ケース2 一条勝己×解離性同一性障害(7/8)

 白夜は「一条いちじょう家」の想像外に複雑な家族構成を針間に報告した。針間が電子カルテ上に簡潔にまとめていく。


 一条正己まさみ:一条家第七代目現当主。

 一条ゆかり:正己の前妻、故人。

 一条勝己かつみ:正己とゆかりの息子。一条家跡取りとして教育されている。

 一条椋谷りょうや:ゆかりと他の男との間に生まれた息子。一条家の使用人となる。

 一条瑛梨奈えりな:正己の後妻。

 一条瑠璃仁るりひと:正己と瑛梨奈の息子。

 一条伊桜いお:正己と瑛梨奈の娘。


 針間は腕を組んで考え込む。

「あー……なんかありそうだな。ここまで複雑だと」

「ですよね……」

 しかも針間との診察時に、勝己はそのことについて話さなかった。家族構成も、父と母、それから自分と瑠璃仁と伊桜ですと、簡略化して語っただけだった。あまりにも複雑なために普段からそのように話しているのか、それともあえて話題に上らせなかったのか。 

「この辺を、おまえが勝己の懐に潜り込んで引き出してこい」

 針間がじれったそうに言う。関係を構築し、信頼を得て、自分から話させろ、と。

「う……はい」

 白夜はまだ勝己と深く繋がれていない。

「とっとと行ってこい!」

 追い立てられるように、白夜は針間の客室を出る。

(う~~~~ん……)

 とにかく過去の話――できるだけ話しづらいような重い話を少しでも引き出さないことには、解離性同一性障害の治療が進まない。針間のいる間にどうにかしなければならないし――。このまま手をこまねいているのだけは愚策だ。仕方ない。白夜は腹を決める。こうなったら単刀直入に聞いてみよう。もしかしたら話してくれるかもしれないし、たとえ話してくれなくても、これは話してくれないことなのだ、という事実ごと受け止める。それで最後まで責任もって辛抱強く待ち続ける。

 白夜はその足で勝己の私室に向かった。

「白夜です。よろしいですか」

 ノックをすると、「あ、白夜くん? あーちょっと待ってねー……」と勝己の声がした。

 そして勝手にドアが開き、

「何者だ。祈祷中であるぞよ」

 ドアノブを握っているのは、見知らぬ老婆だった。

 芥川龍之介の『羅生門』に出てくるような、いかにも怪しげなぼろ着の女性。着物屋の前を通りかかったときの匂いがする。彼女はしわとしわの間からぎろりとこちらを睨むと、

「なんだおぬし? おぬしも禍々しい妖気に満ちておるなァ」

「え、はあ……? うわっ、やめてくださいよ」

 シャラシャラと白い紙が繋がった棒を白夜の目の前で乱暴に振ってくる。

「ついでに祈祷してやるゥ! 祈祷料は五十万円じゃ」

「は?!」

 何言ってるんだこの人?

