第38話 脱皮

 あたしは保健室に向い、先生がいないことを祈りつつドアを開けた。

「あら、おはよう、セウ」

 保健室のドアを開けて入ると、ちょうど伊笛先生は机で珈琲を飲んでいるところだった。

「おはようございます伊笛先生」

「どうしたの? もう一時限目は始まっているわよ。ってそのケガどうしたの」

 伊笛先生はあたしのケガに気付いて慌てて近寄ってくる。

「転んだ拍子に刺さってしまって」

 あたしの苦しいいい訳を聞いているのかいないのか伊笛先生は真剣な表情であたしの服を捲り傷口の様子を見ている。

「内蔵や血管には達してないわね。これなら縫わなくても何とかなるわ。でも大事を取って今日はもう帰った方がいいわ」

 伊笛先生はあたしの腹を包帯できつめに巻き上げた。

「お気遣いありがとうございます。でもそういう訳にはいかないんです」

「どんな理由? 言っておきますけどいい加減な理由じゃ帰宅させますよ」

「違います。実は・・・」

 あたしは、体育館での出来事を魔術を抜きにして話した。おかげであたしは不良数人を素手で倒せる漫画に出てくるよな格闘少女になっていた。全くこんな細腕じゃ一人を相手にするだけでも大変なのに。

「それでどうするつもりなの?」

「あたしの学園でそんなことが行われていたなんて許せません。物的証拠もありますし警察もすぐに動くはずです」

 今度は悪を憎む正義の少女を演じている。機会があったら演劇部にでも入って演技を勉強した方が良さそうね。

「そうね。でもいいの?」

「何がです」

「今警察を呼んだら、不良達はともかく、その池って子の人生が終わってしまうけど、あなたにその覚悟はあるの」

「人は自分がしたことの結果は受け入れるべきだと思っています」

 あたしは迷うことなく即答した。

「ふふっあなたって思っていた以上に怖いのね」

「そうですか」

「ええ、そんな台詞をさらっとその年で言えてしまう時点で末恐ろしいわ。あなたは自分にも人にも厳しい人なのね」

 どうなのだろう? 

 昔のあたしなら池に同情し見逃そうとしたかもしれない。ましてや利用しようなんて思わなかっただろう。

「そうですね」

「まあ、いいわ。警察への連絡は私に任せて、一介の生徒より私からの方が警察も信用してくれると思うわ」

「いいのですか? 学園側に睨まれることになりますよ」

「あらその年で政治まで考えるのね」

「ええまあ」

 そもそも、その政治とやらであたし達はこの学園に呼ばれたのだ。あたし達を呼んだ副理事長とて、この件を理事長を追い詰める材料にこそすれ公表はしたいとは思わないはずだ。

「子供はそんなこと気にしなくていいのよ」

「では甘えさせて貰います」

 子供扱いに少しむっとしたが、素直に甘えることにした。あたしはもう子供じゃないんだ、利用出来るなら利用するべきなのだ。

「だからあなたは病院に行きなさい」

「それは出来ません」

「なぜ、後は警察の仕事よ」

 伊笛先生の目が鋭くあたしを睨む、半端な言い分けじゃ許してくれそうに無い。

「そっそれはそうですが」

「麻薬を扱う事件なんて一介の生徒には手に余ることだわ。この先あなたがいたところで何も出来ないでしょ」

 そうそれが正論だ。でも今はそれが出来ない。

 あたしの本当の目的は不良を捕まえることじゃなく、マリを守ることなんだ。

 不良達が捕まれば、不良達に麻薬を供給していた怪士にも警察は辿り着く。いくら彼が闇の魔神でも表の力には勝てない。勝てないからこそ彼は闇に潜んでいるんだ。だから後少しの間だけ、特に今日を乗り切れれば、流れは大きく傾く。

「あたしは関わった者としてこの事件を最期まで見届ける義務があると思います」

 ここは少女の正義感を前面に出すしかない。

「頑固ね」

「はい」

「ふう~負けたわ。私が何を言っても聞きそうにないわね」

 言い訳は嘘でも決意は本物、あたしの気迫伊笛先生は負けたように言う。

「すいません」

「そこで謝るくらいなら、言うこと聞きなさい。全くもう」

「認めてくれてありがとう」

「そう言われたら何も言えないわね。でも本当に自分を大事にしないと駄目よ。あなたのお父様を騙した相手についてもだいぶ目星が立ってきたんだから」

「ほっ本当ですか!」

「落ち着きなさい。そしてこれを見てみて」

 伊笛先生はあたしの前に三枚の写真を並べた。

「こっこれは」

「あれから調査を進めて、容疑者をこの3人に絞れたわ」

「この3人」

 あたしは写真に穴が開くほど凝視する。

 一人は、如何にもまじめで実直そう銀行員というのが表現が似合う青年。

 一人は、好々爺風の人で恰幅も良く人生の成功者という感じがする老人。

 この二人からなら儲け話を持ちかけれても取り敢えず話を聞いてしまいそうである。そして最後の一人、その如何にもな胡散臭い笑顔を浮かべた青年、あたしのよく知る男麝侯である。

「どう、ここまで絞ったけど何か思い出さない?」

「すいません。前にも言ったとおり父の仕事のことはよく知らないので」

 背中に浮かんだ汗でシャツが張り付いてきて気持ち悪い、でもあたしは平静に言う、いや言ったつもりだ。

 声は震えてなかっただろうか?

