本間南1
香織と付き合って1週間が過ぎた。その間、一度だけ外食に出掛けた。別れる事を考えて、あまり深くは関わらないよう心掛けた。
いよいよ別れる決意をして、香織と会う約束をした。場所は香織の家になった。
ーーピンポーンーー
「どうぞー。あがって」
これから別れ話をされるなんて微塵も思っていない香織は、いつも通り笑顔で俺を迎え入れる。
「お邪魔します」
俺は招かれるまま、リビングのソファーに腰を下ろした。
「この間のお店さぁ、本当に美味しかったよねぇ。今度はあの店の魚料理も食べてみたいなぁ」
楽しそうに、前のデートの話を始める香織。
「香織さん! あの……今日は大事な話があって来たんだ」と真面目な顔で俺は言った。
「えっ? 何? 別れようとか言うのは無しだよー」
驚いた表情をした後、冗談ぽく言ってきた。
「えっと……ごめん。別れよう」
香織の顔を直視出来なかった。それだけ香織に対して罪悪感があった。
「えっ? 嘘でしょ……てかなんで?」
恐る恐る香織の顔を見ると、余りに突然で信じられないといった様子だった。
「これ以上香織さんに嘘はつけないと思ったから、全部正直に言うね。
実は最初から香織さんを落とすつもりで近づいたんだ……心理学のテクニックを駆使して、女性を落とせるかっていう賭けをバーのマスターとしていたんだ。それで今回のターゲットが香織さんだったってわけ。報酬はお金です……」
「はぁ? 賭け? 意味わかんない! 最初からそれで近づいてきてたの? 本当に最低……」
声の大きさや、身振り手振りで、怒りを爆発させながら続けた。
「じゃあ今までのは全部嘘? 言ってくれた言葉も抱いた事も?」
涙を流しながら、悲しみと怒りが混ざったような複雑な表情をしている。
「綺麗だって思った事や、描きたいって思った気持ちに偽りはないけど、好きって感情はない……香織さんが望むような発言や行動を意識してやってきた。香織さんが好きになったのは偽りの俺です。
騙した事を隠して別れる事もできたんだけど、香織さんにこれ以上嘘をつきたくなくて全部話してます。香織さんと関わる中で俺に似ているなって思ったんだ。そう思ったら傷付けるの分かっていても黙っていられなくて……こんなの聞かされたくなかったと思うけど、ごめんなさい」
本当に心の内を包み隠さず、全て伝えて香織を見つめた。
次の瞬間
パチンと香織が俺の頬を思い切り叩いた。
「好きな気持ちはない? 黙っていられなかった? ふざけないでよ! 自分だけ言いたいからって言ってスッキリしてさ……ゴメンとか簡単に言わないでよ」
香織は悔しそうにその場に膝をついた。涙はまだ流れている。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
しばらく沈黙が続く。その間、香織の涙をすする音だけが聞こえた。
泣き止んだ香織がすっと立ち上がり、パチンともう一度俺の頬を叩いた。
「別れるけど一個だけ条件がある。描いてくれた絵を頂戴! それで今日までの事は無かった事にしてあげる。分かったら出て行って」
そう言った香織は一切の弱さが見えない強い女性に見えた。
それは最初にバーで会った時と同じ姿だった……
ただ、絵を欲しいと言った香織の本心は分からなかった。確かに騙していた男が自分のヌードの絵を持っていたら気持ち悪いのは分かる。だがその絵をもらって破り捨てるのか、飾るのか香織の表情や言葉からはその真意を読み取ることができなかった。
メンタリストといっても相手の気持ち全てが分かるわけではなかった。
「分かりました。絵はすぐに郵送で送らせてもらいます。本当にゴメンなさい」
そう言って香織の部屋を後にした。
今回香織に全てを話した事は正解だったのか? 香織を無駄に傷付けただけなのかもしれない。
短い時間ではあったものの、深く関わる事で香織の心に触れた。そうなると騙していた事を黙っている事はどうしても出来なかったのだ。
確実に俺の中で何かが変わってきていた。それが何なのかはこの時は分からなかった……
香織と別れ、1ヶ月が過ぎ季節は梅雨になっていた。
鳴り続く雨音。近所の公園や住んでいるアパートの前には
香織の一件で自分の中の変化を感じた俺だったが、マスターとの賭けを続けた。
自分の変化が何なのか、心理学がどこまで通用するのかを見極めたかったからだ。
そしてバーに足を運んだ。
ーーカランカランーー
「濡れなかったか? それにしてもずっと降ってるなぁ。これじゃ客が来ないぞ」
そう言って少し濡れていた俺に、マスターがタオルを貸してくれた。
「いやぁ本当嫌になるよ。早く梅雨明けしてほしいわぁ。てか天気に関係なくいつも俺以外ほとんど客来ないじゃん」と少し笑って言った。
「うるさい! 来るときは来るんだよ!
