川瀬省吾2

 彼女が去った後、ふと足元を見ると1枚の書類が落ちていた。


「契約書……って、さっきの人のじゃん」


 どうやら大事な書類のようだ。特に予定もなかったのでその場で待つ事にした。

 天気も良く、温度もかなり暑かったので待つだけでもかなりの労力を要する。

 3時間ほど待ち、時計の針は午後6時を過ぎていた。

 すると遠くの方から先ほどの女性が走ってきて辺りを探している。

 相当急いで来たのだろう。ハァハァと肩で息をしていた。


「あの、これ。そこに落ちてました」と言って女性に書類を差し出した。


「ありがとうございます。これ探してたんです……って君さっきの。もしかしてずっと待っていてくれたの?」


 彼女は書類を受け取ると驚いた表情で尋ねてきた。


「大事そうな書類だったし、特に予定もなかったんで。気にしないで下さい! てか下向いて歩いてたら落ちてましたよ! 石ころ以外にもね」


 ぶつかった時に彼女が言ってきた事を、皮肉交じりに冗談ぽく言った。


「あー、そういうこと言ってるとかわいくないぞ! でも本当にありがとう。助かったわ」


 少し眉間にしわを寄せ、ムッとした表情を見せる。その後、携帯を鞄から取り出した。


「ごめん。書類あったって会社の人に連絡するね」


 余程大事な書類だったのだろう。電話なのに何回も頭を下げて、謝罪していた。


 そして電話が終わると

「お待たせ。何かお礼したいなぁ……そうだ! 君まだ夜ご飯食べてないよね? お腹空いてるでしょ?」


 俺の顔を覗き込むように尋ねてきた。


「まだ食べてません。そりゃもう、ぺこぺこですよ。3時間も待ってたんですからね」


 彼女の色々な表情が見たくて、またからかうような発言をした。


「もー! またそうやって! まぁいいや、この辺に美味しいお店があるからそこ連れて行ってあげるね。書類のお礼としてご馳走させて頂きます」


 彼女は少しだけ頬を膨らませ、怒ったそぶりを見せてくれた。そしてその後、頭を下げて笑顔を見せて言った。


「そうだ、自己紹介まだだったね。私こういう者です」


 スーツの内側にある胸ポケットから名刺を取り出して渡してきた。

 名刺には【Tasting Japan 営業マーケティング部 佐伯茜】と書いてあった。


「茜って呼んでいいよ。君は?」


「じゃあ茜さん……俺は川瀬省吾っていいます。年は25で、一応心理学関連の仕事をしています」


「省吾くんか。宜しく! てか25って事は私より2つ下だね」


 ある程度自己紹介を終えた俺達は、茜さんの案内で近くの居酒屋に移動した。

 飾らない性格と誰に対しても壁を作らない茜さんは、初対面だったがとても話しやすく居心地がよかった。


「到着です。ここ焼き鳥が絶品なんだよぉ。良い匂いしてきたね。入ろ入ろ」


 ーーガラガラーー


 扉を開けると店内には焼き鳥を焼く、炭火の香ばしい匂いが充満している。テーブル席は4つ、カウンター席が8席あった。


「おう、茜ちゃん! いらっしゃい。あれ? 今日は彼氏連れかい? 今日も良い鳥仕入れてるからゆっくりしていきなよ」と頭にタオルを巻いた店員が言った。

 見た目や口振り、態度などでこの人がここのお店の店長だという事が分かった。


「大将、こんばんは。残念ながら彼氏じゃありませーん。彼は大事な書類を拾ってくれた恩人でーす」


 2人のやりとりを見るだけで、茜さんがここの常連なんだとすぐ分かった。

 そして茜さんのコミニュケーション能力の高さを改めて実感する。

 テーブル席が空いていなかったので1番奥のカウンター席に並んで座った。


「よいしょっと。なんでも好きなの頼んでいいよ。てか省吾くん、お酒は飲める?」


 茜さんがメニューを手渡してきた。


「飲めますよ。じゃあ俺とりあえず生と串盛りで」


「おぉ、いいねいいね。大将! 生2つと串盛りとシーザーサラダをお願いします」


 茜さんが手を挙げ大将に注文をしてくれた。

 そして2人の前にすぐビールが運ばれてきた。


「今日は書類本当にありがとう。乾杯!」


 カーンと、2人のグラスは綺麗な音を鳴らし、ビールが喉の渇きを潤わしていく。


「そういえば気になっていたんですけど、茜さんが働いている【Tasting Japan】ってなんの会社なんですか?」と、さっき貰った名刺を出して聞いた。


