第7話 白銀の女王

 私達がフィーネの街に到着した時にはもうフェイトシアが攻め込んでいた。平和だった城下町は逃げ惑う人々でごった返し、なかなか進めなかった。人の波を掻き分け、逆らいながら総本部へと向かう。

 途中で出てくる人狼達をなぎ倒し、足を進める。

 国王がいる宮殿の方では国家警備隊とRRHの部隊が合同で人狼達を相手にしていた。美しかったフィーネの街が血の海と化していた。しかし、RRH総本部ではこの程度では無かった。


 いつも任務で使っているゲートに入ると、中はむごい有様だった。メインホールでは引きずられた血の痕や、そこかしこに倒れている隊員達、既に事切れているのかぴくりとも動かない。充満する鉄の臭いと天井からしたたる赤色が血だまりを作る。


 血でぬめり滑りやすい階段を駆け上がると、ニコライ隊長が赤髪の人狼と戦っている所だった。相手の人狼は左目をニコライ隊長に抉られていながらも、笑いを浮かべながら前足で斬り裂く。ニコライ隊長も苦しそうに微笑んでいる。

「ニコライ隊長! 加勢します!」

 私は赤髪の人狼に足払いをかけるが、軽々と避けられてしまう。後ろにいたグレイが彼の名を呼ぶ。

「やめろ、コウ!!」

「グレイじゃん! 最近フェイトシアに来てねえな、って思ってたんだぜ。一緒にこいつらやっちまおう! あ、女王は生け捕りだけどな」

 コウと呼ばれた彼は一瞬にして完全形態し、私に向かって来た。あまりのスピードに防御の姿勢を保つのに必死だ。レッグホルスターにも手が届かない今は反撃出来る機会も少ない。


 グレイが完全形態し、コウの動きを止めてくれた。

「おい、何すんだよ! おまえ、どっちの味方だよ」

「ブランの側にいるって決めたんだ」

「すっかり騎士因子が再燃焼してらぁ!」

 コウはグレイに噛みつくと階段の方へ投げ飛ばす。燃え盛るような赤い体躯をしたこの狼は、圧倒的な素早さに加えてパワーもある。今まで戦った中でもトップクラスに強い。


 私は拳銃を取りだすと、ハンマーを上げた。

「止まりなさい」

 凛とした声が響く。

「残念だけどオレは別の女王の騎士だから、アンタの命令は効かないぜ」

 コウは鼻で笑うと口を大きく開け、遠吠えした。臨戦態勢だ。足の間から生える鋭い爪で私を斬り裂こうとする。引き金を弾くもコウの素早さに弾丸が追いつかない。容易く近付くと私の両手を払い、拳銃を振り落した。爪が私の皮膚を裂く。波打つ血管の動きに合わせて血が出る。


「これで終わりだ!」

 コウが前足を振りかぶり、爪が私の身体を貫通する――そう思った時だった。

「…………ニコライ、隊長?」

「ぐっ……」

 目の前に現れたニコライ隊長の体がコウの爪に貫かれていた。引き抜こうとするコウの爪をニコライ隊長は、必死に掴んでいた。コウは引き抜こうと、隊長の肩に噛みつく。私は必死にコウを隊長から離そうとする。

 ニコライ隊長はナイフを取りだすと、コウの眉間に突き刺した。


「あ……」

 コウは悲鳴も上げずに静かに絶命した。隊長はずるりと爪を引き抜く。多量の血が隊長の体から溢れて床を染め上げていく。荒い息遣いの隊長を横たえ、私は必死に腹部の治療に当たる。


