ついてくる…
目の前をササッと何か四足のものがよぎっていった。
猫じゃない。何だろう?
ヘッドライトに映ったその姿は、なんとウサギだった。
こんなところにも野生のウサギがいるんだ。
クネクネとカーブが続く坂道を走って行くと、更に二匹の狸が反対車線の向こう側からこちらを興味深そうに眺めていた。
鎌倉ってまだまだ自然が残ってるのね。
そんなことを思いながら私はステアリングを回した。
雄介の実家を出てたのが十二時ちょっと前。
鶴岡八幡宮を過ぎて暫くはこの曲がりくねった道が続く。
「横横」に入るのは十二時半くらいかな。家に着くのは一時過ぎね…。
今日は少し長居しすぎてしまった。
雄介のご両親に会うのは今日が初めてなのに。
お義母さんが作ったご馳走を囲み、四人でいろいろ雄介の昔の話などで盛り上がり、気付いたら十二時近くになっていた。
「本当は送って行きたいんだけど、玲奈、ゴメンな」雄介が申し訳無さそうに言う。雄介は先日免停になってしまい、実家まで電車で来たのだ。
私は、私が担当している大御所の作家先生が鎌倉に住んでいて、丁度、初稿を上げてきたので、車で預かりに行き、その足で雄介の実家まで来た。大御所の作家先生は未だに万年筆と原稿用紙にこだわるので、いちいち取りに行くのが面倒だが、こういう時は都合がいい。
ミシッ。
突然、車の周りで大きな音がした。何かが軋む音だ。
場所が場所なだけに薄気味悪い。
今、車を走らせているのは大きな霊園の近くだ。
「何だろう…」と私は呟いた。
しかし、こんなところで車を停めて確かめる勇気はない。
とりあえず何もないようなので、そのまま走った。
(何時だったか、雄介がこの辺りは落ち武者だか武士だかの幽霊が出るとか言ってたっけ。そういえば、さっきの音、鎧兜が軋む音に似てなかった?)
(なんだか背中が寒くなってきた。)
漸く朝比奈インターに辿り着き、私は横横に乗った。「横浜横須賀道路」、略して「横横」。鎌倉から湾岸線へと続く高速道路で、この時間だったら二十分もしないで自宅のある「みなとみらい」まで行ける。
もう少しで狩場インターだ、と思った時、
ドンッ!!!!!
ルーフの上で突然大きな音がした。
「何っ!!!」
周りを見ると、私の車以外車は無い。
バックミラーにも、サイドミラーにも何も写っていない。
天井を見上げても何もへこんだようなところはない。
誰かが何かを放り投げるような場所もない。何しろ高速の高架上より高い建物はない。
しかし、あれ程大きな音だったら車に何か異常があるはずだ。
うす気味が悪くなった。
バックミラーで、そおっと後部座席を観る。
誰もいない。
勇気を出して、首をねじって直接後部座席を見た。
何もない。
高速道路上は、相変わらず私の車だけだ。
いくら深夜でも、他の車がいないって、ちょっと変じゃない?
私の猜疑心は益々深まる。
しかし、なにもないまま、車は狩場線に入った。
相変わらず、前にも後ろにも他の車が見えないまま、みなとみらいインターに近づくと、なんだか小腹がすいてきた。
雄介の実家で結構ご馳走になったのに、どうしてだろう?
私はみなとみらいランプで高速を降りると、そのまま24時間営業のファミレスに向かった。
ファミレスの駐車場に車を停めると、車を一周りして凹みがないか確かめた。
傷は一切なかった。
(やっぱり、気の
私はホッとして、バッグを持ってファミレスの二階入口に向かった。
ファミレスのドアを開けると、受付の横の通路から、勢い良くウエイトレスが飛び出してきた。
「いらっしゃいませ!…」
「あっ、一人ですけどいいですか?」
「へっ?…お一人様?、、、あっ、大丈夫でぇす」
態度があからさまに不自然だ。
もしかしたら、私以外の「誰か」が見えてるのかも…。
イケナイ、イケナイ。神経質になりすぎてる。怪談話じゃないんだから…。
それでも、席に案内してくれた娘が水を一つだけしか持ってこなかったのに少し安心した。こういう時は、決まって2つ出したりするものだ。
小腹がすいたものの、時間が時間なだけに炭水化物は避けたいな思い、結局チキンサラダを注文した。
注文している途中、三十すぎくらいの女の人が一人で店に入ってきた。
チャイムがなるとレジ横の通路から、勢い良くウエイトレスの女の子が出てきた。
「いらっしゃいませ!お二人様ですね!」
「?」と思っていると、暫くして四十代くらいの男の人がゆっくり入ってきた。
「早く!」と女の人が怒っている。
「どうして二人だと分かったの?」
私はわたしの注文を復唱しているウエイトレスに尋ねた。
彼女は私の視線を追い、私の疑問に気付いてくれた。
「ああ、入り口の所に監視カメラが付いてるんですよ。私たちはそれを控室で見てるんで…」
私が入ってきた時、監視モニターには私だけでは無かったのかも…。
そんな考えが頭をよぎった。
一人で店に入ったのに、水が二杯出されたりするのは、怪談の定番だ。
私が自分から人数を言わなかったら、二杯とか、三杯とか出されてたかもしれない…。自分から言わなければ、分かったのに…。
でも、分かったら分かったで嫌だし…。
そんなことを考えながら、出されたチキンサラダを頬張っていると、やたらとワインが飲みたくなった。このサラダ、ソースの味が濃くて、赤ワインとすごく合いそうな気がした。
だが、後、数百メートル、マンションの駐車場まで運転しなければならない。
