川瀬省吾3

 茜さんと出逢った日から5日が過ぎた。

 ここ最近では珍しく、全く仕事の依頼が無かった。そして財布の中身も数百円まで減り、生活が厳しくなっていた。


「やばいなぁ。金どうすっかなぁ」


 独り言を呟き、財布の中にあった茜さんの名刺を取り出す。

 こんな形では連絡したくはなかったが、他に頼れそうな人はいなかった。

 茜さんの性格を考えると、嫌な顔せずお金を貸してくれるのは明白だった。


 ーープルルルプルルルーー


「もしもし、佐伯です」


「もしもし、この間焼き鳥屋に連れて行ってもらった、川瀬ですけど……」と話す声からは、俺が少し緊張しているのが伝わってしまったかもしれない。



「あぁ、省吾くんかぁ。なになにどうしたぁ? 急に連絡してきて何かあったの?」


 声を聞くだけで茜さんが心配してくれているのが分かる。


「実は……また茜さんに会いたいなぁと思って電話しました。迷惑じゃなければまた会ってもらえませんか?」


 お金の事を相談しようと思ったが、さすがに1回しか会った事ない人からいきなり電話で、お金貸してくださいと言われたら不快な気持ちになると思い、会いたいとだけ伝える事にした。

 それに会いたいのは事実だった。


「おねぇさんに会いたくなっちゃったなぁ? 仕方ないから会ってあげましょう。えっとじゃあ、この前ぶつかった場所で待ち合わせようか。仕事7時には終わると思うから7時半に集合でも大丈夫かな?」


「ありがとうございます。待ち合わせの時間と場所、了解しました。俺何時でも大丈夫なので、また都合悪くなったり何かあればこの番号に連絡下さい」


「はいはぁい。じゃあまた後でね」


 電話を切った後、財布に残っていた僅かなお金で電車に乗り、待ち合わせの場所に向かう。

 午後4時25分。やることもこれといってなかった為、集合時間よりだいぶ早く待ち合わせ場所に着いた。この日も茜さんと出逢った日と同じくらいの快晴で、気温も高く蝉の鳴き声が耳にさわる。俺は待ち合わせ時間ギリギリまで近くのコンビニで立ち読みをして時間を潰す事にした。



 午後7時35分。茜さんが待ち合わせ場所に走ってきた。今日も最初に会った日と同じ色の黒いスーツを着ていて、その姿からは働く女性の逞しさというか、気品が感じられる。


「ゴメーン! 少し遅れたね。会議延びちゃって」と申し訳なさそうに茜さんが言った。


「全然大丈夫ですよ。また会えて嬉しいです」


 俺は首を横に振り、笑顔で答える。


「急に会いたくなったってビックリしたよ。何かあった?」


「……何もないですよ。ただ会いたいなって」


 茜さんに対して思っている事を素直に伝えた。お金の事だけを除いて……


「それは嬉しいねぇ! 茜さんモテ期かしらー! なんてね。じゃあまた何か食べ行こうか。何か食べたいのある?」と茜さんがピースサインを繰り出す。まんざらでもなさそうだ。


「えっ? でも俺お金あんまりないです」


 あんまりでは無く、ほぼ空っぽだ。


「あたし奢るからいいよ」


 親指を立てて、片方の口角をあげながら言った。


「いやいや、でもこの間もご馳走してもらったし悪いです!」


「そう? う~ん、じゃあ家おいでよ! 料理は自身ないけど簡単なのなら作ってあげれるよ」


「い、いいんですか? じゃあ行きたいです」


 家に行けるならお金の相談はゆっくりすればいい。時間ならまだあると思い、その話は伏せたままにした。


 待ち合わせた場所から15分程歩いた所に茜さんの住んでいるマンションはあった。

 綺麗な外観にオートロック付きのエントランス。これだけである程度、高収入なのが分かる。


「そんな広くないけどどうぞ」


 手慣れた手つきで玄関に部屋の鍵を置き、リビングに向かいながら手招きしてくれた。


「お邪魔しまーす」


 部屋に入ると確かにそこまで広くはなかったが、1LDKで女性の一人暮らしには十分な広さではあった。

 置いてある家具や家電を見ると、あまり高級そうな物はなく、贅沢な暮らしをしている印象はない。


 リビングに案内された俺は、ソワァーに腰を下ろす。


「夜ご飯、炒飯とチキンライスどっちがいい?」と白いエプロンを着けながら茜が聞いてきた。


「うーん、なら炒飯がいいな。何か手伝うよ」


 メニューの選択肢を聞いただけで、あまり料理は得意じゃないのかなと不安と期待が織り混ざった、なんとも不思議な感情になった。ただ、茜さんが手料理を振舞ってくれるという事は素直に嬉しかった。


