無反応な人々

 これは昔、ちょっとだけ働いたことがある会社の話なんですがね。


 場所は「関東某所」ってことにしておいてください。

 この業界、同業者同士で一カ所に集まる傾向というか、習性のようなものがありまして、関係者なんかはすぐ分かっちゃうから、勘弁して下さい。


 その会社は三階建ての自社ビルだったんですが、もうかなり古いビルで、外壁なんかかなり汚れてました。

 質実剛健を絵に描いたような建物で、窓は小さい明かり取りの窓がいくつかあるだけで、立方体の味も素っ気もないビルでしたね。

 ドアなんかも鋼鉄製の分厚いドアでね。壁のコンクリも大分分厚かったんじゃないかな。刑務所か軍事施設みたいなビルでしたよ。


 働き始めてから一ヶ月くらい経った頃でしたかね。部屋には社長とコーディングの武藤くんと私の三人だけで、他の人はみんな出払ってました。

 昼もかなり過ぎた頃でした。


 事務所のドアが突然、


 ドンッ、ドンッ!!!


 と、強く叩く音がしたんです。

 そりゃぁ、もう大きな音でしたよ。ノックなんてもんじゃない。怒りに任せてドアを叩いたとか、心に溜まった膨大な恨みつらみを込めて蹴っ飛ばした、とかそんな感じです。

 見ると、武藤くんも社長も驚いてドアを見つめたまま固まっております。


 社長と目が合って、その目が「お前見てこい」って言ってましたよ。まぁ、武藤くんは私より年下だけど先輩だし、私は社長の部下だし、仕方ないかって思ってドアに向かいました。


 ドアに向かいながら、「これはきっと、社長にかなりの恨みと怒りがある強面のやつが乗り込んできたんじゃないか」と思いましたねえ。

 だから、ドアの向こうにはモンモン背負った坊主頭のチンピラが木刀を持って立っているとか、ベロンベロンに酔っ払って充血した目の男が包丁を持って立っている、という光景を想像してビクビクしてましたよ。


 この会社に入って解ったことですが、この社長、かなりアコギな事をやっているフシが有り、やたらとおべんちゃらを言いまくる怪しげな業者と会議室で何やら密談したり、怪しげな男から電話が掛かってきたりと、かなり油断のならない奴だと解ってましたから、社長に怨念のある奴の仕業だと思いました。


 私はビクビクしながらドアをそっと開けました。


 誰もいない。


 思い切って、ドアを大きく開き、廊下の左右を見ました。


 誰もいない。


 私は振り返って、社長に言いました。

「誰もいません」


 すると社長は「そうかね」と言って再びパソコンのモニターに視線を移しました。

 武藤くんは既に仕事を再開させてます。


(あれっ?いいの?心配じゃないの?)って思いましたね。

 これってピンポンダッシュの悪質なやつじゃね?警察に連絡したほうがいいでしょ、って思ったんですが、二人は何もなかったように仕事してるんです。ハラハラした自分がなんだか馬鹿みたいでしたよ。


 それから数週間して、またありました。


 今度はもっと沢山いました。社長や武藤くんもいましたし、財務部長や制作一課の殆どと営業と経理が合わせて五人くらいですか。


 ドンッ、ドンッ、ドンッ。


 今度は北側の壁です。


 事務所はビルの三階にあり、北側は窓が一つもありません。そこを誰が叩くっていうんでしょう。


 大きな音に私は思わず、「わっ!」と叫んでしまいました。私より数カ月前に経理に入った四十代くらいの女性、中田さんも「ひっ」と声を上げておりました。


 しかし、他の社員は驚きはするものの、声を上げたりせず、ただ黙って声のした壁を見つめるだけです。


 これは、恨まれてるのは社長だけとは限らないぞ、と思いました。

 と、いうのもこの頃には、この会社の古参連中がかなり陰湿で偏執的でイジメ体質なのが分かっていましたから、生真面目だが融通がきかず、血も涙もない様な財務部長や新人をこき使い、嫌な仕事を押し付ける営業部長の二人や、他の部署のことにもいちいち口を出してくる制作二課のドン、ジャバ・ザ・ハットそっくりのババァ、松井も経理の中田さんなんかを陰湿にいじめているのを知っていましたから、これは会社全体的に恨まれてるのかもしれない、と思いました。