飲めないと思うと、やたらと飲みたくなるもので、そそくさとチキンサラダを平らげると、店を出て、今度は近所のコンビニに車を走らせた。
コンビニには大したワインはないが、私はこうしたお手頃ワインのほうが好きだ。高級ワインは正直、費用対効果を確認できない。
私は安物のワインをカゴに入れると、その近くにあったウイスキーが目に入った。高級ウイスキーが容量を少なくした分、安くして売られている。
今度、雄介が家に来た時のために買っておこう。
私はウイスキーとチーズのおつまみもかごに入れ、レジに向かった。
私のマンションはエントランスからエレベーターまで三十メートル程の廊下を歩いていかなければならない。
エレベーターから私の部屋までも大体その位の廊下を歩く。
既に時間は深夜二時に近く、マンションに出入りする者は誰もいない。
コンビニ袋の中身をカチャカチャ鳴らしながら、エレベーターへ向かう。
エレベーターのボタンを押すと、一階でフリーズしていたエレベーターが明かりをつけ、私を迎えてくれた。
エレベーターの中で明日の仕事のことを考えた。明日は先生から頂いた手書き原稿の文字打ちをしなければいけないから、自宅勤務にしても問題無いだろう。
最近、時間外労働が厳しく、残業の多いウチのような業種は自宅勤務を推奨しているから、一日中パソコンに向かうような業務しかない場合は、自宅勤務にするよう会社の方から言われている。
私はあれこれ考えながら、ハイヒールの音をカツカツ鳴らせて七階の廊下を歩いた。
うつむきながら歩いていると、前の方に人の気配がする。
深夜の二時に…。
顔を上げると、それは男の人だった。私の部屋の前でうなだれている。
「ヒッ」思わず喉の奥から悲鳴が漏れた。
しかし、それは雄介だった。
「雄介!」
緊張と恐怖から開放された安堵のためか、膝が折れそうになりながら、雄介に駆け寄った。
「どうして、雄介がいるの?」
「これ、忘れただろ?」
雄介は手にしていた紙の束を差し出した。
先生の生原稿だった。
「あっ!!!」
「大御所先生の原稿をなくしたら大事だろ?」
「わざわざ届けてくれたの?車運転してきたの!?」
「うん、タクシーで来たよ。これがないと明日の仕事できないだろうと思って」
「もう、雄介ったら!」
私は雄介の顔を見て涙が出そうになった。
「取り敢えず、入って。今夜は遅いから、泊まってくでしょ?」私は雄介に抱きついた。
「いいのかい?」
「勿論よ。さぁ、入って」
私は雄介を部屋に招き入れた。これで今夜は安心して寝られる。
「ねぇ、ワインとウイスキー買ってあるの。飲む前にお風呂は行っちゃおうと思うんだけど、雄介も入るでしょ?」
私は嬉しくってちょっと早口になった。
「うん」
「飲む前にお風呂」と言っておきながら、私はコンビニ袋の中身を出すと、グラスと氷を用意し、飲み物を作った。
「取り敢えず、カンパーイ」
ワイングラスとウイスキーグラスを鳴らす。
お風呂が湯張り完了すると、雄介を先に入れ、寝室から以前泊まった時に買っておいた雄介の下着とパジャマを脱衣室に置く。
雄介がお風呂に入っている間に、私はワインを飲みながらテレビの深夜番組をつけ、化粧を落とした。
リビングのカーテンが少し開いているのが気になり、急いで直した。
雄介と交代にお風呂に入ったが、雄介を待たせたくなかったので、シャワーだけにして、急いで髪を乾かし、化粧水や乳液をペタペタと肌に押し込み、急いでお風呂を出た。
リビングに行くと、雄介が私の作った水割りをチビチビ飲んでいた。
「ねぇ、薄くなかった?」
「ちょうどいいよ。やっぱり高級ウイスキーは匂いだけでも味わえるね」
私もワイングラスを持ち、再び乾杯すると、今日あった不思議な体験を雄介に話した。話してしまうと、恐怖と緊張は薄れていった。
「気圧や気温の変化でボディーが一時的にへこんだんじゃないかな。後は気のせいだよ。恐怖心が思考誘導したんだと思うよ」
それが雄介の答だった。
なんにせよ、雄介がそばにいるなら安心だ。
安心の所為か何時にもましておしゃべりになり、ワインもすすんだ。雄介のご両親に会った緊張のためか、酔いが回るのがはやかった。
「もう横になったほうがいい。今日はかなり疲れているはずだよ」
雄介とベッドの中で愛し合いたかったが、それどころでは無さそうだ。
「うん」
私は素直に頷いて、雄介の肩を借りて、寝室まで歩いた。
寝室に入るとまた恐怖感が湧き上がってきた。
「ねぇ、暫く一緒に横になって」
寂しさと怖さでつい甘えてしまう。
「いいよ」
雄介は布団に潜り私の横で寝てくれた。
私は雄介を強く抱きしめ、雄介も優しく抱いてくれた。
ゆうすけの肩越しに寝室のカーテンが少し開いているのが見え、寝る前に直しておこうと思いながらも、睡魔のほうが早く襲ってきた。
翌朝、携帯の着信で目を覚ました。
発信者は雄介の父親からだった。
どうして雄介の携帯に直接かけてこないんだろう。そう思いながら電話に出た。
「玲奈さんかい?私だ。判るね。今朝、雄介が亡くなった」
「えっ!!」私の目は瞬時に覚めた。
「あの馬鹿、玲奈さんの忘れ物を届けるって、私の車で出て行ったんだ。途中でスリップして高架から落ちて、今朝発見されたらしい。今、警察から出てきたところで…」
「ウソ…」
ベッドの横には、昨日雄介がパジャマが着たままの状態でぺしゃんこになってシーツの上に横たわっていた
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