「織子さん、こっちこっち……」

「フンッ、まあよいわ」

 勝己が手招きすると、「織子さん」と呼ばれた老婆は部屋の中央に移動する。シャンシャンとまた紙の束が結ばれた棒を振って、

「では、呼び出して除霊するぞ! ハアアアアアア!!」

 奇声を上げて最後に大きく振りかぶる。すると、勝己の様子が、

「五代目の愛唯でーす!」

 女性らしい声と顔つきに変化した。

「そなたが愛唯か……去年ぶりよのゥ」

 白夜は呆気にとられたようにその様を見つめる。

「これ、何をしているのですか?」

 暁が白夜の横に進み出て教えてくれた。大真面目に――

「祈祷師による除霊です」

 白夜は頭を抱えたくなった。

 ……たぶん、騙されている。

「あの、暁さん。勝己様って、過去に何か辛い出来事など、ありませんでしたか?」

「と、言いますと?」

 白夜は暁にまず打ち明けることにした。

「実は、勝己様が「憑依」と呼んでいる現象、あれは心の病気なんです。医学的には「解離性同一性障害」といいます。いわゆる多重人格です」

「多重人格? ですか?」

「はい」

 暁は思い当る節があるのか、反論してくることはなかった。だが、祈祷師の織子が、三度の礼などなにやら儀式めいたことを終えると、大声で、

「いや、違うぞォ! これは歴代の当主が一条勝己殿に憑依しておるのじゃァ!!」

 と、叫ぶ。そして、勝己の部屋の棚から勝手に家系図の資料を取り出すと、

「ほら、ここに書いてあるだろうがッ。初代、一条一己。二代目が一条知己で、三代目が――」

 その手の説明には慣れているようで、それっぽいことをすらすらと並べ立てる。

「その資料をもとに、勝己様が作り出しているんですよ!」

 白夜は思わず最後まで聞かずに言い返してしまった。

「ぬぬっ、何を言うか罰当たりめ!」

「解離してしまう人は、大抵催眠にかかりやすい体質です。今、勝己様は催眠にかかっているのでしょう。少し、お借りしてもよろしいですか?」

 白夜は資料を受け取ると、ページをめくっていく。

「ねえ、あたしたちのこと、疑ってるの?」

 勝己――から人格交代した「愛唯めい」が訊ねてくる。

「あなたは、五代目の愛唯様なんですね?」

「そうよ」

 よしこの場で少し試してみようと白夜は腕まくりする。

「愛唯様は、どうして女性なのに当主として就任されたんですか?」

 ぱらぱらとページをめくりながら、手始めにそう訊いてみる。

 「愛唯」は、勝己のしなやかな腰をくねらせると、

「んん、あの頃はみんな戦争に出されてね、残ったのが女の私だったからよ。女性運動も成功していたし――」

 ふむ。理由は確かにこの文献通りだ。だが、それはすなわち、この資料を知ってさえいれば答えられることでもある。

「あ、ねえ、暁、いちごのショートケーキはまだなの? 不二家のケーキっ! 昨日頼んであったじゃない!」

 愛唯はそう言って暁に注文を投げた。暁は少し戸惑いつつも、「はい、用意してございます。お持ちします」と承知して部屋を出ていく。白夜は尋ねる。

「愛唯様はケーキが、お好きなんですか?」

「好きよ。甘くて、ふわふわで、幸せな気持ちになれるもの――」

 白夜は急いで文献の中から、五代目愛唯の好きな食べ物を調べる。だが、そこまでは載っていない。

(……真実かどうかは、わからないな)

 すぐに暁がサービングカートで運んでくる。

「お待たせいたしました」

 そう言って差し出されるのは、いちごの載った白いケーキ。「あはっ、いただきまーす」愛唯はそう言ってフォークを突き立てる。

「ん? なんか固いわね」白いクリームがこくりと欠ける。チョコレートのように固い。なんとかすくって、一口食べる。

「あれっ、しかもぬるい……」

 そして眉をひそめた。

「甘……甘すぎるわ。何よこれっ!? こんなの、ショートケーキじゃないじゃない!」

 白夜は不思議に思って暁の方を見る。生真面目な暁が、変なものを出すわけがない。暁も困惑したように、答える。

「五代目愛唯様がお好きだったという、当時の不二家のショートケーキを再現いたしましたが、お口に合いませんでしたか?」

「えっ」

「載っているのは生クリームではなく、バターです。当時の不二家のケーキは、そのようになっておりました。今の時代では手に入らないため、できる限りレシピに忠実に再現いたしましたが――」

