第56話 ワレニツヅケ その1
エーテルに翻弄されたナワリンの龍骨は「ぐるぐるぐる~~?!」とコントロールを失い、身体サポート器官である副脳群が「あうぅ、やばいですぅ」と警報を上げています。
「うぷっ……」
彼女の光ファイバー神経系には「嘔吐信号、嘔吐信号!」などというシグナルが流れ、生体溶解炉である第三胃袋が「これは無理! も、もう持たない! 緊急排出装置起動!」と決壊する前に緊急放出を決定しました。
「うぷぷっ……」
これを受けた第二胃袋は「ぎゃ、逆流して来るわっ!? 隔壁緊急閉鎖――――あ、圧力が急上昇――――! だ、だめ、限界を越えるわっ!? ごめん――――ベント開くわね!」と叫びます。
「うぷぷぷっ……」
第一胃袋は「ここで押し止めるっ!」などと勇ましい声を上げるのですが、「さっ、酸性値がどんどん上昇してる……こ、これは持たない」と冷や汗をかきながら、「ええぃ、一部をバイパスに回すわ、後はよろしく!」と後事を託します。
「うぷぷぷぷっ……」
最後の砦であるナワリンの喉――――強化された金属と炭素繊維の生体器官は、ナワリンの龍骨が直接コントロールする最後の砦でした。彼女はこみ上げてくるなにかを感じ、全力でそれを阻止しようとするのです。
龍骨の民は船酔いになるとこんな感じになってしまうのです。
「うぷっ!」
「た、耐えるんだナワリン!
生きている宇宙船が口から何かを発射する光景――大量の物資と腐食性のナノマシンを放出する事は、あまり褒められたものではありません。
「ほら、大丈夫?」
「う……」
ナワリンは激流を喉でせき止め必死に耐えています。デュークはナワリンの背中をポンポンとさすってあげました。すると彼女の龍骨の動揺が次第に収まってきます。
「う…………なんとか……止まったわ」
「よ、良かった!」
デュークが「ほっ」と排気を漏らしました。ナワリンの龍骨は、巻き起こった生理現象に打ち勝ったのです。そして彼女はしばらく「はぁはぁ……」と荒い排気をしながら、お腹が落ち着くのをデュークの腕の中で待つのです。
「はぁ……落ち着くわぁ」
ナワリンはそんな事を言いながら、目元に浮かんだ潤滑油の涙をゴシゴシとぬぐいました。そして龍骨が完全に復調すると、今自分が置かれている状態を正しく認識するのです。
「えっと……なっ、何してるのよ、あんた!」
「いたっ!」
デュークの腕の中に居ることに気づいたナワリンは、ドン! と彼を突き放しました。デュークは「うわっ、姿勢制御――」と、エーテルの激流の中でカラダをコントロールします。
「もう、何をするんだよ!」
「あんたがベタベタするからよ!」
「だって、君がグルグル回って制御を失ってたからじゃないか! 助けてというから、そうしただけなんだよ」
「ッ――――! それはそうだけど!」
たしかにデュークがナワリンを制動しなければ、彼女はドラゴンブレスを強制発射する事態に陥っていた事でしょう。それも何発もです。
「あ、あれは緊急事態だからそう言っただけなのよ! べ、別にあんたに気を許したわけじゃないんだから!」
ナワリンはそう言ってから、いつものようにプイッと舳先をそむけました。デュークはなんとも言えない気持ちになりましたが、「まぁ、落ち着いたようだから。それで良しとしよう」と、呟いたのです。
そこでナワリンが片方の手を見ながら「あっ!?」と声をあげました。
「どうしたのさ?」
「ペーテルがいないわ!」
ナワリンがもう一方のクレーンで掴んでいたはずのペーテルの姿がありません。彼らは視覚素子を回して、周囲の探索を始めます。
「どこにも居ないぞ!?」
「近くには見えないわね」
二隻が艦首をフリフリさせて探索しても、ペーテルの姿はどこにも見つかりませんでした。
「ど、どうしよう……マズイよ。行方不明ってやつだ。大丈夫だろうか?」
「まぁ、あいつもフネだから、簡単には……………あ」
ナワリンがお腹の下を指し「下よ! アンタのお腹の下!」と指差しています。
「下?」
デュークは自分のお腹のしたにクレーンを伸ばします。すると、手の先が金属質の物体にゴツン! と当たるのです。
「わわっ、それはボクの艦首だよ~~!」
「ペーテル!?」
「あんた、そんなところにいたのね」
デュークの大きなおなかの下で、巡洋艦がコバンザメのようにピタッと張り付き、カラダを安定させていたのです。
そしてペーテルは推進機関をフリフリさせながらこう言います。
「デュークの近くだとぉ、流れが安定するんだよぉ~~!」
ペーテルは「あとはエーテルの流れに沿って行けば良いんでしょ? もう大丈夫だねぇ~~」などと呑気なセリフを吐きました。
「大丈夫も何も、あんたが無茶するから巻き込まれたよ!」
「ごめんね~~」
ペーテルは、テヘッと笑ってペロッと舌を出しました。そこにまったく反省の色は全くありません。この巡洋艦は生来呑気なところがあるのです。
「もぉっ!」
「まぁ無事だったからいいじゃない……おや、流れが弱くなってきたぞ……」
そんな会話をしていると、カラダにかかっていたエーテルの流れが徐々に弱くなってきます。
流れの先を眺めたデュークは、どんよりと立ち込めたところが有るのを見つけました。エーテルというものは通常白く煌めいていたり、濃度が低ければ無色なのですが、その場所では光の加減がそうさせるのか、黒っぽい色になっているのです。
「あれがエーテル溜まりっていうヤツかな」
「このままだと、あそこに流れ着くわね」
「暗くなってきたよ~~」
