Chapter 2


[Chapter 2]

 肉体的な五感が徐々に遠くなっていき、眠るでもない不思議な感覚を受けながら、いつの間にか似たような"何か"が再構築されていく。

 それは、電脳世界へログインする感覚であった。


 目を開ければ、限りなく現実に近いが『SF世界』を思わせる外観と、天然物とは違うムラの無い色彩がどこか、無機質な印象を与えてくれる世界が見える。

 匂いを感じることはできるものの、データとしては一部を除いて『無臭』となっており、深呼吸しても美味しくはないが不味くもない味がする。

 百年前に比べて、現代のデータを伝送する技術は発達していて、その量は数億倍にまで跳ね上がっており、伝送速度も地球の裏側にあるサーバから一テラバイトを取得するのに、百ミリ秒もかからないのだ。

 それでも、視界の中にある構造物の一部では、ノイズのように揺らぐものもあった。それは構造物が持つデータ量が多い場合に、多少の処理落ちが発生しているからであった。


「除夜」

「何ですか?」

 僕が声をかけると、突如として幽霊のように一人の少女が現れる。十代後半の見た目で、気の強そうな表情をしている少女。

 僕の脳内にインストールされたAIである『除夜』は、こうして僕が電脳世界へログインしているときは、その側に寄り添って人間の姿を取りたがる。

 だが、除夜に限れば僕の脳内へ擬似的に信号を流し、電脳空間へいるように見せているだけである。周囲の誰からも、その存在を確認されることはない。

「周辺には、誰もいないよね?」

「ええ、そのはずです」

 

 それでも、手にほんのりとした温かさを感じると、どこか嬉しそうな、人間らしさを感じさせる声を響かせて、除夜は手を繋ぎに来る。とても柔らかい感じがした。

「何か、嫌な予感がする。姉からの連絡はある?」

「ありません」


 本来、電脳世界へ入る為には、戸籍と関連付けられたIDが必要であった。それは、公的な身分証とセットで申請して取得する必要があり、高度にブラックボックス化された認証システムによって、不法な存在が電脳世界へ入り込むことを抑止していた。これにより、電脳世界では一定の治安が確保されていた。

 最初に言っておくと、僕は戸籍を喪失している為、普通であれば電脳世界へ入る為の権利を持っていなかった。IDが無ければ、通常は入れないのだ。

 だが、人間が構築し、運用するシステムである以上は、新しくIDを発行したりは出来ないものの、回避する手段は存在していた。

 そして、いつの時代でも誰かが自身の身元を隠す計略を巡らせるように、アクセスする場所を偽装したり、本人とは別のIDを盗んで運用するといった行為が行われていた。


 IDにも種類があり、まず特殊な権限を持たない一般アカウント。一般人が申請すれば取得できるアカウントや、日本国内では外国人でも、パスポートなどの身分証があれば取得する事ができる普遍的なアカウントである。


 次に、行政や司法といった、一般手続きに必要な情報を取得出来るアカウントがある。中には、警察や公安といった治安組織が、犯罪者を特定したりアクセスする場所や個人の情報を請求できるアカウントがあったりする。

 既に日本では、生活の一部に深く浸透している『電脳世界』であるが、都市伝説の中には、政府が自国民を含めた全ログインユーザを監視するための検閲アカウントがあって、常に会話や通信の一部を盗聴しているという俗説もあるが、ただの都市伝説である。

 政府が一部を協賛していたり、司法や行政といったサービスを導入にあたり法規制を導入はされたものの、根幹となる技術や権利を保有するのは『神崎エレクトロニクス』であり、民間会社である。元々、神崎エレクトロニクスは行政の介入には批判的であり、電脳空間への法整備が本格化した際には本社機能を外国へ移すという計画が、噂として一部のマスコミを通じリークされたほどである。根本的に、政府を信頼していないか、嫌っていると言っても過言ではない状況だった。

 本来なら、政府主導の大型プロジェクトと引き換えに行われるような、天下りによる官庁からの役員就任も実績は無かった。


 それでも生き残れるのは、電脳空間でのオフィスやプライベートスペースを確保する為に、神崎系列の会社からサーバを借りてカスタマイズするか、自らで購入したコンピュータに、神崎が開発した基本ソフトウェア(以後、OSと表記)をインストールして設定する必要があるからだ。

 電脳空間自体は、サーバの性能が許す限りにおいて、内装の広さをいくらでも拡張できる。その代わりに、外観や公共的な立地は、やはり神崎系列の会社に申請し、最小で数百円からなる一定の地価を支払う必要があった。目立つ一等地に至っては、現実の土地と変わらない程の価格が付いた。


 まさにフロンティア。新世界の創造である。これにより得られる富は、計り知れないものがあった。

 神崎のデータセンターが一棟、それによって新たな世界が生まれ、寄り合うように接続するサーバにより、コンテンツが増え続ける。

 受託でサーバやOSをカスタマイズする業者も存在するが、企業向けの規模では神崎系列が市場を押さえており、独占禁止法で過去に何度か行政からの理不尽な介入を余儀なくされている。

