川瀬省吾5
翌日、待ち合わせ時間の30分前に〇〇ビルに到着した。
そしてしばらくすると着信があった。
「もしもし、川瀬ですけど」
「昨日電話した斉藤組の田辺と申しますが、〇〇ビルの3階に来て下さい。そこに私達の事務所があるんで。宜しくお願いしますね」
電話を切り、すぐに3階に向かった。その間ビルに入ってから誰ともすれ違わなかった。それは夜の7時という事を考えるとかなり異様だった。
俺の推測だが恐らくこのビル全体が斉藤組の所有物で、一般人は近づかないのだろう。
【事務所】と書いてある扉の前に到着し、ノックをした。
すると扉が開き、大柄でサングラスをかけた男が出て来た。
「どうも、田辺です。さぁ中に入って下さい」
案内され部屋の中に入ると、ソファーに20~30代くらいの3人の男が座っている。
そしてその前には組長と思われる、一際威圧感のある男が座っていて、俺に話しかけてきた。
「川瀬さん、今日はわざわざ来てもらって悪かったね。ここのトップの斉藤ですわぁ。今日は宜しく頼みます」
「いえいえ、こちらこそ宜しくお願いします」
なめられたら終わりだと思っていたので、
「じゃあ早速お願いしようかな。3日前ここの金庫から300万円と、覚醒剤が盗まれましてねぇ。この3人がその日は当番でこの事務所に居たんですわ。でも3人共何も知らない、変わった事は無かったって言いよるんですわぁ。そこで川瀬さんに誰が嘘ついてるか見破ってほしいんですよ。誰も嘘ついていなければ外部の仕業ですし、それはそれで調べなきゃいけないからねぇ。そういうわけなんで宜しくお願いしますわ」
「わかりました。では1人ずつ簡単な質問をさせてもらいますので、隣の部屋をお借りしても宜しいですか?」
「えぇ、構いませんよ」
組長の承諾を得たので1人ずつ隣の部屋に連れて行き、質問を始めた。
何か起きると悪いという事で、田辺という男も部屋についてきた。
「じゃあ簡単な質問をするので答えてください。まず、一昨日の晩御飯は何を食べましたか?」
「えっと……何だったかなぁ。そうそう確かカレーを食べました」
1人目の男は右方向に視線を向けて、必死に思い出し、一昨日の晩御飯を答えた。
「わかりました。次に今1000万円を貴方が自由に使えるとしたらどうします?」
「1000万円? それが今回の件と何か関係あるんですか?」
「とても大事な事ですので、よく考えて答えてください」
「えっと……車を買うかな。それで余ったお金で美味いもんをいっぱい食べる。まぁそんな感じかな」
男は考えている時、さっきとは逆の左方向に視線を向けていた。
「わかりました。では3日前貴方はこの事務所から帰った後、何をしましたか?」
「えっと、確か銭湯に行って、その帰りにコンビニでカップ麺を買って家で食べました」
男は右に視線を向けて答えた。
「わかりました。もう結構です。次の方お願いします」
1人目の男と入れ替わりに2人目の坊主頭の男が入って来た。
「じゃあ簡単な質問をするので答えてください。まず、一昨日の晩御飯は何を食べましたか?」
1人目の男と全く同じ質問を2人目の男にした。
男は左方向に視線を向けて必死に思い出している。
「……焼肉。確か仲間と焼肉を食べに行った」
「わかりました。次に今1000万円を貴方が自由に使えるとしたらどうします?」
「何だその質問。まぁいいか。う~ん、500万貯金してあとはギャンブルかな。ハハッ。そんな金あったらいいぜ」
男は考えている時、右方向に視線を向けていた。
なるほど……この男性はこういうタイプか。
「あったらいいですよね。では最後の質問です。3日前貴方はこの事務所から帰った後、何をしましたか?」
「何だったかなぁ……そうだそうだ、DVDをレンタルしてずっと家で見てた」
男は左方向に視線を向けて答えた。
「わかりました。もう結構です。次の方お願いします」
2人目の男と入れ替わりに入って来た3人目の男は、少し暗めであまり社交的ではなさそうだった。
「じゃあ簡単な質問をするので答えてください。まず、一昨日の晩御飯は何を食べましたか?」
「…………カップ麺」
男はあまり視線を動かさなかったが、僅かに右方向に視線を向けるのを俺は見逃さなかった。
「わかりました。次に今1000万円を貴方が自由に使えるとしたらどうします?」
「えっと……半分くらい実家の母親に仕送りをして、残りは女とか飯とかに使う」
この時の男の視線は左方向に向けられていた。
「わかりました。では3日前貴方はこの事務所から帰った後、何をしましたか?」
「一人でファミレスに行って、その後は家で寝た」
男はほとんど視線を動かないで答えた。
「ファミレスですか、いいですね。ちなみに何を食べました?」
