なぐりがき
浮左志知
半分の
ふと見上げると、薄曇りの空には半分の月が昇っていた。お店に入った頃は夕暮れ時だったので、かれこれ五時間近くも飲んでいた計算になる。まぁ、私はあまり飲んでいないけど。
「寒い……」
口をついて出た言葉とともに、白い吐息が夜空に消えていった。この冬に買ったばかりの水色のコートを、しっかりと体に巻き付ける。アルコールは抜けてしまって、火照っていた体も頭もすっかりさめている。顔や手にぶつかる冷たい風が、どんどん熱を奪っていくようだ。
辺りには私と同じように呆けている人や、友人同士だろうか、二軒目三軒目を目指して千鳥足で通りを行き交う人がいた。みんな楽しそうで、和気藹々としていて、それがなんだかひどく羨ましい。
「ごめん、おまたせ」
そういいながら、彼はお店から出てきた。申し訳程度に染められた茶髪が、居酒屋の軒の照明に照らされる。真っ黒な厚手のコートに真っ黒な革靴をはいているなかで、先日プレゼントした赤色のマフラーだけが、なんとなく浮いているようだった。
お互いに無言で、手を繋ぐ。
彼との付き合いは、二年くらいだろうか。きっかけは共通の友人を通じてご飯を食べにいったことだった。不器用だけど優しくて、時折見せる儚い表情に惚れてしまったのだ。
この二年のあいだ、色々なことがあった。初めてのデートは動物園だった。誕生日にはピンクゴールドの、ハートのペンダントがついたネックレスをくれた。
喧嘩もした。浮気されてるかもしれないと不安に思うこともあった。
それでも私は、ずっと一緒にいたいと思っていた。
けれど、自信がなくなってしまった。
彼は、ひとりで将来のことを決めてしまっていたのだ。
遠くの大学院に行くのだという。一応国内ではあるものの、ここからだと往復の旅費も、移動にかかる時間も馬鹿にならない。それに、私は来年から社会人だ。内定をもらっている会社は週休二日制とのことだが、土日が休みになるとは限らない。
「……黙ってたこと、怒ってる?」
繁華街を抜けて、線路沿いの暗い帰り道を歩きながら、彼はぼそっと口にした。私はそれに、首を振って答える。
怒っているわけじゃない。そうじゃない。
私はただ、悲しいのだ。
彼の心に、彼の将来に、私の居場所はないのだと、そう気づいてしまったのだ。
もちろん、遠くに行っても関係を続けることはできるだろう。でもそれは、しだいに綻びを隠せなくなっていくだろう。きっと彼は研究に、私は仕事に忙殺される。
見上げるた空には、厚い雲がかかっていた。半分の月の光では、雲を貫くことができないようだ。
そう、半分では足りないのだ。私はわがままだから、半分では足りない。
これはきっと、ドラマチックでもなんでもない、ありきたりな物語の結末なんだろう。
「私は、わがままだから」
精一杯の強がりを口にしながら、そっと左手を離した。私はわがままだから。私がわがままだから。あなたのせいじゃない。私がわがままだから。あなたの全部が欲しいのは、私がわがままだからなんだ。
心のなかで何度も繰り返して、私は私に嘘をつく。
そして私は、ありったけの勇気を振り絞って言った。
「お別れ、しよっか」
なぐりがき 浮左志知 @TakeharaKaduki
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