いまだ流されるばかりのデューク達は、周囲の空間が段々と暗くなるのを感じました。
「へぇ、流れがどんどん弱くなるな」
「エーテルってば、滞留すると暗くなるのねぇ」
そして彼らは、夕暮れのような暗さがあって、なにもが曖昧に見えるようなところにたどり着きます。
「これは滞留したエーテルの影響かな? 可視光線も赤外線も減衰してるや」
デューク達は様々な波長で周囲を観測するのですが、手ごたえが弱くて、頼りになりません。
「フユツキさんはどこにいるのかしら?」
ナワリンがあたりを見回しますが、視界が効かない上に、フユツキの姿はどこにもありません。
「多分、流れに乗った僕達の方が先に着いているんだろうね」
「なるほど――となると結構遠くにいるかしら。通信してみるわ…………あ――電波状態が最悪よ。ノイズばかり入るわ。これもエーテルの影響かしらね」
「汽笛を鳴らせば、いいんじゃない~~?」
ペーテルはヴォン! と重力波の声を鳴らしました。淀んだエーテルが振動してブワリと広がるのですが――
「ああ、拡散しちゃうよぉ~~」
「これも手応えがなさそうだね」
すぐにかき消えてしまうのがわかるのです。
エーテル溜まりの影響で電波通信がほとんど使えず、汽笛も遠くまで通じません。フユツキとは完全に交信途絶状態になっています。
「ああ、温度が下がってきたわ。なんだか、嫌な感じがするわねぇ」
周囲の視界はドンドン悪くなり、辺りをうそら寒い空気が漂い始めます。
「それにここの空気、龍骨に染み入ってくるような気がするぞ……とにかく、みんな離れないようにね、離れたら声も届かなくなるよ」
「デューク、手を掴んで! はぐれたくない~~!」
心細くなったペーテルがデュークの手を取り、デュークはそれをしっかりと握り直しました。
「ほら、ナワリンもお手々~~!」
「はぐれるよりはマシかしらねぇ」
ナワリンも心細くなっている様子で、ペーテルの手を取りました。フネはそのように連結していると龍骨が安心するのです。そうこうしているうちに、多少の明かりがあったはずの空間は、黄昏時という程までに暗くなってきました。
「ねぇ……これからどうするの?」
「僕に聞かれても……こう暗くっちゃ、どうにもならないなぁ」
ペーテルの背中を飛び越えてナワリンが尋ねて来るのですが、デュークにも良い知恵は浮かびませんでした。
「なんとかしなさいよぉ!」
「そんなこと言ったってさぁ……」
「はぁ、図体デカいだけで、あんたなにもできないのぉ?」
「な、なんだよ。その言い草――!」
「デカイ面してるからって、馬鹿にするからよ!」
「はぁ?! 何を言ってるんだ。訳が分からないよ!」
「う、うるさいよぉ~~!」
自分の背中越しに言葉の砲火を応酬する二隻に、ペーテルは「やめてよぉ~~」と情けない声をあげました。
そして辺りはその暗さを急速に増してゆき――完全な闇となります。
「近くしか見えないよ! こ、怖いよぉ~~!」
「サーチライトを使うわ…………あ、駄目ね吸収されちゃうわぁ」
ナワリンは体内に備わったサーチライトをバシャリと点灯させるのですが、ほんのちょっとばかり先しか見えないのです。そして辺りは、ほんのわずかな光すら吸収する闇夜のような空間となりました。
「うぇぇぇぇぇん!」
「視界0、ね……」
ペーテルは泣き声をあげ、ナワリンは押し黙ります。完全なる闇が二隻の龍骨を覆って、怯えさせたのです。
「むぅ……」
デュークは二隻と違って、いくらかの余裕を持っていました。完全な闇というものは、ネストのトンネル探検で経験していたからです。だから彼は暗闇の中で「どうしたものか?」と多少は冷静に考えることができました。
「フユツキさんがいればなぁ……」
デュークは、あのベテランだったらこういう時にどうすればいいかを知っているだろうと思いました。でも、ここに若いフネを導いてくれる先達はいないのです。
「導くものがなければ……」
彼は暗闇に身を置きながら、龍骨にある何かを確かめるように、呟きます。
「”前へ進め”か……道標を探さないとね」
「えっ、この中を前へ進むの~~?」
「先が見えないのよ?!」
デュークがポツリと漏らした言葉を聞きつけた二隻が慌てます。でもデュークはそれを無視して、こう続けます。
「あの時はただの幼生体だったけど、前に進むことができたんだよね……じゃあさ、今の大きなカラダなら……フネになった僕ならば……うん、やれるよね」
それは自分自身の龍骨の中の誰かと話すような、自問自答とは気色の違うものでした。
「なにこれ、独り言かしら? あら、これって龍骨の中のだれかと喋ってるわ」
「それってご先祖様? ナワリンも聞いたことがあるのか~~」
「ええ、一度だけかすかにね。そっか、あんたも知っているのか」
ナワリンとペーテルが口にしたそれは先祖の声――龍骨の民の先祖の記憶が引き起こす現象でした。
龍骨の民はその龍骨に様々な情報や設計図を持っています。その中には先祖の記憶も入っています。それはいつでも、誰しもが引き出せるものではありませんが、龍骨の民が危機に陥ると、稀に先祖の声として聞こえて来るのです。
「うん、そうだね、前へ進むよ。僕はフネだからね――」
「あ、会話が終わったわ」
「何か良いこと聞けたかな~~?」
そのように言い終えたデュークは艦首を持ち上げます。そしてあたりを包む闇を払うような大きな声で、重力波の汽笛響かせ、この様な言葉を告げるのです。
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