「えっとなんだったかな……確かカツ煮定食だったと思う」
そう答えた男の視線は左方向を向いていた。
「わかりました。結構です。ではあちらの部屋に戻りましょうか」
隣の部屋に戻る際、さりげなく田辺という男に耳打ちで、嘘をついている人を教えた。そしてまだ伏せておくように伝えた。いきなり暴いて取り乱さないようにする為にだ。
今回嘘を見破った方法は至ってシンプルだ。
視線の位置で判断したのだが、人間の左目は右脳と、右目は左脳と接続されている。従って右脳を使っている時は左に視線が向き、反対に左脳を使っている時は右に視線が向いてしまうのだ。
そして右脳は、想像(嘘)などを支配していて、左脳は記憶や言語などを支配している。
簡単に説明すると、何かを思い出そうとする時は視線が右方向に移動し、ウソをつこうとする時は視線が左方向に移動する。
ただ、今説明したのは一般的にというもので、必ずしもそれが通用するとは限らない。
だからこそ、いきなり【3日前に事務所を出た後に何をしたか】を質問するのではなく、一昨日の晩御飯の質問で記憶を思い出す際の目線の動きと、1000万円を自由に使えたらという質問で、想像する時の目線の動きを確認した。
現に2番目の男は通常とは反対に視線を向けていた。
以上の事を踏まえた時【3日前に事務所を出た後に何をしたか】という質問に対して、想像(嘘)をしている時の目線の動きをしていたのが、3番目の男だった。
「皆さん御協力ありがとうございました。今回色々と質問させてもらいましたが、嘘をついている人はいませんでした。そういう事なので組長さん、皆さんを解放してください」
「それなら解放しようかのぉ。裏切り者はいないのが1番いいからなぁ」
1人目、2人目が部屋を出て、3人目も出ようとした時、田辺が部屋のドアを閉める。
3人目の男は、目を丸くして何が起きているのか理解できていない様子だった。
そして3人目の男の腕を田辺がロープで縛った。
「どういう事ですか、田辺さん! なんで俺が縛られなきゃならないんですかぁ?」
「こっちが聞きたいよ。なんで金をとった。あぁ?」
田辺が声を荒げて3人目の男に問う。生で見る暴力団の迫力は映画で見るようなものとは桁違いだった。
「くそっ」
舌打ちをして3人目の男が俺を睨んでいる。
「金と覚醒剤はどこにある」
「……」
田辺の問いに答えないまま、男は俺を睨み続けている。
しびれを切らした田辺が男を思い切り殴った。
「答えなきゃ殺す」
「答えれば指だけで済ましてやるから答えてみぃ」
組長の優しい口調は、田辺の言葉よりもよっぽど怖かった。その優しい口調からは死の匂いしかしなかった。
「使いました。パチンコと女に……覚醒剤は手当たり次第に声かけて全部売りました。すみません。二度としませんから。すみません」
大の大人が泣き叫んでいる。この先に待っている地獄からは、もはや逃げる事は出来ない。そう悟った時、男は俺に向かって走り出した。
縛られたその手には小さなナイフを持っている。
「死ねぇぇぇ」
ーーパンパンーー
銃声が2発なった。
俺の目の前で男は撃たれた。そしてゆっくり倒れその一生を終えた。
男の血は俺にかかり、生暖かい温度と血の匂い、迫ってくる男の顔が頭に焼き付いて離れなかった。
裏の世界で仕事をする限り命の保証はないし、誰かを殺す事になったり、死を目の当たりにする事もある。
その覚悟はあったつもりだったが、考えが甘かった。
死というのはそんな生ぬるいものではないし、常人が耐えれるような代物ではなかった。
「川瀬さん、嫌なもの見せちゃったねぇ。でも本当に助かりましたよ。これは報酬です」
優しい口調と笑顔で組長は俺に封筒を渡してきた。中には500万円が入っていた。これだけの経験をするとその報酬が、高いのか安いのかもよく分からない。
俺は血をよく拭き取り、ビルを後にした。
外に出ると、雨が降っている。頭に焼き付いた男の顔、血の温度や匂いを紛らわすには都合が良かった。
しばらく歩くと猛烈に茜さんに会いたくなった。会って全てを忘れさせて欲しかった。
気付くと茜さんに電話をかけていた。
「もしもし、こんな時間にどうした?」
いつもと変わらない茜さんの声が、俺を現実に戻してくれる。そして先程の出来事は夢だったと、錯覚させてくれた。
「ザーッ、茜さん、会いたいです……」
雨音が俺の声を邪魔をする。
「何? 外にいるの? 今どこにいるの?」
「ザ、ザーッ、今から会いに行ってもいいですか?」
「いいよ。待ってるから」
電話を切った俺は茜さんの家に向かった。
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