 愛唯は「そ、そうね」と取り繕い、二口、三口、食べると、

「い、いるか、こんな甘ったるいモン!」

 急に地鳴りのような怒鳴り口調に変化した。

「愛唯様?」

「ああ? 俺は武己だ!」

 人格交代したようだ。白夜はすかさず確認する。

「あなたは三代目、武己様ですね?」

「おう。俺は甘いものは食わねぇぜ」

 暁は残されたケーキを下げ、すごすごと引き下がる。白夜は手元の文献資料から三代目当主一条武己の生没年を調べながら、暁の後を引き継ぐようにして尋ねる。

「では、あなたの好きなお菓子は何ですか?」

「ああ? んなもんねーよ、俺は甘いものは嫌いなんだ!」

「……では、お菓子に限らず、好きな食べ物を教えていただけませんか」

「肉」

 彼はぶっきらぼうに言い放つ。

「肉料理ですか?」

「そうだな。かつ丼とかな」

 白夜はすぐさまスマートフォンを取り出して調べてみる。かつ丼の歴史――かつ丼は、三代目武己の生きている時代に、ぎりぎりあると言えばあった。

「かつ丼の他に、好きな食べ物はありませんか?」

「ああ? そうだな、カレーライス、オムライスに、焼きそばだろ、スパゲティだろ、お好み焼きだろ……」

 白夜は素早く検索していく。

「残念ながら、お好み焼きは武己様の時代にはまだありませんよ。お好み焼きが知られるようになったのは昭和十六年から十七年くらいだとWikipediaに載っています」

 しゃべらせればぼろが出る。

 武己は舌打ちしたかと思うと、次にぼうっとまどろむように意識が遠のき、

「君、なにやってんの」

 急に、冷ややかな口調に切り替わった。

「あなたは、誰ですか?」

「二代目の知己だけど」

 またもや人格交代したようだ。白夜は知己に聞いてみたかったことを思い出して訊ねる。

「あなたは、ポーカーをどこで覚えたのですか」

 その質問に、理知的な瞳が光る。

「港の飲み屋で習ったのさ。あの頃は黒船がよく来てね」

「黒船ですか。ということは、あなたは英語も得意でしたか?」

「Yes, of cource! I can speak English, because I talked many many sailors in the bar. I mean... 」

 英語の知識はあるらしい。さすが、世界を股に掛けるICHIJOグループの御曹司の脳だ。だが、これは――

「おかしいですね、あなたの英語」

「はあ?」

「だってあまりにも流暢すぎます。黒船来訪時、外国人と会話するなんて、さすがの一条家でもめったになかったはずです」

 知己は目を丸くして、皮肉気に笑った。

「へえ……嵌められたのかな?」

 そこへ、黙り込んでいた祈祷師が割って入る。

「てぇぇい! 戻れ戻れィ!!」

 棒を振り回され、勝己ははっと目が覚めたような顔になった。

「白夜くん? あれ、今、俺は……?」

 一番見覚えのある表情だ。

「あなたは、勝己様ですね?」

「うん」

 元に戻ったらしい。

 白夜はすかさず、スマートフォンのアプリを切り替えた。

「実は、先ほどのやり取りを録音してあります。お聞きください」

 入室前から密かに録音していたものを、早送りして、かいつまんで聴かせる。

「なるほど。歴史と照らし合わせると、「憑依」した人が違うことを言っているのか……」

 勝己が納得したように、顎に手を当てて頷く。

「ぐぬぬ」

 祈祷師の織子は、歯噛みするように押し黙る。

「そうです。つまり彼らは、名前だけ借りて勝己様が創作した人物なのです」

 白夜が断言すると、しかし勝己は考え込んだ。

「そう言われてもなあ……。じゃあ、なに? 白夜くんはもしかして、俺が演技してるって思ってる?」

 少しばかり癇に障ったのだろうか。勝己は感情を隠すように、大きく困り顔を作る。白夜は慌てて付け加えた。

「あ、いえ、そうではありません。あくまで無意識に、つらい状況を自分なりに対処しようとしている状態というだけです。勝己様がわざとそうしているわけではもちろんありません」