「了解です。じゃあ野菜切るの手伝って」


 協議の結果、炒飯とコンソメスープという2品がこの日の晩御飯の献立に決まる。

 俺自身、自炊はしないものの、ファミレスでバイト経験があり、上手く茜さんのサポートが出来た。


「……省吾くん、上手くない? もしかして自炊とかよくする?」


「自炊はしないんですけど、ファミレスのキッチンで少しバイトしてたんです」


 手際良く調理のサポートをする俺を見て、茜さんは少し劣等感を感じている様子だ。

 威勢良くご馳走するといった手前、この状況に分の悪さを感じてしまうのも無理はない。


 そうこうしている間に炒飯とコンソメスープが完成した。


「よし。出来た!じゃあ食べようか」


 そう言って茜さんは身につけていたエプロンを外した。


「食べましょう。俺腹減りましたぁ」


「いただきます」と2人の号令が重なり、炒飯を口に運ぶ。


 二口食べたところで茜さんが感想を求めてきた。


「どう? おいしい?」


 正直、すごく美味しいという訳でもなかった。

 味こそまずまずだったが、炒飯の最大の売りであるパラパラとした食感はなく、少しべちゃっとしている。

 コンソメスープは俺が主で作った事もあり、中々の味だった。


「うん。味はいいと思うんだけど……少しベチャッとしちゃいましたね」


 お世辞で凄く美味しいですと言うより、正直に伝えた方が茜さんの性格上良いと思い、包み隠さず伝えた。


「だよね。あたしも思った……プフッ。炒飯もまともに作れないんかぁい」


 落ち込むのかと思いきや、おふざけ全開で自虐ネタを放り込んできた。


「プフッ。茜さんウケるよそれ。でもこれはこれでなんかありかも。てか一緒に作るの楽しかったし、それだけでお腹いっぱいやないかぁい」


 茜さんの自虐ネタに笑いを堪えられなかった。こういった所も茜さんの長所であり、その場の雰囲気を和ませたり、楽しませたりする力は非凡なものがある。

 俺は茜さんの作ってくれた楽しい雰囲気に便乗して、冗談ぽく返した。


「まぁ食べれない事ないしね。腹の足しにはなる」


 俺と茜さんはくだらない話をしながら、2品を完食した。

 たわいもない会話をしながら、一緒に作っている時は本当に楽しくて、料理のできなんてどうでもよかった。一緒に楽しい時間を過ごす。それが1番大事な事のように思えた。


 食器などの片付けを終えると茜さんが尋ねてきた。


「お腹いっぱいになったね。それで会いたいって言った本当の理由は何かな?」


 完全に見透かされていた。まぁ確かに1回しかあった事ない人に、いきなり会いたいって言われれば何か理由があるのではないかと考えるのは当然か。しかも1回目あった時から今日まで1回も連絡しなかったのだから尚更怪しかったのだと思う。


「ごめんなさい。言いづらいんだけど……少しでいいので、お金を貸してもらえませんか?」


 頭を下げて目を瞑りながらお願いをした。無茶苦茶な事を言っているのは分かっていたし、好意を持っている人に嫌われるかもしれない事を頼むのは辛かった。だが、茜さん以外に頼めるあてはなかった。


「なんだそれで言いづらそうにしてたんだぁ! いいよ。いくらあれば足りるの?」


 茜さんはなんの躊躇もなく承諾をした。もちろん茜さんの性格を考えたら断らないとは思っていたが、ここまで即答するとは思わなかったし、理由を聞いてこなかったのも意外だった。


「1万貸してもらえると助かります。恥ずかしいんですけど、訳あって金欠になってしまい、生活費も底をついてしまったんです。今借りてる部屋も電気水道止められちゃって……」


「も~う。子供じゃないんだからしっかりしなよ」


 そう言って3万円を財布から取り出し渡してくれた。


「1万でなんとかするんで大丈夫ですよ」


「別に使わなければそのまま返してくれればいいでしょ? 足りなくて困ったら大変だし!」


「あ、ありがとうございます。給料入ったらすぐ返します!」


 確かに、いつ仕事が入るか分からない今、3万円借りれたのは心強かった。


「てか、今日泊まっていってもいいよ。電気水道止められてて大変でしょ? 明日ちょうど休みだし、これ1人で見るより一緒に見た方が楽しいと思うし」


 テレビでは見たことのない、お笑い芸人のDVDを見せてきた。

 茜さんの提案に、流石に驚きを隠せなかった。たった2回しか会った事ない男にお金を貸し、更に困っているならと家に泊めようとしてくれている。

 誰に対してもこんなに警戒心がないわけではないと思うが、困っている人を助けずにはいられないというその慈愛の精神は、現代に蘇ったマザーテレサの様にも感じられた。


「いいんですか?」


「省吾くんならいいよ。信用してるから。ただし、変な事しないって約束する事」


「何から何まで本当にありがとうございます。約束します」


 泊めてもらえるのは本当に助かったし、茜さんと少しでも長くいれるのは嬉しかった。

 この時、俺は茜さんに完全に惚れてしまっていた。外見的な美しさは勿論の事、内面にも惹かれていた。

 人間は自分に無いものをパートナーに求めると言うが、正にそれだ。

 俺に無いものを茜さんは全て持っていると思った。



 お風呂や歯磨き、全てを終え俺と茜さんはお笑いのDVDを鑑賞した。

 次々に繰り出される全身全霊のネタに、俺と茜さんは腹を抱えて笑った。

 茜さんと過ごしている時は、裏の世界の仕事や自分がメンタリストである事も忘れ、何も考えず只々純粋に楽しかった。

 こんな感覚は初めてだった。

 そして茜さんのスッピンは普段の顔より少し幼く見え、DVDを見て笑う無邪気な顔を、俺はずっと見ていたいと思った。


「茜さん、チュウしていいですか?」


「ダメ! バカ!」


 変な事をしないと約束したが、楽しい雰囲気に身を任せ、冗談ぽくキスにトライしてみた。だが想像通り即答で却下され、頭を叩かれた。

 その後もDVDを鑑賞して、茜さんは寝室、俺はリビングのソワァーでお互い眠りについた。


 そして翌日、お金を貸してもらった事と泊めてもらった事のお礼をしっかりして、マンションをあとにした。

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