第55話 少女を感じる少年
「う、エーテルがカラダに作用してきます!」
「斜めに切り上げて、抵抗を受け流すんだ。エーテルの質量は、絶えず変化しているから気をつけろ!」
デュークがエーテルの流れに踏み込んでいました。彼が前進するのに合わせてエーテルの抵抗は増し、カラダが重くなってゆくのです。
「複雑な波動を感じるわ、厄介だわぁ!」
「波形に合わせて重力スラスタを微調整しろ。ただし、決してフルに吹かしてはいかんぞ!」
エーテルの波形も微妙な変化を見せて始めていました。ナワリンは少しずつカラダを調整して、ゆっくりと進みます。
「あ、結構簡単に渡れるかも~~! これっておもしろ~~い!」
戦艦達より軽快性に優れる巡洋艦ペーテルは、エーテルの流れの感触を楽しむ余裕を見せながら進んでいました。ただ、調子に乗って姿勢制御が無茶なものになっています。
「あっ、そんな変な機動をしてはいかん!」
「これくらいなら大丈夫だよ~~!」
フユツキの注意を無視して、ペーテルは嬉々としながらスルスルと前進するのですが――――
「うわぁ、急に流れが早くなったよぉ~~?! うわわわ~~!」
エーテルの速度が急激に高まるところに入ると、姿勢制御が限界を迎え、少しずつ流され始めるのです。
「言わんこっちゃない……おい、手を貸してやれ」
「仕方ないわね。さぁ、これに掴まりなさい!」
ナワリンは「やれやれ」というほどにクレーンを伸ばして、ペーテルを支えようとするのですが――――
「あれれ? 私の方が重いはずなのに、逆に引っ張られるわ⁈」
エーテル流にはまり込んだ巡洋艦の質量は、戦艦のカラダをも引っ張り始めるものになっていました。
「僕の手を取って!」
デュークが咄嗟にナワリンに向けてクレーンを伸ばし、その腕を絡めました。すると、重巡洋艦と戦艦の重みが彼の手にかかります。
「なっ……なんて重さだ!」
「推力が足らないんだわ、スっ、スラスタを全開にするわっ!」
ナワリンが本能的に重力スラスタの推力を高めました。
「いかんっ! 無理な推力上昇はいかん! それに、その距離では艦同士のスラスタが干渉するぞ!」
「え? えええ? きぁ、きゃぁ――――――!」
重力スラスタの推力を無理やり上げたナワリンは、デュークのそれと干渉させてしまい、完全にバランスを崩してしまいます。
「制御が効かないわ――――!?」
「うわぁ、ぶつかる――! ぐはっ!」
制御を失ったナワリンはデュークの横腹にぶつかり、彼ごと転覆しました。するとデューク達はエーテルの流れに完全に飲まれてしまいます。
「ごぼごぼごぼ――――! カラダの制御が効かない――――! どうすればいいんだ――――⁈」
「舳先を流れに向けろ! それで安定するはずだ――!」
フユツキのアドバイスが聞こえたデュークは、舳先を流れの先に向けました。すると、なんとかカラダの姿勢は落ち着くのですが、凄まじい勢いで下流のほうに進み始めるのです。
「そのままエーテルに身を任せて飛び続けるんだ――――! 先に一時的な滞留域――――――”エーテル溜まり”があるから――――――――――――そこで待っていろ―――――!」
流れに乗ったデューク達の速度は凄まじいもので、フユツキの姿があっという間に見えなくなってゆきます。
「待っているぞ――」
ブワリとした飛沫があがって、フユツキの声を掻き消しました。
「仕方がない、あとは流れに身を任せるだけか。おや? 手の先に違和感が……ナ、ナワリンがクルクル回ってるぅ――⁈」
手の接合部を軸として、ナワリンがカラダをクルクル回転させています。
「お願い、これを止めて! 目が回るわっ!」
「舳先を……と言っても無理か――仕方がない、ねじ伏せる!」
デュークが残りのクレーンを差し出して、ナワリンのカラダを押さえつけました。
「ぐっ……くくっ!」
ナワリンの重量は、1キロ超えのデュークにしても結構な重さがありました。手の先の力だけでは全く制動が利きません。
「仕方ない、カラダを押し付けて抑え込むよ! 良いねっ?!」
「か、構わないから、早くして! 龍骨がグルグル回って、変になりそうなの!」
コマのようにカラダが回転するので、ナワリンの龍骨がショートしそうになっていました。
「よいしょぉ――――!」
デュークはナワリンのカラダに、自分のカラダに押し付けるように抱え込みます。そうすると、彼の質量によって彼女の回転速度が落ちてきて――――何とか制動に成功するのです。
「な、なんとかなったか…………あれ? ナワリンが伸びてる」
デュークは、腕の中のナワリンがグテっとしているのに気付きます。激しく回転したので、彼女は気絶していたのです。
「だ、大丈夫かい?」
「う……」
デュークが、ナワリンのカラダをポンポンと叩くと、彼女はゆっくりと目を醒ましました。そしてデュークがカラダを抑えていることに気づき、なんとなく気恥ずかしそうな表情をみせるのです。
「ご、ごめんよ……でも、仕方がないんだ。こうしないと制動出来なかったから」
龍骨の民において肌を合わせるということは、相当に仲の良いフネ同士でしかしないことなのです。デュークは言い訳めいた言葉を漏らしました。
「もう、離すね……」
「…………」
デュークがそう言った時のことです。ナワリンは無言で、腕の力を強めます。
「ど、どうしたの?」
「…………」
ナワリンから返答はありません。薄赤の少女戦艦はなおも無言でデュークに抱きつきながら、彼を見つめてくるのです。
「えっと…………?」
「…………」
デュークが問いかけますが、ナワリンは彼をただじっと見つめるだけなのです。デュークも何となく押し黙り、ナワリンの眼に視線を合わせます。
アームドフラウに多い切れ長の形をした眼がしっとりと潤み、目に備わる長い睫毛が緩やかに震え、なにかを訴えかけるようなそんな印象をデュークに与えます。彼は潤滑油に濡れたそんな眼を見て「綺麗だ……」などと思いました。
彼は薄赤の戦艦の体温を受け取りながら、これまで感じたことのない、奇妙でどこか甘酸っぱい気持ちが龍骨に走るのを感じています。縮退炉はヒュンと鼓動を高め、カラダを流れる液体水素の速度が上がるのです。
デュークは龍骨に載る感情に「ぼ、僕はどうしたんだろう?」と、戸惑います。
龍骨の民はもとはフネ同士で
そう、生きている宇宙船とは恋に落ちる生き物なのです。デュークが今感じているそれは、過去のフネたちから受け継ぐそれでした。
「えっと……」
彼は、龍骨にこみ上げるその思いに従って――――
「……うぷっ」
「え?」
何事かをしようとした時でした。突然ナワリンが”えずいた”のです。
「りゅ、龍骨の気分悪いのよ……うぷっ」
「ま、まさか超空間酔いっ⁈ うわわ、ここで吐かないで――! しがみつかないで――!」
龍骨の民は恋にも落ちますが、船酔いにも陥る生き物です。ナワリンはこみ上げる思いではなく、胃液を抑えて押し黙っていたのです。
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