「良い、んだ……ブランシェット……君はヴァンを、追い……なさい」

「でも、でも隊長!」

 私は涙で滲む視界の中必死に手を動かすも、隊長に止められてしまった。何で、と言葉にならずひたすら嗚咽する。

「ヴァンは、屋上に……いる。気をつけろ、女王を狙うのは……彼だけじゃない、この……国家もだ。君は人狼からも、人からも、狙われる」

 みるみるうちに青白くなっていくニコライ隊長の手を握る。どんどんと冷たくなっていく。私の体温で温めても命が逃げていく。


「第4部隊長から、最期の命令だ、ヴァンダリカを……止めろ」

「…………了解」

 私は震える声で応答した。すると、ニコライ隊長は微笑み目を閉じる。

 私は立ち上がり、自分の胸元についていたRRH機関バッジをもぎ取ると、ニコライ隊長の手に握らせ、敬礼した。


 戻ってきていたグレイは私の泣き顔を見て、悲しそうにするが何も言わないでくれた。

 私達はニコライ隊長の言葉通り、屋上へと向かう。


 屋上に出ると外の人々の悲鳴が聞こえる。まるで音楽でも聞いているかのように、ヴァンダリカは満足そうに下を見ていた。

 銀色に変わった私の髪を見ると満足そうに口角を歪める。

「やっぱり女王に覚醒したな。小娘といえど、ターリア様の血をひいているわけだ」

「お母さんを知っているの?」

「知っているさ。だって俺様は……俺は、ターリア様の騎士だったんだから」

 お母さんの騎士? それはつまり、お母さんは私と同じ女王だったということ――?


「女王が居なくなった騎士は辛いんだぜ。気が狂いそうになる飢餓感に心と体が支配される。女王を求めるも、ターリア様はいない。ヴァンダリカでいる時もフェイトシアでいる時も飢える……」


 ヴァンダリカはそっと目を閉じた。再び目を開けた彼は身に纏う雰囲気を大きく変える。

「女王陛下、俺達フェイトシアと共にウェアウルフだけの国をつくろうよ。虐げられた者が救済を求める場所がこの世には必要なんだよ」

 そのためには女王陛下の力がいるんだ、とヴァンダリカの格好をした“誰か”が告げた。

「フェイトシア……、ブランにはそんなことさせない」

 グレイが一歩前に出る。ヴァンダリカは鋭く彼を睨む。

「グレイ、あんたは裏切るの? 人間に全てを奪われた事、忘れたの?」

 子どもっぽい口調でヴァンダリカらしき人物は咎める。


「忘れるわけねぇだろ、人間に母親殺されたんだ。忘れたくても忘れられるわけねぇ。でもこの負の連鎖はどこかで絶ち切らなきゃ新しい世界は始まらない。俺はブランを信じる。ブランと一緒に人狼と人間の新しいあり方を作っていくんだ」

 おかしい、と言いたげに笑いを噛み殺す声が響く。

「はっ……そんなの間違っているよ。人間とウェアウルフは分かり合えない運命なんだ」

「そんなことない」

 私が声を上げると、ヴァンダリカ……いやフェイトシアは眉をひそめ心底絶望したというように私を見下す。

「ターリア様だけじゃなく、女王陛下まで俺を裏切るんだね」

 フェイトシアはそう言うと、部分形態に入った。手と足には艶やかに光沢を帯びた黒い毛皮が、耳と尻尾が生えていた。


 フェイトシアが地面を蹴る。グレイと私はお互いにアイコンタクトを交わしながら彼を左右から挟むような位置を取る。

「ターリア様は騎士を捨てて人間を選んだ。初めはヴァンダリカが聞き分けの悪い子だったからだと思った。だから“良い子”のフェイトシアを作ったのに。どうして? 俺の中に2人も騎士がいるから悪いの? ヴァンダリカもフェイトシアもターリア様は嫌だった?」

 苦悶しながら自問自答する彼は執拗に私を狙う。きっと私をお母さんに重ねているのだろう。ターリア様、と繰り返しながら涙を流す。

「俺、もう限界だよ、ターリア様。貴方がいない世界で俺はどうやって生きればいいの……?」

 彼の爪が私の頬をかすめる。後ろからグレイが羽交い絞めにするも、フェイトシアはお構いなしだ。

「グレイは良いなぁ。待っていた女王が現れて。俺にはいないのに、ずっと良い子にして待っているのに、ターリア様は俺の元に来てくれない!」


 羽交い絞めにするグレイの腕に噛みつき、そのまま肉を喰いちぎる。グレイの腕から鮮血がしたたる。思わず後ずさったグレイをフェイトシアは容赦しなかった。目にも止まらぬ速さでグレイを蹴りあげる。