 だが、いくら価格を上げて対応したり、OSを一般公開することや、参入しやすいよう一般向けのマニュアルを整備しても、手続き上は神崎の会社をいくつか通す為、迅速な対応や、柔軟な対応ができる純正の会社に頼む方がサービスの質が高いのだ。

 こればかりは、いたし方なかった。

 その神崎エレクトロニクスは、同業者へは厚いサポートも実施しており、新たに参入するベンチャーから個人に至るまで、無料の講習会やカスタマーサービスを解放もしていた。これにより、神崎を悪く思う人物は皆無に近かった。

 むしろ、普通なら怒って良いレベルで譲歩を迫られている神崎エレクトロニクスには、業界内から同情の眼差しを向けられていた。それでも、年々成長していく会社と、その経営に噛みたい官庁の意向によって、増税や法規制は強くなっていくばかりだった。それがまた他の参入を難しくしていたのは、皮肉な事だった。


 久しぶりの電脳世界という事もあり、僕の思考はそんな事ばかりで埋め尽くされていた。

 だが、何故か頭の片隅に危機感のような焦燥がくすぶっている。

 それは、神崎エレクトロニクス社長が崩御ほうぎょしたというニュースを見てから、少しだけ他人事とは思えない既視感を見たからであったのか。

 姉ほどではないにしろ、僕の勘もそこそこ当たる。主に、悪い方向にだけであるのだが。


(今日は中止しようか、あるいは、姉のキャンセルが出るまで判断は保留か……)

 通常の路地と変わらない場所。この辺りは個人が立てたサーバが多く、知識不足の為か、あるいは単なるミスによるものなか、セキュリティ設定が甘い建造物が多いのだ。

 そんな一区画の中で、外観的には入り口がひとつしか無い建物には、隠し扉のような壁抜け要素が存在している。よくある遊び要素ではあるのだが、特定のパスコードを所持しているだけで、通行できる普遍的な仕掛けである。


 手を伸ばし、壁に触れようとした。

 すると、耳元でメッセージを受信したアラートが鳴る。


「ん?」

「大和様、今日の会合は中止です……っ!」


 壁に伸ばしかけた手、そこに重ねてくる影が見えた。

 ――そして、掴まれる。


「っ!」

 通常、他人のアカウントへ接触することは出来ない。それは、相手へ許可を出すか、非正規な方法でアカウントを改造するか、相手へネットワーク的な攻撃をするしか方法がない。あるいは、警察などの行政行為の一部では強制的に相手を拘束することが可能ではあるのだが。


 視界には、相手の攻撃に対する除夜の解析結果が浮かび上がってくる。


『非正規攻撃:無し

 アカウント:ロック状態。

 接続解除:不可。

 座標情報の取得行為:確認。

 ――情報隠蔽には成功中』


「これは、刑事警察より悪質なアカウントです。おそらく、警備警察クラスの強制力があります!」


 相手には見えない除夜が、僕に状況を説明してくれる。

 掴まれた場所から、ひりひりとした痛みに似た感覚を感じるのだが、それはネットワーク経由の攻撃や偵察行為を分かり易くするため、僕自身が設定している警告である。非正規の攻撃は無いが、正規の手続きによる強制の情報取得が発動している証拠でもあった。


「カウンターを仕掛けておりますが、相手のアカウントを特定できません。接続を強制解除しますか?」

 落ち着いた声で対応する除夜の声に、ひとまず喫緊きっきんな色は感じられない。それは、この状況では焦るほど危険が無い証拠でもある。


「a……」

「助けて!」


 除夜へ指示を出そうとした矢先――。

 壁から生えた腕から先が、壁の向こうから姿を現した。そこには、差し迫ったような顔をした少女が一人、大きな声で助けを求めて来た。


「助けて……っ!」

 縋るような表情で助けを求めてくる。

 その顔は泣きそうで、少しだけ恐怖を滲ませた雰囲気があった。的外れにも、整った表情を見て可愛いと思ってしまったが、そんな事実を塗りつぶす恐怖や焦りといった要素が、その印象を台無しにさせていた。

 だがそれより、僕にとって驚愕させたことは、次の言葉を聞いてから――。


「助けて! 貴方、ニュースになってた除夜でしょ? お願いがあるの……」

 少女が手を強く握り締める程、情報取得の強制力が増していく。非正規攻撃が『無し』から『有り』に変化し、感じる痛みの強さが増していく。つまり、攻撃を受けているのだ。

 本来なら手遅れとなる前に、その攻撃を遮断する必要があるのだが、クラッカーとしての実力が足りてないのか少女からの攻撃が僕に届く事はない。


 だから僕は、話だけを聞くことにした。

 その顔に、見覚えがあったから。

 なぜならその人は、神崎 創玄のひとり娘である、神崎 明理あかりであったから。面識は無いが、雑誌の片隅に載っていた顔写真に同じ顔があったのだ。


 本人とは限らないが、懇願こんがんの中に見た異常とも言える恐怖は、死さえ覚悟した者にある必死さと同一に見えたのだ。それが、両親と最後に話した時に見た色と、同じに思えたからだった……。



[Chapter 2.5] へ続く。


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ゼロ・ディビジョン 御月 依水月 @yorimiduki

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