃないわよ」


 私は彼女を追って給湯室に入りました。



 誰もいない。


「ウソ…」


 背筋が寒くなりました。


 しかし、彼女はどうしても幽霊とかの類には見えませんでした。なんていうか、実存している感じが強かったんです。


 夢でも見ていたのかしら。幻覚?


 私が給湯室を後にすると、給湯室の方から音が聞こえました。


 ざーーーっ。


 急いで給湯室に戻ると、蛇口から勢い良く水が出ていました。


「何よ、これ…」


 流石に気味が悪くなりましたが、それ以上何か変なことが起きることはありませんでした。


 しかし、暫くしてその支社から電話があり、水道の蛇口が壊れたみたいだ、と言って電話が掛かってきました。


 突然水が出てくると。


 管理会社の担当者にクレームを入れると、


「やっぱり出ましたか。実はあのビルで事件があって、縁起が悪かったので、その部屋と隣の部屋をくっつけて事務所向けにリフォームしたんですが、ダメでしたか」と白状しました。


 結局、もっと良い条件で支社と支払事務所は移転することとなりました

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