「おっ、気になっちゃう? えっとね、うちの会社はお酒を海外から輸入して色々なお店に納品している会社だよ。実はこのお店にもワインを納品してるんだぁ。ねっ、大将!」


「そうなんだよ。いつもありがとね茜ちゃん。ワイン入れてから若い客が沢山増えてなぁ。ホント茜ちゃんのお陰だよ」


「そうなんだ。てか焼き鳥にワインてあまりイメージないですね」


「と思うでしょー! それがね、ワインってすっごく合うんだよ。焼き鳥の肉の色や調味料の色に合わせてワインを選ぶの。そうするとお互いの風味を高めあって本当に美味しいんだよ」


 お酒の話をしている茜さんは凄く嬉しそうで、何か特別な思入れがありそうだった。


「そこまで言われると気になる! 次ワインにしようかな。茜さんのオススメ教えて下さい」


 ビールを飲み干し、茜さんのオススメワインを注文した。

 言われた通り赤みのハツやレバーには赤ワインを合わせ、白身のササミなどには白ワインを合わせた。

 茜さんが言っていた事は本当で、口の中に広がる焼き鳥の香ばしさやワインのフルーティーな香りがお互いを高め合い、味覚と嗅覚に感動を与えてくれる。


「本当に合いますね。次から焼き鳥には絶対ワインにしよう! てかそもそもお酒の会社に入社した理由って何かあるんですか?」と焼き鳥を頬張りながら聞いた。


「でしょー。そうしな! 入社した理由はちゃんとあるよ。うちの実家が酒屋でね、両親共お酒が大好きで、毎日2人で晩酌してたんだぁ。呑みながら話している2人は本当に楽しそうで幸せそうだったの。それを見ていつか私も2人と飲んでみたい。そう思ったの。

 そんな実家だったから小学生の頃から店の手伝いはよくしてて、自然とお酒の種類や銘柄も覚えていったんだぁ。あんまりそんな小学生いないよね! で、いつか酒屋を継ぎたいなぁって思ってたんだけど、父は私が中学3年の時に癌で亡くなったの。

 それから母が女手一つで、一生懸命育ててくれたんだけど、その母も私が高校3年の時癌で亡くなったんだぁ。

 母が亡くなった後は叔母の家でお世話になりながら大学に通わせてもらったんだけど、両親を亡くしたショックでずっと落ち込んでたの。そんな時母がよく口にしていた口癖で『下ばっかり向いていたって石ころくらいしか落ちてないんよ。前向いていかなきゃいけんよ』っていうのを思い出して、両親が大好きだったお酒に興味が湧いて今の会社を選んだの。ごめん長くなっちゃったね」


 そう笑顔で話す茜さんの横顔は少し切なく見える。これだけ明るい太陽のような人でも、暗い闇の部分を抱えているんだなと感じた。


「なんかすみません。無神経な事聞いちゃって……」


 俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになり少し動揺した。その動揺を隠す為に片手で頭を掻いた。


「全然気にしなくていいから。もう乗り越えてますから!! てか省吾くんに言った、下ばっかり向いて歩いてもってやつ母の受け売りでした」


 俺のことを気遣ってか、茜さんは冗談を織り交ぜながら楽しそうに振舞ってくれた。

 それに応える為、俺も気持ちを切り替えて精一杯楽しんだ。

 そして時間はあっという間に過ぎる。


「もうこんな時間だね。そろそろ行こうか」


「はい」


 2人はお会計を済まし店を出た。


「ご馳走様でした。本当に美味しかったし楽しかったです」と軽く頭を下げてお礼をした。


「こちらこそありがとね。じゃあ駅行こうか」


 このまま帰ってしまったら2度と会えないかもしれないと思うと帰るのが嫌だったが、お酒を飲み過ぎたせいか、上手に連絡先を聞く口実が見当たらない。普段ならいくらでも思いつくのに……

 あっという間に駅に着き、お互いのホームに向かう別れ際まで来てしまった。


「今日は本当にありがとうございました。じゃあおやすみなさい……」


「こちらこそありがとう。あっ、省吾くん! 名刺に連絡先書いてあるから、何かあったら連絡して。何もなくても連絡してきていいから! じゃあおやすみなさい」


 手を振ってこちらを振り返る茜さんを俺は姿が見えなくなるまで見つめていた。

 そして貰った名刺に書いてある電話番号を見て、ニヤついてしまった。

 とにかくまた会えるかもしれないという事が何よりも嬉しかった。




 そして家路についた。

 

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