ムジニイの祠
そりゃあ田舎でしたよ。
東京二十三区から車で一時間ちょっとのところでしたけどね、電車はないし、山の方とあっちゃ、東京に隣接する県ったって、そりゃ田舎ですよ。
海抜が違いますもの。夏でも朝晩は冷えるくらいでしたから、まぁ、文字通り山の中って訳ですよ。
家も暮らしも江戸時代くらいからそう変わってないんじゃないかな。
父親の仕事の都合で、小学校の数年間しかいませんでしたがね。まるでなにもないところでした。
いいことって言えば、夏になるとカブトムシやクワガタが山程取れることってくらいでしたかね。
退屈な上に陰気なところでしてね。切り立った崖ばかりで、隣の家まで数分はかかりましたよ。住んでる村人も少ないしね。
あの祠はそんなところにありましたから、村人以外は誰もあの祠のことなど知らないでしょうね。
祠と言っても、街道沿いに建ててある朱塗りの立派な「おくまそ様」みたいなものじゃなくて、秘密の祠というような感じでしたよ。
山の中のちょっとした谷のようなところの崖に穿たれた、防空壕みたいな穴でした。そこに太い角材で作った檻のような扉がありましてね。その奥にも重そうな扉が付いていて、両方共大きな鍵で封印されていました。時代劇に出てくるような大きな南京錠です。
木月のおんばぁに聞いたところによりますと、そこに「ムジニイ」という神様が祀られていたそうです。
おんばぁによりますと「ムジニイ」というのは大蛇と大山椒魚の合いの子みたいな姿形をしているようですから、「神様」というよりヤマタノオロチの様なバケモノだったのではないでしょうかね。
おんばぁは、その祠にムジニイのご神体が祀られていると言ってましたが、私は子供ながらにもそれは嘘だろうと思っておりました。
年に一度ご開帳される「おくまそ様」のご神体は人型で荘厳な石像でしたが、オロチと大山椒魚のアイノコみたいな石像や石彫像を誰が造るでしょう?
ムジニイの祠がご開帳されることはなく、南京錠で施錠された上、太いしめ縄で封印されていましたから、知る由はありませんでしたが、幼いながらも、そんなものはないと思っておりました。
臼田兄妹のマー君は、あの祠にはムジニイを退治した古いカタナが祀られてるって言っていました。
臼田のマー君は私より三つ年上の男の子で、生まれた時からその地に住んでいたものですから、色々教えてもらいました。私の兄貴分といったところですね。
何しろ、コンビニもショッピングモールもないようなところでしたから、山猿のように野山を駆け回り、アケビや柘榴を取って食べたりして遊んでましたから、山のことをよく知っているマー君は遊びの先生のようなものでした。
その当時は携帯も圏外でしたし、インターネットも図書館しか通じていませんでした。だから山猿のような遊びしか出来ませんでしたが、私はむしろ楽しんでいましたし、今でもいい経験だったと思っていますよ。
マー君には二つ下のねぎちゃんという妹がいました。私よりひとつ上ですね。ねぎちゃんというのが本名をもじったものなのか、只のアダ名なのかはもう忘れてしまいました。可愛い女の子でしたよ。私もよく遊んだものです。学校の成績も良くて、優しいし、密かにお嫁さんにしたいな、なんて思ってました。
私は一人っ子で姉などいませんでしたから、尚更好きだったんでしょうねぇ。いつもねぎちゃんに手を引かれて野原とか、小川とかに行ったものです。
ああ、そうそう、ムジニイの話でしたね。
あれが現実のことだったのか、夢だったのか、なにぶん小さい頃の記憶ですから、定かではないのですがね。
あれは確か5月頃でしたかね。ヤマヌシが里に降りていたからそのくらいの時期だったと思います。
山伏ではありませんよ。ヤマヌシです。まあ、山伏みたいな格好して、一年中険しい山奥にこもって修行してるって言うんだから、同じようなものでしょうけどね。でも、その辺りではヤマヌシ様と呼ばれていましたよ。
仁王様みたいな体型でね。子供達は皆怖がったものです。
そのヤマヌシが年に一度、夏至の一ヶ月前くらいに里に降りてきましたので、そのあたりの時期だったと思います。
塩とか穀物とか山では取れないものを年に一度補給してたんじゃないですかね。なんせ、まだ小さい子供だったもので、そのあたりは知る由もありません。
その祠はカミキ坂と呼ばれる坂道の途中にあって、道の両側は崖になっておりました。崖の上には鬱蒼と木々が生い茂っていて、晴れた日でも薄暗かったものですから、あまり人が通りませんでした。
私も上の里に行く用事がある時以外は通りませんでしたね。なんせ、暗いし、脚の長い蜘蛛やら毛虫やらがウジョウジョいたし、気味の悪い鳥も鳴いておりましたから、誰も通りたがらなかったんです。
その日も上の里に何か用事があったんでしょうね。もう憶えてませんが。
あれは晴れた日の午後でしたかね。私はカミキ坂を登っておりました。丁度、祠の前を通りかかった時、祠の異常に気付いたんです。
しめ縄が外され、檻のような格子状の扉が開けられていたんです。
私はとっさに泥棒だと思いました。しかし、賽銭箱もお供え物もない祠に入る泥棒がいるでしょうか?
