第218話 足らぬ足らぬは、加速が足らぬ

「出力30%から、順次、最大戦速へ移行」


「はい、出力を上げます!」


 デュークは己の心臓にコマンドを打ち込むと、縮退炉が生み出す莫大なエネルギーが、体内のパイプラインを通してQプラズマ推進機関に送られます。すると空間に干渉するほどのエネルギーを持った超高圧の量子化プラズマが、それまでに倍するほど発生するのです。


「出力上昇――――60パーセントッ!」


 デュークは推進器官に回すパワーと推進剤を増加させ、なおも増速するのです。


「ペトラ、私達もやるわよ!」


「アイアイ、推進器官増速ぅ~~!」


 ナワリンとペトラも長大なプラズマをお尻から吹き出しながらアーナンケをグングンと押し上げています。同じようにして、100隻以上の大型艦が推進剤を推進力に変えました。


「加速度3.0――――3.1――」


 デュークの一部となっている司令部ユニットでは、カークライト提督とラスカー大佐が対G座席に座り、飛翔推進体アーナンケの加速状況を見守っています。既に加速は標準的な惑星重力の200%増しとなり、更に上昇してゆきます。


「3.9――4.0――――」


 この頃になると、Qプラズマ推進機関が叩き出す重力加速度は艦艇内部の乗員に目に見えて影響し始め、カークライト提督やラスカー大佐ら乗員が座る座席のハーネスがギチッっとした音を立てました。


 ラスカー大佐は「そろそろ加重がきつくなってきましたな」とつぶやきます。彼の顔から生えているヒゲは、進行方向とは逆の方向にペタリと張り付いていました。


「慣性制御を入れます」


 実のところ、共生宇宙軍の船乗り達は強化手術やナノマシンの服用により10Gを超える加速に耐えるだけのカラダを持ってます。


 でも、わざわざそのようなきつい加重に耐える必要はありません。ラスカー大佐は「楽をしましょう」と、空調を入れるような口調で、艦艇とアーナンケにある慣性制御装置のスイッチを入れたのです。


 すると、各所に配置された重力素子――構造体の内部における重力を遮断し偏向するフィールドを発生するものが作動し、重さがスウッと相殺されました。


「アーナンケ内の慣性制御も順調です」


 共生宇宙軍艦艇は30G程度の加速に対応するだけの慣性制御装置を装備しています。今回はその装置の一部をおろしてアーナンケの各所に配備し、構造強化の支援にも使っていました。


「各艦出力80%――加速度6.0に到達――艦内重力0.5で安定。アーナンケの構造強度にもまだまだ十分余裕があります」


 大気圏内戦闘機が急旋回をするような加速は、飛翔推進体アーナンケに毎秒80メートル速度を与え続けています。

 

「初期加速から4000秒が経過、秒速110キロに到達しました。現在、各艦出力95%――7.5G加速を継続中」


 それは惑星の重力を振り切るのに必要な速度の7倍近いものでした。小惑星アーナンケは不要な質量を削りに削っていますが、いまだ10兆トン近い重さがあるのですから、これはかなりのハイペースといえるかもしれません。


 ですが、速度を聞いたカークライト提督は――


「不足だな」


 と声を漏らしたのです。


「ええ、出力100%で8G加速となっても、光速度の1パーセントに達するまで、10時間もかかりますから」


 現在の速度は光の速度の0.03パーセントにすぎません。最大加速を行っても、10時間後にやっと光速の1パーセントになるのです。これは惑星間をゆっくりと航行するのであれば十分なものですが、高速で移動する戦闘艦艇が光の速度の1パーセントを軽く超えることを考えれば、全く不足だったのです。


「機械帝国の艦艇の加速性能から考えて、20時間後には追撃をまともに受けることになりますな」


 アーナンケを加速させる為にプラズマを野放図に放っている現状は、敵の目に共生宇宙軍が避退を開始したことを明確な事実として告げているでしょう。


「とはいえ、これ以上の艦艇を推進力には使えません。縮退炉の密度が高くなりすぎて効率が落ちます」


 縮退炉は厳重にシールドされた構造体ですが、わずかに重力波を漏らしています。それらが一所に集まり干渉しあうと、エネルギー効率に悪影響がでるのです。工事によりサイズの小さくなったアーナンケは底面が直径20キロほどになっています。そこの底部に配置できるのは、大型艦100隻が限界だったのです。


 このため、アーナンケを押しているフネを増やして加速度を向上させる方法は、計画段階で排除されています。そのため、現状のフネだけでやるしか無いのです。


 カークライト提督は軍帽を目深に被りなおし「さて」とつぶやき、座席の手すりをなでました。その仕草には、乗艦であるデュークの調子を調べるような、そんな思いが込められていました。


「これも予定通りか……よし、大佐然るべくたのむ」

 

