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仕事は順調であった。と言う他ない……僕の仕事っぷりを評価してくれる人はどこにもいないのだから。その訳を説明するためにまず、カイネ女史について語りたい。

 彼女のあの類まれなる顔面を拝めるのは、週に二三度のみだ。カイネ女史はほとんどの時間地下書庫をせかせかと巡回しながら口寄せをこなし、データの確認作業もデバイスを通して行っているので僕とはわざわざ顔を合わせる用事もない。

ただ、たまに本棚の隙間から早足で闊歩する彼女の姿を見かける。その瞬間だけは、死人の声を聞くのをやめて魅入ってしまう。

 美しさには魔力のようなものが備わると歴代の芸術家が口々に言う理由を、カイネという女を見つめていると分かる気がした。

彼女のそれは紛れもない造形美だが紛いなりにも心を傾けた人を、ただ遠くから見ていたいと思ったのは生まれて初めてのことだった。

 仕事が始まってから2週間ほど経ったある日、A0122の口寄せを行おうとした時、僕はその棺の小窓の取っ手が他のものに比べてほんの少しだけ汚れていることに気づいた。

 首を傾げながらもいつもの通り小窓を開けて耳を寄せると、消え入りそうな音が揺れ動くのみで言語としては成り立たないような声が聞こえた。

 空気の漏れるような深い音は、死にかけの人間による呼吸のようにも聞こえる。解釈によっては、苦悶すら感じ取れるような嫌な音だ。

 今までが順調すぎたのだ。そう思い、僕は初めて仕事用に支給された携帯電話をポケットから取り出した。ワンコールの後、僕が何かいうよりも先に、カイネ女史の機械的な声が電話の向こうから飛んでくる。

「A0122ですか」

 僕は思わずあたりを見渡す。

「監視カメラでもあるんですか、ここは」

「ありますが、別に四六時中見ているわけではありませんよ。今そちらへ向かいます」

 その言葉通り、電話を切った数分後には凛々しい足音が僕の方へと近づいてきた。久しぶりに対面したカイネ女史は、相変わらず灰色のスーツを着こなしている。

「A0122の口寄せには私も以前から手こずっていたので、コノリさんが聞き取れなくても不思議ではありません」

 小窓に手をかけ、カイネ女史は集中するように目を閉じた。僕は息を止めてその様子を見守る。

 刺々しい雰囲気とは裏腹に、彼女はゆったりと呼吸をしていた。長い長い数秒の後、女史はおもむろに顔を上げ、首を横に振る。

「やはり駄目ですね。遺体の損傷が他に比べて激しいのと、元々声自体が小さいのが原因でしょう」

「声帯部分の修復は行われているんですよね?」

 僕の質問には答えずに、カイネ女史は無言で僕の持つタブレット端末を指さす。慌ててA0122のデータに目を通した僕は、死因の欄を確認した瞬間にはっとした。

「焼死……」

「死体の声を引き出す技術はあっても、灰を肉に戻す技術は未だありません。A0122は30代の女性で、一人暮らしのアパートで起こった火事によって死亡しています。一酸化炭素中毒で意識が混濁している中身体の半分が焼けて」

「あの」

 彼女の話を遮ったのはほぼ無意識だった。

「それって備考欄の情報ですよね……僕、そこ読まないようにしていて」

「何故?」

「必要ないからです。僕は本の帯を捨ててしまうタイプの人間なんです」

 書籍を人間たらしめる情報は、口寄せ自体には何の影響も及ぼさない。分かってはいるが、小窓の隙間からこぼれる微かな声が、黒い煙を吸い込んで焼けた肺から絞り出された最期の吐息を想像させる。

 本は沈黙するものなのに。人間と本の境界をぼやかすような情報を得た上での口寄せは、堪らなく不快だ。

「なるほど」

「……すみません」

「謝ることではありません。A0123の口寄せをお願いします」

「A0122はどうするんですか」

「三名以上による口寄せが不可能と判断された書籍は、規定に従い速やかに焼却され遺族のもとへと返還されます。明日の朝には焼却の準備が開始されるでしょうね」

「それで、遺族は納得するのでしょうか」

「納得していただく他はありません」

 棺の小窓をぴったりと閉じて、女史は言った。

「あなたは優秀です」

 カイネ女史の突然の言葉に、僕は戸惑った。カイネ女史は手元のタブレットから目線を上げず、無表情に淡々と僕への評価を口にした。

「口寄せを始めて半月とは思えないくらい、あなたは良く仕事をしています。今までの121体のうち、聞き取れなかったものはわずか33体」

 女史はそこで言葉を切り、呟いた。

「優秀です」

「……電子辞書が高性能だったので。習得済みの言語の音や法則性と類似したものは、辞書があれば解釈は可能ですし」

「前任者であればこうはいかなかったでしょう」

 僕は久方ぶりにハルタ氏のつぶらな瞳を思い出した。バンコクでは、元気にやっているのだろうか。

「僕としては、自分のことをもう少し優秀な人間だと思っていました」

 自嘲交じりに呟いた瞬間、自分がよけいなことを口にしたと気付いた。ちらりと女史の様子を窺うと、案の定タブレットから顔を上げてこちらを見ていた。

「とんだ思い上がりです」

「ええ、その通りでした」

「ですがやはり、私が想像していたよりはよほど優秀であるようです」

予想外の評価に驚き、思わず「え」と間抜けな声が漏れる。しかし、言葉とは裏腹に彼女は鋭い目線で僕をまっすぐに睨みつけていた。

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