次に私は猪だと思いました。都会の人には判らないでしょうが、猪ってやつは思ったより大きくて凶暴なんです。一突きされたら命の保証はありません。
だから、私はいつも大人たちに猪に近づいちゃいけない、と教わっていました。よく見ると、奥の扉も少し開いています。これは奥に猪が隠れてるな、と咄嗟に思いました。
すると、奥から、ズルズル、グチョグチョと何だか気味の悪い音が聞こえてきました。どうも猪とかケモノとかの類ではないようなんです。
これは猪なんかよりもっとイヤらしい奴かもしれないぞ、と思いましたが、段々好奇心が湧いてきちゃったんです。
子供というやつは、何か分からないことがあるとどうしても確かめたくなってしまうものです。頭では、イケナイ、今すぐ逃げなきゃ、って思っていても、心の中から湧き出てくる好奇心のほうが遥かに強いのです。
頭の中の自分はダメだ、ダメだと叫んでいるのに、足が勝手に前へ出てしまうんです。祠の中に入るだけでもいけないことなのに、腰をかがめて祠の中に入ってしまったんですね。
そして、奥の扉の隙間から、そおっと中を覗いてしまったんです。
中には、巨大なナメクジのようなものがおりました。
長さはざっと私の三倍くらい。その当時の身長ですけど、三メートル以上はあったと思います。淡黄色の汚らしい色で、ヌメヌメと光っておりました。
おんばぁは大蛇と山椒魚のアイノコだと行っていましたが、山椒魚のように手や足もなく、蛇のように細くもありませんでした。
どちらかと言うと、巨大なイモムシかナメクジです。
眼や鼻らしきものもなく、只、大きな口が開いておりました。
その口がムゴムゴと嫌らしく動いておりました。
その度に、ブヨブヨの身体がボコボコと波打つんです。
そのバケモノが、くわっと大きな口を開けますと、尖った歯が無数にありまして、何やら灰色や黄色い汚らしい物がねっとり絡みついてるんです。そして、口の奥は血のように真っ赤でした。
私はもう、ビックリしてしまい、叫び声をあげようとしたんですが、あまりに怖すぎて声が全く出ないんです。
本当に怖い時って、声が全く出ないんですね。まるで夢の中のように、口をパクパクさせて腰を抜かしておりました。
それでもどうにか這いつくばって祠から抜けだして、転げるようにして下の里に走って逃げ帰りました。
とにかく、誰でもいいからあのバケモノの事を話さなきやいけないって、必死になって走りました。
すると、前方にマー君が見えました。詰め襟を脱いで、ワイシャツの長袖を腕まくりして、何やら慌ててキョロキョロしておりました。
私は全速力でマー君に向かって走りました。
マー君も私を見つけて走りより、私の肩を力強く掴んで身体を揺さぶったんです。
「ねぎを見なかったか?ねぎに会わなかったか?」
その当時、もう中学に上がっていたマー君は背も伸びて声も太くなっていたので、真面目な顔をして大声でそんなことを言われると、ビックリしてしまいました。
「ねぎがいなくなったんだ。一緒に探してくれないか?」
あのバケモノのことで頭が一杯だったので、マー君が何を言ってるのかすぐには分かりませんでした。
何度もマー君に肩を揺すぶられているうちに、漸く事態が飲み込めました。
ねぎちゃんが「ゆくえふめい」になっているということが漸く分かったのです。
私はマー君の手を引いて、ねぎちゃんの行きそうな所を片っぱしから調べました。特に、ねぎちゃんの好きだった野原や里が見渡せる高見台などは入念に調べました。
大人たちは沢の方を探しているということでした。この辺りの沢はどこも流れが速く、深みに嵌ると泳ぎの上手い子でもすぐに溺れてしまい、毎年亡くなる子が結構いたのです。
この辺りにしかいない「のじめ」という腐肉を漁る魚がいて、動物の死骸が流されてくると何百匹もの「のじめ」が食らいつき、一晩で骨だけにしてしまうのです。だから、この辺りで溺れ死ぬと必ず白骨死体となって発見されました。
しかし、ねぎちゃんは危ないところへ近づくような娘ではないので、沢を探しても無駄だろうと思っていました。
結局、日が落ちてもねぎちゃんは見つかりませんでした。
私とマー君は肩を落として、里の集会所に戻りました。
集会所にはもう大人たちが帰っており、その項垂れた様子からねぎちゃんが見つかっていないと人目で判りました。
ねぎちゃんの父親と母親も憔悴しきっておりました。
集会所には神主さんと二人のヤマヌシまで来ていました。驚いたのは、ヤマヌシが神主さんに何やら話しかけていたのですが、神主さんのほうがヤマヌシにペコペコしているのです。それまでヤマヌシより神主さんの方が偉いと思っていたので、その事が一番の驚きでした。
それから半年ほどして私は父の転勤で引っ越してしまったのですが、その時までねぎちゃんは見つかっていませんでした。
あのバケモノのことですか?
その後誰かに話す機会はいくらでもあったんですがね。結局誰にも話せませんでした。
何故かって?
私、見ちゃったんですよ。
祠の奥に…。
あのバケモノの奥に、汗にテカる顔と、弛緩したようなドロンとした目であのバケモノをじっと見ている二人のヤマヌシを。
あれは紛れもなく、
その顔を思い出すと、これは誰にも言っちゃいけないことなんだ、って何故だか思ったんです
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