「承知、各艦艇に準備開始を命じます。10分ほどで完了するでしょう」


 提督の言葉を受けたラスカー大佐は、手早くコンソールを叩き各艦艇に次の行動のための準備を取るように伝達し、旗艦であるデュークには直接通信で話しかけるのです。


「デューク! 調子はどうだ?」


「はーい、とっても気分がいいです!」


 縮退炉全開で飛んでいるデュークが、陽気な声で答えました。縮退炉の起動時や、瞬間的な加速の際には「うおりゃ――!」などと声を荒げる必要もありますが、現在の彼は初期加速からゆっくりと熱を上げているため、大加速に対応仕切っているのです。こうなると「カラダの調子が良いなぁ」という感じになるのが、龍骨の民というものでした。


「嬢ちゃんらも聞いているな?」


「あ、アライグマの大佐だ……くたばれ~~!」


「いくら命令だからといって、吐き戻す――――おほん、なんでもないわ」


 大佐に呼びかけられたナワリン達は、「クマなんだか、タヌキなんだか、よくわからない生き物め~~! 呪ってやる~~!」とか、「戦いが終わったら、覚悟しなさいよ」と、彼が乗るデュークの方を、ギロリとした目で睨むのです。


「おぃ、主砲をこちらに向けるな!」


 彼女達はドラゴン・ブレス汚い花火を強要されたことについて、まだ根に持っていたのです。衆人環視の中、花火を打ち上げたことについて、デュークには知られたくはないのです。それもそのはず、生きている宇宙船にとっては末代までの恥でした。


 事情を知らされていないデュークが不思議そうな表情を見せながら「なにかあったの?」と尋ねます。


「うぐっ……」


「なにもなかった~~! なにもなかったの~~!」


 ナワリン達は、嫌な思い出を振り払うかのように艦首をフリフリさせました。


「というか、大佐、約束は忘れないでね……」


「約束~~!」


「あ、ああ……戦が終わったら美味いもん食わせてやるって言っただろ、だからそろそろ機嫌を直してくれ」


 ラスカー大佐が宥めるようにそう言うと、ナワリン達は「混じりけなしの金を所望する~~!」「ダイヤ、人工のじゃなくて、天然のダイヤ。それも幻のブルーダイヤがいいわ」と言い放つのです。大佐は「えらい約束をしてしまった。破産どころか末代まで借金が残るぞ……」と青ざめるのです。


「さて――――状況は分かっているか?」


「加速が足らないんですよね。やっぱりこの星重いですねぇ……」


「であれば、次にやるべきことも分かっているな?」


「はい、元々僕が言い出したことですから」


 デュークの言葉を確認したラスカー大佐はナワリン達に尋ねます。


「嬢ちゃんらも覚悟は良いか?」


「良いも悪いも、必要ならそうするのがフネだもの」


「仕方がないけど、これって戦争だし~~」


 ナワリン達が同意したことを確認した大佐はカークライト提督に向き直りました。そのころには各艦艇からの返信も全て届いています。


「全艦準備完了、即時発揮が可能です」


「うむ、これより現地司令官の権限において、連合宇宙法戦時緊急条項13条の発動を宣言。あわせて共生宇宙軍艦艇運用法の適用除外を発動。対象は龍骨の民三隻を含むアーナンケ推進部隊各艦艇――――」


 カークライト提督はいくつかの法律の執行を口にしてから、「記録したか?」と尋ねます。


「艦載AIのメモリに記録しました。量子暗号化して星系外へも送信済みです」


「よろしい、それでは始めよう。各艦に計画第二段への移行を通達。縮退炉のリミッターを解除せよ」


 カークライト提督がそう言い放つと、アーナンケに取り付いた艦艇は縮退炉のリミッターをガコン、ガコンと解除するのです。たがの外れた縮退炉は、今まで以上の熱量を放ち始め、出力は100%を越えたものとなるのです。


「全艦、縮退炉リミッター解除完了。オーバーブースト開始!」


 オーバーブーストは、縮退炉のエネルギーに落とし込む物質を過剰なものとしてエネルギーを引き出し、推進剤を湯水の如く使用して通常よりも高い加速を得る航法です。


 各艦は、縮退炉から吹き上がるようなエネルギーを推進機関に投入し、それまで以上の速度を持つプラズマを吐き出し始めたのです。


「20G加速を開始しました。終了時刻は5時間後です」


 アーナンケは大加速を開始し、5時間後には必要な速度を得ることができるでしょう。


 しかし、オーバーブーストは縮退炉や推進器官に確実に損傷を与えるものであり、それを5時間という長時間に渡って行えば、おそらく複数の艦が使い物になるようなものでした。


「デューク達はともかく、何隻残るかな……」


 カークライト提督は、性能的に余裕があるデューク達はなんとか持つだろうと計算していますが、他の大型艦は最終的に廃棄処分とする覚悟を固めていたのです。

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