 どこか自分の殻に閉じこもるように勝己は黙っている。

「なにか耐え難いストレスを抱えていて、それから心を保護するために別の人格を作り出しているとみるのが一般的です」

 白夜がそう続けると、しかし勝己は声を荒げて言った。

「俺が作り出した別の人格? 全く身に覚えがないどころか、あの人達にはさんざん迷惑しているのに……なんでわざわざ、俺が作った、なんてことになるの?」

「無意識下でそうしているのですから、身に覚えがないのは当然です。理由は、これから明らかになっていくと思います」

 沈黙が降りる。

「それ、治るのかい?」

「はい。治ります。治療法のある病気です」

「本当?」

「はい」

 勝己の顔に、僅かにだが希望の色が差してみえた。

「「憑依」には、俺もみんなもほとほと困ってるんだ……。消し去りたいよ。特に、椋谷に向くのが……危険なんだ。なんとかしてもらえるなら俺は喜んで協力する」

 白夜はもう一歩踏み込む。

「その為には、原因を探す必要があります。思い当たる節はありませんか?」

「そう言われてもな……」

「椋谷さんに聞きました。勝己様と椋谷さんは、一条ゆかり様という方から生まれたんですよね。お二人が幼いころに亡くなられたそうですが」

「そうだね」

「椋谷さんは、正己様ではない男の人から生まれたんですよね。だから使用人としてここで働いているのですか?」

「そうだよ」

 これが解離機制まで働いてしまうほどの勝己の耐えがたいストレスだろうか? 椋谷がそれを気に病むならまだしも、勝己の方がストレスになるというのがまだわからない。

「「憑依」が現れ始めたころ、勝己様の身の回りになにか、大きな出来事はありませんでしたか? 原因を見つけて、それを解決すれば、交代人格に悩むこともなくなります」

 勝己は記憶をさかのぼるように、天を仰ぐ。

「うーん……大きな出来事……といえば、あのことかな」

「はい」

「……でも、違うかも……しれないし」

「なんでもおっしゃってください」

 勝己はぼうっと床を見つめている。また人格交代が起きるのかと思ったが、そうではなかった。勝己は躊躇いながら、言うかどうか悩んでいるようだ。

「僕が必ず受け止めますから」

 白夜は、勝己の手に触れた。

「大丈夫です」

 そして、両手で包み込んで、強く握った。

「話して、大丈夫ですよ」

 勝己は暗い顔をして話し始める。

「まだほんの幼かったころ――俺は母さんに置いていかれたんだ」

「置いていかれた?」

「うん」

 勝己はぎゅっと白夜の手を握り返す。

「母さんは一条傘下の小さな会社の社長の娘で、もともと立場が弱くてね。父さんが一方的に気に入って、無理やり結婚したみたいだった。母さんはまだ十代だったのに。そんな風に結婚しておいて、父さんはいつも忙しく飛び回っていて、家にもいない。かわいそうだと思った。俺はいつも母さんの味方だった。母さんは俺達をいつだって優しく包み込んでくれた。大好きだった。でも、母さんは俺を置いて出ていった。椋谷だけ連れて」

 そうして勝己は、ぼろぼろと泣き出した。

「出ていくのなら、俺も連れていってほしかった……のに、俺は、置いていかれた」

 これが、勝己の受け止めがたいストレスか。

「俺は、母さんに嫌われている自分のことが大嫌いになった」

 白夜はふむふむと聞いていたが、勝己はうなだれたきり、しゃべらなくなった。

「あの、大丈夫ですか? 勝己様」

「ごめん、ちょっと、感情的に……なっちゃって……ごめん」

「いいですよ、それでいいんです」

「ごめんね……」

 泣きじゃくる勝己の頭を、白夜は優しく撫ぜる。

「ふんっ、ばかばかしい。あたしゃ今日は帰るよ……」

 祈祷師がずっしりと分厚い封筒を大事そうに抱えて出ていくのも、もうどうでもいい。弱々しく泣き続ける勝己の傍に、白夜はただ黙ってじっと付いていた。

 おそらく、これが勝己が解離した理由だ。

 これを解決すれば、勝己の解離性同一性障害は治療できる。


 白夜は、その日中にすぐに針間に報告した。

 白夜の作った資料をぱらぱらと見ながら、針間は一言、

「でかした」

 そう言って、くるりと椅子を回転させてパソコンに向く。

 褒められた……?

 あの、針間先生に? しかも、心に寄り添って聞きだしたことを、褒められた。

「その中に答えがあるとみて間違いない。が、さすがにここまでだな。しばらくは様子見だ」

 白夜は嬉し笑いを堪えるのに必死で、針間がこちらを向いていなくてよかったと思った。

 すると針間はパソコンを閉じ、手荷物をまとめ始める。

「あれ、先生、帰るんですか?」

「ああ。これだけわかればあとは時間をかけて診察の中でやっていく」

 そして、

「後を任せる」

 そう言い残して、さっさと帰っていってしまった。

「……はい」

 閉じられたドアに向かい、白夜は胸を張って返事をした。

 心に寄り添って、過去の辛い出来事を聞き出すこと。

 きっと、できる。

「やるぞ……!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る