「なら、この中に貴方が破滅した後で会った人がいないかしら」

「破滅した後に?」

「それはね。悪魔は必ず自分が破滅させた人間の末路をせせら笑いに来るからよ。

 金でも権力でもない、それが見たくて悪魔は人を破滅させるのよ」

 あたしの破滅をせせら笑うため?

 読めなかった漢字が読めたかの様に何かがしっくり来た。

「今浮かんだわね」

「そっそれは」

「それが貴方の家族を破滅させた張本人よ」

 言葉の画鋲を刺され、あたしは頭に浮かんだ疑問符を剥がせなくなってしまった。

「誰も浮かんでません。それよりもう少し情報はないのですか?」

 棘がむずむずして仕方ない感情を押し殺して問う。ここで迂闊に飛びつくような小娘のままではいられないことをあたしは学んだのだ。

「慎重ね。でも悪魔相手ならそれくらいで丁度いいわ。そうね。これは眉唾の話なので言おうかどうか迷っていたけど」

「何です。教えて下さい」

「あなたのお父様の元部下だった人に聞いた話なんだけど、貴方のお父様は着実で人の意見を良く聞く人だったらしいの。それが周りの反対意見を押し切ってまでなんであんな危険な投資に乗ったんだろう、まるで魔法にでも掛かったみたいだったそうだ」

 魔法!!! まただなんでこう突き刺さる言葉が出てくる。

「まあこの科学全盛に時代に魔法も何もないけど、貴方のお父様を騙した者は魔法並みの何かを持っているって事ね」

 魔法、魔術。それはこの時代にもある。あたしはそれをこの目で見た。そしてこんな時代だからこそ、魔術を使ったところで誰も疑わない。

「取り敢えず、この3人については継続して調査中よ。何か新しいことが分かり次第随時貴方に連絡するわ」

「ありがとうございます」

 本当にここまでして貰って伊笛先生には感謝しか無い。

「いいここまで来たのよ。だから無理をして水泡に帰すようなことはしないでね」

「はい」

 復讐は絶対に果たす。でも友達だって絶対に守る。

「私もあなたの仇討ちが成功することを祈っているんだから」

「今なんて言ったんですか!?」

「えっ」

「あたしが誰の仇を討つというんですか」

 これはあたしの復讐。

 決して誰かの為じゃない。

 伊笛先生は一瞬で自分が失言をしたことに気付き、珍しくその顔に狼狽が浮かんだ。

「そっそれは」

 分かっている。そんなこと聞くまでもなく決まっている。決まっているがその答えを拒否するあたしの心が聞かずにはいられなくする。

 もう誤魔化せないと覚悟を決めたのか伊笛先生の表情から戸惑いは消え、刑を執行する裁判官の如き顔つきになる。

「あなたの両親よ」

 背骨が固まった。

 動けない。

 メデューサに石にされたかのように動けない、目を瞑れない、口を開けない、耳を塞げない。

 この答えは知っていたはずなのに。

「あなたはあなた自身から経験から、家族のその後については朧気に推測出来ているのか、いえ推測することすら避けていたのね。避けるために自分ためだけの復讐を誓っていたのね。だったらそのあなたの弱さを私が砕いてあげる」

 待っての一言が出せない。そんなの聞きたくない。

「あなたのお父様は家族には手を出さないとの約束を信じて生命保険にサインして消えた」

 そうか最後まで家族を見捨てなかったんだ。見捨てて逃げていれば生きていられたかも知れないのに。優しい父さんらしい。

「貴方の母は、貴方と同じ目にあって、貴方ほど強くなかった」

 そうかあたしのように修羅の道に落ちることなく誇りを守ったんだ。誇りを捨ててしまえば生きていられたかも知れないのに。

 分かっていた分かっていたけど、まだ心のどこかでは微かな奇跡を信じていた。あたしはこんなになってしまったけど、生きていて欲しかった。

 再会したかった。

「ああ、父さん、母さん」

 涙が溢れ出る。復讐を誓って覚悟を決めたはずなのに、涙が止まらない。膝から力が抜けて腰に力が入らない。

 さっきまで友達を守るとか格好いいこと思っていたあたしは無様に轢かれた蛙のように床にへばり込みそうになる。

 でも、倒れない。そう全てを無くしたようにみえても、あたしには絶対に無くならない芯がある。

 「怒り」がある。

 悪に相応しい罰を。

 そう敵は討つ。でもそれだけであたしの怒りは終わらない。この世に蔓延る全ての理不尽を是正する日まであたしの怒りは収まらない。

「辛かったら今は泣いてもいいのよ」

「あたしは大丈夫です。それより警察への連絡をお願いします」

「いいわ。それでこそ私が見込んだ通り」

「今なんて言いました」

 あたしは伊笛先生の声がよく聞こえなかったので聞き返した。

「独り言よ、気にしなくていいわ。それより警察には連絡するけど、あなたはどうするの?」

「学生ですから、授業に出ます」

 打てる手は打った。後出来ることはマリを直接守ることだけだ。

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悪意の海を泳ぐ 御簾神 ガクル @kotonagare

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