「グレイ……!!」

 骨が軋む音が響く。


「俺はこの身が朽ち果てるまで貴女に忠誠を誓うよ、ターリア様」

「私は……お母さんじゃない」

「女王陛下が……小娘が……いるから、俺の、俺様の……女王がいない!」

 フェイトシアは頭を押さえながらもう一人の人格と交互に叫ぶ。

「人間はいつだって俺の大事なものを奪っていく――!!」

 犬歯がぎらりと光る。私は拳銃を手にした。撃鉄を起こしトリガーを引く。フェイトシアは銃弾を受けながらも私に向かってくる。前足で拳銃を振り下ろそうとするが、私は足払いをかけた。しかし、地面を軽く蹴りそれを避けると態勢を整えようとする私を蹴り飛ばす。

 まるで馬にでも蹴られたかのような衝撃が体を走る。フェイトシアは休む間もなく、次々と攻撃を繰り出してくる。しかし、私に注視しすぎたせいで後方がおろそかだった。


 完全形態したグレイがフェイトシアの背後に回り、噛みついた。

 フェイトシアは振り払おうとするも、完全形態したグレイは体躯も大きい。怒りの咆哮をあげると、フェイトシアも完全形態した。濡れた烏の羽のような艶やかな黒い毛皮に覆われた巨大な狼。


 白銀の毛皮を身に纏うグレイと正反対だった。まるで光と闇そのものを表しているかのようだった。


「グレイ……俺の計画をここまで来て邪魔するの? RRHにスパイを潜らせ、内部情報を集めていた時から迷いはあったくせに」

「…………」

 フェイトシアの言葉にグレイは悲しそうで痛々しげな表情でじっと黒狼を見つめる。



 グレイの大きな前足がフェイトシアの顔に直撃する。爪が食い込み、瞼に赤い軌跡を描いていく。フェイトシアはグレイの前足を噛む。牙が貫通した。後ろ足でグレイの顔を蹴り飛ばすとフェイトシアはグレイの喉元を狙って駆けた。

 彼の牙が地面に倒れたグレイの喉元を狙っていく。私は彼のこめかみの部分に数発、弾を入れた。響く銃声と果実が弾けたように飛び散る赤い血。

 フェイトシアの牙はグレイに届く前に落ちた。


 ゆっくりと息をするフェイトシア。

「これで……ターリア様、貴女に会える……」

 静かに呟くフェイトシアの顔はどこか幸せそうだった。


「……全部、終わったんだね」

 私はグレイの元に駆けよると沈みゆく夕陽を2人で見つめた。

「そうだな」

 グレイは静かにフェイトシアの亡骸を見つめる。グレイ達の関係は未だに分からないけど、きっと私の知らない絆が2人にはあるんだと思った。

「私が死んだらグレイもフェイトシアみたいになるの?」

 フェイトシア。女王の愛を求めて1人の中に2人もの人格を作った彼は、彼らはこの世界をどう見ていたんだろう。

「分からない。騎士は女王を失うと精神状態が安定しないからな。でも、俺はあいつとは違う。ブランの騎士である以上に、俺はブランが女王でなくなって愛しているから。ブランの望むままに俺は何にでもなる」

「……私達は私達の未来を選んでいけるものね。私達だけの結末をむかえられる」


 私は天を仰いだ。空は高く冷たい風が頬を撫でる。これからフィーネの街にまた夜が訪れるだろう。だけど、いつもと違うのはこの夜が人と人狼が共存していく世界を創る一歩目の夜だということ。

 これから私達が当たる壁は険しく高いものだろう。私はグレイの手を取った。

 彼となら何だって出来る。


「これからどうしよっか」

「そういうのは最初に考えとけ」

 グレイは私を引き寄せると、額に口づけを落とした。

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ベナンダンテ:白銀の女王 The.Snow.Queen. @sissy

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