マスターと冗談を交わしているうちに少し気分も回復していった。
くだらない話をしばらく続けた。
ーーカランカランーー
開いたドアに目を向けると、そこには眼鏡をかけた女性が髪や服を濡らし、立っていた。
肩にかかる黒い髪は艶やかで綺麗だが、化粧も薄く、素朴な顔立ちをしている。服装も黒い無地のTシャツにデニム生地のスキニーパンツを履いているがそこにデニム柄のコンバースを合わせてしまっている為、あまりオシャレに着こなしているとは言えない。
多分だが、歳は俺と大体同じくらいに見える。
「すみませーん。ちょっと雨宿りさせてもらってもいいっけな? 傘盗まれちゃったっけさぁ」
強烈な訛りで話す女性。どうやら傘を盗まれて雨宿りをする為このバーに来たらしい。
「どうぞ。これ使ってください」
そう言ってマスターから借りていたタオルを手渡した。
「ありがとぉ。助かります」
「いいえ。僕もさっきここのマスターに借りたんです。失礼ですがどこの出身なんですか? あまり聞き慣れない方言だったもので……」
「そうだったんですかぁ。私は新潟の佐渡っつう所の出身だよ。そんなに聞き慣れね言葉だった?」
女性は濡れた肩や腕、カバンなどを拭きながら答えた。
地域によってここまで訛りがあるんだと改めて感じた。
「佐渡ですか。確か金山とかお酒が有名でしたよね? それにしてもこんな訛りがあるなんて知らなかったです」
「よく知ってるねぇ。そうなんさ、うちの実家も酒屋でな、米もうんめぇし海もひゃんでぇ綺麗なんさ。島の人はみんな家族みたいで佐渡はホントいい所だよ」
一通りタオルで拭き終えると女性は俺の隣に座った。
「酒屋って事はお酒好きかな? せっかく来たんだから何か飲みませんか?」
「お酒好きです! うーんと、日本酒って何かあります?」
「ちょうど新潟の日本酒もありますよ。これなんてどうです?」
そう言ってマスターが出した瓶のラベルには【八海山】と書いてあった。
「あー、八海山だ。それ好きだっけそれください」
訛りのせいか結構タメ口で話している感じに聞こえる。その分話しやすくもある。
女性の前に日本酒が
指は3本。30万だ。偶然この店に雨宿りに来ただけのこの女性を落とす事を考えると亜矢や香織よりも確かに難易度は高そうに思える。
「とりあえず乾杯しましょうか」
いつものオレンジジュースと日本酒の入ったおちょこで乾杯をした。
「僕は松岡拓海って言います。この近くの大学で心理学の講師をしていて、このバーにはよく来るんです。僕も地方出身で実家はみかん農家をしてるんですよ。ちなみにこれもうちの実家が送ってきたみかんを使ったカクテルなんです」とオレンジジュースを見せながら言った。
「あたしは本間 南っていいます。作家になりたくて勉強中です。ちなみにすぐそこの本屋でバイトしてるんだぁ。てか心理学の講師ってなんかすっげぇねぇ。しかもみかん農家ってなんか珍しいなぁ」
南は日本酒を一口飲んで続けた。
「じゃあこのバーにみかんを提供してるって事? てか年齢近そうだねぇ。あたしは26だけど拓海くんは何歳なん?」
島国育ちのせいなのか、初対面だがかなり好意的に話をしてきた。
なんというか心の壁のようなものを感じない。
「えっ? 俺も26だよ。タメじゃん! みかんはね、実家から大量のオレンジジュースが送られて来るから、このバーにタダで提供してるんです! だからこのカクテルだけはタダで飲ませてもらってるんだよね」
年齢が同じだった事もあり、俺達はすぐに打ち解けた。
話しているうちに南が心理学に興味をもってきたので、1つ心理テストをしてあげることにした。
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