 とはいえ、あの丸太でぶっ叩いたような轟音にリアクションしないというのもアレなんで、誰に言うとでもなく言ってみました。


「音、しましたよね?」

「しましたよ」ジャバ・ザ・ハットが言いました。

「仕事に集中してください」財務部長がトカゲのような目で言いました。

「で、でも…」

「古い建物ですからね。時々、軋んだりするんですよ」社長がモニターを見つめたまま言いました。


 これは怪しいぞ、って思いましたね。しかし、勿論、心霊的な現象なんてまるで考えてませんでした。むしろ、会社に対して相当怨念を持つ者の周到且つ陰険な嫌がらせだと考えてました。

 しかし、どうやって三階の壁をあんなに強く打ち据えられるのか、そのトリックが全く分かりません。



 私は、古くから契約カメラマンとしてちょくちょく会社に顔を出す、二階堂という男に聞いてみようと思いました。

 この二階堂という男、髪はボサボサで長く伸ばし、無精髭を生やした痩せた中年で、薄い茶色の縁メガネとバンダナを頭に巻き、昔のヒッピーみたいな容貌の男で、いかにも軽薄で無責任そうな感じでした。

 あまり近づきたくないタイプでしたが、社外の人間の中で会社に詳しく、ペラペラと話してくれそうなの浅はかな人間は、彼くらいだったんです。


 ある日、喫煙室で、他に誰も居ないのを見計らって、そっと例の「ぶっ叩き事件」の事を話してみました。


「で、なんか見たの?」私が話し終わるとすぐさま二階堂がそう聞いてきました。

「見るって、何を?」

「だから、ユーレイとか怪奇現象とかそんなのだよ」

「誰か見た人いるんですか?」私は何を馬鹿なことを言ってるんだって思いましたね。

「それが、まだ誰も見たことがないんだよ」彼はガッカリしたように言いました。「俺もね、あの怪音は聞いたんだけどさ。それだけさ。人影みたいなものを見たなんて奴もいないんだよな」

「二階堂さんは幽霊とか見たいんですか?」

「そりゃそうだよ。おもしろそうじゃねぇの」


 やはり軽薄な男です。


「それにさ。一年くらい前かな、経理にいた女が行方不明になってからなんだよ。その後だよ、その音がしだしたのは」

「じゃあ、二階堂さんはアレは心霊現象だと…」

「あったりめぇじゃねぇか。あんな物凄い音を出して壁やドアを叩けるなんて、人間の仕業じゃねぇよ。モノノケの仕業だね」

 そう言って二階堂は煙草の紫煙を吐き出しました。

「あの女、松井に結構いじめられてたから、どっかで首でもくくるか樹海にでも入ったんじゃねぇかと思ってるんだ」


 私はこの二階堂という男に呆れ果て、つくづく低俗な男だと哀れみましたね。


 しかし、犯人はその経理にいた女とだろうと目星をつけた。きっと姿をくらまして、積年の恨みを巧妙なトリックを使ってやってのけているんだ、って。



 それから数週間して、仕事が終わらず一人で残業してた時でした。


 またあの現象が起きたんです。



 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン!!!!!!!!!


 凄い音でした。


 しかも、今度は四方の壁と床と天井が打ち鳴らされたんです。


「うわァァァア゛ア゛ア゛!!!」思わず大声で叫びましたね。

 全身に鳥肌が立ちましたよ。


 その翌日からです。


 経理の中田さんが行方不明になったのは

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る