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これは自分でも驚くべきことだと感じるのだが、焼死体の声を聞いた数日後、僕は友人と肉を焼いていた。

炭火に炙られるカルビはヒトの焼死を彷彿とさせるには些か美しすぎた。食欲の前では、人間の倫理観なんてものは塵に等しいものである。

「うまいな、人の金で食べる焼肉は」

 いかにも健康そうな青年が、米をかきこみながらつぶやく。学生時代からの数少ない友人だ。

公務員に無事就職したら初任給で肉を奢る約束をしていたのを奇跡的に思い出した僕が久しぶりに連絡したところ、よほど暇を持て余していたのか二つ返事で再会のめどが立った。

「だろうね」

「お前も律儀な奴だな。学生時代の口約束で飯を奢ってくれるとは」

「まぁ、他に使う当てもないし」

 平日だというのに焼肉屋は混み合っていた。僕の言葉を聞くやいなや、友人……名を仙堂というが、彼は箸を持つ手をぴたりと止めて首を傾げた。

「嘘を吐くなよ。女がいただろ、お前」

「いつの話してるんだよ……仕事始まる前に別れたよ」

「今は?」

「いないけど」

 肉を頬張っていた仙堂の表情が、みるみるうちに渋くなっていく。

「今の職場、女がいないのか?」

「いないわけじゃない……いるよ。むしろ、女しかいない。上司が女性一人だけなんだ。でも嫌われてる、と思う」

「当ててみせようか。その女、生真面目でおっかない仕事人間タイプだろう」

 僕は目を丸くして仙堂を見た。

「すごい。どんぴしゃりだ。なんでわかったんだ?」

 箸で僕を差し、神妙な顔つきで彼が言う。

「そういう女にはお前、昔からモテないからな。お前みたいに見るからに軽薄そうな男をそういう女は嫌がるもんだ」

「僕は結構真面目だよ」

「どうだかな。まずは髪を黒く染めて、ピアスを全部外して、シャツのボタンを首元まで全部閉めるところから始めたらどうだ?そうしたら少しはお堅い女上司の殻を突けるかもしれないさ」

「これは地毛だ」

 栗毛色の前髪を指でつまんで僕は不機嫌に呟く。

混血が当たり前になった今の世の中では珍しくもない色だと思っていたが、日本社会においては未だに黒髪が清純の象徴として尊ばれるらしい。

両耳にあけた八個の穴にも、個人的な願掛けの意味がある。仙堂に指摘されるまで、仕事のために外すという発想すらなかった。

「その女上司っての、美人なのか」

 僕は少し悩んだ。カイネ女史の美貌については、あまりにも人間離れしたものであったので美人という言葉が適切なのかどうかは分からなかった。

最適に形作られた切り絵のようなあの輪郭を思い浮かべ、何度か瞬きを繰り返してみる。

「美しい人だと思う」

 予想外に意味深な響きを持ってその言葉は口をついて出た。仙堂が楽しげににやりと口角を上げたのを見て、しまった、と心の中で呟く。

「なんだ、惚れてるんじゃないか!」

「違うよ。本当のことを言っただけだ、あの人の外面は馬鹿みたいに整っているんだ。お前も見れば分かる。それ以外は何も知らないんだ、あの人のことは」

 何も知らなかった。職場でも週に数度顔を合わせるか、そうじゃないか程度の付き合いだ。彼女の名前と美貌以外に、僕が何かを知る由など無かった。

「歩み寄れ、そして会話をしろ。その人は死体じゃないんだろう?」

「その必要がない仕事なんだよ、口寄せっていうのは」

「ランチに誘え」

「なんでもかんでも色事に結び付けるな、学生じゃあるまいし。部下から食事に誘うやつがあるかよ」

「別に会社勤めな訳じゃあるまいし、今更形なんか気にしてどうするんだ?」

 明らかに仙堂は面白がっていた。僕は少し焼きすぎた肉をサンチュで柔らかく包みながら、ため息をついた。

「面倒だろ、他人に踏み込み過ぎるのは。特にああいう人は、踏み込んでほしくない人だ。ランチになんか誘った日には、ますますあの眉間のしわが深まって恨まれるだろうさ」

「そんなの分からないだろ」

 僕は顔を上げ、仙堂の顔をじっと見つめた。彼は箸を置き、頬杖をしながらにこやかにこちらを見つめ返している。鹿の眼差しのように澄み、梟のように鋭い静かな目は学生時代から変わっていない。

 何の拍子で仙堂と僕が出会い、惰性のように学生生活を共に過ごしていたのか、今となっては思い出すことすら億劫だ。自分に口寄せの才能があると知って以来友人関係とは縁の薄い生き方をしてきたので、仙堂という男は僕にとって文字通りに特別な存在だった。

「奇跡的に、タイミングが合ったら」

 呟き、サンチュを口の中に放り入れる。

「そうだな、それがいい」

 朗らかに仙堂が言った。肉を焼く煙を僕は無意識に目で追っていて、周囲の喧騒はどこまでも耳に滑り込んでくる。

 それから僕は、仙堂が肉をもりもりと食べる様を黙って眺めていた。

なんとなく僕のほうは食欲が湧かなかった。友人が僕の金で腹を満たすのを、ただ漫然と眺めているだけだった。

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